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第一章 呪われた男

10. 素顔

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 夕食の後、なんとなく部屋に戻る気に颯空は湊たちと別れ、一人中庭へと足を運んだ。少し肌寒く感じる風が颯空の肌をなでる。少しだけ火照った颯空にはそれがとても心地よかった。

「……すずと久しぶりに話したあの日も、こんな月だったか」

 その存在感を示すようにでかでかと夜空に浮かんでいる月を見ながら颯空は呟いた。あれから一言も彼女とは言葉を交わしていない。だが、今日は自分の代わりに怒ってくれた。話す事はなくなっても、彼女はずっと自分の事を気遣ってくれているのだ。そう思うと、なんともくすぐったい気分になる。

「……あいつらが同室でよかったな」

 夕食での湊達と会話には驚かされた。それと同じくらいに嬉しかった。
 あんな風に心の底から軽口を叩けたのはいつぶりだろうか。少なくとも無意識に他人との間に壁を作っていた高校時代では考えられないことだ。別に卒業したわけではないので、今も自分は高校生ではあるのだが、あのまま日々を過ごしていたところで、この気持ちを抱くことはなかっただろう。
 ゆっくりと歩を進める。誰もいない中庭は本当に心が休まる場だった。この世界に来てから何度一人でこの場を訪れただろうか。気持ちの整理をする時や、何も考えたくない時、これ以上の理想郷ユートピアはないと颯空は確信していた。
 だが、今日に関してはこの安息の地に来ているのが自分だけではなかったらしい。

「――誰もいない夜の庭園でお散歩かしら?」

 聞き慣れた聞き慣れない声。二律背反ではあるが間違いではない。
 ぴたりとその足を止めた颯空が緩慢な動きで声のした方へ顔を向ける。そこに立っている人物を見て、颯空は小さく息を吐いた。

「……澪」
「そう呼んでもらうのは随分と久しぶりな気がするわ」

 弱みなどありえない完全無欠の生徒会長。藤ヶ谷澪の姿を確認した颯空は、そっと顔をそむける。

「会長さんと話すことなんか何もねぇ。悪いが、部屋に戻らせてもらう」
「えっ、ちょ、ちょっと待って!!」

 静止も聞かずに歩きだした颯空の背中に澪が慌てて呼びかけた。

「ご、ごめん! いつもの癖で……!! そうだよね、ここには颯空とあたししかいないものね!」

 常に気高く、生徒の模範であり続ける生徒会長とは思えない弱弱しい声で澪は言った。さっさとこの場を去ろうと考えていた颯空だったが、その声に懐かしさを感じてしまい、頭をガシガシと掻いて澪の方へ振り返る。

「……何か用か?」
「用……うん。颯空に用があるのは事実よ」

 いつもの隙のない凜とした澪からは想像もできない曖昧な態度。そんな澪を見ても、颯空が驚くことはない。

「ならさっさと用件を言ってくれ。今の俺とお前の立場を考えると、二人で話しているところを誰にも見られたくない」

 端的に颯空が自分の考えを告げる。今の澪と一対一サシで話すのは、トップアイドルと一般人が話すようなものだ。できれば遠慮願いたいところである。

「……颯空は変わったね」
「変わったのは澪もだろ。昔のお前は生徒会長なんてやるような玉じゃなかった」
「私は……強くなりたかったから」

 尻すぼみになりながら澪が言った。言っている意味が分からない颯空が眉をひそめる。

「昔の私は無知で無力で……いつだって颯空と凪に助けてもらいっぱなしだった」
「……そんな事ない」
「ううん。私に力がなかったから、あの時も颯空は私に力を借りなかったんでしょ?」

 遠慮がちに澪が問いかけてきた。『あの時』というのは恐らく自分が思い描いているもの相違ないだろう。だからこそ、颯空は表情を苦痛に歪める。

「……あれは澪とは関係ない」
「あっ、えっと……ごめんなさい」

 申し訳なさそうな顔で項垂うなだれる澪を見て、颯空は内心舌打ちをした。昔の彼女を知っているが故に苛立ちは募るばかりだ。彼女に対してではなく自分に。

「……謝ってばっかだな」
「え?」
「なんでもない。それで? 用件は何だ?」

 これ以上話お互いによくないと判断した颯空が話を促す。口を開こうとした澪だったが言葉にならず、目を伏せ大きく息を吐きだした。
 この沈黙を破るつもりは颯空にはない。何も言わずに、ただひたすら澪の言葉を待った。

「……恵みの森への遠征、行かないで欲しいの」

 澪が身を切るような思いで出した言葉がそれだった。

「……一応理由を聞いても?」
「初めての遠征。初めての魔物との実践。……颯空を守れる気がしないの」

 念のためした問いかけに、澪が予想通りの言葉を返してくる。颯空は何も言わずに空を見上げた。

「……傲慢だって思った?」
「思うわけないだろ。異世界の知識が浅くても、強力な’聖騎士’のギフトを授かった勇者とよくわからない呪われたギフトを持つ落ちこぼれ……どっちが守られる立場だなんて小学生にだってわかる」

 務めて軽い口調で颯空が告げる。だが、その効果は薄かったようだ。ぐっと下唇を噛みしめる澪に、颯空が全てを諦めたように笑いかけた。

「なぁ、澪。もう俺に縛られんな。慣れないまとめ役なんてやる必要ねぇんだよ」
「っ!? わ、私は……!!」
「もっと自己本位に生きろ。せっかく異世界に来たんだ、やりたいようにやればいい。まだわがままに生きても許される年齢だろ」

 そう言うと、颯空は澪に背を向けて歩き出した。その背中を呼び止めようとした澪だったが、颯空の言葉がそれを阻止する。

「なんて言われようと俺は行くぞ。俺もやりたいようにやらせてもらう。そのためには強くなるひつようがあるんだ。……だったら、無理するしかねぇんだよ、俺は」

 最後は澪に言うというよりも自分に言い聞かせているようだった。この世界の者ですら知り得ない呪われたギフト。そのせいで剣を振る事も魔法を使う事もできない。同じ異世界から召喚されたというのに、他の者達に比べてあまりにも戦う力がない。そうである以上、他の人よりも無理をしなければこの世界で生きてはいけない、と颯空は本能的に悟っていた。
 何かに縋るように出した澪の手が空を切る。長い付き合いだからこそ、今の彼にどんな言葉をかけても、その意思を覆すことができないと悟った。だからこそ、澪は切なさと寂しさの入り混じった表情で、決死の覚悟を決めた男を見送ることしかできなかった。


 だが、二人は知らない。
 二人の会話を一言も漏らさずに聞いていた者がいる事を。
 その姿を目に焼き付けるように凝視していた者がいる事を。
 そして、それが悲劇の幕が開くきっかけになる事を、この時の二人は知る由もなかった。
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