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4章 伝承を紐解く
4_②
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神殿の僧兵達は、単独ないし二人組で散開し、森を調べていた。魔物が増えているとの報せを受け、派遣されたのだ。実のところ、森の様子を気にしているのは神殿よりもラルゴを治める者達だ。国に手厚く守られている分は、力を貸さなくてはならないらしい。
本命は森の奥にある町の調査のくせに、それを暗示するに留めた指令を思い返し、ある僧兵が溜息をついた。整った顔立ちに似合わない傷跡が、左のまぶたから眉上まで、斜めに走っている。煩わしげに払う髪は、男性の割には少し長い。
(どうせ今回も、町に辿り着ける者はいないだろうに)
内心で文句を言って、ふと足を止める。聞こえた音を追い、目だけを横に向けた。背に負った矢筒から一本抜き、持っている弓につがえる。力は込めていないから、まだ遠いのだろう。
やがて、慎重に音の方へ歩き出した。
茂みの向こうに、大型の獣と、その他多数の足音が行き交っている。唸りや咆哮もある。争っている様子だ。仲間が巻き込まれていないか覗き込んで、僧兵は表情を険しくした。
幸い他の僧兵はいなかったが、馬三頭分はある大きな虎に、わらわらと魔物が群がっている。どう見ても虎に蹴散らされており、次々と地面のしみになる。そのうち、襲ってくる魔物もいなくなり、森の奥へと歩き出した。あの虎は、魔物ではないのだろうか。
(普段見かけるものとは、明らかに違う。少し、様子を見るか)
追って数歩を踏み出した時、虎の動きがぴたりと止まった。続いて、別の茂みの向こうから、「おりゃっ」と声がした。誰かがいる。
隠れきれない長身なのだろう、茂みの上に、赤い布が見えた。こぼれた魔物を始末したところを、虎に見つかったようだ。
「あーもー、しょうがないっ」
潔く、最初に茂みを飛び出したのは、冒険者と思しき金髪の少女だ。既に短剣を構えている。続いて出てきた赤いバンダナの青年が反省顔なのを見ると、さっきの掛け声は彼のものらしい。長剣を虎に向けて、引き締まった表情に改めた。
「わあぁ、大きい……魔物なのかな、これ」
最後に姿を見せた少女は、緊張感のない発言をした。丸腰でどうするつもりなのか、怯えた様子はない。虎は三人組を敵とみなし、体勢を低くして牙をむいた。しばし、睨み合う。
(これは助力するべき事柄、だろうな。彼らは進んで虎に挑んだわけじゃない)
考え、僧兵は茂みを分けた。虎を狙って弓を引き絞る。
「加勢する」
服装で立場はわかる。言うことはこれで十分だった。
虎は、動きを止めても地面のしみにならない。四人は、一様に首をかしげた。
「魔物のような、魔物じゃないような感じだねえ」
僧兵の矢が眼球を捉えた虎の顔面から、さりげなく目線を外してライカが言った。その半歩後ろから、ユニマも虎を覗き込んでいる。
「ありがとな、助かったよ。もしかして、神殿の人?」
トラメの気軽な問いに、僧兵は「ああ」と頷くだけだった。ずいぶんと無愛想だ。弓の腕は確かだが、なぜ加勢してくれたか真意が見えない。
そのとき、ぐるる、と不穏な唸りが聞こえた。観察している目の前で、虎が余力を振り絞って起き上がったのだ。驚いたユニマがしがみついたので、ライカは剣が抜けない。
「わわっ」
ふたり一緒に尻餅をついた。トラメが長剣を抜き様に切り付けようとしたが、僧兵は何かに気付いたようで動かない。
剣が触れる前に、虎が仰け反った。顎を蹴り上げた人影がある。その者は素早く手を突き出し、細長い紙を虎に貼り付けた。すると、破裂するように煙に成り代わって、虎が消えてしまったではないか。僅かに、地面にはしみが残った。
「ごめん、とばっちりだったね。今の、あたしが片付ける奴だったんだ」
人影は、煙の中から謝った。威勢のいい口調の女性はキョウネと名乗り、四人への礼がしたいからと町へ招いた。森の奥にひっそり構える町の住人に、こんなにあっさり会えるとは思ってもみなかった。
