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【本編後】蓮が咲いたら
ちっちゃいおじさん 3
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添花が入った路地に人が寄らないか注意しながら、翔雲は時々後輩の様子を見た。あれは幽霊と話をしているのか? 何の? 人にしては小さいから猫とか? あの子はそんなに動物が好きだったっけ。
「……お疲れ様」
左右三本ずつの指を構えて何かを揉み解す動きは猫の耳をつまむようにも見える。いや、猫が耳をつままれて喜ぶなど聞いたことがない。だいたいお疲れ様と言ったぞ。やっぱり人の幽霊がそこにいるのだろうか。
やがて虚空を見上げる添花は、切なげな表情を浮かべた。赤の他人を見送るのでも、あんな顔をするなんて。幽霊の存在を十割信じていいような気がした。
あとで宿の部屋に落ち着いた時、翔雲は思い切って聞いてみる。
「誰かが、成仏したのか」
「あ、やっぱり見てたんですね。人が来ないように見張っててくれたなら、ありがとうございます。おじさんをひとり見送りました」
「いや……おじさん? なんか、ちっちゃかったよな。それでも何か思い出した?」
添花は今も、普段通りの顔を貼っつけた後ろにあの表情がある。たくさん泣いた次の日みたいだ。
「それこそ、ちっちゃい思い出です。父の肩揉みをした頃は力が弱かったなって。今なら翔雲師範が痛がるくらいに出来るのに」
歯を見せて笑う。表情の振り幅はずっと小さいが、元気なふりをする顔は母親そっくり。それでいて、霊に向けた優しい眼差しは父にそっくりだった。
「手ェ構えるのやめろよ、俺の肩は凝ってないからな。痛いって言ってもやめてくれないの想像がつく」
「さすが翔雲師範、わかってますね」
「ああ。添花にとって〈そこ〉までは生者で、だから最後だけでも幸せだといいなって手を貸すんだろう。真摯ってか何て言うか、青士の妹だよな」
優しいなどと月並みなことを言われるとぞわぞわするが、翔雲の言葉は添花の笑みをすっきりさせる。
「……本当にさすが。頼もしい先輩と一緒なので、明日の護衛もうまく行きそうです」
実際、商人の護衛はすこぶるうまく行った。不気味な手形のついた木立の道、草むらの側を歩く添花の足を掴もうとした盗賊は、軽く避けられた上に手を踏みつけられた。痛みで飛び起きたところ顎を殴って気絶させれば、うるさい悲鳴は短く終わる。想定外の太い声を聞いて姿を現した者共は十人もいない。商人達の中に一目で分かる屈強そうな者はおらず、何事かと首を傾げるうちに翔雲が進み出る。
「あの~……最近この辺りで騒いでるお化けってのは、君らで間違いないか?」
喋り始めは声を震わせてみて、少し相手を油断させた。声音をはっきりさせるとともに鋭く見据えて、煽るような事を言う。草むらにも何人か潜んでいるから、添花は伸したひとりを縛るよう言って商人に預ける。
「おかしいな、足がある。おかしいな、掴めるし」
翔雲はしゃべりながら目の前のひとりの襟を掴み、ぶん投げた。
「投げられるな。人間の重量だ。本物のお化けになりたきゃかかってこい」
そこそこ手をかけた小細工で人を脅かし、金品を奪っていたような輩だ。個々の力は大したことはなく、まとめてかかっても翔雲と添花が一捻りにした。
笹熊からは近い所なので、縄で繋いだ盗賊を歩かせて町に預け、対応を任せることにした。それから改めて出発する。
紛い物の幽霊がいなくなった道でも、手形は不気味に見えるものだ。盗賊どもにあれを掃除させればよかった、などと言いながら、商人達は賑やかに進む。
「ま、何度か雨が降れば流れるんじゃないですか」
ほとんどの手形は、泥と墨を混ぜて怪しい色を醸したものだろう。やけに黒っぽく、子どもの手の大きさのものが二、三あることに気づいたのは添花だけ。
(呼び声は……聞こえない。嫌な気配は遠くにある。これは関わらないのが吉かな)
気持ちを寄せると呼んでしまう。添花は務めて違うことを考えた。
「それにしても翔雲師範、及び腰の演技うますぎません? 一瞬でしたけど」
「色んな依頼をこなす内に上達するんだよ。悲鳴のひとつも練習しておけば?」
「出来る気がしませんね。絶対に棒読み」
談笑する翔雲の顔と、さっき盗賊を脅かした声と。重ね合わせて分かるのは、彼が霊を騙る者共に怒っていたこと。小さいおじさんが見えていなくても、添花を通して想像を巡らし、一緒に憤ってくれたのが嬉しい。
