魔法と科学の境界線

北丘 淳士

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駆ける

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「リータ様、謁見の許可を頂きたいのですが」
 ラムザはいつもの畏まった言い方よりも強く、確信をもって乞う。
「……どこの国の大臣ですか? 私でなくても、この国には外務卿、いえ外務長官や大臣がいるではありませんか」
 ティーテーブルに座って本を読んでいたリータだったが、その強めの口調に何かを感じたのか、ページにしおりを挟みながらラムザを見て返した。
「いえ、リータ様にとって、最も信頼のおけるお方と存じ上げます」
「またアキラ様ですか……。ラムザ枢機卿、貴方の私に対する思いは幼少の頃より痛いほど分かっています。ただアキラ様はこの部屋にしか姿をお現しになりません。今まで何人もの神祖の民の子と思われる人を連れてきて下さいましたが、結局全くの別人で後々酷く落胆するだけでした」
 ラムザは当然その答えが返ってくると思っていて、不遜にも含み笑いで王女を見る。「その青年は、リータ様の幼少の頃の絵を持っているそうですが、非常に精緻な絵で今にも動き出しそうだと見たものは言っておりました」
 その言葉にリータはビクンと背筋を伸ばす。
「そしてその青年は博物館の神具『揺籃』から現れたとの情報です」
「それは……、それは確かな情報なのですか!?」
 ラムザはわざと少し間を溜めた。
「ええ、目撃者も20人を超えます。ですからその青年と、他2人の謁見の許可を頂きたいと思いまして」
 返事は分かっているものの、わざともったいぶって述べる。
「許可します! 許可しますから、今、その方はどちらに!?」
 リータは椅子を跳ね飛ばしながら立ち上がって、ラムザに詰め寄る。
「もう謁見の間に到着している頃だと……」
 ラムザが言い終わる前に、リータは走り出した。華美な絨毯を音を立てながら走り、両開きの扉に控える侍女が慌てて開く重厚な扉が開ききる前に、廊下に飛び出す。
 わが子を見るような眼差しでその背中を見送ったラムザは、小さく鼻息を漏らしその後をゆっくりと歩き出した。

 扉の外で警備していた王宮騎士が、出掛かっていたあくびを慌てて殺し姿勢を正す前を、リータはドレスの裾を軽く上げて走り抜ける。リータには今だ僅かな懐疑心が燻っていたが、ラムザの表情と情報は今までになく確信に満ちていたため気持ちが高まっていた。廊下の角で休憩中の侍女とぶつかりそうになり、リータは「ごめんなさい」とだけ言ってすぐに前を向き走り出す。取り残された侍女は、今まで見たことがないリータをぽかんと眺めていた。
 もつれそうになる足を何とか動かし、階段を下りる。階段下りてすぐの正面の廊下を進み、突き当たりの両開きの扉が謁見の間である。そこまでの距離が異様に長く感じた。久しぶりに走ったせいか、疲れで段々速度も遅くなって余計遠く感じている。ようやく扉の前まで来たとき、その扉の脇に立つ王宮騎士2名が、リータが1人でやってきたことを怪訝な表情で見ていた。
「開けて……、くれますか」
 肩を上下させ息も絶え絶えにリータは王宮騎士に言う。
 自分の職務を思い出した騎士たちは、リータの部屋よりもさらに重厚な扉の取っ手を握って、左右同時に開けた。
 ようやく噴出し始めた汗を拭いながら慌てて謁見の間に入ると、街人とは違う服装で膝をついた3人を見た。その3人は慌てて入ってきたリータを跪いたまま見ていた。
 その中の1人と目が合う。忘れるはずのない優しく黒い眸、寝癖の付きやすそうな柔かい髪、変わりない小さめの顔。
 ずっと忘れることの出来なかった彼が青年になったら――。
 そう彼女が日々想像していた顔だった。旭は驚いた顔で立ち上がろうとしたが、背後から官憲によって肩を取り押さえられた。

 3人は歩きにくい石畳を進んで瑕疵一つない豪奢な城内に入る。疲れているとつまづきそうな、ふかふかのカーペットを進んで階段を上がり、正面に大きな扉のある部屋に連れてこられた。
「きゃっ! ちょっと、何っ!?」
 驚きの声を上げるエディアは、両手を紐で縛られ強制的に座らされた。すぐに旭と山代も手を取られ、後ろに回されて紐で縛られる。だが痛みを感じるような縛り方ではない。
 まずいな、この展開――。
 旭はそう思っていると、今度は肩を押さえつけられ、無理やり座らされた。部屋の脇に立つ、他の騎士然とした人たちも両膝をついて座っていたので、旭はそれに倣って両膝をつき、この後どうしようか――、と考えていた時だった。
 正面の扉が開き、1人の金髪の女性が肩で息をしながら入ってきた。そこから姿を現す人物は、てっきり裁判官然か、王様然とした男だとばかり旭は想像していたから若干拍子抜けしたが、だが、その腰まである金髪と緑色の眸は、ついさっき見た写真のリータが、大きくなったらと思っていた、そのものだった。
 まさか!? と思って腰を上げると、後ろから強い力で2、3人から取り押さえられる。
 隣でエディアの「アキラ!」という驚声が聞こえる。
 するとリータから怒気を孕んだ声が、謁見の間に響いた。
「離れなさいっ!」
 そう一喝すると、慌てて黒服の男たちは旭の肩から手を離した。一応そのまま座っていると、リータは旭の肩を掴んで抱え上げ抱きしめてきた。そして背後の男たちに向って、リータはまた叫ぶ。
「早く、この方たちの枷を外しなさい!」
「リータ?」
 するとリータは緑色の眸に涙を浮かべる。
「アキラ様! ああっ、本当にアキラ様なんですね!!」
 そう答えながら、豊かな柔かい胸に旭の顔を引き寄せてた。
 走ってきたのだろうか――、少し湿った甘い香りの向こうに、リータの速い鼓動を旭は聞いた。
 隣でエディアが叫んでいるが、リータは意に介さない。そのままの状態で手首の紐が外された。旭はリータの肩を掴んで離す。
「リータなのか?」
「はい……。お久しぶりです。まさか再びラステアに来て下さるなんて」
 美しい女性に成長したリータの眸から、煌く感涙が滔々と流れていた。
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