金懐花を竜に

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第2章

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「いや、あれはない」
 ばっさりと切って捨てたエルリナは不機嫌そうに頬杖をつき、湯気の立つ花茶に口をつけた。
「なんで。事実だろ?」
「ジーグエさん、自分のこと何歳だと思ってんの?」
「三十四だけど」
「それでよく十八の男と張り合おうとしたね」
「酒と男は年月の深い方がいいって言うじゃないか」
「聞いたことないけど」
 はあ、とため息をついたエルリナは、水から上がったようにとろんとしたまぶたをしている。いろいろなことがあって疲れたのだろう。最後に会ったのが三年前、たしか十三のときだったから、いまは十六くらいか。見違えるほど美しく成長した彼女の顔だちは、母親――カラリナに驚くほど似ている。
 町でたまたま声を掛けられてついていっただけ、と主張する彼女をあの場から連れ出して、近くの食堂にひっぱり込んだ。夜までの休憩時間にやってきた客に店主は嫌な顔をしたものの、竜団章をちらつかせつついくばくかの金をにぎらせると、黙って店内を使わせてくれた。
「何に誘われたんだ?」
「んー? なんか、あたしに協力してほしい仕事がどうとかって。まだちゃんと聞いてないからよくわかんない」
「わかんないのについていったのか?」
「だって、ヒマだったんだもん。家帰りたくないし」
 おや? と思う。このあいだ、カラリナは服を買いに行くとか言っていたが、あれはウソか。不機嫌そうにつんと横を向く彼女の機嫌をとろうと、ジーグエは声を明るくする。
「それにしても見違えたな。今年の入隊試験うけるのか?」
 ぴく、と細い指が震える。
「なんで?」
「え? だって今年から受けられるだろ? 十六だし。昔うちに来たとき、言ってたじゃないか。『母さんみたいな飛竜隊員になるんだ』って――」
「無理でしょ」
 吐き捨てるように否定する。「だってあたし、アラレだよ?」
「募集要項に人種の制限なんてないだろう。まだ少ないけど、雲民だってアラレの子だって入隊してる」
「そんなの」
 は、とあざけるように笑ってから、「いや、違うな」とエルリナは頭を振った。
「募集とか、何人いるとか、どうでもいいの。母さんが許してくれなきゃ、どうしようもないし」
「――カラリナが?」
「そうだよ」
 両手でカップを包み、薄黄色の液面を見つめながらエルリナはつぶやく。
「あんなにうれしいって言ってたのに、いざあたしが入隊試験に応募するって言ったら、途端に『あんたには無理だ』ってさ」
「……本当に?」
 一度だけ、カラリナが娘を職場に連れてきたことがある。どうしても預け先が見つからなかったというその日、彼女は、竜を恐れず好奇心いっぱいに隊内を駆け回る娘のあとを追いかけながら、「この子は将来、あたしと一緒に空を飛ぶから」とうれしそうにしていたのに。
 あのときのカラリナの笑顔と、娘の夢を否定する姿がどうしても結びつかなくて、おもわず軽薄さを消し訊ねてしまう。エルリナは、相手の爪をゆっくり剥がすような笑みを浮かべた。
「あたし、母さんに似てないでしょ」
「そんなこと」
「髪の色も、肌の色も、背格好も、何もかも、雲だった父さんそっくりなんだって。不器用でどんくさかった父さんに」
 まっすぐ筆をすべらせたような黒髪に指を巻きつけながら話す。たしかにカラリナの、光を溶かし込んだような金髪とは似ても似つかない。
「だから無理っていうの。いじめられて、潰されるのがオチだって」
 勝手だよね、と吐き捨てる。
「いまさら『アラレの子って差別されるから』なんて言って遠ざけようとするなら、そもそも産まなきゃよかったじゃん」
「エルリナ」
「ま、別にいいけどね。あたし、竜とか嫌いだし」
 からっぽになったカップを手放し立ち上がる。
「あの人たちはね、『アラレの』あたしが必要だって言ってくれたの。金民にも雲民にもなれないあたしに手伝ってほしいって。だから話をきこうと思ったの」
 外套のフードを被って、「次は声かけなくていいから」とエルリナは出て行った。

 雲民は「竜を裏切った一族」なのだという。
 遥か昔、この地に最初に住んでいたのは雲民だった。彼らは同じくこの土地に住む竜たちと力を合わせて生きていたが、あるとき彼らを支配しようと企み始めた。この地特有の花、金懐花をすべて刈りつくし、人間だけが管理できるようにしようと考えたのだ。
