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水と油
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「解散!」
そう言った栞は一旦自宅に帰り、化粧を整え、手土産を持って再び住宅街を歩いていた。目標はとある一軒家だった。その一軒家のインターフォンのチャイムを、跳ねる心臓を抑えながら押す。すると女性の声が返答した。
「はい、凪野ですが」
栞は二回深呼吸する。
「わ、私、涼君が以前通っていた、真原道場の真原栞と申します! 涼君はいらっしゃいますか?」
道中、何度も練習していた言葉を発した。
よしっ! 上手く言えた、と満足した栞に返ってきた答えは、意外な言葉だった。
「帰れ」
ぶつっと回線は切れた。
はあっ!? 栞は一瞬で頭の中が真っ白になった。だがそれが徐々に色づき始めた時、一つの結論に至った。そしてチャイムを連打する。するとチェーンがかかったまま玄関の扉が開いた。その隙間から覗いたのは、エプロン姿の京香だった。
「家の方に迷惑だ、帰れ」
栞はアルミ扉を開け、玄関口へと向かう。
「あんたね、なんで涼の家にいるわけ!?」
そう言いながら、栞はつま先を玄関口に挟み込む。
「私は涼様のお母様に料理を教わっているだけだ、帰れ」
「このまま、すごすごと引き返すわけないでしょ!」
栞は手刀でチェーンを切った。
「なっ!」
驚きの声を出した京香は、踵を返して屋内へと駆けて行った。
「待ちなさい!」
そう言ってパンプスを脱いで廊下に上がった時、キッチンから顔を出す涼の母親と栞は目が合った。「あっ、お邪魔します!」
その時、竹刀袋をほどきながら、戻って来る京香を栞は見た。
「いよいよ、どちらが上か白黒させようじゃない!」
「面白い、返り討ちにしてやる」
そう言った京香が、鞘から刀を抜く前に、栞は彼女に向って駆けた。
万里加さんの知識に当てられたのか、俺は椅子に座って勉強をしていた。だがチャイムが何回も鳴った後から、一階が騒がしい。時折、母さんの悲鳴にも似た声が聞こえる。勉強に集中できないので、俺は後頭部をわしわし掻きながら、一階に降りて行く。
「うるさいなー。どうかし……」
京香と栞がリビングで戦っていた。壁もボロボロで、ローテーブル、ソファーもひっくり返り、強盗どころか竜巻が発生したかのようだった。
「待て待て待てーぃ!!」
俺はボクシングのレフリーのように、決死の覚悟で二人の間に入った。
「二人とも、そこに正座!」
運よく無傷で済んだ俺は、二人に言った。彼女たちは大人しくリビングに正座する。
「栞、京香と喧嘩しに来たの? それとも家を壊しに来たの? まだローンが残ってんだよ!」
「いや、そ、そんなんじゃ……、そ、そう! ご両親に挨拶に来たの!」
「京香も京香で相手しない!」
「面目無く……」
だめだ。やっぱり、この二人、水と油だ。我が強すぎる。
「もう夕方だ、二人とも帰ってくれ。明日早いから」
「あっ、せめて、御両親に挨拶を……」
栞が食い下がる。
「父さんは休日出勤だから、明日じゃないと会えないぞ、たぶん」
「あっ、そうだ! 手土産!」
栞は立ち上がって、玄関へと走っていき、すぐに戻ってきた。
「涼君のお母様、こちらつまらないものですが」
キッチンに身を潜めていた母さんが、おそるおそる手に取った。
「初めまして、真原栞と申します。北海道産の新巻鮭です。最高級品ですので、ご賞味下さい。これからもよろしくお願いします」
「あ、はい……」
母さんは恐る恐る手に取った。
普通、初対面の挨拶で新巻鮭を持ってくるか?
