天使は金の瞳で毒を盛る

藤野ひま

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14. 榛瑠の時間 ①

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一花はゆっくり目を開けた。

部屋の窓から澄んだ朝の光がそそぎ込んでいた。ベットに座ったまま明るい青い空を見つめる。

昨夜感じた寂しさが体の奥に残っていた。

昨晩、榛瑠は高橋さんに自宅マンションまで先に車で寄ってもらって帰って行った。

それは別に良かった。でも、彼が降りて一花が屋敷に帰るまでの間、それまで寄りかかって側にあった体がなくなったことが、心細くて、寒くて、たまらなかった。

酔っていたせいもあると思う。

でも、寂しいって身体中で思っていた。そして、それは久しぶりだった。久しぶりに感じた感覚。

良く知っている感覚だったのに、どうして忘れていたんだろう。

理由は簡単だと思う。榛瑠がいたから。帰ってきたから。

だからちょっと忘れてた。だから突然思い出したように感じた時、たまらなく寂しかった。

ーー好きなものっていくつかある。

朝の光、真っ白なシーツ、ちょっと冷たさのあるそよ風や、青い空。

ほんのり甘いかためのプリン、コーヒーの香り。

それがのっている白い皿とコーヒーカップ。

作ってくれる手。出してくれる微笑み。

榛瑠。


あなたに側にいてほしい。



あなたが好きなのが私でなくても。




「お疲れさまでした。鞄ここに置きます」

そう言って榛瑠は鞄をデスクの横に置いた。

「他に用がなければこれで失礼しますが」

「ああ、コーヒーが飲みたいなあ」

社長が部屋のソファに座りながら言う。

「……お入れします、お待ちください」

榛瑠は部屋を出てキッチンに行き、手慣れた手つきでドリッパーをセットする。

いい加減にしろよ、休日だってわかってるのか?

コポコポいう音とコーヒーの香りが静かな部屋に漂う。

休日の昼に社長の友人の昼食会に付き合わされて、社長のマンションに戻ったところだった。

それにしても面倒くさい話だ。あっちは紹介してやるぐらいのつもりかもしれないが、実際は荷物持ちの私設秘書だ。

本当のところ、社長だって、自分も面倒な昼食会に俺を巻き込んだだけだ。

入れ終わったコーヒ一つ手に戻ると、ローテーブルに置く。

「ああ、ありがとう」

言って、社長が手をつける。「君も突っ立ってないで座ったらどうだい?」

これ以上何の用だ、と思ったが態度には出さず、向かい合ってソファに座った。

「ところで」コーヒーを飲みながら社長が言う。「一花とはどうなっているんだ?」

「どうにもなってませんよ」

榛瑠は感情を出さずに淡々と答えた。

「君ともあろうものが、というべきか?いや、一花が思慮深いのかな。なんにしろ、もうすぐ三ヶ月だぞ?どうする?」

「期限をつけられた覚えはありませんが」

「そうは言ってもなあ。生涯かけて、とか言われたところで君の都合だしね。私はいつまで待てばいいのかな」

「お嬢様に聞いてください」

「そんなこと、父親から聞けるわけないだろう?わかってないなあ」

そう言ってコーヒー飲む。

知ったことではない。娘にいい顔したがるのも大概にすればいい。

数ヶ月前、日本に着いたその日にこの人に呼び出された。一花と引き合わせるつもりだが、選ぶのはあくまでもあの子だし、それがそのままお前の将来を約束するわけでもない。ただし、ここにいる限りはその能力を会社のために使ってもらうぞ、と。

わかっている。そのためにわざわざアメリカ支社に入ったんだ。

この場所に引きずり出されるために。

自分で築き上げたものを棒に振ってまで、ここに来る必要があった。

社長はその時、こうも言った。

「ただし、三ヶ月だ。それを過ぎたら他を探すからな」

「何をそこまでする必要が?お嬢様が嫌がりませんか?」

「会社の将来もあるし、何よりフラフラさせとくのは心配じゃないか。それでなくとも社会で働くと言い出すし。心配だろ?」

自分の目にかなった人間を娘の側には置いておきたいということらしい。

最初に配属されたのが、人望のある鬼塚の下だったのも偶然ではない。

榛瑠としてはここでつまらない約束をする気は無かった。だから、言った。

「そんな期限をつけられるつもりはありません」

「では、どれくらいと考えている?」

「生涯かけますよ」

表情を変えずに言った。本音だった。社長は笑ってそれは困ると言った。そこまでお前に時間はかけない、と。

榛瑠は返事をしなかった。俺はともかく一花の人生でもあるんだ。わかっているのかな、この人は。

社長は今まで一花に将来性のありそうな男を何人か紹介してきた。すべてうまくいかなくて、その事を彼女は自分のせいだと思っているが、何人かは社長のせいだ。彼が判断して裏でふるいにかけたのだ。

そして、その事を知らないまま色々なことが重なって自信を失った娘のために、俺を呼んだ。彼女に自信を取り戻させる役として。

それはそうだろう。その辺の男より、一花のことはわかっている。たとえ何年もの間、声一つ聞かなかったとしても。

ずっとそばにいたんだ。誰よりも、側に。

日本を旅立つあの日まで。
そして、もう帰らないつもりだった。そのはずだった。それで、いいはずだった。

榛瑠は一瞬目を伏せた。思い通りにいかない自分の人生に少々うんざりする。

社長の置いたカップが、かちゃっと音をたてた。
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