 激高した竜は暴れ、この国は一度、荒地となった。そこにやってきたのが『金』の民で、彼らはもともと持っていた高い農耕技術で少しずつ荒地を開拓し、人と竜がともに暮らせる国を作った。金懐花を復活させ、雲の民には技術を教え、そうしていつしかこの地の主人は竜と金民となり、雲民は彼らを支える立場となった。
 食堂を出ると、辺りはもう夕暮れ色に染まっていた。高い空を荷船がゆったりと通り過ぎ、濃い影が石畳の上をすべるように移動していく。
 帰路を急ぐ人、待ち切れず夜遊びに繰り出す人、彼らを呼び込む気の早い店主、合間を駆け巡る基礎学校帰りの子どもたち。みな金色の髪をしていて、黒髪の者は一人もいない。中央ならまた様相は変わるが、この北の果てでは、雲民やその血を濃く引くアラレの子たちは、フードを被って過ごしている。『雲民はその頭髪が隠れるよう、フードを被るべし』という決まりはジーグエが子どものころに撤廃されたけれど、人々は見えない巨人の手を恐れるように、にぎったフードを手放さない。
 平穏無事に生きるうえで、それが一番賢いと知っているからだ。
「ちょっとお兄さん、どっかの使い? ひやかしなら出てってくれるかい」
 ほら、あんな風にもめなくて済むわけだし。
「ああすみません、この薬草、ずいぶんと質がよさそうなんでつい」
「そりゃそうさ、南でこのまえ採れたばかりの新鮮なもんだからね。行商でしか扱えない逸品よ。下痢や悪心によく効いて、泳竜の食欲不振だって一発で治るってお墨付きだからね」
「それはすばらしい。泳竜は他の竜と食性が大きくちがうから、切れ味のいい消化器薬がなくて困ってたんです。これください」
「ほお、使いっぱしりのくせによく知っとるね。売るのは構わんが、注文書はあるのかい?」
 ミスミがぴたっと動きを止める。自分がどこかの召使いだと勘違いされていることに、ようやく気付いたらしい。遅いわ。
「あ、えっと僕は――」
「ご主人からの注文書がないなら売れないね。こっちも商売なんだからさ、あんたの独断で買って、あとから要らなかったって支払われないんじゃ困るんだよ」
「はい、わかってます。なんで請求書をこっちに送ってもらう形で」
「いやだから、それで未払いになったら困るって――」
「失礼」
 不毛なやりとりに嫌気がさして、気づけば割り込んでいた。首を反らしてこちらを向いたミスミの肩をぐっとつかみ、外套を脱ぐように促す。
「なんだね、あんた」
 険を含んだ視線に「こいつの同僚だよ」と答えながら、服の下に首から下げていた徽章を引っ張り出す。
「飛竜隊北部第四部隊のジーグエだ。きょうは非番で、隊服じゃなくて悪いけど、この徽章で分かるだろう。そんでついでに、こいつはうちの竜医だ」
「は?」
「北部基地の竜医ミスミと申します。請求は経理課までお願いできますか?」
 外套を脱ぎ、隊服の姿になったミスミに、店主は今度こそ言葉を失った。

「町に出るときは隊の外套着てけって、何度も言われてるだろ」
 無事手に入れた薬草を大事そうに懐にしまっている竜医を叱ると、ミスミは首を縮こめた。
「そろそろみんな僕の顔覚えてくれたかと、油断していました」
「そりゃ、いつもここで店出してる輩は覚えただろうけど、行商人は無理だろ」
「いやあ、たまたまあなたが通りがかってくれてよかった」
「あのなあ」
「それでどうしたんですか? きょうは非番なんでしょ」
「あからさまに話を逸らすな」
 そのとき突然、左の建物の扉が開いて、「旦那様!」と悲鳴が聞こえた。
「お待ちください、どうか、お考え直し下さい!」
 無視して通りを歩き始めようとする男の足元に追いすがった雲の女性は、顔を真っ青にして頭を伏せた。「母は持病があります。到底、あちらでの仕事など務まりませんし、このままでは死んでしまいます」
「気持ちはわかるけど」金民の男は気まずそうに頬を掻く。「うちだって裕福じゃないんだよ。満足に働けない雲を抱える余裕はないの」
「でしたら、私も」
「きみに出て行かれちゃそれこそ困る」慌てて男は肩を掴む。「一番の経験者なんだから。ああ、勝手に抜けようなんて思わないでね。もう所属一覧は回してあるから、うち以外はどこも雇ってくれないよ」
 呆然とする彼女を立たせ、男はほとんど連れ去るように足早にその場を去っていった。二人の背中を苦々しい気持ちで見つめる。おもしろくもない光景だが、よくあることでもあった。
「行きましょう」
 促すミスミの顔に動揺はなかった。こいつはどう思っているんだろうな。聞きたいような気もしたが、さすがに立ち入りすぎだと思い、飲み込む。
