濁渦 -ダクカ-

北丘 淳士

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小さな正義

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 その日以降、フーリエはバングがいるうちは漫画や小説に浸るようになった。
 バングもフーリエ用の椅子を用意し、彼も安楽椅子に揺られながら小説を読んでいる。彼女にとって彼にとっても至福の時間だった。
 色々な本を読んだ。
 綺麗な女性が変身して悪を倒す。非力だった少年が仲間と共に強大な悪に立ち向かう。頭脳戦を繰り広げて悪を追い詰める。恋愛物やアクション、ミステリ、日常系、スペースオペラ、サイバーパンク……。ただ所謂、悪は純粋な悪ではなかった。悪にも悲しい過去があり、正義と自負している悪もあり、必要な悪でもあった。
 ただただフーリエは純粋に多感な時期に色々な情報を、その身や心に沁み込ませていた。彼女自身、語彙力や表現力も増え、複雑なストーリーテリングに溺れていた。
 ある時、ふとフーリエはバングに聞いた。
「なんで、こんな面白いものが外には無いの?」
「うーん……」
 小説から目を少し上に向けたバングは、相当悩んだ末に答えを出した。
「多様性に配慮せよ。って事かな」
「多様性?」
「フーリエがもうちょっと大人になったら分かるはずだ。まあ、どっちが多様性に富んでいるかは火を見るよりも明らかだけど」
「うーん……」
 フーリエは少し考えたものの、すぐに視線は途中の本へ戻っていった。
 そんな彼女をバングはコーヒーを啜りながら、温かい目で見ていた。

 ある日、学校の廊下の隅。リールがまた他の子を威圧していた。
 色々な本を読んで、リールを純粋な悪だと感じたフーリエは、昂った気持ちを抑えきれず、彼に声をかけた。
「ちょっと、止めなさいよ! 嫌がってるじゃない!」
 ゆっくりとフーリエを向くリールの表情に気圧されたが、彼女は気丈に睨み返した。
「なんだぁ? お前」
 教室がざわつく。皆の視線を背中に受けながらフーリエは再度、声に出した。
「皆も嫌がっているんだから、そういうの止めなさいよ!」
 それを見たリールの口の片端が上がる。
「ははーん、お前、こいつの事が好きなんだろ?」
「そんなんじゃない、そんないじめは止めてって言ってるの! 皆が迷惑しているんだから!」
「煩いなぁ」
 リールは片手でフーリエの肩を押す。彼女はバランスを崩して倒れそうになったが踏みこたえて、逆に体重を乗せリールを両手で押し返した。
「うわっ!」
 まさか反撃がくるとは思ってなかったリールは、バランスを崩して転倒し、背後の白い壁に後頭部を打ち付けた。そしてかなりの衝撃だったようで、頭を切って出血をした彼は泣き出した。頭を少し切っただけだったのだが、頭部からの出血は勢いが強く、摩ったリールの手にはべっとりと血がついていた。
 それを見たフーリエは自分のしたことが怖くなり、顔は青ざめ、その場に腰を抜かした。
 ど、どうしよう……。
 教室からクラスメイトが飛び出し教員のもとに走っていく。教室内は騒然となった。その騒然がフーリエの心をより掻き乱していく。恐怖にかられた彼女の目には涙が浮かんでいた。

 リールは保健室で治療、検査を受け、いじめを受けていた生徒とフーリエは職員室で事情を聴かれた。

「本当に申し訳ございませんでした」
 母、カミル・アメリと共に、フーリエはリールの家まで謝罪に訪れていた。
「脳に異常が無かったから良いものの、ホントどういう躾をしているんですか、お宅の子供に」
「はい、重々言って聞かせますので」
 カミルは何度も平身低頭して、リールの母親の気持ちが治まるのに耐えていた。
 フーリエも泣いて謝っていたが、泣いていたのには別の理由もあった。
 リールも悪いことをしたのに、なぜ私や母さんだけが謝らないといけないのだろう。
 それが悔しくて悔しくてしょうがなかった。

 リールの母親の怒りも治まった帰り道、すでに日は落ちていた。カミルが運転する赤いシビックの中で母は諭すように言う。
「フーリエ、先生からちゃんと理由は聞いたから怒らないけど、暴力は駄目よ。わかった?」
「……うん」
 フーリエはまだ泣き止んではいなかった。
 正しいことをしたのに……。
 彼女は、その気持ちが拭えないでいた。
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