道々、キョウネに名前を聞かれて初めて、僧兵はセルと名乗った。神官には、柔らかな物腰で微笑を絶やさない者が多いが、彼はそういう性格ではないらしい。自ら口を開いたのは、加勢に入ったときだけだ。
「最近、神殿の連中が森をウロウロしてるね。魔物が増えてるから、気をつけるんだよ?」
ちらり、セルを見るキョウネのつり目は元々で、神殿に対する敵意はなさそうだ。先頭を歩きながら、自分たちは隠れ住んでいるわけではないと言う。冒険者も、森を調べる僧兵達も、魔物に気をとられて見つけられないのだ。薄暗い森は視界が悪いし、時間の感覚も鈍らせる。
紫のポニーテールを揺らし「着いたよ」と立ち止まるキョウネの向こうは、ぽっかりと開けた場所になっていた。空の色が夕暮れを示している。
「あたしたちの町は、コーメイっていうんだ。他の国とはちょっと文化が違うけど、いい所だよ」
森をくりぬいた平地に町を入れた感じで、人々の暮らしが営まれていた。中央には川が流れ、橋もかかっている。他の国で多く見られる石造りと違い、主に木造の建物が建っていた。塗られた壁の中も、木組みの構造なのだという。ほとんど平屋だけが並ぶ中、遠くにある建物だけが立派に階を重ねていた。ここの領主が住まう城だ。
行き交う人は皆、長い髪を束ねている。男女の別なく髪を伸ばす風習があることを説明しながら、キョウネは腰まである自分の髪をつまんで、邪魔なんだけどねと文句を言った。
「キョウ!……その人達は?」
川で水を汲んでいた人が走ってきた。肩下までの髪を低い位置に束ねている。声が低いから青年だろうかと思うと、顔はキョウネにそっくりだ。聞けば、双子の弟オトキヨらしい。
「ただいま、オト。アレが出たとこ、居合わせた人達なんだ。今から森を歩くのは危険だからさ。とりあえず連れてきた」
「またひとりで行ったのか。無茶するなって言ってんのに……」
早口で交わされる会話は、ライカ達に詳細を隠している。そういえば、キョウネはあの虎を「あたしが片付ける奴」と言った。弟のオトキヨも、虎の出現を知っていたのだろうか。
「平気だって! じゃ、あたしはお客さん案内するから」
にかっと笑って話を切ると、キョウネは宿の方へさっさと歩き出す。ライカ達が一緒に去っても、オトキヨは少しの間、怒ったような目で姉を見ていた。
本命は森の奥にある町の調査のくせに、それを暗示するに留めた指令を思い返し、ある僧兵が溜息をついた。整った顔立ちに似合わない傷跡が、左のまぶたから眉上まで、斜めに走っている。煩わしげに払う髪は、男性の割には少し長い。
(どうせ今回も、町に辿り着ける者はいないだろうに)
内心で文句を言って、ふと足を止める。聞こえた音を追い、目だけを横に向けた。背に負った矢筒から一本抜き、持っている弓につがえる。力は込めていないから、まだ遠いのだろう。
やがて、慎重に音の方へ歩き出した。
茂みの向こうに、大型の獣と、その他多数の足音が行き交っている。唸りや咆哮もある。争っている様子だ。仲間が巻き込まれていないか覗き込んで、僧兵は表情を険しくした。
幸い他の僧兵はいなかったが、馬三頭分はある大きな虎に、わらわらと魔物が群がっている。どう見ても虎に蹴散らされており、次々と地面のしみになる。そのうち、襲ってくる魔物もいなくなり、森の奥へと歩き出した。あの虎は、魔物ではないのだろうか。
(普段見かけるものとは、明らかに違う。少し、様子を見るか)
追って数歩を踏み出した時、虎の動きがぴたりと止まった。続いて、別の茂みの向こうから、「おりゃっ」と声がした。誰かがいる。
隠れきれない長身なのだろう、茂みの上に、赤い布が見えた。こぼれた魔物を始末したところを、虎に見つかったようだ。
「あーもー、しょうがないっ」
潔く、最初に茂みを飛び出したのは、冒険者と思しき金髪の少女だ。既に短剣を構えている。続いて出てきた赤いバンダナの青年が反省顔なのを見ると、さっきの掛け声は彼のものらしい。長剣を虎に向けて、引き締まった表情に改めた。
「わあぁ、大きい……魔物なのかな、これ」
最後に姿を見せた少女は、緊張感のない発言をした。丸腰でどうするつもりなのか、怯えた様子はない。虎は三人組を敵とみなし、体勢を低くして牙をむいた。しばし、睨み合う。
