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第三章
16. 水面
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静かだった。水面は凍ったように動かず、見上げると七色に光がギラギラと光っていた。それでいて色がないような、暑いのか冷たいのかもわからぬ世界。ただ空といえない空を映して光る動かない水がどこまでも果てしなく続いている。
気づくと私はその中に座り込んでいた。死んだのかな、と思ったが、違うな、とすぐ思う。
ここは”美しき浜辺”ではない。例えそれが宗教的な嘘だったとしても、死後の世界にしては余りに静かだと、なぜか思った。
鏡のように張り詰めた水面を揺らしたくなくて指一本動かさない。それでも辛いと感じることはなかった。永遠にこのままでいられそうだった。
いえ、永遠にこのままでいましょう。
どれくらいそうしていたのか、時間が意味をなさないこの世界では考えることさえ出来なかったが、とにかく、不意に近くの水面に小さな丸い波紋があるのに気づいた。
それがひろがり消えると、また小さく波紋が出来る。その繰り返しをぼんやり見続けていたが、ある時点でふと気づいて視線をあげた。
空中に拳くらいの大きさの丸くて透明な塊があった。透明だけれど碧い。碧いけれど七色の光を映してギラついているようにも見える。宙にあるそれから、ポツン、と雫が落ちる。それが波紋を作る。それがいつしか消えると次の雫が落ちる。
繰り返し繰り返し。まるで命が落ちていくように。
「母様……」
意図せず口からこぼれ出たその言葉を耳にした時、驚きそして涙がにじんだ。
……母様、母様。どうしたらいい? どうしよう。また、死んでしまった。また、死なせてしまった。それも、何人も。
「誰にもどうしたらいいか聞けないの。母様はなんでいないの? どうしていないの? 誰も……」
何処にも、私のような人はいない。世界中で一人だ。どうしたらいいかもわからない。誰にも相談できない、誰にも……。
「……助けてって言えないの……」
涙が溢れて下を向いて両手で顔を覆った。この水の広がりはもしかしたら誰かの涙だろうか。だったらこのままここで泣き続けたら私もこの中に溶けるだろうか。
と、全身に温かみを感じた。誰かが抱きしめてくれているような。ううん、知ってる、これは……。
「……!」
顔をあげると、そこに自分と同じくらいの年恰好の少女がいた。初めて見る。でも、誰かわかる。私は声をあげて泣いた。少女の姿の母様が強く抱きしめてくれるのを感じる。でも抱きしめ返しはしなかった。そうしたら消えてしまうのがわかっていたから。
少女は泣き笑いの表情で抱きしめてくれていた。そう感じる。わかる。
ああ、そうね、貴方もずっと独りぼっちだったのね。だからこの国に、ユニハに会いにも来たのね。だから、父様を愛してしまった事を手放せなかった、だから、あんなに私を愛し、心配しながら逝ったのね。
ああ、貴方にいて欲しい。父様に会いたい。兄様の側にいたかった。
誰かに、誰かに……それでもいていいのだと、言って欲しかった……。
その時、声がした。私のでもなく少女のでもない。でも、女の人の泣き声だった。それはとても悲しげで苦しそうだった。
誰? そんなふうに泣かないで。
顔を上げると母様が微笑んでいた。微笑みながら左腕を真っ直ぐ上げて遠くを指差した。私は促されるようにその方向を見る。そこは変わらず水面だった。そして視線を戻すと少女はもういなかった。
私は面影を探して上を見た。そうして、それからゆっくりと立ち上がった。
いつの間にか頭上はギラつくのを止め、青く澄み渡っている。
気づくと私はその中に座り込んでいた。死んだのかな、と思ったが、違うな、とすぐ思う。
ここは”美しき浜辺”ではない。例えそれが宗教的な嘘だったとしても、死後の世界にしては余りに静かだと、なぜか思った。
鏡のように張り詰めた水面を揺らしたくなくて指一本動かさない。それでも辛いと感じることはなかった。永遠にこのままでいられそうだった。
いえ、永遠にこのままでいましょう。
どれくらいそうしていたのか、時間が意味をなさないこの世界では考えることさえ出来なかったが、とにかく、不意に近くの水面に小さな丸い波紋があるのに気づいた。
それがひろがり消えると、また小さく波紋が出来る。その繰り返しをぼんやり見続けていたが、ある時点でふと気づいて視線をあげた。
空中に拳くらいの大きさの丸くて透明な塊があった。透明だけれど碧い。碧いけれど七色の光を映してギラついているようにも見える。宙にあるそれから、ポツン、と雫が落ちる。それが波紋を作る。それがいつしか消えると次の雫が落ちる。
繰り返し繰り返し。まるで命が落ちていくように。
「母様……」
意図せず口からこぼれ出たその言葉を耳にした時、驚きそして涙がにじんだ。
……母様、母様。どうしたらいい? どうしよう。また、死んでしまった。また、死なせてしまった。それも、何人も。
「誰にもどうしたらいいか聞けないの。母様はなんでいないの? どうしていないの? 誰も……」
何処にも、私のような人はいない。世界中で一人だ。どうしたらいいかもわからない。誰にも相談できない、誰にも……。
「……助けてって言えないの……」
涙が溢れて下を向いて両手で顔を覆った。この水の広がりはもしかしたら誰かの涙だろうか。だったらこのままここで泣き続けたら私もこの中に溶けるだろうか。
と、全身に温かみを感じた。誰かが抱きしめてくれているような。ううん、知ってる、これは……。
「……!」
顔をあげると、そこに自分と同じくらいの年恰好の少女がいた。初めて見る。でも、誰かわかる。私は声をあげて泣いた。少女の姿の母様が強く抱きしめてくれるのを感じる。でも抱きしめ返しはしなかった。そうしたら消えてしまうのがわかっていたから。
少女は泣き笑いの表情で抱きしめてくれていた。そう感じる。わかる。
ああ、そうね、貴方もずっと独りぼっちだったのね。だからこの国に、ユニハに会いにも来たのね。だから、父様を愛してしまった事を手放せなかった、だから、あんなに私を愛し、心配しながら逝ったのね。
ああ、貴方にいて欲しい。父様に会いたい。兄様の側にいたかった。
誰かに、誰かに……それでもいていいのだと、言って欲しかった……。
その時、声がした。私のでもなく少女のでもない。でも、女の人の泣き声だった。それはとても悲しげで苦しそうだった。
誰? そんなふうに泣かないで。
顔を上げると母様が微笑んでいた。微笑みながら左腕を真っ直ぐ上げて遠くを指差した。私は促されるようにその方向を見る。そこは変わらず水面だった。そして視線を戻すと少女はもういなかった。
私は面影を探して上を見た。そうして、それからゆっくりと立ち上がった。
いつの間にか頭上はギラつくのを止め、青く澄み渡っている。
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