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【本編後】蓮が咲いたら
シシ煮込みのある食卓 1
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蓮の頃に添花が岩龍地区から帰り、しばらくしたら遠めの護衛案件へ。再び帰るのはおかえり参りの少し前になった。
紅龍も帰郷した今日、実家では包丁が小気味よく拍子を刻み、もっと耳をすませば鍋がくつくつと歌っている。鍋の隣では釜が湯気を吐き出し、かまどの周りは賑やかだ。
「久々に帰ったんだから、ゆっくりしていてもいいのに」
「ううん。たまにしか帰らないんだから、手伝うよ」
竹の筒に息を吹き込み、火の勢いを調整する添花がいた。顔を見合わせて笑っているのは、紅龍の母、映。みんな一緒に夕飯を食べられるから、ときどき鼻歌がこぼれている。
「そういえば、煮込む間にタカノツメは入れないんだね」
一家の主人である辰砂は、辛いものを好む。色々な料理に乾燥させた赤い実の粉末をかけていた。
「もちろんよ、私は辛いの苦手だもの。生姜ならいいけど……これも、癖が強いから少なめにしちゃう」
鍋をかき回した木杓子に、香辛料の欠片が乗っている。映がこれを割り入れる時、独特な香りがしたことを思い出す。
「なんだっけこれ、どこかで嗅いだ匂い……」
料理にはそこそこの知識を持っているものの、作るより食べるほうに興味が深い。映は鼻の穴を広げる添花に、香辛料の名は大茴香だと教えてくれた。
「竜鱗では、けっこう色々と香辛料を使うからね。あまり耳馴染みがないかも。薬に使うこともあるのよ」
「あっ、わかった。すごい効く、気付けみたいな薬湯だ」
「ふふふ、気付け。確かに強烈よね、あれは」
おしゃべりしながら料理する後ろ姿を見て、辰砂はにやにやしている。まるで親子のようではないか。おまけに、漂う甘辛い香りはシシ煮込み。ごはんが進む大好物だった。
煙が篭らないように、家の戸は開けている。暗くなってきた外から、そろそろ紅龍の足音が聞こえてもいい。
「……遅いなぁ、あいつ。何してんだあ?」
「あっちの大師範からの手紙、こっちで渡すだけでしょう。確かに遅いわねぇ」
鍋の中身は煮詰まって、野菜が溶けてきた。形を残すために後から入れたネギも、火が通っている。もう米も炊ける。
「先、食っちまうぞぉ」
冗談めかして辰砂が言った時、草履の音が急いで駆けてきた。
「ただいま!」
「おう、噂をすれば。おかえり」
紅龍が帰ったなら、飯を盛ってもいいだろう。お腹を空かせた辰砂は、いそいそと座卓の上を片付ける。映も釜の蓋を開け、杓文字でごはんをほぐし始めた。
「大師範にしては長話だったんじゃない?」
立場の割に気さくだとは思うが、大師範は雑談が短いほうだ。なぜ紅龍の帰宅が遅くなったのか、添花は引っかかった。
「縹師範につかまった。で、手紙読んだ大師範にもつかまった……俺も、準師範の資格、目指してみないかって」
「へえ」
たった二文字の感嘆には、緊張が含まれる。もし紅龍が準師範になったら、添花の立場と並ぶ。悔しいような嬉しいような、複雑な気分だ。
人数分の茶碗を手に取り、盆と一緒に映のそばに行く。いつからか、家人の顔で添花のそれが紅龍の家に置いてあった。少しだけお焦げの出来たごはんがよそわれ、盆に並んだ。
「準師範かぁ~、紅龍が。どうだい添花、いけそうかい?」
「分かんないけど、いけるんじゃない? 私より人望はあるでしょ」
雑な言い方だなと笑う紅龍は、何やら釈然としない。今は主に竜鱗で修行していて、ほとんど蓮橋を留守にしている。準師範を目指すとなれば、向こうを引き上げることになる。
「さぁさ、食べましょ。お腹空いてちゃ、考え事もできないわ。いただきます!」
紅龍も帰郷した今日、実家では包丁が小気味よく拍子を刻み、もっと耳をすませば鍋がくつくつと歌っている。鍋の隣では釜が湯気を吐き出し、かまどの周りは賑やかだ。
「久々に帰ったんだから、ゆっくりしていてもいいのに」
「ううん。たまにしか帰らないんだから、手伝うよ」
竹の筒に息を吹き込み、火の勢いを調整する添花がいた。顔を見合わせて笑っているのは、紅龍の母、映。みんな一緒に夕飯を食べられるから、ときどき鼻歌がこぼれている。
「そういえば、煮込む間にタカノツメは入れないんだね」
一家の主人である辰砂は、辛いものを好む。色々な料理に乾燥させた赤い実の粉末をかけていた。
「もちろんよ、私は辛いの苦手だもの。生姜ならいいけど……これも、癖が強いから少なめにしちゃう」
鍋をかき回した木杓子に、香辛料の欠片が乗っている。映がこれを割り入れる時、独特な香りがしたことを思い出す。
「なんだっけこれ、どこかで嗅いだ匂い……」
料理にはそこそこの知識を持っているものの、作るより食べるほうに興味が深い。映は鼻の穴を広げる添花に、香辛料の名は大茴香だと教えてくれた。
「竜鱗では、けっこう色々と香辛料を使うからね。あまり耳馴染みがないかも。薬に使うこともあるのよ」
「あっ、わかった。すごい効く、気付けみたいな薬湯だ」
「ふふふ、気付け。確かに強烈よね、あれは」
おしゃべりしながら料理する後ろ姿を見て、辰砂はにやにやしている。まるで親子のようではないか。おまけに、漂う甘辛い香りはシシ煮込み。ごはんが進む大好物だった。
煙が篭らないように、家の戸は開けている。暗くなってきた外から、そろそろ紅龍の足音が聞こえてもいい。
「……遅いなぁ、あいつ。何してんだあ?」
「あっちの大師範からの手紙、こっちで渡すだけでしょう。確かに遅いわねぇ」
鍋の中身は煮詰まって、野菜が溶けてきた。形を残すために後から入れたネギも、火が通っている。もう米も炊ける。
「先、食っちまうぞぉ」
冗談めかして辰砂が言った時、草履の音が急いで駆けてきた。
「ただいま!」
「おう、噂をすれば。おかえり」
紅龍が帰ったなら、飯を盛ってもいいだろう。お腹を空かせた辰砂は、いそいそと座卓の上を片付ける。映も釜の蓋を開け、杓文字でごはんをほぐし始めた。
「大師範にしては長話だったんじゃない?」
立場の割に気さくだとは思うが、大師範は雑談が短いほうだ。なぜ紅龍の帰宅が遅くなったのか、添花は引っかかった。
「縹師範につかまった。で、手紙読んだ大師範にもつかまった……俺も、準師範の資格、目指してみないかって」
「へえ」
たった二文字の感嘆には、緊張が含まれる。もし紅龍が準師範になったら、添花の立場と並ぶ。悔しいような嬉しいような、複雑な気分だ。
人数分の茶碗を手に取り、盆と一緒に映のそばに行く。いつからか、家人の顔で添花のそれが紅龍の家に置いてあった。少しだけお焦げの出来たごはんがよそわれ、盆に並んだ。
「準師範かぁ~、紅龍が。どうだい添花、いけそうかい?」
「分かんないけど、いけるんじゃない? 私より人望はあるでしょ」
雑な言い方だなと笑う紅龍は、何やら釈然としない。今は主に竜鱗で修行していて、ほとんど蓮橋を留守にしている。準師範を目指すとなれば、向こうを引き上げることになる。
「さぁさ、食べましょ。お腹空いてちゃ、考え事もできないわ。いただきます!」
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