(これは助力するべき事柄、だろうな。彼らは進んで虎に挑んだわけじゃない)
考え、僧兵は茂みを分けた。虎を狙って弓を引き絞る。
「加勢する」
服装で立場はわかる。言うことはこれで十分だった。
虎は、動きを止めても地面のしみにならない。四人は、一様に首をかしげた。
「魔物のような、魔物じゃないような感じだねえ」
僧兵の矢が眼球を捉えた虎の顔面から、さりげなく目線を外してライカが言った。その半歩後ろから、ユニマも虎を覗き込んでいる。
「ありがとな、助かったよ。もしかして、神殿の人?」
トラメの気軽な問いに、僧兵は「ああ」と頷くだけだった。ずいぶんと無愛想だ。弓の腕は確かだが、なぜ加勢してくれたか真意が見えない。
そのとき、ぐるる、と不穏な唸りが聞こえた。観察している目の前で、虎が余力を振り絞って起き上がったのだ。驚いたユニマがしがみついたので、ライカは剣が抜けない。
「わわっ」
ふたり一緒に尻餅をついた。トラメが長剣を抜き様に切り付けようとしたが、僧兵は何かに気付いたようで動かない。
剣が触れる前に、虎が仰け反った。顎を蹴り上げた人影がある。その者は素早く手を突き出し、細長い紙を虎に貼り付けた。すると、破裂するように煙に成り代わって、虎が消えてしまったではないか。僅かに、地面にはしみが残った。
「ごめん、とばっちりだったね。今の、あたしが片付ける奴だったんだ」
人影は、煙の中から謝った。威勢のいい口調の女性はキョウネと名乗り、四人への礼がしたいからと町へ招いた。森の奥にひっそり構える町の住人に、こんなにあっさり会えるとは思ってもみなかった。
道々、キョウネに名前を聞かれて初めて、僧兵はセルと名乗った。神官には、柔らかな物腰で微笑を絶やさない者が多いが、彼はそういう性格ではないらしい。自ら口を開いたのは、加勢に入ったときだけだ。
「最近、神殿の連中が森をウロウロしてるね。魔物が増えてるから、気をつけるんだよ?」
ちらり、セルを見るキョウネのつり目は元々で、神殿に対する敵意はなさそうだ。先頭を歩きながら、自分たちは隠れ住んでいるわけではないと言う。冒険者も、森を調べる僧兵達も、魔物に気をとられて見つけられないのだ。薄暗い森は視界が悪いし、時間の感覚も鈍らせる。
紫のポニーテールを揺らし「着いたよ」と立ち止まるキョウネの向こうは、ぽっかりと開けた場所になっていた。空の色が夕暮れを示している。
「あたしたちの町は、コーメイっていうんだ。他の国とはちょっと文化が違うけど、いい所だよ」
森をくりぬいた平地に町を入れた感じで、人々の暮らしが営まれていた。中央には川が流れ、橋もかかっている。他の国で多く見られる石造りと違い、主に木造の建物が建っていた。塗られた壁の中も、木組みの構造なのだという。ほとんど平屋だけが並ぶ中、遠くにある建物だけが立派に階を重ねていた。ここの領主が住まう城だ。
行き交う人は皆、長い髪を束ねている。男女の別なく髪を伸ばす風習があることを説明しながら、キョウネは腰まである自分の髪をつまんで、邪魔なんだけどねと文句を言った。
「キョウ!……その人達は?」
川で水を汲んでいた人が走ってきた。肩下までの髪を低い位置に束ねている。声が低いから青年だろうかと思うと、顔はキョウネにそっくりだ。聞けば、双子の弟オトキヨらしい。
「ただいま、オト。アレが出たとこ、居合わせた人達なんだ。今から森を歩くのは危険だからさ。とりあえず連れてきた」
「またひとりで行ったのか。無茶するなって言ってんのに……」
早口で交わされる会話は、ライカ達に詳細を隠している。そういえば、キョウネはあの虎を「あたしが片付ける奴」と言った。弟のオトキヨも、虎の出現を知っていたのだろうか。
「平気だって! じゃ、あたしはお客さん案内するから」
にかっと笑って話を切ると、キョウネは宿の方へさっさと歩き出す。ライカ達が一緒に去っても、オトキヨは少しの間、怒ったような目で姉を見ていた。
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