上 下
39 / 41

第39話 人形遊び

しおりを挟む
 鹿目の工場。

 目的の物を手に入れたクーカは台座の隠し扉から出て来た。もはや室内には物言わぬ骸しかいない。辺りを見回して少しだけため息を付いた。自分が入って来たエレベーターの出入り口に向かっていった。

(応援が降りて来ているかも……)

 ひょっとしたらと身構えながら覗き込んでみる。しかし、誰もエレベーターシャフトには居なかった。急に応答が途絶したので対応が分からないのであろう。

 クーカがシャフトを見上げると、自分が入って来た入り口は机のような物で塞がれてしまっている。エレベーターの箱は四階と五階の間で停止しているらしかった。

(二階…… いいや、三階だったら待ち伏せされる可能性が薄いはず……)

 自分が入って来た壁が塞がれているという事は、そこで待ち伏せされているに違いないと踏んでいた。自分でもそうするからだ。
 安全に表に出る為には彼らの裏をかかないといけない。別段、殲滅しても構わないのだが、厄介な荷物を背負っているので避けたいところだ。

(そこでジッとしててね……)

 一階の塞がれた穴に向かって、そう心の中で呟くと一気に跳躍した。
 クーカはエレベーターシャフトの中を、ジグザグに跳躍しながら登っていく。彼女の持っている身体能力の御陰だ。

「んっ!」

 三階のエレベーター口に辿り着いたクーカは、扉をこじ開けて中に入って行った。
 すると『ズズンッ』とビルが振動するのが分かった。研究所の爆発が始まったみたいだ。小規模な爆発の連鎖で建物の構造を弱くしてから一気に破壊する。爆破解体と呼ばれる手法だ。

(その後で焼夷爆弾で完全に燃やしてしまうと……)

 外国のウィルス専門の研究機関では、燃焼温度が三千度にもなるテルミット反応爆薬が使われる。ここもそうしているに違いないと確信していた。証拠をもみ消すには完全に消滅させる必要があるのだろう。

「……」

 少し急ぐ必要性を感じていた。自爆のシーケンスが予想よりも早かったのだ。建物の出口に向かおうとすると、顔を何やら熱い空気が撫でていくのに気が付いた。クーカがシャフトの中を覗き込むと、爆炎がシャフトの中をモクモクと上がって来ているのが見えた。

(ああ…… ヤバッ!……)

 思った以上に反応が早かった。脱出しようと振り返ると一番端っこに窓が見えた。他はアクリルの壁が延々と続き、その中をロボット達が無言で働いていた。
 ここは人工照明を使った野菜工場なので窓は一箇所しか必要がないのだ。

「なんてことっ!」

 窓に目掛けてクーカは全力で走った。百メートルなら九秒程度で駆け抜ける事が出来る。だが、その速度を上回りそうな気配が迫って来ている。爆炎が背後まで来ているのが分かる程に熱を感じているのだ。

「ん、あああああっ!」

 クーカは腰から拳銃を取り出し、窓ガラスに向かって銃弾を続けざまに発射した。
 ビッビッと弾痕が開いたかと思う間もなく、窓全体にヒビが入って、窓ガラスは外に向かって吹き飛んでいった。廊下に充満しつつある爆圧で吹き飛んだのだ。

「きゃあっ!」

 そのままクーカは吸い出されるように外に飛び出してしまった。その後を紅蓮の炎が追いかけて来る。しかし、彼女を捕まえる前に炎は上空に向かって飛散していってしまった。

「!」

 加速力を失った身体が落ちかけた時に、次の爆発が建物の基部から起き上がった。テルミット反応が始まったのだ。それは建物を一瞬持ち上げたかと思うと、そのまま沈み込んで行った。鉄骨が飴棒を溶かしたかのにグニャグニャと曲がっていく。強烈な熱反応が起きているのが分かるようだ。
 その爆風がクーカの身体を、再び巻き上げ敷地内に有る樹木へと誘った。クーカは爆風から目を守るために顔をガードしている。

「くっ……」

 ガードの隙間から目の下に何本かの樹木が見える。咄嗟に外套を広げて落下する方向を変えた。身に纏った小さめの外套では、パラシュートのように落下速度を相殺は出来ない。だが、モモンガのように方向は変えられると咄嗟に判断したのだ。

