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第二章 炎の山

17. 囮

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 颯空を連れてクリプトン達が向かったのは『炎の山』だった。依頼を受けたというわけではなく、魔物の素材の入手が目的らしい。序盤からちらほら魔物が襲っては来るが、特に苦戦せずに彼らはどんどん山道を進んでいった。
 クリプトン達の荷物をすべて背負いながら、颯空は彼らをじっくり観察する。基本的な戦い方はキセノンが鞭で魔物を翻弄し、ラドンが毒の塗られた吹き矢を使って魔物の動きを鈍らせ、クリプトンがハンドアックスでとどめを刺すというものであった。
 流石にFランクやEランクの魔物に後れを取るような連中ではなかったが、クリプトンがBランク冒険者いうのはどうにも疑わしかった。颯空は一度冒険者試験でBランク冒険者と対峙している。その相手は戦い方がここまでお粗末ではなかった。
 太陽がかなり高くなったところで昼休憩となった。当然のように颯空には一切の食糧を与えず、見せびらかすように颯空が背負って荷物から食べ物を取り出し食べ始める。これくらいの仕打ちは想定の範囲内なので、内心呆れながらも、颯空は黙ってクリプトン達の食事風景を見ていた。

「なんだ? 食べたいのか? 悪いが、つかいっぱしりに食わせる飯なんか持ち合わせちゃいねぇんだ」

 視線を感じたクリプトンが優越感丸出しで持っていた食べ物をひらひらと振った。

「別に問題ねぇよ」
「……けっ。愛想のねぇ野郎だな」

 颯空が羨ましがるだろうと思っていたクリプトンは、期待外れの反応を見てつまらなさそうに鼻を鳴らす。たかが半日食物を摂取しなかっただけで音を上げるような、やわな鍛え方はしていなかった。

 昼食をとり終えると、再び頂上へ向けて歩き始める。『炎の山』は標高が高ければ高い程ランクの高い魔物が出没し、それだけ素材の価値も上がってくるのではあるが、それだけ一戦一戦の魔物との戦闘時間が長くなった。それでも誰一人として致命傷を負うことなく山頂付近まで来ることができたのは、クリプトン達がそれなりの力を有しているという事だ。

「さすがに魔物大暴走スタンピード前だけあって魔物が多いっすね。さすがにくたくたっすよ」

 額の汗をぬぐいながらラドンが言った。キセノンは弱音を吐かないまでも、その表情には疲労の色が浮かんでいる。日が沈み始め、大分辺りは薄暗い。午前中から強行軍を強いてきた彼らが疲れているのは無理もないことだった。

「たくっ、しょうがねぇな」

 そんな中、一人だけ元気なクリプトン。それもそのはず、前線に子分を立たせて、動けなくなった魔物に止めを刺す役割なのだ。これ以上に楽な仕事はない。とはいえ、夜の魔物は危険度が増す。取り巻き二人が疲れ果てているのであれば、今日はこの辺りで休むのが無難な選択だろう。

「おい、ガキ。今日はここでキャンプするからテントを張れ。それが終わったら焚き火用の薪木も集めて来い」

 クリプトンは髭まみれの顎で指示をする。まるで召使にでも命令するかのような口調であったが、颯空は何も言わずにテントを設営しようとした。だが、不意に嫌な気配を感じ、その場で立ち止まってあたりを探る。

「あぁ? なにしてんだてめぇ?」

 不審がるクリプトンを無視して、颯空は姿の見えない相手に全神経を集中させていた。そして、その居場所を察知した颯空がバッと振り返る。
 木の陰からのっそりと姿を現したのは一匹の魔物であった。だが、今まで狩ってきた魔物達とは明らかに一線を画する佇まい。暗褐色の体は五メートルを優に超え、その巨大な体を支える前足は大樹の幹のように太く、そこから伸びる爪は研ぎ澄まされた名刀のように長く鋭い。背中から尻尾の先まで規則正しく黒い棘が並んでおり、威嚇をするようにその尾を地面に叩きつけていた。

「ガァァァァオオォォオオォォウゥ!!!」

 耳をつんざくような咆哮が山に響き渡る。それにより、頭の中が真っ白になっていたクリプトン達が我を取り戻した。

「ベ、ベヒーモスだぁぁぁぁ!!」

 ラドンが恐怖にまみれた叫び声をあげる。キセノンもクリプトンも明らかに焦りの表情を浮かべていた。巨大な二本の牙の間から低いうなり声を漏らしながら、彼らの初動をベヒーモスは探っている。

「……へぇ。これがベヒーモスか」

 ただ一人、颯空だけが冷静に相対する魔物を観察していた。ギルドで読んだ資料によると、ベヒーモスのランクはA。それ一体で町に脅威を与えるほどの危険度だ。確かに、バジリスクよりも威圧感を感じる。

「……ラドン、キセノン」

 じりじり、と距離をとりながらクリプトンが静かに手下の名前を呼ぶ。

「いつものパターンでいくぞ」
「了解っす」
「わかりやした」
 
 クリプトンの指示を受け、キセノンは腰に携えたロープを手に取った。ラドンはブルブル震えながらも頷くと、吹き矢を構える。

「今だっ!!」

 クリプトンの合図で、ラドンが吹き矢を放った。その矢は悠然とこちらを見ているベヒーモスに……ではなく、キセノンの側に立っている颯空に見事命中した。

「……あ?」

 首元に違和感を感じ、手を当てる。それと同時に、体の痺れに襲われた。矢に塗られた強力な麻痺性の毒により体の自由が奪われた颯空を、キセノンがロープで縛り上がる。

「……なんのつもりだ?」

 なんとなく自分の置かれた現状は把握しつつも、ニタニタと笑っているクリプトンに問いかけた。

「悪いな。これが俺達の戦術なんだ」
「戦術?」
「ランクの高い魔物が現れたら、こうやってお供に来させている馬鹿な新人冒険者を囮にして狩るんだよ。……まぁ今回は相手がやばいから、流石に逃げさせてもらうけどな」
「……ってことは、俺の前に荷物持ちをやってたって奴は」
「俺達が狩った魔物の腹の中ってことだ」

 心底楽しそうな口調でそう言うと、クリプトンは片膝に肘を乗せて身をかがませると、地面に転がっている颯空に汚らしい髭面を近づける。

「遅かれ早かれてめぇはこうなる運命だったんだよ。俺の女に近づいたのが運の尽きってわけだな」
「俺の女?」
「パルムだよ。正確にはまだ俺の女じゃないけどな。これで目障りな新人冒険者はいなくなり、俺はギルドの美人受付嬢をモノにできるってことだ。頭いいだろ?」
「……そうかい」

 颯空は呆れたようにクリプトンから視線を背けた。そんな颯空の腹の下に足を差し込んだクリプトンが、ベヒーモス目がけて思いっきり蹴り上げる。

「そらよっ!! しっかり囮になってくれ、サクちゃんよぉ!!」

 ひゃひゃっ、と笑い声をあげながら、キセノンとラドンを引き連れて一目散に逃げていった。ベヒーモスはそんな彼らに目もくれず、両手両足を縛られ、無様に横たわっている颯空をじっと見つめている。

「小悪党、ここに極まれりって感じだな」

 小さくため息を吐くと、颯空は干将莫邪を呼び出し、器用にロープを切った。もう既に体の痺れは消え去っている。『恵の森』に生えている毒草を使って無理やり毒への耐性をつけさせられた颯空にとって、大抵の毒はすぐに打ち消すことができた。

「よっと」

 干将莫邪を持ったまま立ち上がり、ベヒーモスと向き合う。

「どうする? 俺とるか?」

 颯空が静かに問いかけた。高ランクの魔物であるベヒーモスは、言語を話すことはできないにしろ、理解する程度には高い知能を有していた。

「別に俺は構わねぇよ。り合ったところで勝つのは俺だ」

 そう告げながら魔力を練り上げると、颯空を中心に突風が渦を巻いていく。それだけで、颯空が規格外の相手であることがベヒーモスにはわかった。ぐっと地面を踏みしめる前足に力を入れる。

「とはいえ、今日ここに来たのはお前を退治するためじゃない。大人しく自分の巣に帰るっていうんなら、後を追うつもりはねぇ。……ただ、向かってくるっていうんなら、俺は容赦しない」

 魔力を消しつつも、ありったけの殺気を込めて颯空が言った。少しの間睨み合いが続いたが、ベヒーモスが颯空に背を向け、どこかへと去っていく。その背中を見ながら颯空はこれからどうするか考えていた。

「さて、と。このまま戻ってギルドにあの馬鹿どもの事を報告してもいいんだが……」

 颯空はチラリと山頂に視線を向ける。実は『炎の山』に入った時から微かに異様な魔力を感じていた。最初は気のせいかと思うほどに小さかったそれは、今や無視できないほどのものとなっている。その出どころには目星がついていた。

「乗り掛かった舟だ。行ってみるか」

 クリプトン達の荷物を"無限の闇ダークホール"へと放り込み、山頂を目指す。思った通り、山頂に近づくにつれ妙な魔力の気配は強くなっていった。ふと、ダンクの言葉が思い出される。

 ――『炎の山』には世にも恐ろしい狐の化け物が住んでるって話だ。

 不意にダンクの言葉が思い出される。あの時は御伽噺かと一蹴したが、あながちホラ話でもなさそうだ。
 慎重に山道を進んでいき、そろそろ山頂か、というところで、見えない何かが颯空の行く手を阻んだ。

「……魔力結界だと? こりゃ本当に化け物がいても不思議じゃねぇな」

 触れてみればわかる。この魔力結界はかなりの強度だ。もし、この結界を作った奴が先にいるのだとしたら、一切気を抜くことはできない。
 干将莫邪で無理やり結界をこじ開け、内部に入っていく。中はまるで別世界のようであった。水あめの中を歩くように、魔力がねっとりと体に絡みついてくる。これほどまでに濃密な魔力はお目にかかったことがない。
 干将莫邪を握る手に自然と力が入った。どんな化け物が出てきてもいいように、常に体は動ける体勢で。あらかじめ魔力も最大限練り上げておく。

 これ以上ないほどに警戒しながら進んでいくと、ようやく目的地である山頂に出た。

 はたして’それ’はそこにいた。

 堅牢に組まれた石の檻の中で、頭にある狐耳をピクピクと動かしながら、夜なのに太陽を思わせる金色の髪を煌めかせ、同じく金色の瞳をこちらに向けてくる。
 
 これが、颯空と狐人種フォクシニアの少女であるタマモとの出会いであった。
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