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6話 許嫁、確定する

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 「それじゃあ、そろそろ行こうか」
 リュシエール様が飲み終えた食後のお茶をテーブルに置いて言った。
 行く?
 私は緊張で飲みこめないパンをお茶で喉に流しこんで、思い出した。
 そうだ!私は授業があるんだった。
 すっかり忘れていたけど、宿題も終わらせてないし、きっとニナバール先生に怒られてしまう。
 しょげてしまった私にリュシエール様が天使のように慈悲深く微笑み
「大丈夫だよ、心配はいらない。イリアのことは僕が守るから」
 いや。リュシエール様に守ってもらうほどのことではないし。宿題ができなかったくらいで、守られても困る・・・
「ぜんぜん平気です。じゃ、行きますね。ごちそうさまでした」
 私は礼儀正しくあいさつをしたつもりだったけど、リュシエール様はポカンとなって
「イリアはどこに行くつもりなの?」
「・・・え?・・・授業に・・・」
「行くのは魔教皇とうさんのとこだよ」
「・・・・・・・へ?」
 私は間の抜けた一言を発してから、部屋中に響く悲鳴をあげた。
「な、な、な、なんでっ・・・なんで、魔教皇様のとこに・・・え?今から、って、そんなの」
 心の準備もできてない。
 髪だってボサボサの普段通りだし。さっきローブにスープのシミを少しつけちゃったし。
 慌てて髪をなでつけていたら「イリアはそのままでも十分美しいよ」とリュシエール様がとろけるような甘い声で言った。
 許嫁ごっこだから、その声もカリソメなんだけど。
 でも、美しいだとか、聞き慣れない言葉を聞いた私の頬はカリソメじゃなくて赤く染まってしまった。
 リュシエール様のほうが何倍も美しいです。とか、言っちゃいそうになったけど、男にそれは褒め言葉になるのだろうか、と理性的に考えてやめた。
 「それじゃあ、行こうか」
 リュシエール様が先に立って歩き出す。
 これから魔教皇様のところに行くのだと思うと、足が震えて、ときどきもつれそうになる。
 魔教皇様は、見抜かれてしまわないだろうか。
 私がカリソメの許嫁だということを。
 いや、その前に、外級魔法使いの許嫁なんて、絶対許すはずがない。
 もしかしたら私には罰が与えられるかもしれない。
 だから、さっき「僕が守る」ってリュシエール様が言ったのかも。
 グルグルと色んなことが頭に浮かんで、気がついたらどこをどう歩いたのかも分からないままに
「ついたよ」
 と、リュシエール様の声で我にかえった。
 巨大で荘厳な扉の前で私は怖気づいてしまった。
 気安く「仮初の許嫁」を受けたことに豪雨のような後悔が降り注ぐ。
「リュ、リュ・・・シエールさま・・・やっぱり、私・・・でき・・・ま」
 せん、まで言えなかった。
 リュシエール様がさっさと扉を開けてしまったから。
 ええええっ、普通「開けていいですか」とか聞かない?
 目を白黒させていたら、リュシエール様が私の手を取って中に引き入れた。
 もう、目の前はまっしろ。目は開いてるけど、緊張で何も見えない。足もがちがちで前に進めない。
「とうさん、連れて来たよ。僕の許嫁」
 リュシエール様は前ふりもなく、いきなり私の肩をつかんで前に押し出した。
 前に・・・目の前に、まるで神様の彫刻のように真っ黒なローブを纏った美しい男性がいる。
 足首まである長い黒髪は光の加減で紫色に見える。私を見る紫水晶の瞳は吸い込まれるくらいに神秘的で、まるで月の神様のようだ。
 でも造り物のように無表情で感情が読み取れない。
 あ、そうだ、あいさつ。そう、あいさつしなくっちゃ・・・えと、魔教皇様にはどんなあいさつをするんだったっけ。
 マグノリアの作法では、なにかあったはず。
 ダメだ、なにも思い出せない。
 私は泣き出しそうな顔になっているのが、自分でもわかった。
 外級魔法使いな上に、魔法使いと人間の混血で、しかも作法知らず。
 もう、これは処罰だ。
「イリア、証を見せよ」
 ああ、やっぱり処罰・・・ん?アレ?今、アカシとか聞こえた気が・・・
 アカシ・・・アカシって・・・?
 魔教皇様の紫色の瞳がまっすぐ私を見ている。どうしょう。なんて答えればいいの?
「イリア、『契りの魔法』の印だよ。手のひらにある」
 リュシエール様が助け舟を出してくれて、私はそれにしがみついた。
『契りの魔法』の印って、手のひらにあるこの羽根模様のアザのことなの?
 恐る恐る手を出して、魔教皇様に羽根の白いアザが見えるようにした。
 かすかに魔教皇様が頷いた。
 これでよかったのかな?
「ならば、よい」
 短い一言を投げて、魔教皇様は私たちに関心がなくなったように背を向けた。
「すんだよ。イリア、行こうか。これからならまだ授業に間に合うね」
「あ・・・はい」
 呆然となった私はまるで人形のようだった。
 人形使いに操られる様に、リュシエール様に手を引かれてギクシャクと歩き、魔教皇様の部屋を後にした。



 噂は瞬く間に魔法国中に広まった。

 次期魔教皇で上級魔法使いのリュシエール様が許嫁に選んだのは、イリアという外級魔法使いの少女だ、と。
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