二人を帰した後、俺は再び机に向かって勉強し、一時間ほどジョギングして就寝した。
翌朝、二の腕にふよふよと柔かいものが当たる感触で俺は夢から覚めた。
このパターンか……。それにこのサイズ……。
「京香か……」
仰向けに目を閉じたまま俺は言う。
「おはよう御座います涼様。見てもないのによくお分かりになられましたね。私のコンディショナーの匂いでしょうか? 覚えていただき光栄に存じます」
俺はまだ目を開けない。
「何時だ、今」
「五時半です」
「はえーよ!!」
俺は京香に「八時ごろ来い」と、タオルケットを抱いて背を向けた。
夢の中でチャイムがなる。目蓋の向こう側の光は先程より強さを増し、日が高くなっていることを俺は感じた。夢か現か判然としない世界で、鈴のような声が俺の意識に響く。その声は部屋の扉の奥から聞こえていた。
「この先が涼君の寝室……」
「涼ー、入るねー」
香澄と栞か……。扉が開く音がした。
俺は仕方なく目を開けた。
戸口に立つ香澄と栞は、凝然と俺の横を見ている。
「どうした? ってか、今何時だ?」
「おはよう御座います涼様。今は七時半です」
「七時半……、なんで皆そんなに早いんだ。って京香!」
白い下着だけのあられもない姿で、京香は俺の隣に横たわっていた。顔だけでなく胸元まで赤くして。皺になるのを防ぐためか、彼女の喪服の上下とブラウスは、ハンガーにかけられてある。
それを見た香澄と栞がガクガクと震えながら、徐々に怒気をその表情に滲ませていく。
「あっ、あっ、あんた達ー! 何してんのよ!!」
「涼君……、これはどういうことですの。早くも浮気ですか!?」
香澄の声にも、怒気が満ちていた。
半身を起こし目を丸くする俺も、Tシャツにボクサーパンツとラフな格好だった。昨晩、事に及んだと思われてもしょうがない。
「京香……、何て格好で寝てんの……?」
俺は半身を起こして、呆れ顔で聞いた。
「はい。涼様の命令で帰宅しようと思いましたが、修行不足のため睡魔に負けてしまい、閨をお借りした次第です」
「まあ、落ち着け二人とも……」
京香の訳分からない応えにつっこむことなく、俺は怒気を増す二人を制そうとした。
「鎬……、許さん!!」
新調したてのような喪服を着た栞は、手に持ったポーチを傍らに放り投げて、ベッドに横たわる京香へ向かっていった。
「落花流水の閨に踏み込むとは無粋な!」
京香はベッドに立てかけていた竹光(真剣)を手にとり、立膝で迎え撃つ。
「鉄しーーん!!」
二人に対抗できるすべがない香澄は、大声で大上さんを呼ぶ。
大上さんは香澄の声と同時に、窓ガラスを割って入って来る。しかもまた土足だ。力量的に京香と栞の二人、対、大上さんになるだろう。
でも彼女たちってなんでこんなに我が強いんだ。香澄もこんな感じだとは思わなかった。
「もう、喧嘩すんなよ」
一応、呟いた俺は、再びタオルケットを抱え、部屋のことは諦めて眼を瞑り横になった。
そう言った栞は一旦自宅に帰り、化粧を整え、手土産を持って再び住宅街を歩いていた。目標はとある一軒家だった。その一軒家のインターフォンのチャイムを、跳ねる心臓を抑えながら押す。すると女性の声が返答した。
「はい、凪野ですが」
栞は二回深呼吸する。
「わ、私、涼君が以前通っていた、真原道場の真原栞と申します! 涼君はいらっしゃいますか?」
道中、何度も練習していた言葉を発した。
よしっ! 上手く言えた、と満足した栞に返ってきた答えは、意外な言葉だった。
「帰れ」
ぶつっと回線は切れた。
はあっ!? 栞は一瞬で頭の中が真っ白になった。だがそれが徐々に色づき始めた時、一つの結論に至った。そしてチャイムを連打する。するとチェーンがかかったまま玄関の扉が開いた。その隙間から覗いたのは、エプロン姿の京香だった。
「家の方に迷惑だ、帰れ」
栞はアルミ扉を開け、玄関口へと向かう。
「あんたね、なんで涼の家にいるわけ!?」
そう言いながら、栞はつま先を玄関口に挟み込む。
「私は涼様のお母様に料理を教わっているだけだ、帰れ」
「このまま、すごすごと引き返すわけないでしょ!」
栞は手刀でチェーンを切った。
「なっ!」
驚きの声を出した京香は、踵を返して屋内へと駆けて行った。
「待ちなさい!」
そう言ってパンプスを脱いで廊下に上がった時、キッチンから顔を出す涼の母親と栞は目が合った。「あっ、お邪魔します!」
その時、竹刀袋をほどきながら、戻って来る京香を栞は見た。
「いよいよ、どちらが上か白黒させようじゃない!」
「面白い、返り討ちにしてやる」
そう言った京香が、鞘から刀を抜く前に、栞は彼女に向って駆けた。
