金懐花を竜に

nwn

文字の大きさ
上 下
25 / 34
第6章

2

しおりを挟む
「ずっと考えていたんです。もう一度、やり直すことはできないかって」
 ミスミはこぶしをもう一方の手で包むようにしながら、一言一言拾い上げるように話した。
「バンリンの歴史は、人が、金懐花を介して竜と絆を結んだことから始まった。なら、それを再現できれば」
「でも、その金懐花でこんなことになったんだろ」
 エンユウは冷めた目でミスミをにらんだ。「逃げる言い訳にしてはお粗末だな」
「なら、僕に縄をかけてください」
 ミスミが両手を出したのでぎょっとした。
「おい、やりたいことがあるんじゃないのか」
「べつに僕がやらなくてもいいんです」
 ミスミは毅然として言った。
「竜士の里には、まだ金懐花がありました。本物の」
「でも、それをどうすりゃいいんだよ」
「植える」
 地面に手を置き、竜によって掘り返された土をすくう。水気を含んだ土が、ミスミの爪の間に入り込む。
「竜士は『本物』が見つからないように、けれど絶対に絶やさないように、金懐花を一株ずつ鉢植えにして、代々育ててきたと聞きます。それを野に返す。育ちやすい場所に植えて、少しずつ増やして、それで」
「ばかばかしい」
 エルが吐き捨てた。「何年、何十年かかるっていうの? その間、ずっと怯えてろって?」
「花を植えた近くに町を作ればいい。野生の龍だって近寄らないはずです」
「その間、あたしたちは引きこもって我慢して、あんたたちがのうのうと生きてるのを見過ごせって?!」
「あそこだって、楽園じゃない」
 ジーグエが口をはさんだ。
「むしろ、その反対だ」
「でも、竜に襲われることはない」
「あそこは金民に――『人に』襲われた人たちの避難場所だ」
 ぐ、とエルが口をつぐむ。
「いまの金民の状況と同じだよ。外に出れば襲われる。いたぶられる。搾取される。だから逃げて、逃げて、逃げたその先が、いまの彼らの居場所だ」
「それでも、あいつらがこんな状況の原因なんだから、当然でしょ」
「それじゃあ、彼らがいま安全なところにいるのも、もとはといえば金民が原因だ」
 マシェがこんな凶行に及んだのも、ミスミが北部基地を裏切ったのも。永遠に枝分かれする葉脈をなぞっているような気分になる。なにがいけなかったのだろう。誰が悪かったのだろう。きっと全員が少しずつ悪くって、でもたぶんそれはそれぞれの大切を優先した結果で、だからこそ虚しい。
「だから、バカだっていうんだ」
 ぐずっと鼻をすすりながら、エルはつぶやく。「誰かを押しのけるやり方なんて、きっと絶対ガタが来る。あたしたちはそう信じて、だから頑張ってたのに」
 空から降ってきた、黒と黄の花。祈るようにそっと結わえられたふたつの重みが、手のひらによみがえる。胸が痛んだ。二つの色の間で悩んできた彼女のほうがずっと先に、この状況を憂いていたことに、ようやく気づいた。奪われたのは、母親だけではなかった。彼女が願い、そのために行動してきたことすべて、無に帰してしまった。
「俺が行ってくる」
 ジーグエは手を上げた。全員の視線が集まる。

 竜士の里は閑散としていた。
 前回は降り立つ前に引き返してしまったから、足を踏み入れるのは始めてだ。最速で飛んでくれたワーゴを労い、慣れない飛竜の背から降りようとしているエルリナを手伝う。エンユウとミスミは残してきた。「人質だ」と言い放つ後輩の目が、それでも不安に揺れていたのを思い出す。
「何しに来た」
 背の高い木々に埋もれるように、ぽつぽつと立つ家々を眺めていると、背中から声を掛けられた。
「いると思ったよ」
 トーラはどこかまぶしいものを見るように目を細め、それからまぶたを下ろした。
「ここの竜たちは?」
「ほとんどが出て行った。残ってるのはほんの子どもと、もう動けない老竜だけ」
 里のなかを歩きながら訊ねる。ミスミが処刑されたあと、エイジーンを失ったトーラは隊を抜けたそうだ。そして、歩いて歩いてこの里に帰ってきた。
「竜士はどうするんだ?」
「どうもしない。ここは、龍を『竜』にする場所。必要がなくなったなら、絶えるだけ」
「金懐花は?」
 エルが割り込む。じれったさを隠しもしない。「『本物』とやらはどこにあるの? あたしたち、それを探しに来たんだ」
 トーラは目を丸くし、それからぎゅっと眉をひそめた。
「『本物』はない」
「……え?」
「全部枯れた。いや、枯らした」
「どうして!」
 思わず叫ぶ。トーラは力なく首を振る。
「みんな恐れた。『偽物』の金懐花が効力を失うなんて、信じたくなかった。だから彼らは全部枯らした。手に入れられなければ、いずれ心が『偽物』に戻ってくると考えて」
「ばかな」
 王竜の怒りを身をもって知っているジーグエには、とても信じられなかった。
 漆喰の壁に覆われた建物の前で立ち止まる。すだれを上げなかに入ると、素焼きの鉢がずらりと並んでいた。たっぷりの土は表面が乾き、触れたそばから崩れていきそうな、よく干して丁寧に裂いた麻のようなものが縮れて、力なく倒れている。
「そんな」
 エルリナがか細くうめいた。ジーグエもすっかり言葉を失っていた。
 希望は、こんなにあっさりと潰えるのか。いや、と奮い立たせる。まだだ。なんのためにここまできた。
「種は?」ジーグエは振り返った。「種ならあるだろう。それを育てればいつかまた花が咲く。そうしたら、龍とだって、もう一度」
「種はある。けど、花が咲くのは十年後」
「じゃあ、他にどこか育てているところは」気づけば詰め寄り、いくぶん低い場所にある両肩をつかんでいた。「別の里でも、陰気な変人でも、自生しているやつでもいい。何かないか、なあ、おい」
「ない」
 トーラはただそれだけを言った。この人はいつもそうだ。冗談はたまに言うけど、ウソは吐かない。慰めも配慮も前置きもなく、ただ真実だけを告げる。まるで神託みたいに。
 指から力がぬけて、前腕から二の腕、肩までが痺れたように重くなる。潰えた。これで本当に、打つ手は無くなった。エンユウは、金民は、近いうちに雲の隠れ家を見つけるだろう。安全な水場と住居は、命の次に大切だ。全面的な衝突が起きる。数えきれない人が、死ぬ。
 突風が吹いた。
 窓から吹き込んできた風は、髪を根本からかき上げ熱を攫っていく。いくつもの礫が襲ってきて、顔を伏せた。ぎゃお、とワーゴの声が聞こえる。警戒音。何事だと外に出て、絶句した。
 灰色の雲の下を、何頭もの飛龍が飛んでいく。流星群のように、同じ方向を目指して。ふいに背後から足音が聞こえ、あわてて建物のなかに戻った。窓から外をうかがうと、茂みから駆龍の群れが飛び出してくる。先頭を走るのは、ジーグエの背を優に二倍は超えるだろう立派な龍で、身を固くしたジーグエたちには目もくれず、飛龍と同じ方向へと駆け抜けていった。
「なんだ……?」
 経験したことのない、とてつもなく悪い予感に襲われる。トーラに頼んで、高台に案内をしてもらった。通り過ぎる建物の窓から、何人もの竜士が、同じように不安げな様子で空を見上げている。
 飛竜の訓練につかうという離陸場からは、その異形がよくよく見えた。
「なに、あれ」
 エルリナの声は震えていた。視線の先、中央基地の方角に、黒い塊がうごめいている。
 春先に見かける、羽虫の塊みたいだ。同じ場所を何匹もの個体が回り続け、まるで一つの大きな繭を作るかのような姿。違うのは、あそこでうごめく一粒一粒が羽虫ではなく、龍だということ。
「カクリンだ」
「え?」
 トーラは呆然と、けれど異様な光景から視線をそらさずにつぶやいた。
「拡鱗。龍が群れを大きくすること」
「大きくって」
 あれ以上?
 よくよく目を凝らすと、中央にひと際巨大な影がある。おそらく、王龍。あれは、首都を中心に、全国土の竜団の頂点にいた竜だ。
 それをさらに大きくだって?
「あの龍は、金懐花を持ってる」
「ミスミが渡したやつか? でも、あれだってすぐに枯れるんじゃ」
「龍から離れなければ、金懐花は枯れない」
 トーラは首を振った。
「だから龍は、金懐花のあるところに巣を作り、そこから長くは離れられなかった。その世話を代行したのが人間で、そのおかげで彼らは枷を解きより広く動けるようになった」
 人は花の世話係ってわけか。風はますます強くなり、びょうびょうと緩急をつけて吹く様は、まるで見えない巨大な龍が耳元で唸っているかのようだ。
『本物』の金懐花を持った、この国で一番でかい龍が、群れを大きくしようとしている。
「それって、めちゃくちゃヤバいんじゃないのか」
 トーラがうめいた。「危険だ。とても。そもそも、龍はなわばりに入らなければ人を襲わない。人はそれなりに身体が大きくて、なのに骨ばかりで、そのうえ知能を使うから。なのに、最近の彼らはなわばりを超えてわざわざ人を襲いに来る」
 長が命じているからだ、とトーラは言った。
「王竜。あの子が、人を憎んでいるから、みんなそれに反応している」
「じゃあ群れがでかくなったら」
 視線が合った。なにより竜を愛していた元隊長は、すべての感情を排した目で首を振った。
「この国の地上に、人の住めるところはなくなる」
 言い換えれば、ここは龍の楽園になる。あの王子は喜びそうだ。
 ミスミは。
 ミスミは、あの竜狂いはどうだろうか。竜と人とのゆがんだ関係を正したいと願ったあの男なら。
 なあ、どうする?
「帰る」
 ずっと黙っていたエルリナが、踵を返した。すたすた歩いて行ってしまう。
「おい、どこ行くんだ」
「だから、帰るの。飛竜出して。ここにいたって、もう何もならない」
「まあそうだけど」
「なら、さっさと帰って、母さんを安全な場所に運ばなきゃ。一刻も早く」
 年若いくせに、いやだからこそ、立ち直りが早い。もっとも、安全な場所というのは地下のことで、それを言うなら帰りたくないが、返さないわけにも行かない。
「帰るなら、急いだほうがいい」
 早足で歩きながら、トーラも賛成した。「いまはまだ言うことを聞いてくれている竜も、あの群れが完成したら離れていく可能性が高い。ワーゴは竜になってすぐカラリナが引き取って、大事に育てた竜だ。だからまだ人の言うことを聞いてくれているけど、金懐花を持ったあの竜がこの地の頂点になれば、もう――」
 トーラは不自然に言葉を切った。ぴたりを足も止めて考え込む。「ねえ、早くしてよ!」エルリナの叱咤にも動じない。
「おい、隊長?」
「……ジーグエ」
 トーラは顔をあげた。まるで星を一粒落としたかのような光が、その目にはあった。
「もしかしたら、まだ手はあるかもしれない」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

