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16. 気まずいおばんざい-2
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そうやって潰れてきた同僚を何人も見てきた、とまでは言わなかった。彼女も、うすうす気づいているだろう。残業時間が決められた上限ぎりぎりに収まっているのは、偶然ではないはずだ。
「なんか、実はすごいちゃんと考えてるんですね、仕事のこと」
めちゃくちゃ失礼なことをさらっと言ってのけながら、武藤さんは皿の上に落ちた豆苗をかき集める。まあ、どうせ空気の読めないコミュ障と思われていたんだろう。別に間違っていないのだから、いいけれど。
「私、丸さんって、すごく繊細なペットでも飼ってるのかと思ってました」
「は?」
てっきり嫌味のひとつでも言われるかと身構えていたから、突然の暴露に思考が追い付かない。
「ほら、毎日きっちり定時で帰るし、土日出勤も極力ないように調整してるじゃないですか。目をつけられないぎりぎりまで出社しないし。これは大事な何かがおうちにいて、面倒みてるんじゃないかって」
いずれ紹介してもらおうって思ってたのに、先にネタばらしされちゃいました、と彼女はちょっと悔しそうに箸をくわえる。佑はあっけにとられていた。明るいしっかり者と思っていたけど、もしかしてこの人、ちょっと変な人かもしれない。
「うちには観葉植物もないですね」
「そうなんですねー残念」
「動物好きなんですか?」
「うーん、見てる分にはかわいいですけどね。旅行できなくなっちゃうので、一生飼わないと思います」
へえ、旅行するんだ。たしかに、バックパックひとつでアジアを横断してる姿が目に浮かぶ。
「旅行って言っても食い倒れですけどね。メインは食事です」
ぬか漬けの最後の一切れを大事そうに噛みしめる様子から分かっていたけれど、本当に食べることが好きみたいだ。思い返せば、話しかけられるのはいつも決まって昼時だった。なるほど、好きなものを目いっぱい食べるために残業してまで稼いでいる、ということなのだろうか。
木のお椀の裏っ側を向けてくーっと味噌汁を飲み干してから、武藤さんは、でもね、と笑った。
「実はもう一つあるんです、理由」
誰にも言わないでくださいよ、と前置きして、彼女は箸をおいた。
「私、偉くなりたいんですよね」
えへへーとはにかむ姿はお手伝いを褒められた子どもみたいなのに、意外と勇ましいことを言う。
「意外です」
「でしょう?」
「そんなに仕事が好きなんですか?」
「はい」
水のグラスを手に持って、年若い彼女はためらわずに頷いた。
「なんか、友達とか同期とか、みんな仕事つらい、辞めたいって子ばっかりだから言いづらいんですけど、好きなんです。自分の力で誰かに感謝されること。自分の力でなにかを完成させられること。だから、もっともっと仕事をしたい。そのためにはキャリアを積んで、実績を残したい。こんな若造が言ったって生意気なだけだから、期末面談でも話したことないんですけど」
わずかにひそめられた声に、彼女の本気を感じた。ここまではっきり仕事が好きだと公言する人を見て、驚くよりも先に感動した。
「僕には理解できませんが、でも、応援しますよ」
「ありがとうございます。仕事のできる丸さんにそう言ってもらえると、うれしい」
「仕事のできる……?」
ついぞ馴染みのない修飾語だ。
「自分の力量を見極めたうえで、きっちり仕事をこなすのも大事な能力じゃないですか」
「そういうお世辞も出世のため?」
「丸さんにお世辞言っても、なんの得もないでしょ」
あはは、と遠慮なく笑われる。それは確かに。上長からの覚えもめでたくない、どころか若干目をつけられている自覚のある自分が何を言おうと、社内人事にさざ波ひとつ立てられないだろう。
「早く成長するために、他人のいいところをいつも観察してるんですよ。丸さんは仕事が的確で、愛想はないけど納品物のクオリティは誰よりも高い。だから、懲りずに何度もお願いされるんですよ」
「はた迷惑な……」
「じゃあ手を抜けばいいじゃないですか」
そうだけど。それはちょっと、悔しいというか。ソースもマヨネーズもかつお節もかけないお好み焼きを提供する気分というか。あとちょっとの手間でぐっと良くできるなら、手を出したくなるじゃないか。
「そういうとこ、職人ですよね」
「やめてくださいよ。食べるために働いてるだけです」
「そういうことにしておきますよ」
くすくす笑った武藤さんは、スマホの時刻を見て、そろそろ戻りましょうかと立ち上がった。
「あの、ボイスレコーダーの声、消してもらえます?」
「え? ああ、天使?」
「別に脅したりしないってわかってますけど、自分の声を持たれてるってのはちょっと」
引き戸をあけながら、彼女はえー、とくちびるをとがらせた。
「悪用しませんよ?」
「いい活用法があるとも思えないですけど、使わないなら消してもいいでしょ」
「わかりましたよ」
代わりに、と指を立てて振り返る。
「今度、ちょっとでいいので作業画面のキャプチャログ取らせてくれません?」
「お断りします」
カラオケで歌ってよ、とマイクを向けられるよりも恥ずかしい。同業ならさらに。たぶん、彼女だってそうだろ
う。