万里加さんの知識に当てられたのか、俺は椅子に座って勉強をしていた。だがチャイムが何回も鳴った後から、一階が騒がしい。時折、母さんの悲鳴にも似た声が聞こえる。勉強に集中できないので、俺は後頭部をわしわし掻きながら、一階に降りて行く。
「うるさいなー。どうかし……」
京香と栞がリビングで戦っていた。壁もボロボロで、ローテーブル、ソファーもひっくり返り、強盗どころか竜巻が発生したかのようだった。
「待て待て待てーぃ!!」
俺はボクシングのレフリーのように、決死の覚悟で二人の間に入った。
「二人とも、そこに正座!」
運よく無傷で済んだ俺は、二人に言った。彼女たちは大人しくリビングに正座する。
「栞、京香と喧嘩しに来たの? それとも家を壊しに来たの? まだローンが残ってんだよ!」
「いや、そ、そんなんじゃ……、そ、そう! ご両親に挨拶に来たの!」
「京香も京香で相手しない!」
「面目無く……」
だめだ。やっぱり、この二人、水と油だ。我が強すぎる。
「もう夕方だ、二人とも帰ってくれ。明日早いから」
「あっ、せめて、御両親に挨拶を……」
栞が食い下がる。
「父さんは休日出勤だから、明日じゃないと会えないぞ、たぶん」
「あっ、そうだ! 手土産!」
栞は立ち上がって、玄関へと走っていき、すぐに戻ってきた。
「涼君のお母様、こちらつまらないものですが」
キッチンに身を潜めていた母さんが、おそるおそる手に取った。
「初めまして、真原栞と申します。北海道産の新巻鮭です。最高級品ですので、ご賞味下さい。これからもよろしくお願いします」
「あ、はい……」
母さんは恐る恐る手に取った。
普通、初対面の挨拶で新巻鮭を持ってくるか?
二人を帰した後、俺は再び机に向かって勉強し、一時間ほどジョギングして就寝した。
翌朝、二の腕にふよふよと柔かいものが当たる感触で俺は夢から覚めた。
このパターンか……。それにこのサイズ……。
「京香か……」
仰向けに目を閉じたまま俺は言う。
「おはよう御座います涼様。見てもないのによくお分かりになられましたね。私のコンディショナーの匂いでしょうか? 覚えていただき光栄に存じます」
俺はまだ目を開けない。
「何時だ、今」
「五時半です」
「はえーよ!!」
俺は京香に「八時ごろ来い」と、タオルケットを抱いて背を向けた。
夢の中でチャイムがなる。目蓋の向こう側の光は先程より強さを増し、日が高くなっていることを俺は感じた。夢か現か判然としない世界で、鈴のような声が俺の意識に響く。その声は部屋の扉の奥から聞こえていた。
「この先が涼君の寝室……」
「涼ー、入るねー」
香澄と栞か……。扉が開く音がした。
俺は仕方なく目を開けた。
戸口に立つ香澄と栞は、凝然と俺の横を見ている。
「どうした? ってか、今何時だ?」
「おはよう御座います涼様。今は七時半です」
「七時半……、なんで皆そんなに早いんだ。って京香!」
白い下着だけのあられもない姿で、京香は俺の隣に横たわっていた。顔だけでなく胸元まで赤くして。皺になるのを防ぐためか、彼女の喪服の上下とブラウスは、ハンガーにかけられてある。
それを見た香澄と栞がガクガクと震えながら、徐々に怒気をその表情に滲ませていく。
「あっ、あっ、あんた達ー! 何してんのよ!!」
「涼君……、これはどういうことですの。早くも浮気ですか!?」
香澄の声にも、怒気が満ちていた。
半身を起こし目を丸くする俺も、Tシャツにボクサーパンツとラフな格好だった。昨晩、事に及んだと思われてもしょうがない。
「京香……、何て格好で寝てんの……?」
俺は半身を起こして、呆れ顔で聞いた。
「はい。涼様の命令で帰宅しようと思いましたが、修行不足のため睡魔に負けてしまい、閨をお借りした次第です」
「まあ、落ち着け二人とも……」
京香の訳分からない応えにつっこむことなく、俺は怒気を増す二人を制そうとした。
「鎬……、許さん!!」
新調したてのような喪服を着た栞は、手に持ったポーチを傍らに放り投げて、ベッドに横たわる京香へ向かっていった。
「落花流水の閨に踏み込むとは無粋な!」
京香はベッドに立てかけていた竹光(真剣)を手にとり、立膝で迎え撃つ。
「鉄しーーん!!」
二人に対抗できるすべがない香澄は、大声で大上さんを呼ぶ。
大上さんは香澄の声と同時に、窓ガラスを割って入って来る。しかもまた土足だ。力量的に京香と栞の二人、対、大上さんになるだろう。
でも彼女たちってなんでこんなに我が強いんだ。香澄もこんな感じだとは思わなかった。
「もう、喧嘩すんなよ」
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