大魔法使いに生まれ変わったので森に引きこもります

かとらり。
BL
 前世でやっていたRPGの中ボスの大魔法使いに生まれ変わった僕。  勇者に倒されるのは嫌なので、大人しくアイテムを渡して帰ってもらい、塔に引きこもってセカンドライフを楽しむことにした。  風の噂で勇者が魔王を倒したことを聞いて安心していたら、森の中に小さな男の子が転がり込んでくる。  どうやらその子どもは勇者の子供らしく…

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

転生先のぽっちゃり王子はただいま謹慎中につき各位ご配慮ねがいます!

梅村香子
BL
バカ王子の名をほしいままにしていたロベルティア王国のぽっちゃり王子テオドール。 あまりのわがままぶりに父王にとうとう激怒され、城の裏手にある館で謹慎していたある日。 突然、全く違う世界の日本人の記憶が自身の中に現れてしまった。 何が何だか分からないけど、どうやらそれは前世の自分の記憶のようで……? 人格も二人分が混ざり合い、不思議な現象に戸惑うも、一つだけ確かなことがある。 僕って最低最悪な王子じゃん!? このままだと、破滅的未来しか残ってないし! 心を入れ替えてダイエットに勉強にと忙しい王子に、何やらきな臭い陰謀の影が見えはじめ――!? これはもう、謹慎前にののしりまくって拒絶した専属護衛騎士に守ってもらうしかないじゃない!? 前世の記憶がよみがえった横暴王子の危機一髪な人生やりなおしストーリー! 騎士×王子の王道カップリングでお送りします。 第9回BL小説大賞の奨励賞をいただきました。 本当にありがとうございます!! ※本作に20歳未満の飲酒シーンが含まれます。作中の世界では飲酒可能年齢であるという設定で描写しております。実際の20歳未満による飲酒を推奨・容認する意図は全くありません。

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

鮮明な月

BL
鮮明な月のようなあの人のことを、幼い頃からひたすらに思い続けていた。叶わないと知りながら、それでもただひたすらに密やかに思い続ける源川仁聖。叶わないのは当然だ、鮮明な月のようなあの人は、自分と同じ男性なのだから。 彼を思いながら、他の人間で代用し続ける矛盾に耐えきれなくなっていく。そんな時ふと鮮明な月のような彼に、手が届きそうな気がした。 第九章以降は鮮明な月の後日談 月のような彼に源川仁聖の手が届いてからの物語。 基本的にはエッチ多目だと思われます。 読む際にはご注意下さい。第九章以降は主人公達以外の他キャラ主体が元気なため誰が主人公やねんなところもあります。すみません。

異世界で出会った王子様は狼(物理)でした。

ヤマ
BL
◽︎あらすじ:地味でモブ街道まっしぐらの数学オタクで教師の立花俊は、ある日目が覚めるとファンタジー乙女ゲームの攻略対象に転生していた。  だがヒロインは不在。なぜか俊が代わりに王子達からの度重なる壁ドンと、呪文のような口説き文句に追い回されることに。  しかも異世界転生で一番大事なチートもない!生き残りをかけ元隣国王子クレイグのもとを訪れるも、彼の態度はつれない。だが満月の夜、狼に変身していたクレイグの正体を見抜いたせいで彼は人間に戻り、理性を失った彼に押し倒されてしまう。クレイグが呪われた人狼であると聞いた俊は、今後も発情期に「発散」する手伝いをすると提案する。 人狼の元王子(ハイスペック誠実童貞)×数学オタクの数学教師(童貞) 初投稿です。よろしくお願いします。 ※脇キャラにNL要素あり(R18なし)。 ※R18は中盤以降です。獣姦はありません。 ※ムーンライトノベルズ様へも投稿しています。

処理中です...