24 / 38
24.陽、飲み込み損ねる
しおりを挟む
まじで?
半信半疑で口をつける。ふわっと香る草木のにおいが、鼻と口に広がった。けどよく味わうと、苦みも甘みもほとんどない。
なるほど、においと味と見た目を切り分けたらよかったのだ。
好きかと問われたら首を傾げざるを得ないけれど、こんなもんか、と思えば腑に落ちた。なんだ、もっと早く知りたかった。
「小さい頃、ひどい花粉症でさ」
ひとくち、ふたくちと飲みながら陽は話す。ふー、と息をふくと、ちいさな水面にさざ波が立つ。
「もうほんと、薬飲んでも何しても三月四月は顔ぐっちゃぐちゃで。鼻の粘膜も弱ってしょっちゅう鼻血ふいてた。そしたら、母さんが甜茶っての買ってきて」
これ飲んだら症状軽くなるらしいから飲みなさい。そう言って、夕食後、毎日のように飲まされた。
「漢方だかなんだかしらないけど、テレビでやってたらしくて。でもそれが、すんごいまずいの。見た目とかほうじ茶なんだけど、変に甘いし。小さい頃って、今よりずっと味に敏感でしょ。それで、毎日ケンカしながら飲まされたのがトラウマ」
「あれは、独特な味ですよね」
「飲んだことあるんだ」
「おれも軽い花粉症で、そしたらお手伝いのひとが淹れてくれました」
お手伝いのひと、というセレブな単語と花粉症という庶民的な単語が似合わない。
「同じ番組見たのかな」
「あのころって、みんな同じ番組見てた気がします」
放送の翌日に取り上げられた商品が棚から姿を消す、なんてのも珍しくなかった。きっと同じようなことが、全国の家庭で起きてたんだろう。
それでも彼と共通する話題がうれしかった。さっきまでの苛立ちも忘れ、陽は身を乗り出す。
「ずっと気になってたんだけど、もしかして同い歳? 俺二十八」
「二歳下です。二十六」
「え、うっそ」
「なんですか」
「タメか年上だと思ってた。あ、だからずっと敬語?」
「まあ一応。おれは安心しました。歳って、実年齢がすべてじゃないですね」
どういう意味だ。
軽くにらんでみたけれど、パンパンに張った浮き輪みたいにつるつるはじいてしまってまったく効果がない。
だから、陽はにらむフリをして、カップを包む骨ばった手を見ていた。マグカップのやわらかい曲面に沿う大きな手の甲には、削り出したような筋が張り出ている。
「甜茶は効いたんですか?」
「え? ああ、うん。思い込みかもしれないけど」
寝る前の鼻づまりが改善したような感じはした。だから、嫌々ながらも飲み続けたのだ。幸い大きくなるにつれて症状は改善し、今はシーズン中に薬をもらうだけで十分問題なく生活できる。
「そうですか。お母さんも報われますね」
「そうだねえ」
常に補充されるストック、食事終わりに必ず用意されている熱湯。
夏場、水出しの麦茶すら作らなくなったいまなら、どれだけの愛情をかけてもらっていたのかよくわかる。その手間に報いる効果を、俺は出せたんだろうか。
彼女は、満足していただろうか。
ひと口、飲み込む。煮だし過ぎたわけでもないのに、やたらと苦く感じる。
半分以下に減ったハーブティーを、どうしても飲むことができなかった。ゆらゆら揺れる液面を見つめていると、
「無理しなくていいですよ」と言われる。
「いや、無理ってわけじゃないんだけど」
言葉をにごす。本当に無理じゃなかった。けど、飲み干したくなかった。
だって、なくなってしまえば、寝なくてはならない。
「カップ置いといてください。俺、洗っとくんで」
だから陽はそう申し出た。水岡のカップはもうすっかり底が見えている。
「でも」
「いいんです。俺、もう少し起きてようと思うので」
「まだ仕事する気ですか」
ぐっと低くなった声を聞き流す。目を合わせられなかった。
「ちょっといま、立て込んでて」
「そんなこと言われなくてもわかります。目の下真っ黒だし」
「なら」
「だからこそ、寝たほうがいいです。絶対に効率が悪い。集中できなくって時間がかかって、睡眠時間が減るってループに入ってるんじゃないですか?」
図星だった。けど、どうしろっていうんだ。温かな心遣いも気持ちをほぐす香りも、陽のスイッチを切ってくれる気配はなかった。すっかり冷めたカップは、死んだようにつめたい。
「わかってる」
「なら、さっさと飲んで寝てください」
「あのさ」ふいにバカバカしくなって、陽は顔をあげる。
「俺が寝不足でぽんこつになって、それって水岡さんに何か関係ある?」
「ありますよ」
水岡はきっぱりと断言した。
「おれも関わったプロジェクトです。失敗なんかされたら困る」
「別に水岡さんに迷惑なんてかけないよ」
「わからないでしょう」
「……なにかあったら、俺が全部責任取るから」
眉間を揉みながら吐き捨てる。頭痛がする。きりきりとこめかみを差し込むような痛みに、眉根が寄る。腹の奥から立ち上る、草花の風味がひどく気に障る。
「あなたひとりで背負える責任なんてたかが知れてる」
「じゃあなに。違約金が欲しいの? それとも、土下座でもしたらいいって?」
「そうじゃない」
じれったそうに水岡は指で机を叩いた。爪のたてるコツコツという音が頭に響く。
「ともかく、俺は失敗しないためにできることは全部やりたい。それを他人にとやかく言われる筋合いはない」
「わからないひとだな」
「あんたに言われたくない」
「全部やりたいって、できてないでしょう、その状態じゃ。理解ができない。半分寝てるような状態で仕事をしたって、それはもう仕事にならない。結局ミスするのがオチで――」
「わかってるよ!」
半信半疑で口をつける。ふわっと香る草木のにおいが、鼻と口に広がった。けどよく味わうと、苦みも甘みもほとんどない。
なるほど、においと味と見た目を切り分けたらよかったのだ。
好きかと問われたら首を傾げざるを得ないけれど、こんなもんか、と思えば腑に落ちた。なんだ、もっと早く知りたかった。
「小さい頃、ひどい花粉症でさ」
ひとくち、ふたくちと飲みながら陽は話す。ふー、と息をふくと、ちいさな水面にさざ波が立つ。
「もうほんと、薬飲んでも何しても三月四月は顔ぐっちゃぐちゃで。鼻の粘膜も弱ってしょっちゅう鼻血ふいてた。そしたら、母さんが甜茶っての買ってきて」
これ飲んだら症状軽くなるらしいから飲みなさい。そう言って、夕食後、毎日のように飲まされた。
「漢方だかなんだかしらないけど、テレビでやってたらしくて。でもそれが、すんごいまずいの。見た目とかほうじ茶なんだけど、変に甘いし。小さい頃って、今よりずっと味に敏感でしょ。それで、毎日ケンカしながら飲まされたのがトラウマ」
「あれは、独特な味ですよね」
「飲んだことあるんだ」
「おれも軽い花粉症で、そしたらお手伝いのひとが淹れてくれました」
お手伝いのひと、というセレブな単語と花粉症という庶民的な単語が似合わない。
「同じ番組見たのかな」
「あのころって、みんな同じ番組見てた気がします」
放送の翌日に取り上げられた商品が棚から姿を消す、なんてのも珍しくなかった。きっと同じようなことが、全国の家庭で起きてたんだろう。
それでも彼と共通する話題がうれしかった。さっきまでの苛立ちも忘れ、陽は身を乗り出す。
「ずっと気になってたんだけど、もしかして同い歳? 俺二十八」
「二歳下です。二十六」
「え、うっそ」
「なんですか」
「タメか年上だと思ってた。あ、だからずっと敬語?」
「まあ一応。おれは安心しました。歳って、実年齢がすべてじゃないですね」
どういう意味だ。
軽くにらんでみたけれど、パンパンに張った浮き輪みたいにつるつるはじいてしまってまったく効果がない。
だから、陽はにらむフリをして、カップを包む骨ばった手を見ていた。マグカップのやわらかい曲面に沿う大きな手の甲には、削り出したような筋が張り出ている。
「甜茶は効いたんですか?」
「え? ああ、うん。思い込みかもしれないけど」
寝る前の鼻づまりが改善したような感じはした。だから、嫌々ながらも飲み続けたのだ。幸い大きくなるにつれて症状は改善し、今はシーズン中に薬をもらうだけで十分問題なく生活できる。
「そうですか。お母さんも報われますね」
「そうだねえ」
常に補充されるストック、食事終わりに必ず用意されている熱湯。
夏場、水出しの麦茶すら作らなくなったいまなら、どれだけの愛情をかけてもらっていたのかよくわかる。その手間に報いる効果を、俺は出せたんだろうか。
彼女は、満足していただろうか。
ひと口、飲み込む。煮だし過ぎたわけでもないのに、やたらと苦く感じる。
半分以下に減ったハーブティーを、どうしても飲むことができなかった。ゆらゆら揺れる液面を見つめていると、
「無理しなくていいですよ」と言われる。
「いや、無理ってわけじゃないんだけど」
言葉をにごす。本当に無理じゃなかった。けど、飲み干したくなかった。
だって、なくなってしまえば、寝なくてはならない。
「カップ置いといてください。俺、洗っとくんで」
だから陽はそう申し出た。水岡のカップはもうすっかり底が見えている。
「でも」
「いいんです。俺、もう少し起きてようと思うので」
「まだ仕事する気ですか」
ぐっと低くなった声を聞き流す。目を合わせられなかった。
「ちょっといま、立て込んでて」
「そんなこと言われなくてもわかります。目の下真っ黒だし」
「なら」
「だからこそ、寝たほうがいいです。絶対に効率が悪い。集中できなくって時間がかかって、睡眠時間が減るってループに入ってるんじゃないですか?」
図星だった。けど、どうしろっていうんだ。温かな心遣いも気持ちをほぐす香りも、陽のスイッチを切ってくれる気配はなかった。すっかり冷めたカップは、死んだようにつめたい。
「わかってる」
「なら、さっさと飲んで寝てください」
「あのさ」ふいにバカバカしくなって、陽は顔をあげる。
「俺が寝不足でぽんこつになって、それって水岡さんに何か関係ある?」
「ありますよ」
水岡はきっぱりと断言した。
「おれも関わったプロジェクトです。失敗なんかされたら困る」
「別に水岡さんに迷惑なんてかけないよ」
「わからないでしょう」
「……なにかあったら、俺が全部責任取るから」
眉間を揉みながら吐き捨てる。頭痛がする。きりきりとこめかみを差し込むような痛みに、眉根が寄る。腹の奥から立ち上る、草花の風味がひどく気に障る。
「あなたひとりで背負える責任なんてたかが知れてる」
「じゃあなに。違約金が欲しいの? それとも、土下座でもしたらいいって?」
「そうじゃない」
じれったそうに水岡は指で机を叩いた。爪のたてるコツコツという音が頭に響く。
「ともかく、俺は失敗しないためにできることは全部やりたい。それを他人にとやかく言われる筋合いはない」
「わからないひとだな」
「あんたに言われたくない」
「全部やりたいって、できてないでしょう、その状態じゃ。理解ができない。半分寝てるような状態で仕事をしたって、それはもう仕事にならない。結局ミスするのがオチで――」
「わかってるよ!」
11
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話
タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。
「優成、お前明樹のこと好きだろ」
高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。
メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?
くまさんのマッサージ♡
はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。
2024.03.06
閲覧、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。
2024.03.10
完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m
今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。
2024.03.19
https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy
イベントページになります。
25日0時より開始です!
※補足
サークルスペースが確定いたしました。
一次創作2: え5
にて出展させていただいてます!
2024.10.28
11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。
2024.11.01
https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2
本日22時より、イベントが開催されます。
よろしければ遊びに来てください。
君が好き過ぎてレイプした
眠りん
BL
ぼくは大柄で力は強いけれど、かなりの小心者です。好きな人に告白なんて絶対出来ません。
放課後の教室で……ぼくの好きな湊也君が一人、席に座って眠っていました。
これはチャンスです。
目隠しをして、体を押え付ければ小柄な湊也君は抵抗出来ません。
どうせ恋人同士になんてなれません。
この先の長い人生、君の隣にいられないのなら、たった一度少しの時間でいい。君とセックスがしたいのです。
それで君への恋心は忘れます。
でも、翌日湊也君がぼくを呼び出しました。犯人がぼくだとバレてしまったのでしょうか?
不安に思いましたが、そんな事はありませんでした。
「犯人が誰か分からないんだ。ねぇ、柚月。しばらく俺と一緒にいて。俺の事守ってよ」
ぼくはガタイが良いだけで弱い人間です。小心者だし、人を守るなんて出来ません。
その時、湊也君が衝撃発言をしました。
「柚月の事……本当はずっと好きだったから」
なんと告白されたのです。
ぼくと湊也君は両思いだったのです。
このままレイプ事件の事はなかった事にしたいと思います。
※誤字脱字があったらすみません
その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました
海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。
しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。
偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。
御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。
これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。
【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】
【続編も8/17完結しました。】
「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785
↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
【第1部完結】佐藤は汐見と〜7年越しの片想い拗らせリーマンラブ〜
有島
BL
◆社会人+ドシリアス+ヒューマンドラマなアラサー社会人同士のリアル現代ドラマ風BL(MensLove)
甘いハーフのような顔で社内1のナンバーワン営業の美形、佐藤甘冶(さとうかんじ/31)と、純国産和風塩顔の開発部に所属する汐見潮(しおみうしお/33)は同じ会社の異なる部署に在籍している。
ある時をきっかけに【佐藤=砂糖】と【汐見=塩】のコンビ名を頂き、仲の良い同僚として、親友として交流しているが、社内一の独身美形モテ男・佐藤は汐見に長く片想いをしていた。
しかし、その汐見が一昨年、結婚してしまう。
佐藤は断ち切れない想いを胸に秘めたまま、ただの同僚として汐見と一緒にいられる道を選んだが、その矢先、汐見の妻に絡んだとある事件が起きて……
※諸々は『表紙+注意書き』をご覧ください<(_ _)>
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる