28 / 86
4章 伝承を紐解く
4_⑨
しおりを挟む
睨み合いに焦れて先に動いたのは側近だった。仕込みナイフを領主に向かって飛ばす。キョウネが手甲で弾くが、また次の暗器が袖から出てくる。領主さえ仕留めれば、他の敵も動揺すると考えたのだろう。破れかぶれにも見えた。
そうして隙の出来た背中とわき腹に向かって、ライカとセルが駆け出す。気功の光が部屋を白く染め上げる。
眩しくて何も見えないが、魔物に対する手ごたえが妙にはっきりあった。今までのロイスはすんなり押し出せたのに、この魔物は、側近から離れまいとしがみついているみたいだ。
(もう少し……!)
粘っているうちに、剥がれていくのがわかる。あと半分というところまで来ると、セルがいる方へ一気に魔物が引き出された。
光が収まった部屋の中で、側近はうつぶせに倒れていた。ちかちかする目を瞬いて、皆が状況を見極めようとしている。
セルの手の中にある禍々しい物体に、注目が集まった。黒い粘液のようなそれは、表面を泡立たせながら、流れ落ちることはない。ある程度の大きさに留まって、何か言いたげに立つ泡は、時折側近の顔の形に浮かび上がった。元の体に戻りたいのか、側近がいる方へ触手のようなものを伸ばし始める。
「うわあ」
側近の真後ろにいたライカにとっては、自分に向かってくるようで不気味なものだ。短剣を構えると、セルがけん制した。
「待て。これは、斬っても死なない」
魔物を押さえつけるのに苦労しているように見えたので、ライカは気功を糸状に練って巻きつけ、手助けした。
セルはベルトに結わえてある小瓶を一つ取り、親指で蓋を弾いた。キョウネが「何だい、それ?」と聞くのに対し、聖水だと答えた時には瓶を傾けていた。透明な液体が魔物に注がれていく。途端、魔物は泡立つ勢いをなくし、しぼんでいくではないか。やがてセルの手からすり抜けて、床にしみすら残さず消えてしまった。不思議なことに、聖水も辺りを濡らしてはいない。
まだ少し混乱している領主は、人を呼んで気を失った側近を運ばせた。一応、牢に入れて鍵をかけるよう指示をする。そして疲れた顔で、自分の座に腰掛けた。
「本当に……災禍の再来だとでも言うのか。このような事が起こるとは」
刃を向けられたことで、あの側近に寄せた信頼は壊れた。しかし一度は疑ったキョウネの言い分を、すぐには信じられないだろう。
そこで、キョウネはあえて僧兵のセルに問いかけることにした。魔物とは、どういうものなのか……自分が気になったことであり、ここで知るべきことに思えたのだ。
「魔物は、生き物が発散した怒りや憎しみの具現化だ。嫉妬、欲望、他者に見せたくない暗い感情は、町から離れた場所で形になる。それは一般的に言われていることだろう」
嫌な部分を無意識に追い出して、自分を保ちながら人々は生活する。魔物が人を襲ったり、破壊を楽しんだりする傾向にあるのは、心から追い出された不満であったり、感情そのものが持つ衝動に任せて動くからだ。
周知のことは手短にまとめて、セルは部屋の中にいる一同を順番に見た。たまたま目が合って、ライカはつい逸らしてしまった。特に気にする様子はなく、話は続く。
「先ほどの例は恐らく、感情を押し留め過ぎたか、現状への不満があまりに大きかったのか……己の内で魔物が作られた、ゆえに強く結びついたものだと思う」
淡々と示された考察に、領主とキョウネは険しい顔になる。
「式神に影響してるのも、あの魔物なのか? 町は大丈夫かな」
「さあ、わからないな。だが、町へ戻る前にハッキリさせるべきことがあるんじゃないか? そのために二手に分かれたんだ」
キョウネが焦っていても、セルの冷静さは揺るがない。領主を真っ直ぐに見る目は静かで、彼の第三者としての立場を明白にしている。
今日ここに来たのは、領主がコーメイの今後をどう考えているか話を聞くため。そして、もしラルゴに侵攻する気なら、何とか止めさせようと作戦会議で一致していた。ラルゴを相手取れば神殿が絡んできて、神殿が立ち上がるなら各地の信者も協力する。下手をすれば世界中がコーメイの敵となってしまうのだ。セルが見聞きしたことを神殿に報告すれば、先手を打って攻められることもあるだろう。神殿が森の調査に出た時点で、勝ち目などなかった。
質問がなくても、皆の目線が集まると、何を答えるべきか領主は分かってきた。魔物の出現による混乱は、かなりおさまっている。
「刃を向けられて初めてわかった。ラルゴ侵攻は、あやつの野心だったのだな」
側近は、大陸の先住民である自分たちこそ、覇権を得るに相応しいと言っていたそうだ。今思えば、言い回しを変えながら、軍拡路線へ導こうとしていた。
「どうやら、改めて民と向き合う必要がありそうだ。どんな原因があるにしろ、内部に魔物が入り込むようではいけない。まず領内のことを考えなくては」
ひとつ心配事が解消されて、キョウネとライカはほっとした顔を見合わせた。
そして、式神の様子を見るため、すぐに町へ取って返した。
そうして隙の出来た背中とわき腹に向かって、ライカとセルが駆け出す。気功の光が部屋を白く染め上げる。
眩しくて何も見えないが、魔物に対する手ごたえが妙にはっきりあった。今までのロイスはすんなり押し出せたのに、この魔物は、側近から離れまいとしがみついているみたいだ。
(もう少し……!)