「今回は外見が女性だと便利な場合があるって学びました。らしく振る舞うのはまたその内に」
「帯章はそれに掛かってるかもなあ。試しに一回やってみて」
「わー。……え、悲鳴ってどうやってあげるんだろう」
「今の悲鳴なの? だめだこりゃ」
「……お疲れ様」
左右三本ずつの指を構えて何かを揉み解す動きは猫の耳をつまむようにも見える。いや、猫が耳をつままれて喜ぶなど聞いたことがない。だいたいお疲れ様と言ったぞ。やっぱり人の幽霊がそこにいるのだろうか。
やがて虚空を見上げる添花は、切なげな表情を浮かべた。赤の他人を見送るのでも、あんな顔をするなんて。幽霊の存在を十割信じていいような気がした。
あとで宿の部屋に落ち着いた時、翔雲は思い切って聞いてみる。
「誰かが、成仏したのか」
「あ、やっぱり見てたんですね。人が来ないように見張っててくれたなら、ありがとうございます。おじさんをひとり見送りました」
「いや……おじさん? なんか、ちっちゃかったよな。それでも何か思い出した?」
添花は今も、普段通りの顔を貼っつけた後ろにあの表情がある。たくさん泣いた次の日みたいだ。
「それこそ、ちっちゃい思い出です。父の肩揉みをした頃は力が弱かったなって。今なら翔雲師範が痛がるくらいに出来るのに」
歯を見せて笑う。表情の振り幅はずっと小さいが、元気なふりをする顔は母親そっくり。それでいて、霊に向けた優しい眼差しは父にそっくりだった。
「手ェ構えるのやめろよ、俺の肩は凝ってないからな。痛いって言ってもやめてくれないの想像がつく」
「さすが翔雲師範、わかってますね」
「ああ。添花にとって〈そこ〉までは生者で、だから最後だけでも幸せだといいなって手を貸すんだろう。真摯ってか何て言うか、青士の妹だよな」
優しいなどと月並みなことを言われるとぞわぞわするが、翔雲の言葉は添花の笑みをすっきりさせる。
「……本当にさすが。頼もしい先輩と一緒なので、明日の護衛もうまく行きそうです」
実際、商人の護衛はすこぶるうまく行った。不気味な手形のついた木立の道、草むらの側を歩く添花の足を掴もうとした盗賊は、軽く避けられた上に手を踏みつけられた。痛みで飛び起きたところ顎を殴って気絶させれば、うるさい悲鳴は短く終わる。想定外の太い声を聞いて姿を現した者共は十人もいない。商人達の中に一目で分かる屈強そうな者はおらず、何事かと首を傾げるうちに翔雲が進み出る。
「あの~……最近この辺りで騒いでるお化けってのは、君らで間違いないか?」
喋り始めは声を震わせてみて、少し相手を油断させた。声音をはっきりさせるとともに鋭く見据えて、煽るような事を言う。草むらにも何人か潜んでいるから、添花は伸したひとりを縛るよう言って商人に預ける。
「おかしいな、足がある。おかしいな、掴めるし」
翔雲はしゃべりながら目の前のひとりの襟を掴み、ぶん投げた。
「投げられるな。人間の重量だ。本物のお化けになりたきゃかかってこい」
そこそこ手をかけた小細工で人を脅かし、金品を奪っていたような輩だ。個々の力は大したことはなく、まとめてかかっても翔雲と添花が一捻りにした。
笹熊からは近い所なので、縄で繋いだ盗賊を歩かせて町に預け、対応を任せることにした。それから改めて出発する。
紛い物の幽霊がいなくなった道でも、手形は不気味に見えるものだ。盗賊どもにあれを掃除させればよかった、などと言いながら、商人達は賑やかに進む。
「ま、何度か雨が降れば流れるんじゃないですか」
ほとんどの手形は、泥と墨を混ぜて怪しい色を醸したものだろう。やけに黒っぽく、子どもの手の大きさのものが二、三あることに気づいたのは添花だけ。
(呼び声は……聞こえない。嫌な気配は遠くにある。これは関わらないのが吉かな)
気持ちを寄せると呼んでしまう。添花は務めて違うことを考えた。
「それにしても翔雲師範、及び腰の演技うますぎません? 一瞬でしたけど」
「色んな依頼をこなす内に上達するんだよ。悲鳴のひとつも練習しておけば?」
「出来る気がしませんね。絶対に棒読み」
談笑する翔雲の顔と、さっき盗賊を脅かした声と。重ね合わせて分かるのは、彼が霊を騙る者共に怒っていたこと。小さいおじさんが見えていなくても、添花を通して想像を巡らし、一緒に憤ってくれたのが嬉しい。
「今回は外見が女性だと便利な場合があるって学びました。らしく振る舞うのはまたその内に」
「帯章はそれに掛かってるかもなあ。試しに一回やってみて」
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