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「菜穂、試験勉強進んでる?」
 榛名がタブレットをのぞきながら訊いてきた。

 梅雨も明け、今日は榛名が菜穂の部屋に遊びに来ていた。雄太と別れてまだ2週間。二人の男性とつきあってた頃に比べると超絶暇だ!だが勉強に身が入らない。

「全然!!旅行でもしたい気分だよ。って、試験前だしなぁ。試験開けたらインターンが待ってるし」
「イベントないの?」
「試験明けに、藤枝ゼミで先生の友人のウエルカムパーティがある。それ以外な~んも予定なし」
 柏木と雄太と別れたことは報告済である。

「あ~、わかるぅ。それ。わたしもさ、買い物でどっちにするか迷った時、どっちを買っても後悔するんだよね。結局、決め手に欠けるんだよ。だから、最近は迷った時は買わないことにしている」

 人をモノに例えるのもどうかと思うが。「決め手ねぇ。峰岸くんは特別なの?」
 へへッと笑い、「今のところはね」

「ああ、可哀そうな峰岸くん。榛名に振り回されてるぅ」
「転がしてるつもりが、転がらせてるってこともある。真相はわたしにもわからない。早くまた誰か見つけなよ。ゼミの先輩にいい人いるかもしれないし、インターンでも出会いがあるじゃない」
「なんか、そういう目で見ると、欲望ギラギラになりそう」
「アハハ!まっ、自分磨きでもしてその時に備えとけばいいよ」
「その時は、ちゃんと来るのかなぁ。このまま誰ともつきあわずに年を取っちゃうのかなぁ」
 榛名はゲラゲラと笑いだし、「来るときは来るし、こない時はこない。確率的にまだまだ大当たりの可能性もある。人生モテ期は3回あるらしいから」
「そうだといいんだけどね」

 試験も無事済み、マシューのウエルカムパーティの日がやってきた。当日の料理は用意するが、飲み物は各自で持ってくるよう指示された。ゼミのみんなと最寄り駅で待ち合わせる。ちなみに全員出席だ。

「先生んちに行けるなんて、マシューさまさまだな」
「今どき、教授とかの家に遊びに行くなんてないものね」
「明治時代とか、昭和がうらやましいな」
「まさか、とは思うけど、大正忘れてない?」
 ドッと笑いがはじける。

「待ち合わせは駅前でいいんだったけ」
「あっ、さっき連絡したよ。先生が迎えに来てくれるって」
「マシューってイケメンかな。どうしよ、国際ロマンス始まっちゃったりして」
「キミはせいぜいロマンス詐欺にはまってください」
「それよか、俺はマシューに女の子紹介してもらいたい。ダレカー、ニホン、ニ、キョウミアリマセンカ?」
「それ、日本語だから」

 ガヤガヤ騒いでいると、ひょろっとした青年を連れた先生がやってきた。
「やあ、待たせたね。紹介は家に着いてからにしよう」

 伸は学生を引き連れ、スタスタと歩く。2LDKのマンションは駅からやや遠く、築年数は古いがしっかりした造りだ。エントランスもそれなりにヴィンテージ感があり、くたびれた印象はない。大量の蔵書と価格で折り合いをつけた物件だ。
 人数が多い気もするが何とかなるだろう。クラブだと思えばいい。

 部屋に入ると、口々に学生が感想を述べる。
「すげー本の山。地震がきたら埋もれるっしょ」
「何これ、英語の本がいっぱいあるぅ」
「あ、ベランダに枯れた観葉植物がある。ポトスかこれ?」
「女の影はないか?」
「隠してある大人の秘密、見ちゃったらどうする?」
「おいおい、キミ達は見て見ぬ振りというのができないのか。異性の家に初めていった時、そんなんじゃ引かれるぞ」
 苦笑を浮かべる伸の言葉に皆が笑い声をあげる。