粘っているうちに、剥がれていくのがわかる。あと半分というところまで来ると、セルがいる方へ一気に魔物が引き出された。
光が収まった部屋の中で、側近はうつぶせに倒れていた。ちかちかする目を瞬いて、皆が状況を見極めようとしている。
セルの手の中にある禍々しい物体に、注目が集まった。黒い粘液のようなそれは、表面を泡立たせながら、流れ落ちることはない。ある程度の大きさに留まって、何か言いたげに立つ泡は、時折側近の顔の形に浮かび上がった。元の体に戻りたいのか、側近がいる方へ触手のようなものを伸ばし始める。
「うわあ」
側近の真後ろにいたライカにとっては、自分に向かってくるようで不気味なものだ。短剣を構えると、セルがけん制した。
「待て。これは、斬っても死なない」
魔物を押さえつけるのに苦労しているように見えたので、ライカは気功を糸状に練って巻きつけ、手助けした。
セルはベルトに結わえてある小瓶を一つ取り、親指で蓋を弾いた。キョウネが「何だい、それ?」と聞くのに対し、聖水だと答えた時には瓶を傾けていた。透明な液体が魔物に注がれていく。途端、魔物は泡立つ勢いをなくし、しぼんでいくではないか。やがてセルの手からすり抜けて、床にしみすら残さず消えてしまった。不思議なことに、聖水も辺りを濡らしてはいない。
まだ少し混乱している領主は、人を呼んで気を失った側近を運ばせた。一応、牢に入れて鍵をかけるよう指示をする。そして疲れた顔で、自分の座に腰掛けた。
「本当に……災禍の再来だとでも言うのか。このような事が起こるとは」
刃を向けられたことで、あの側近に寄せた信頼は壊れた。しかし一度は疑ったキョウネの言い分を、すぐには信じられないだろう。
そこで、キョウネはあえて僧兵のセルに問いかけることにした。魔物とは、どういうものなのか……自分が気になったことであり、ここで知るべきことに思えたのだ。
「魔物は、生き物が発散した怒りや憎しみの具現化だ。嫉妬、欲望、他者に見せたくない暗い感情は、町から離れた場所で形になる。それは一般的に言われていることだろう」
嫌な部分を無意識に追い出して、自分を保ちながら人々は生活する。魔物が人を襲ったり、破壊を楽しんだりする傾向にあるのは、心から追い出された不満であったり、感情そのものが持つ衝動に任せて動くからだ。
周知のことは手短にまとめて、セルは部屋の中にいる一同を順番に見た。たまたま目が合って、ライカはつい逸らしてしまった。特に気にする様子はなく、話は続く。
「先ほどの例は恐らく、感情を押し留め過ぎたか、現状への不満があまりに大きかったのか……己の内で魔物が作られた、ゆえに強く結びついたものだと思う」
淡々と示された考察に、領主とキョウネは険しい顔になる。
「式神に影響してるのも、あの魔物なのか? 町は大丈夫かな」
「さあ、わからないな。だが、町へ戻る前にハッキリさせるべきことがあるんじゃないか? そのために二手に分かれたんだ」
キョウネが焦っていても、セルの冷静さは揺るがない。領主を真っ直ぐに見る目は静かで、彼の第三者としての立場を明白にしている。
今日ここに来たのは、領主がコーメイの今後をどう考えているか話を聞くため。そして、もしラルゴに侵攻する気なら、何とか止めさせようと作戦会議で一致していた。ラルゴを相手取れば神殿が絡んできて、神殿が立ち上がるなら各地の信者も協力する。下手をすれば世界中がコーメイの敵となってしまうのだ。セルが見聞きしたことを神殿に報告すれば、先手を打って攻められることもあるだろう。神殿が森の調査に出た時点で、勝ち目などなかった。
質問がなくても、皆の目線が集まると、何を答えるべきか領主は分かってきた。魔物の出現による混乱は、かなりおさまっている。
「刃を向けられて初めてわかった。ラルゴ侵攻は、あやつの野心だったのだな」
側近は、大陸の先住民である自分たちこそ、覇権を得るに相応しいと言っていたそうだ。今思えば、言い回しを変えながら、軍拡路線へ導こうとしていた。
「どうやら、改めて民と向き合う必要がありそうだ。どんな原因があるにしろ、内部に魔物が入り込むようではいけない。まず領内のことを考えなくては」
ひとつ心配事が解消されて、キョウネとライカはほっとした顔を見合わせた。
そして、式神の様子を見るため、すぐに町へ取って返した。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる