The Anotherworld In The Game.

北丘 淳士

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ミリオン

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 梅雨晴れの午前中、一学期の期末試験が終わり夏休みも近いことがあって、その日の午後は久しぶりに弛緩した時間に包まれていた。俺たちは通学路から外れ、商店街の通りを歩いていた。目的はボクサーパンツを買うためだ。ランニングをやっていると股間が擦れて、ボクサーパンツの寿命が極端に短くなるのだ。
「新しいの買いなさい!」と母さんから小遣いをもらい、セール中だったボクサーパンツを五枚買った。三歩後ろを気配を消して歩く京香も、男子下着のコーナーにも動じることなく入っていた。
 ついでにランニングシューズを買おうと思ったが、スポーツ用品店には、目当てのそれが無かった。今使っているランニングシューズはフィットしていたので、ネット通販でも同じサイズだったら大丈夫だろうと、後で注文することにした。
 商店街を抜けるとき、最近までテナント募集だった店舗に、新しい店がオープンしていた。その店の前には黒板の看板が置かれており、それにはこう書かれていた。
『各種本体、ソフト多数取り扱っています。ゲームソフト高額買取ます。 ミリオン』
 ゲームをダウンロード出来る昨今、珍しいゲームソフトのみを扱った店が入っていた。大学受験が迫ってきている高二の俺には、ゲームなどする余裕なんて無かったが、引き寄せられるように自然と足を運んだ。ふと振り返ると、いつも甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれる京香は、不思議そうな面持ちで俺の後を付いてきた。
 真鍮のノブを引いて中へ足を踏み入れた。重厚そうな扉は意外と軽い力ですんなり開き、扉に据え付けてある小さなベルが開閉を奥へと知らせる。
「いらっしゃぃませ~」
 なんともやる気のない若い女の声が、奥から聞こえてきた。他に店員は見当たらない。壁一面には有名なゲームソフトが多数飾られている。その中にはプレミアのついたソフトもガラスケースに鎮座している。売り場はL字型になっており、一人で接客できるほどの広さだった。厳然とした入り口から推測出来るように、床からは軋みの音は全く響かず、自分の革靴の乾いた音だけを返していた。店内は薄暗く、とても客を招き入れようという雰囲気が感じられない。
 奥のカウンターに座っている店員を俺は見遣る。その店員は俺と同じ年ぐらいに見えた。天使の輪を輝かせる艶やかな黒髪に、きっちり切り揃えた前髪は、ガラスケースで大切に保管されている日本人形を彷彿とさせる。
 この時間に私服で働いているってことは、高校に行かずに店の手伝いをしているのだろうか……、それとも大学生だろうか。
 俺は一瞬勘繰ったが、考えても仕方ないことなのですぐに頭から切り捨てた。
 彼女は顔も上げず、カウンターに隠れた手元で何か忙しなく作業している。手元の光は彼女の顔を照らしていた。色の移り変わりから、おそらくゲームでもしているのだろう。
 腰ほどの高さのショーケースに目を通しながら、俺はカウンター近くまで進んだ。そしてカウンター脇のショーケースの前で、そのゲームソフトと白い携帯ゲーム機が目に飛び込んできた。ゲームからはしばらく離れていたせいか、見たこともない種類で、8ビット機と言われてもおかしくないぐらいチープな感じで懐かしさを感じた。
 そういえば最近ゲームなんてしてないな。和真はよく俺にゲームの話しを振ってくるから、たまにはやってみるか。
「涼様、何か御気に召された物でもございましたか」
 俺に続いて店に入ってきた鎬(しのぎ)京香は、やや茶色がかったショートカットの、ヘアピンが掛かっていないほうの髪を耳に掛けながら、ショーケースを覗き込む俺に話しかける。
「ああ……、うん、まぁ」
 ゲームソフトを見つめる男子高校生という姿を見られて気恥ずかしく思い、俺は後頭部を掻き、誤魔化すような返事をした。その時、一瞬画面が緑色に光った気がした。眼前のその携帯ゲーム機が、なぜだか気になった。一つ大きな溜息をつき、意を決して俺は店員に話しかける。
「すいません、ちょっといいですか?」
「はいは~ぃ」
 間延びした応えでようやく顔を上げた店員は、手作業を止めて立ち上がりながら俺を見た。その店員は俺を見るなり言葉を忘れて凝然としていた。首を傾げる俺の仕草にハッと我に返ったようで、両手でササッと身嗜みを整えてカウンター脇を通り、こちらに歩み寄った。
「はい、な、何でしょう?」
「このゲーム機とソフトって、いくらですか?」
 店員はおもむろに俺の傍に寄り、ポケットから鍵の束を取り出しながらショーケースを覗き込む。腰ほどもある黒髪からは、コンディショナーの良い香りがした。俺が指差したゲーム機本体とゲームには値段が書いてない。店員は眼の端でそのゲーム機とソフトの値札を探しているような素振りをしていた。そのゲーム機とソフトの横に二千円の値札が貼ってあるゲーム機が置いてあった。適当に目算をつけたのか、彼女は商人よろしく話し出す。
「本体は一万円ですけど……」
 少し黙考した素振りをみせた彼女は続ける。
「開店セールで、二千円でいいです。ソフトも一つ二千円で」
「えっ! いいんですか?」
 割引が露骨で怪しいと思ったが、二千円だと手が届くので、店員の気が変わらないうちに話を進めることにした。ランニングシューズは、来月の小遣いをもらってから買おう。
「じゃあ、ソフトとセットでお願いします」
 俺は一緒に置いてある4種のソフトを指差した。浪費家でもない俺の財布には余裕があった。
 その言葉に店員は一つ大きく頷きを返し、鍵の束から一本の鍵を選び出してショーケースの鍵穴に差し込んだ。カチリと金属音が静かな室内に響く。
「では、私も同じものを戴けませんか」
 俺の背後から聞こえた京香の声に、その店員は驚いた顔を上げた。店に二人入ってきたことを、すっかり忘れていた表情である。
 京香はいつもの癖か、気配を消している。
「えっと~、その方は彼女さん……、ですか?」
 店員は俺に問うが、答えたのは京香だった。
「カップルだと、ペア割引とかあるのでしょうか」
 さほど表情を変えずに問い返す京香を、俺は慌てて窘めた。
「待て待て待て! 顔見知りが多い商店街なんだから、変な話が広まったらどうするんだ!」
「私は構いませんが」
「俺が構うの! 店員さん、この子は単なる知り合いですので、お構いなく!!」
 店員はやや怪訝な表情で京香を見ていたものの、なぜか安堵するかのような溜息を漏らしながら、ショーケースに入っている四個のゲーム機と、いくつかのソフトをショーケースの上に並べ始めた。
「どうぞ、お好きな物をお選びください」
 一番最初に目に付いた本体を、俺はゆっくりと目の高さまで持ち上げ、窓から漏れる陽光を背に角度を変えながら眺めた。本体は日に焼けた痕もなく古い感じがしない。保存状態がいいゲーム機のようで、それが二千円で買える。試験も終わったことだし、友人の柏原和真に教えてやろうとも考えた。
「じゃあ、これ下さい。あとソフトは全種類を」
 そう言って手に持ったゲーム機を店員さんに渡した。
「私も同じものをお願いします」
 京香も続く。
「京香、興味無いんだったら買わなくてもいいんだぞ」
 京香に向かって小声で呟いた。
「いえ、涼様の趣味趣向を把握するのも私の務めですので、参考資料としての価値は十二分にあります」
 意味が分からないであろう俺たちの会話を、何気なく聞いていた店員に、お願いします、と促して、俺は俯きながら嘆息した。
 店員はトレイにその二つを置き、四つのソフトを二セット分取り出して手早くショーケースを施錠する。そしてショーケースの下の棚を漁っていたが、本体用の箱や説明書は見つからないようだ。ACアダプタは見つかったようだ。
「箱と説明書はありませんが、ACアダプタだけでよろしいですか?」
 店員さんは俺の顔をのぞきこむように見つめてきた。
「遊べるんでしたら、大丈夫ですよ」
「では、こちらへ」
 レジカウンターに案内され、店員がゲーム機を拭いてフェルトの小袋に入れる間に、京香が淀み無く話し出す。
「涼様は店員を籠絡させたうえ、廉価で御手になされたと言う訳ですね。その人心を操る御手腕に、私は感服いたしました」
「篭絡って、お前は俺を何だと思っているんだ!」
「そうですね、籠絡は失言でした。ただ涼様の凡そは既知しております。たとえばお好みの胸のサイズですが、最低でもC……」
「待て待て待て! こら!!」どこで知ったんだ!
 京香の口を手で塞ぎながら俺は慌てて店員さんの眉を読む。何も聞いてなかったように淡々と作業を進めていた店員であったが、時折チラチラと自分の胸と京香の比べるように視線を泳がせていた。呆れて佇む俺に、その店員は俺と京香用の二つの紙袋を微笑みながら手渡す。
「こちらがおにーさんのですね。そしてこっちがお友達の分です」
「いいえ、私は友達とかという大それた身分ではありません。涼様の従者であり護衛です」
 京香が表情を変えることなく、言下に答えた。
 店員は口をぽかんと開け、俺は額を押さえながら何かを言いそうになったが、それは溜息となって口から漏れた。
「また来て下さいね! 冷やかしでもいいので、お待ちしてます!」
「……料金はまだですよね」
「はっ!!」
 忘れていたという感じの顔で俺の顔を見る。
 こんな店員さんでこの店は大丈夫なのだろうか……。俺は財布からお札を抜き出しつつ、生暖かい目で彼女を見つめていた。
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