 紙コップにビールを注ぎ、乾杯をする。マシューはまだお酒が飲めないので、コーラだ。
 胸には名前と趣味を書いたネームプレートをぶら下げさせた。マシューが一度に20人の名前を覚えられるとは思えないからだ。

「さて、キミたちの英語の勉強の成果を見せてもらおうかな。ひとつ忠告しておくが、大きい声で話すこと。よしまずはゼミ長から」

 ゼミ長が唾をゴクリと飲み、次にビールを飲み、次に咳ばらいをして、またビールを飲んで先陣を切った。
「お会いできて嬉しいです。名前は田崎で、趣味は散歩です。今日はアメリカの散歩についてお話ししたいです」
「こちらこそ、お会いできて嬉しいです」

「通じてるね」
「通じてるわ」

 次々と自己紹介されるが、人数の多さにマシューが戸惑っている。
「あとで話したい人がいたら、個別に話しかけるんだな。全員マシューに興味深々で喜んで話してくれるぞ」

 全員の自己紹介が終わると、一同ホッとしてつまみやら、ドリンクに手を伸ばした。マシューのためか、日本食が多い。寿司、天ぷら、刺身。デザートは和菓子。乾きものはイカクン、せんべい。

「すげぇ、親戚んちの集まりみたいだ」
「ピザとポテチが食べたいような」
「なに、贅沢いってるのよ。今日はマシューのウエルカムパーティでしょ!食べたいなら自分で買ってきなさい」

 マシューは一時ボストンに住んだが、あとはずっとニューヨークの隣州のニュージャージーだ。大学はボストンで環境学を学ぶ予定。

「ヒーロー」マシューが伸を呼ぶ。
「ヒーロー?先生、ヒーローと呼ばれてんの?なにそれ、カッケー。それともドキュン?」
「何をいってるか。俺の名前はヒロムで、呼びにくいからヒーローになっただけだ。アメリカではヒーローという名前はちゃんとあるんだぞ。なっ、マシュー」

 ボストンで初めて会った時、なかなか発音できない彼にheroを教えた。それ以来、そう呼んでくれる。
「マシュー、どうした?もっと寿司食べたいか?」
「いや、なんか人いきれがすごくて、ベランダにでてる」
「ああ、俺もちょっと外の空気を吸いたいな」

 室内は賑やかな笑い声が続いている。結局ほとんどの会話を伸が通訳した。多少のヒアリングはできても微妙なニュアンスや突っ込んだ話にはヘルプが必要だ。倍どころかぶっ通しで話しっぱなしで、喉がしんどい。

 建物をオレンジ色に染めながら夕陽がまもなく落ちようとしていた。

「日本の夕陽も悪くないだろう」
「うん、きれいだな」マシューはコーラを飲みながら答える。
「本当に久しぶりだな。でかくなったもんだ。7年ぶりか」

 ノーラとつきあっていた時は、一緒に遊ぶこともあった。3人で旅行にもよく行った。ボストンレッドソックスを見に、二人でフェンウエイ・パークに足を運んだのも一度や二度ではない。
 引っ越した後でも、彼は夏休みになると会いにきてくれた。伸が大学院を卒業し、西部の大学にAI倫理の助教として勤務してからは会うこともなくなっていた。

「ヒーローも大きくなったよね」
「あっ?太ったってことか」
 確かにあの頃より、胴回りは太くなったかもしれない。マシューはカラカラと笑った。

「ノーラとお義父さんは元気か。あと、ネイサンとか」
「うん、みんなヒーローによろしくっていってたよ」

 ノーラはあれからしばらくして結婚した。ネイサンも新しい家族をもった。夫婦は赤の他人だ。それが家族になる。親子が他人でも家族になれる。そういうことだろう。

「ガールフレンドはいるのか」
「いるよ」マシューははにかみながら答えた。幼い時によく見せた顔だ。当時のことが思い出され、胸が締めつけられた。郷愁か喪失感か。

「僕、ヒーローがお義父さんになると思ってたよ」
 何気なくつぶやいた言葉だろう。横顔からは何も伺えない。
「そうだな。俺もそうなるつもりだったんだがな」
「でも、終わっちゃったんだね」そうしてこちらを向いた。「僕はネイサンと離れた時ものすごく不安だったんだ。僕のこと嫌いになったのかな、捨てられたのかな、何でだろうとか。父も母もものすごく丁寧に説明してくれたけど、淋しくて。自分はいない方が良かったのかと」

