75 / 179
隣にいる幸せ
2
しおりを挟む
『白樺』は青山通りの商業ビル内に店を構える。
希美が壮二をともない店に入ると、女性スタッフがすぐに近づいてきた。
「スーツを二着、お願いしたいの。この男性ひとに」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
スタッフと入れ替わりに現れたのはシルバーグレイの紳士。『白樺』のオーナーである。
「北城様、いつもお世話になっております」
恭しく挨拶をし、二人に微笑みかける。売り場を見回していた壮二が、慌てて向き直った。
「北城社長からうかがっております。フルオーダーのスーツですね。どのようなイメージをお求めでしょうか」
希美は壮二のことを、社長秘書の見習いだと紹介した。オーナーはふんふんと頷きながら、壮二の体を細かく採寸していく。
最終的に、イタリアンスタイルに落ち着いた。無地のダークブルーと、ピンストライプのグレースーツ。オーナーのアドバイスを取り入れつつ壮二が決めたのだが、その選択は希美には意外だった。
「うーん、ちょっと気障な感じがする。似合うかしら」
希美が言うと、オーナーは首を横に振った。
「いやいや、南村様はお背が高く、非常に美しい体型をしていらっしゃいます。お似合いになること間違いナシ。私が請け合います」
「そ、そう?」
売り場の奥に、裁断や縫製を行う工房がある。オーナーは工房の主でもあり、ベテラン職人だ。彼が保証すると言うなら間違いない。
それに、美しいという表現は的を射ている。
「全部手縫いなんですね。すごいなあ」
パンフレットを読んで、壮二が感心した。
「心を込めて、ひと針ずつ作り上げていくことがモットーでございます」
「素晴らしいですね。仕上がりが楽しみになってきました」
壮二の興奮した様子に、オーナーが気をよくする。素朴な賛辞が新鮮なのかもしれない。天然の人心掌握術だ。
彼ならではのコミュニケーションスキルは、秘書としても北城家の婿としても、歓迎すべき特技である。
仮縫いと仕上がり予定日を確認してから『白樺』を後にした。
エレベーターで地下駐車場に下りると、二人は車に乗り込む。中古の4ドアセダンは壮二の愛車だ。
彼は今週から車通勤に切り替えている。
「マイカー通勤は社長の命令?」
「そうです。足があれば、なにかと便利だからと」
なるほど。父は上司として、いろいろ考えているのだ。
夜の街を、壮二の車が滑らかに走り抜ける。希美はシートに深くもたれて、つかの間のドライブを楽しんだ。
「またデートしたいわねー。しばらくは忙しいだろうけど、せめて食事だけでも。ね、壮二」
「はいっ。希美さんさえよければ、いつでも」
壮二は頬を上気させた。食事デートには、スキンシップというメニューも組まれている。
二人にとってそれは、もはや約束事だ。
「今度、僕の部屋に来てください。その……狭いですけど」
「ありがとう。ぜひ、おじゃまするわ」
アパートが狭かろうが、古かろうが、希美は全然気にしない。
学生時代に付き合った格闘家などは、ぼろアパートに住んでいた。ダンベルが転がる畳の上に布団を敷き、朝まで頑張ったものだ。
(ほんと、あの頃の私からは考えられない)
筋骨隆々のガチマッチョではなく、脱いだら別人の地味男に胸をときめかせるなんて。
どうしてだろう――
これまで付き合ったどの男より、壮二はタフで、エネルギーに満ちている。なにより全力で、希美が一番欲するものを与えてくれた。
だから、革命が起きたのだ。
「主導権……完全に奪われちゃったみたい」
「えっ?」
きょとんとする壮二に、希美は微笑む。
それでもいいと思える自分も、悪くない。
彼が隣にいる幸せを感じた。
希美が壮二をともない店に入ると、女性スタッフがすぐに近づいてきた。
「スーツを二着、お願いしたいの。この男性ひとに」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
スタッフと入れ替わりに現れたのはシルバーグレイの紳士。『白樺』のオーナーである。
「北城様、いつもお世話になっております」
恭しく挨拶をし、二人に微笑みかける。売り場を見回していた壮二が、慌てて向き直った。
「北城社長からうかがっております。フルオーダーのスーツですね。どのようなイメージをお求めでしょうか」
希美は壮二のことを、社長秘書の見習いだと紹介した。オーナーはふんふんと頷きながら、壮二の体を細かく採寸していく。
最終的に、イタリアンスタイルに落ち着いた。無地のダークブルーと、ピンストライプのグレースーツ。オーナーのアドバイスを取り入れつつ壮二が決めたのだが、その選択は希美には意外だった。
「うーん、ちょっと気障な感じがする。似合うかしら」
希美が言うと、オーナーは首を横に振った。
「いやいや、南村様はお背が高く、非常に美しい体型をしていらっしゃいます。お似合いになること間違いナシ。私が請け合います」
「そ、そう?」
売り場の奥に、裁断や縫製を行う工房がある。オーナーは工房の主でもあり、ベテラン職人だ。彼が保証すると言うなら間違いない。
それに、美しいという表現は的を射ている。
「全部手縫いなんですね。すごいなあ」
パンフレットを読んで、壮二が感心した。
「心を込めて、ひと針ずつ作り上げていくことがモットーでございます」
「素晴らしいですね。仕上がりが楽しみになってきました」
壮二の興奮した様子に、オーナーが気をよくする。素朴な賛辞が新鮮なのかもしれない。天然の人心掌握術だ。
彼ならではのコミュニケーションスキルは、秘書としても北城家の婿としても、歓迎すべき特技である。
仮縫いと仕上がり予定日を確認してから『白樺』を後にした。
エレベーターで地下駐車場に下りると、二人は車に乗り込む。中古の4ドアセダンは壮二の愛車だ。
彼は今週から車通勤に切り替えている。
「マイカー通勤は社長の命令?」
「そうです。足があれば、なにかと便利だからと」
なるほど。父は上司として、いろいろ考えているのだ。
夜の街を、壮二の車が滑らかに走り抜ける。希美はシートに深くもたれて、つかの間のドライブを楽しんだ。
「またデートしたいわねー。しばらくは忙しいだろうけど、せめて食事だけでも。ね、壮二」
「はいっ。希美さんさえよければ、いつでも」
壮二は頬を上気させた。食事デートには、スキンシップというメニューも組まれている。
二人にとってそれは、もはや約束事だ。
「今度、僕の部屋に来てください。その……狭いですけど」
「ありがとう。ぜひ、おじゃまするわ」
アパートが狭かろうが、古かろうが、希美は全然気にしない。
学生時代に付き合った格闘家などは、ぼろアパートに住んでいた。ダンベルが転がる畳の上に布団を敷き、朝まで頑張ったものだ。
(ほんと、あの頃の私からは考えられない)
筋骨隆々のガチマッチョではなく、脱いだら別人の地味男に胸をときめかせるなんて。
どうしてだろう――
これまで付き合ったどの男より、壮二はタフで、エネルギーに満ちている。なにより全力で、希美が一番欲するものを与えてくれた。
だから、革命が起きたのだ。
「主導権……完全に奪われちゃったみたい」
「えっ?」
きょとんとする壮二に、希美は微笑む。
それでもいいと思える自分も、悪くない。
彼が隣にいる幸せを感じた。
0
お気に入りに追加
145
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる