夫のつとめ

藤谷 郁

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御曹司(その1)

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「南村壮太? グラットンの社長って、そういう名前だっけ」
「そう、みたいですね」

 壮二は気まずそうに、ちらりと希美を見る。なにかを探るようにじっと目を凝らすが、すぐに睫毛を伏せた。

「希美さん、知らなかったんですか?」
「う……ん。言われてみれば、そういう名前だった気もするけど」
「先輩方に、よく比べられるんです。たった一文字で、えらい違いだなって」

 なるほど……と、希美は合点がいく。
 このことを指摘されるのが嫌で、壮二は上の空だったのだ。グラットンの話題を振っても、気のない返事をしていた。

 大企業の社長と、パッとしない営業マン――

 名前が似ているだけで、いちいち比べられ、からかわれるのは苦痛かもしれない。一応、壮二も男なのだから。

(でも、先輩って誰よ。堀田課長がそんなくだらないこと言うわけないし。イケメンツートップ? それとも、似たような成績の営業部員?)

 いじめられた弟を庇う、姉の心境になってきた。そいつらの名前を聞き出し、仕返しをしてやろうとすら思う。
 だけど、この南村壮二という男は、そんなことを望む人間ではない。

 車から降りると、壮二は後部席のドアを開けた。ビジネスバッグを取り出す彼の背中に、希美は明るく声をかける。

「そんなの、全然気にすることないわよ」

 壮二は希美のビジネスバッグを持ち、ドアを閉めた。当然のように鞄持ちをしてくれる。

「あら、ありがとう」
「いえ」

 ホテルの玄関に向かって、二人は歩き出した。

「さっきの話だけど、むしろ、自慢すべきじゃない?」
「自慢?」

 希美の意見を、不思議そうに訊き返す。

「大企業のトップと名前が似てるなんて縁起がいいし、むしろ光栄なことなんだから胸を張りなさい。それか、ハッタリをかましてやってもいいわね」
「ハ、ハッタリですか」

 壮二が目を瞬かせる。希美の口調は小気味よく、楽しそうですらあった。

「そうよ。『実は僕、南村壮太の息子なんです。グラットンの立派な後継者になるため、ノルテで修行中の隠れ御曹司ですので、よろしくお願いします』とかね」

 壮二の靴が止まった。
 希美は先へと歩きかけ、彼がついてこないのを不審に思い、振り返った。
 大真面目な顔をして、希美を見つめている。

「どうしたの?」

 今の対策案が気に入らなかったのか。希美としては、悪気などまったくなく、壮二を励ますためにユーモアを交えたつもりだけれど。

「いやね、冗談よ。御曹司なんて、誰も本気にするわけないじゃない。たとえばの話で……」
「希美さん」

 神妙に名を呼ぶと、大真面目な顔のまま、つかつかと近付いてくる。怒っているように見えるのは、ホールに射す光の加減だろうか。

 希美は思わず後ずさった。まっすぐな眼差しは、あの時の彼を彷彿とさせる。一部の余裕も与えず、希美を翻弄した、あの時の壮二が目の前に迫ってくる。

「希美さん」
「は、はい?」

 正面に立ち、被さるように見下ろす。背の高い壮二の陰に、希美はすっぽりと入っていた。

「あの……壮二?」
「もし、そうだったらどうします」
「え……」
「僕がもし、グラットンの……南村社長の息子だったら。あなたは、どうしますか」

 壮二の目は真剣で、どこにも遊びがない。
 希美は気圧され、声も出せなかった。

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