 雲民は基本的に金民の持ち物なので、職業を選ぶ権利も、給金を所持する権利もない。売られた先で働いて、代わりに雇い主に生活を保障してもらう。だから軍に所属する雲民出の武官は皆、金民の養子だった。
 たださえ少ない「雲の兵士」のみならず、今年は「雲の竜医」が入隊するというウワサは、当時、暴風のように隊内を駆け巡っていた。入隊直後から、それは多くの好奇心旺盛な若人たちが、ミスミのもとに群がったのは無理もない。
 ジーグエはその輪に入らなかったが、リリューシェを通して関わるようになってからは、たまに視線で追いかけるようになった。すれ違いざまに小突かれるとか、物を隠されるとか、ささいな嫌がらせはキリがないので目をつぶっていたけれど、さすがに物陰に連れ込まれそうになっていた時には、それとなく助けたこともある。
 そしておそらく嫌がらせは、役職がつく歳になろうかといういまでも、なくなってはいない。
「おまえ、なんで団の竜医になったんだよ」
 官舎への道を並んで歩きながら、ジーグエは訊ねた。いまさら? とでもいうようにミスミは首を傾げ、「学費免除制度があったからです」と端的に答えた。
「後継人は偉いところの夫妻だったろ? 別に金なんて気にしなくてよかったんじゃないか」
「よく知ってますね」
 当然だ。あの頃は、こいつの生い立ちから眉唾ものの与太話まで、興味のないジーグエの耳にも入るくらいウワサ話でもちきりだった。
「たしかに、養父母は金のことなんて考えなくていいと言ってくれましたが、一養子にそこまで負担を掛けてもらうわけにもいかないでしょう」
 竜医となるための道は険しい。基礎学校を卒業し、専門の教育機関に通いながら、現役の竜医に師事するのが一般的だが、学費も師事代もバカにならない。医術道具や薬品だってすべて学生の自腹で購入となるし、診療所を構えるのであれば、建物や人手だって自分で用意しなければならない。
「けれど、団の竜医になれば服や物品は支給されますし。既定の年数勤めれば、学費もタダで済みますから」
「既定の年数って何年なんだ?」
「十年でしたかね」
「じゃあもう終わってるじゃん」
「まあ、そうなんですけど。一般の診療所で雇ってくれるかもわかりませんし。それに、結構気に入っているんですよ、この仕事」
 町から隊の官舎までは林を抜けなければならない。西門の手前でランプを借り、足元を照らしながら歩く。ときおり風が吹き、梢がさざめく。夜行性の動物のひそめた息をちっぽけな明かりで押し返しながら、二人は進んだ。
「年中呼び出されて、そのくせ給金は小竜の涙で、定期的に血迷った輩に襲われかけてもか?」
「最後のは、さすがにもうだいぶ減りましたけどね」
 歳を取るのも悪くない、とうそぶいてミスミは空を見上げた。月の明るい夜だった。ときおり視界を横切る小さな黒い影は、夜竜だろう。
「いい人生だと思ってますよ。雲の生まれにも関わらず、こんなに竜に近いところで生きられる。何ひとつ問題がないとまでは言いませんけど、まあ悪くはないんじゃないかな」
 こいつがもっと、鼻持ちならないやつだったらよかったのに。
 ジーグエは思わずランプの持ち手をにぎりしめた。自らの生まれを嘆き、悪意ばかり向けてくる周囲を憎み、いつか復讐をたくらむくらい、単純に純粋に無意識に、少しくらい不幸な自分に酔ってるやつだったらよかったのに。そうしたら自分はこんな苛立ちを抱えることもなく、こいつと寝ることもなかったかもしれない。
 竜に興奮するなんて、めちゃくちゃなウソもあったものだ。本当はあのとき、興奮剤か何かを盛られたんだろう。それをまあ、とんちんかんな言い訳で隠し通せるとでも本気で思っているのか。医者というからには賢いはずなのに、この男はこと自分ごとに関しては途端にバカになる。
 それを指摘し、怒ることは、けれど自分の役割じゃないと思った。自分とこいつはたまに夜を共にするだけの知り合いで、友人ですらない。
 夜間警備の門兵に身分証を突きつけ、官舎と竜舎の分かれ道でミスミが振り返った。
「寄っていきますか?」
「……いいや、やめとく」
「そうですか」
 ホッとした様子も、かといって残念そうな様子も見せず、ミスミは「ではおやすみなさい」と言って自分の居場所に戻っていった。その態度が、また不愉快だった。あーあ。自分の思い通りになって、不快になるなんて救えない。寝て忘れようと、ジーグエは足早に自室へ向かった。
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