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※25.陽、乞う
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わかっている。自分のミスだ。
俺が、須永に時間を割かなかったから。
もっと寄り添ってやらなかったから。
だから須永はいなくなって、ミスが起きて、沙苗さんが辞めさせられる。必要としてもらえてうれしいの、とほほ笑んでいた彼女のことを考えると、しぼられるように胸が痛い。
眠りたかった。憂いも迷いも後悔も全部忘れて、濃い水飴みたいな眠りの底で、何も考えずに休みたかった。
同じくらい、怖かった。そんなこと、できるわけがない。だって、それは逃げでしかない。
逃げて、逃げて、眠りに逃げて、手ひどい罰を受けた。
だからもう、それはしないと決めたはずなのに。
ことりとカップが置かれる。
「眠るのがこわいですか?」
耳を疑った。
「……なんで?」
言い当てられてぼうぜんとする陽の頬に沿うように、大きな手があてられた。親指でそっと目の下をなぞられる。あたたかな飲み物を飲んだはずなのに、ひどくつめたい。
「同じことを言っていた人を知っているので」
「……ひょっとして、お母さん?」
夫を亡くし、心労で不眠となり、あとを追うように亡くなったと聞いた。
水岡はしずかな目で陽を見たまま、頷く代わりに手を動かす。頬から耳元へ移動して、耳介の形を確かめるように触ったあと、ゆっくりと髪を撫でる。その手が、かすかにふるえていることに陽は気づいた。
ああ、この人も怖いのだ。眠れない人を見ることが、その人を救えないことが。救えないまま、夜に消えてしまうことが。
「怖い」
ほろりと、意識もなく言葉はもれた。小さな亀裂が水圧に押されて広がっていくみたいに、一度話し出すともうダメだった。
「高校のとき、学校サボってずっと寝てた。いまは、起立性調節障害っていうんだっけ?あんな感じで、本当に眠くて」
だからどれだけ母親に叱られてもずっとベッドのなかで眠ってた。
親もあきらめが悪くて、仕事先から二時間おきに電話かけてくるから、携帯の電源も切って。家の電話のコードも抜いて眠っていた。
「起きたら夕方とか夜とかも珍しくなくって、そんであるとき、起きたら母さん死んでた。仕事先で倒れて、そのまま」
窓の外がいやに暗くって、携帯の電源をつけたらとっくにパートから帰ってくる時間だった。
おかしい、と思う間もなく、溜まっていたメールや不在着信の記録が大量に届いて、父からのメールで事態に気づいた。
「父さんは海外出張ですぐには帰ってこられなくって、うちには電話も来なかった。だって俺が全部殺してたから。母さんが死んだとき、俺、のんきに寝てたんだ」
眠るのがこわい。
次の日に響くってわかってるのに眠れないことがこわい。
眠って、起きて、またつらい現実を見なくちゃいけないことがこわい。
なにより、眠ってるときに、なにか取り返しのつかないことが起きるのが、こわい。
布団のなかで目を閉じる瞬間が、本当に嫌いだった。だから、忙しい仕事に就いた。
寝る間もなく働いて、気絶するように布団に倒れる毎日は、身体的にはきつかったけれど、心はとても楽だった。多忙と深酒で夜を駆け抜ける毎日は、陽にとっては天国だった。
眠りに逃げて、眠りからも逃げて。どっちにしても現実はうまく回らなくって、もうどうしたらいいのかわからない。スイッチを切ってほしかった。そんなものなどないなら、断線させてもいいから眠らせてほしかった。
眠りたい。
眠りたい。
逃げたい。
どこでもいいから。だれでもいいから。
「眠らせて」
後頭部を撫でていた手首をつかむ。つかんだのは陽だったはずなのに、いつの間にかつかまれていたのは陽の方で、強い力で引っ張られる。
暗い廊下を電気もつけずに進むから、壁や柱で肘やら膝やらがんがん打った。痛みを感じる隙を与えないほど強引な力に逆らわず、暗いベッドの上に投げ出される。
反射的につむった目を開けると、大きな影が覆いかぶさってきた。
水岡が、硬い手のひらで陽を触る。
顔。首筋。肩。二の腕。わき腹。ヘソ。背中。腰。腿の付け根。
服の上からでもわかるほど熱くなった手で、輪郭をなぞるように撫でられるとそれだけで心臓が苦しくなる。もっと早く何も考えられなくなりたくて、祈るようにねだるように、陽は手をのばし水岡の頭を引き寄せる。
少しでも嫌がるなら、すぐにやめようと思っていた。
だから、何の抵抗もなく降ってきたくちびるに、ときめくよりも驚いた。
鼻筋、頬骨の下ときて、ようやくくちびるに行きつく。
やっぱり見えないんだ。
別に疑っていたわけじゃないが、たとえば爪を切っている姿のような、ひどくプライベートな瞬間を垣間見てしまったような気分になる。
うわくちびるを吸うように数回ついばまれて、つい口を開けると、舌をさし込まれた。顔を傾け深く深く口内を探られて、思わず首の後ろに爪を立てる。
水岡の動きにためらいは一切なくって、陽はそれがうれしかった。パジャマ代わりのカットソーの裾からいつのまにか侵入していた指先に、胸の頂をくるりとなぞられて腰が浮く。