 マシューの肩を叩き、そしてハグした。「そんなことは絶対ない」
「うん、大丈夫だよ。母がね、伸とつきあってから楽しそうで、生き生きとして。伸も母を慈しんでくれて。僕思ったんだよ。終わってしまったかもしれないけど、僕は父と母が出会って、ちゃんと愛し合って生まれたんだな。素直にそう思えた」

 逆光の中で微笑むマシューの表情はよくわからなかったが、満ち足りた顔をしているように感じた。
「ありがとうヒーロー。遅くなっちゃったけど、ずっとそれが言いたかったんだ」

 伸は嬉しくなり、マシューを力いっぱい抱きしめた。息子になりそこなったマシュー。でも絆は残っている。
 誰かと誰かの真摯な関係が、誰かを救うこともある。きっと人類はそうして栄えてきたのだろう。

 花火のできる公園に繰り出し、みんなが騒ぐ中、菜穂はチマチマと線香花火を楽しんでいた。〆は線香花火とか言うけど、この微妙に長持ちする感じが好きだ。最後にキッパリと終わりを告げるように、ボトッと落ちる瞬間もたまらない。

「君島さん、俺もやろうかな。一本ちょうだい」
 伸が声をかけてきた。
「は、はい、どうぞ。先生も好きなんですか、線香花火」
「うん、好きだよ」
 二人でチリチリとした炎の乱舞を見つめる。
「日本人は、線香花火に人生を重ねてみるそうだ。燃える段階も、最初は蕾、順に牡丹、松葉、柳と続き、最後は散り菊」
「風情ありますね」
 自分は今どこなんだろう。牡丹かな。先生はどこ?
「なあ、」
 声がしたので顔をあげたが、先生は花火を見たままだった。
「はい、何でしょう」
「例の友達はどうなった」
 えっ?「ああ、別れたみたいですよ」
「修復はできなかったのか」
「どうなんでしょう。別れるって決めてたみたいです」
 澄まして答える。
「ふ~ん。で、その子は今フリーなの?」
「えっ、はい、しばらく恋愛する気にならないっていってました。とか言いながら、このまま誰とも二度とつきあうことなく終わるのかと焦ってましたけど」
 クックと笑い声が漏れる。「青春だな」
「先生、気になってました?」
「そりゃそうさ。相談に乗っただけで結果を知らないなんて、結末のわからないミステリみたいなもんだ」
「あっ、友達が言ってました。アドバイスありがとうございますって」
 二人の線香花火が同時にボトリと落ちた。
「よし、同時に始めてどっちが保つか競争だ」
 シュルシュルッと始まり、パチパチと炎がはじけだしてきた。
「なあ、その友達にいっといて」
 火花はさらに勢いを増し、松葉の状態に入った。
「つきあう人が現れなかったら、俺とつきあおうって」
 へっ?思わず手が揺れ、菜穂の柳状態に入った花火がポタッと落ちた。ドキドキして顔をあげられない。
「あっ、終わっちゃった。先生の勝ちですね」
「ちゃんと言っとけよ」

 額に浮かぶ汗を暑さのせいにした。馬力のある花火が終わった面々がわらわらとやってきて線香花火を始める。なぜか円陣を組むようになるのが面白い。

 あー、夏だなぁ。
 誰かが放った一言に、全員が頷いた。
 マジレス?
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