意地の悪い質問に思わずじっとり目を向けると、ざーんねん、と節をつけて彼女は笑った。夏に向かう日差しが染められた長い髪を照らす。足元に落ちた影はいつの間にか、根を張るように力強く濃く形を映し出している。
「なんか、実はすごいちゃんと考えてるんですね、仕事のこと」
めちゃくちゃ失礼なことをさらっと言ってのけながら、武藤さんは皿の上に落ちた豆苗をかき集める。まあ、どうせ空気の読めないコミュ障と思われていたんだろう。別に間違っていないのだから、いいけれど。
「私、丸さんって、すごく繊細なペットでも飼ってるのかと思ってました」
「は?」
てっきり嫌味のひとつでも言われるかと身構えていたから、突然の暴露に思考が追い付かない。
「ほら、毎日きっちり定時で帰るし、土日出勤も極力ないように調整してるじゃないですか。目をつけられないぎりぎりまで出社しないし。これは大事な何かがおうちにいて、面倒みてるんじゃないかって」
いずれ紹介してもらおうって思ってたのに、先にネタばらしされちゃいました、と彼女はちょっと悔しそうに箸をくわえる。佑はあっけにとられていた。明るいしっかり者と思っていたけど、もしかしてこの人、ちょっと変な人かもしれない。
「うちには観葉植物もないですね」
「そうなんですねー残念」
「動物好きなんですか?」
「うーん、見てる分にはかわいいですけどね。旅行できなくなっちゃうので、一生飼わないと思います」
へえ、旅行するんだ。たしかに、バックパックひとつでアジアを横断してる姿が目に浮かぶ。
「旅行って言っても食い倒れですけどね。メインは食事です」
ぬか漬けの最後の一切れを大事そうに噛みしめる様子から分かっていたけれど、本当に食べることが好きみたいだ。思い返せば、話しかけられるのはいつも決まって昼時だった。なるほど、好きなものを目いっぱい食べるために残業してまで稼いでいる、ということなのだろうか。
木のお椀の裏っ側を向けてくーっと味噌汁を飲み干してから、武藤さんは、でもね、と笑った。
「実はもう一つあるんです、理由」
誰にも言わないでくださいよ、と前置きして、彼女は箸をおいた。
「私、偉くなりたいんですよね」
えへへーとはにかむ姿はお手伝いを褒められた子どもみたいなのに、意外と勇ましいことを言う。
「意外です」
「でしょう?」
「そんなに仕事が好きなんですか?」
「はい」
水のグラスを手に持って、年若い彼女はためらわずに頷いた。
「なんか、友達とか同期とか、みんな仕事つらい、辞めたいって子ばっかりだから言いづらいんですけど、好きなんです。自分の力で誰かに感謝されること。自分の力でなにかを完成させられること。だから、もっともっと仕事をしたい。そのためにはキャリアを積んで、実績を残したい。こんな若造が言ったって生意気なだけだから、期末面談でも話したことないんですけど」
わずかにひそめられた声に、彼女の本気を感じた。ここまではっきり仕事が好きだと公言する人を見て、驚くよりも先に感動した。
「僕には理解できませんが、でも、応援しますよ」
「ありがとうございます。仕事のできる丸さんにそう言ってもらえると、うれしい」
「仕事のできる……?」
ついぞ馴染みのない修飾語だ。
「自分の力量を見極めたうえで、きっちり仕事をこなすのも大事な能力じゃないですか」
「そういうお世辞も出世のため?」
「丸さんにお世辞言っても、なんの得もないでしょ」
あはは、と遠慮なく笑われる。それは確かに。上長からの覚えもめでたくない、どころか若干目をつけられている自覚のある自分が何を言おうと、社内人事にさざ波ひとつ立てられないだろう。
「早く成長するために、他人のいいところをいつも観察してるんですよ。丸さんは仕事が的確で、愛想はないけど納品物のクオリティは誰よりも高い。だから、懲りずに何度もお願いされるんですよ」
「はた迷惑な……」
「じゃあ手を抜けばいいじゃないですか」
そうだけど。それはちょっと、悔しいというか。ソースもマヨネーズもかつお節もかけないお好み焼きを提供する気分というか。あとちょっとの手間でぐっと良くできるなら、手を出したくなるじゃないか。
「そういうとこ、職人ですよね」
「やめてくださいよ。食べるために働いてるだけです」
「そういうことにしておきますよ」
くすくす笑った武藤さんは、スマホの時刻を見て、そろそろ戻りましょうかと立ち上がった。
「あの、ボイスレコーダーの声、消してもらえます?」
「え? ああ、天使?」
「別に脅したりしないってわかってますけど、自分の声を持たれてるってのはちょっと」
引き戸をあけながら、彼女はえー、とくちびるをとがらせた。
「悪用しませんよ?」
「いい活用法があるとも思えないですけど、使わないなら消してもいいでしょ」
「わかりましたよ」
代わりに、と指を立てて振り返る。
「今度、ちょっとでいいので作業画面のキャプチャログ取らせてくれません?」
「お断りします」
カラオケで歌ってよ、とマイクを向けられるよりも恥ずかしい。同業ならさらに。たぶん、彼女だってそうだろ
う。
意地の悪い質問に思わずじっとり目を向けると、ざーんねん、と節をつけて彼女は笑った。夏に向かう日差しが染められた長い髪を照らす。足元に落ちた影はいつの間にか、根を張るように力強く濃く形を映し出している。
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