 クーカは手近な樹に向かって手を伸ばした。
 指先を何枚かの葉が滑っていく。
 やがてガシッとした手ごたえがあった。枝を捕まえる事に成功したのだ。しかし、クーカの身体と落下速度を支える事が出来ない枝は直ぐに折れてしまった。
 でも、クーカの身体を樹木の傍に引き寄せる手掛かりにはなった。クーカは何本かの枝の間を転げる様に落下していく。

「うぐっ!」

 一番下と思われる枝に腹をしたたかに打ち付けたクーカが呻き声を上げてしまった。彼女とて痛みは感じるのだ。

「ぐはっ」

 枝から地面に落ちたクーカは、肺の空気を全て吐き出してしまったかのような声が出てしまった。

(は、早く…… 工場の敷地から脱出しないと拘束されてしまう……)

 彼女は朦朧とした意識の中、脱出の事だけに専念した。クーカは痛みを無視する事が出来る様に訓練は受けている。痛みも彼女にとっては雑念の一種なのだ。すぐに立ち上がって周りを見渡し用水路を目指した。ヨハンセンが待機していると言っていたからだ。

(ここからなら、拾い上げポイントまでたどり着ける……)

 クーカは工場のすぐそばを流れる用水路に飛び込んでいった。先島の事もチラリとよぎったが、まずは自分の安全が優先だと判断したのであった。


 工場が吹き飛び爆炎を上げるのを鹿目は虚ろな目で見ていた。色々と画策したが何一つ手に入ることが出来なかったのだ。

(どこで、間違ったのだ?)

 挫折を知らない鹿目は戸惑っていた。彼の間違いはクーカを歯車の一つとして扱ってしまった事なのだろう。

「ふっ、これでも私は日本を思っての行動だったのだがね……」

 鹿目はぽつりと漏らした。傍には室長と藤井が控えている。藤井は鹿目との接触を全て室長に報告していたらしい。

「人間のクローン技術は、今後の日本が強くなっていく為には必要な物なんだよ……」
「……」

 隣に居た室長は何も言わずに鹿目を見ていた。

「さあ、行こうか……」

 煙が目に滲みるのか、目を盛んに瞬いている。心なしかグッと老けたように見えた。

「え? どこへですか?」

 室長がビックリしたような顔で聞いてきた。

「私を逮捕しに来たんじゃないのかね?」

 鹿目が室長に訊ねた。

「逮捕? 何の罪でですか?」

 室長がとぼけた表情で言い返した。

「……」

 その答えに鹿目は黙りこくってしまった。逮捕はしないとの指示があったのだろうと推測した。

「私は自殺かね? それとも交通事故にでも逢うのかね……」

 鹿目は公安組織のやり方は知っている。そういう事例を嫌と言う程見て来たからだ。だから、今まで慎重に事を運んだつもりだった。
 念の為にと呼び寄せた殺し屋の小娘に、全てをひっくり返されてしまったのは計算外だった。

「いえいえとんでもない事です。 これからも先生は日本の為に役に立っていただきますよ」

 室長がニッコリと笑った。もっとも目は笑っていない。彼のいつもの表情だった。

「……」

 鹿目は黙り込んでしまった。やがて、察しが付いたのか姿勢を正して車に乗り込んで行った。

「大丈夫です…… 全て我々がお膳立てしますから……」

 室長はそういって微笑みながらドアを閉めた。間もなく警察や消防が駆け付けるだろう。その前に鹿目を隠す必要があるのだ。
 鹿目を載せた車は静かに都会の雑踏へと走り去っていった。

 こうして日本の深い闇の一部が変更になった。人形使いが新しい人形になった。それだけなのだ。
 そして日常は何も変わりはしないのだろう。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友よ、お前は何故死んだのか?

河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」 幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。 だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。 それは洋壱の死の報せであった。 朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。 悲しみの最中、朝倉から提案をされる。 ──それは、捜査協力の要請。 ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。 ──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?

幻影のアリア

葉羽
ミステリー
天才高校生探偵の神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、とある古時計のある屋敷を訪れる。その屋敷では、不可解な事件が頻発しており、葉羽は事件の真相を解き明かすべく、推理を開始する。しかし、屋敷には奇妙な力が渦巻いており、葉羽は次第に現実と幻想の境目が曖昧になっていく。果たして、葉羽は事件の謎を解き明かし、屋敷から無事に脱出できるのか?