もっともっと、何も分からなくしてほしい。
俺が、須永に時間を割かなかったから。
もっと寄り添ってやらなかったから。
だから須永はいなくなって、ミスが起きて、沙苗さんが辞めさせられる。必要としてもらえてうれしいの、とほほ笑んでいた彼女のことを考えると、しぼられるように胸が痛い。
眠りたかった。憂いも迷いも後悔も全部忘れて、濃い水飴みたいな眠りの底で、何も考えずに休みたかった。
同じくらい、怖かった。そんなこと、できるわけがない。だって、それは逃げでしかない。
逃げて、逃げて、眠りに逃げて、手ひどい罰を受けた。
だからもう、それはしないと決めたはずなのに。
ことりとカップが置かれる。
「眠るのがこわいですか?」
耳を疑った。
「……なんで?」
言い当てられてぼうぜんとする陽の頬に沿うように、大きな手があてられた。親指でそっと目の下をなぞられる。あたたかな飲み物を飲んだはずなのに、ひどくつめたい。
「同じことを言っていた人を知っているので」
「……ひょっとして、お母さん?」
夫を亡くし、心労で不眠となり、あとを追うように亡くなったと聞いた。
水岡はしずかな目で陽を見たまま、頷く代わりに手を動かす。頬から耳元へ移動して、耳介の形を確かめるように触ったあと、ゆっくりと髪を撫でる。その手が、かすかにふるえていることに陽は気づいた。
ああ、この人も怖いのだ。眠れない人を見ることが、その人を救えないことが。救えないまま、夜に消えてしまうことが。
「怖い」
ほろりと、意識もなく言葉はもれた。小さな亀裂が水圧に押されて広がっていくみたいに、一度話し出すともうダメだった。
「高校のとき、学校サボってずっと寝てた。いまは、起立性調節障害っていうんだっけ?あんな感じで、本当に眠くて」
だからどれだけ母親に叱られてもずっとベッドのなかで眠ってた。
親もあきらめが悪くて、仕事先から二時間おきに電話かけてくるから、携帯の電源も切って。家の電話のコードも抜いて眠っていた。
「起きたら夕方とか夜とかも珍しくなくって、そんであるとき、起きたら母さん死んでた。仕事先で倒れて、そのまま」
窓の外がいやに暗くって、携帯の電源をつけたらとっくにパートから帰ってくる時間だった。
おかしい、と思う間もなく、溜まっていたメールや不在着信の記録が大量に届いて、父からのメールで事態に気づいた。
「父さんは海外出張ですぐには帰ってこられなくって、うちには電話も来なかった。だって俺が全部殺してたから。母さんが死んだとき、俺、のんきに寝てたんだ」
眠るのがこわい。
次の日に響くってわかってるのに眠れないことがこわい。
眠って、起きて、またつらい現実を見なくちゃいけないことがこわい。
なにより、眠ってるときに、なにか取り返しのつかないことが起きるのが、こわい。
布団のなかで目を閉じる瞬間が、本当に嫌いだった。だから、忙しい仕事に就いた。
寝る間もなく働いて、気絶するように布団に倒れる毎日は、身体的にはきつかったけれど、心はとても楽だった。多忙と深酒で夜を駆け抜ける毎日は、陽にとっては天国だった。
眠りに逃げて、眠りからも逃げて。どっちにしても現実はうまく回らなくって、もうどうしたらいいのかわからない。スイッチを切ってほしかった。そんなものなどないなら、断線させてもいいから眠らせてほしかった。
眠りたい。
眠りたい。
逃げたい。
どこでもいいから。だれでもいいから。
「眠らせて」
後頭部を撫でていた手首をつかむ。つかんだのは陽だったはずなのに、いつの間にかつかまれていたのは陽の方で、強い力で引っ張られる。
暗い廊下を電気もつけずに進むから、壁や柱で肘やら膝やらがんがん打った。痛みを感じる隙を与えないほど強引な力に逆らわず、暗いベッドの上に投げ出される。
反射的につむった目を開けると、大きな影が覆いかぶさってきた。
水岡が、硬い手のひらで陽を触る。
顔。首筋。肩。二の腕。わき腹。ヘソ。背中。腰。腿の付け根。
服の上からでもわかるほど熱くなった手で、輪郭をなぞるように撫でられるとそれだけで心臓が苦しくなる。もっと早く何も考えられなくなりたくて、祈るようにねだるように、陽は手をのばし水岡の頭を引き寄せる。
少しでも嫌がるなら、すぐにやめようと思っていた。
だから、何の抵抗もなく降ってきたくちびるに、ときめくよりも驚いた。
鼻筋、頬骨の下ときて、ようやくくちびるに行きつく。
やっぱり見えないんだ。
別に疑っていたわけじゃないが、たとえば爪を切っている姿のような、ひどくプライベートな瞬間を垣間見てしまったような気分になる。
うわくちびるを吸うように数回ついばまれて、つい口を開けると、舌をさし込まれた。顔を傾け深く深く口内を探られて、思わず首の後ろに爪を立てる。
水岡の動きにためらいは一切なくって、陽はそれがうれしかった。パジャマ代わりのカットソーの裾からいつのまにか侵入していた指先に、胸の頂をくるりとなぞられて腰が浮く。
もっともっと、何も分からなくしてほしい。
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