学園ミステリ~桐木純架

よなぷー
ミステリー
・絶世の美貌で探偵を自称する高校生、桐木純架。しかし彼は重度の奇行癖の持ち主だった! 相棒・朱雀楼路は彼に振り回されつつ毎日を過ごす。 そんな二人の前に立ち塞がる数々の謎。 血の涙を流す肖像画、何者かに折られるチョーク、喫茶店で奇怪な行動を示す老人……。 新感覚学園ミステリ風コメディ、ここに開幕。 『小説家になろう』でも公開されています――が、検索除外設定です。

「鏡像のイデア」 難解な推理小説

葉羽
ミステリー
豪邸に一人暮らしする天才高校生、神藤葉羽(しんどう はね)。幼馴染の望月彩由美との平穏な日常は、一枚の奇妙な鏡によって破られる。鏡に映る自分は、確かに自分自身なのに、どこか異質な存在感を放っていた。やがて葉羽は、鏡像と現実が融合する禁断の現象、「鏡像融合」に巻き込まれていく。時を同じくして街では異形の存在が目撃され、空間に歪みが生じ始める。鏡像、異次元、そして幼馴染の少女。複雑に絡み合う謎を解き明かそうとする葉羽の前に、想像を絶する恐怖が待ち受けていた。

月夜のさや

蓮恭
ミステリー
 いじめられっ子で喘息持ちの妹の療養の為、父の実家がある田舎へと引っ越した主人公「天野桐人(あまのきりと)」。  夏休み前に引っ越してきた桐人は、ある夜父親と喧嘩をして家出をする。向かう先は近くにある祖母の家。  近道をしようと林の中を通った際に転んでしまった桐人を助けてくれたのは、髪の長い綺麗な顔をした女の子だった。  夏休み中、何度もその女の子に会う為に夜になると林を見張る桐人は、一度だけ女の子と話す機会が持てたのだった。話してみればお互いが孤独な子どもなのだと分かり、親近感を持った桐人は女の子に名前を尋ねた。  彼女の名前は「さや」。  夏休み明けに早速転校生として村の学校で紹介された桐人。さやをクラスで見つけて話しかけるが、桐人に対してまるで初対面のように接する。     さやには『さや』と『紗陽』二つの人格があるのだと気づく桐人。日によって性格も、桐人に対する態度も全く変わるのだった。  その後に起こる事件と、村のおかしな神事……。  さやと紗陽、二人の秘密とは……? ※ こちらは【イヤミス】ジャンルの要素があります。どんでん返し好きな方へ。 「小説家になろう」にも掲載中。  

ファクト ~真実~

華ノ月
ミステリー
 主人公、水無月 奏(みなづき かなで)はひょんな事件から警察の特殊捜査官に任命される。  そして、同じ特殊捜査班である、透(とおる)、紅蓮(ぐれん)、槙(しん)、そして、室長の冴子(さえこ)と共に、事件の「真実」を暴き出す。  その事件がなぜ起こったのか?  本当の「悪」は誰なのか?  そして、その事件と別で最終章に繋がるある真実……。  こちらは全部で第七章で構成されています。第七章が最終章となりますので、どうぞ、最後までお読みいただけると嬉しいです!  よろしくお願いいたしますm(__)m

探偵たちに時間はない

探偵とホットケーキ
ミステリー
前作:https://www.alphapolis.co.jp/novel/888396203/60844775 読まなくても今作だけで充分にご理解いただける内容です。 「探偵社アネモネ」には三人の探偵がいる。 ツンデレ気質の水樹。紳士的な理人。そしてシャムネコのように気紛れな陽希。 彼らが様々な謎を解決していくミステリー。 今作は、有名時計作家の屋敷で行われたミステリー会に参加することに。其処で事件が発生し―― *** カクヨム版 https://kakuyomu.jp/works/16818093087826945149 小説家になろう版 https://ncode.syosetu.com/n2538js/ Rising Star掲載経験ありのシリーズです。https://estar.jp/selections/501

VIVACE

鞍馬 榊音(くらま しおん)
ミステリー
金髪碧眼そしてミニ薔薇のように色付いた唇、その姿を見たものは誰もが心を奪われるという。そんな御伽噺話の王子様が迎えに来るのは、宝石、絵画、美術品……!?

処理中です...