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18.陽、自覚する
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女じゃあるまいし、自分になんて手をかけてどうする。男は仕事に命をかけていればいいんだと。
「ずいぶん極端な考えの職場にいたんだ」
「古い会社だったんで、良くも悪くも体育会系でしたね。けど、多かれ少なかれ、そういう気持ちって結構みんな持ってるんじゃないかって思うんです」
「それは、悪いこと?」
「さあ。少なくとも、おれは嫌いです。だって、自分でハードモード選んでおいて、つらい苦しいって言ってるようなもんでしょう」
途方にくれたシロクマなんかじゃなかったんだなあ、と陽は反省した。気づいたらはぐれてしまったんじゃなくて、何となく安心する集団から抜け出して、一人でしっかり生きていく基盤を持っていたのだと。
すごいな、と思った。なのに、出てきたのはまったく別の言葉だった。
「じゃあ俺、水岡さんが一番きらいなタイプだ」
「そうなんです」
「なのにベッド買うの付き合ってくれたの?」
「自分でも不思議です」
悪びれることなく首をひねる水岡に、陽はこらえきれずに噴き出した。心底おかしかったので、一瞬よぎった胸の痛みは忘れることにした。
会計は陽が払った。
外に出るともうずいぶんと暗かった。店内にいた間に通り雨が降ったようで、アスファルトがつるりとぬれている。
スマホの画面には二十時と表示されていて、(水岡にしては)遅くまでつき合わせたことを詫びると「きょうは簡単に済ませますから」とフォローされる。
「走らなくっていいんですか?」
「ストレッチだけにします。道も滑りそうだし、朝起きてから走ろうかと」
「結構、柔軟なんだ」
「あんまりがちがちでも、ストレスになるんで」
いやもう十分がちがちだと思うけどな、という言葉は飲み込んで、陽は礼を言おうとした。
水岡の背後には、よく晴れた夜空が広がっていた。雨に洗われた風が、毛先をゆらす。
「さっきの、ひとつだけ訂正します」
先に水岡が口をひらいた。
「嫌いなタイプっての、今はもう無いです」
「え?」
「確かに最初は、無理って思ってました。疲れすぎて人ん家で爆睡するって理解できないし。だけどドラッグストアで、ミスト買ってたでしょ。あれっと思って。勧めたとおりに柔軟剤も使ってくれてるし」
一歩近寄った水岡が、わずかに腰をかがめて陽の首筋で鼻を鳴らす。するどい牙をもった大きな動物に近づかれたみたいに、息ができない。
「この人なりに、生活を変えようとしてくれてるんだなって思って。しかもそれが、たぶん自分の仕事がきっかけで。うれしかった」
「だからきょう、つき合ってくれたの?」
「それもあります」
も、ってなんだ。
浮かんだ疑問は、伸びてきた手のひらにかき消されてしまう。しっとりとうるおった、大きな熱い手のひらが頬に触れた瞬間、奥歯に挟まっていた山椒がちりっとはじけた。頬の外と中、両方からあてられる熱のせいで、急激に体温が上がる。
暗くてよかった。二十八のおっさんの赤面なんて、見たくもないし見せたくもない。
「……合格?」
手触りを確かめるよう動く熱に、思わず手のひらをにぎり込みながら聞いた。水岡は笑って答えない。
「ベッド届いたら連絡ください」と言い置いて、水岡はあっさりと帰っていった。陽はしばらく、その場から動けなかった。
ああ、いやだな、と思う。コントロールできないのは、眠気だけで十分なのに。
火であぶられたように激しく脈打つ心臓は、まだ収まりそうにない。
「ずいぶん極端な考えの職場にいたんだ」
「古い会社だったんで、良くも悪くも体育会系でしたね。けど、多かれ少なかれ、そういう気持ちって結構みんな持ってるんじゃないかって思うんです」
「それは、悪いこと?」
「さあ。少なくとも、おれは嫌いです。だって、自分でハードモード選んでおいて、つらい苦しいって言ってるようなもんでしょう」
途方にくれたシロクマなんかじゃなかったんだなあ、と陽は反省した。気づいたらはぐれてしまったんじゃなくて、何となく安心する集団から抜け出して、一人でしっかり生きていく基盤を持っていたのだと。
すごいな、と思った。なのに、出てきたのはまったく別の言葉だった。
「じゃあ俺、水岡さんが一番きらいなタイプだ」
「そうなんです」
「なのにベッド買うの付き合ってくれたの?」
「自分でも不思議です」
悪びれることなく首をひねる水岡に、陽はこらえきれずに噴き出した。心底おかしかったので、一瞬よぎった胸の痛みは忘れることにした。
会計は陽が払った。
外に出るともうずいぶんと暗かった。店内にいた間に通り雨が降ったようで、アスファルトがつるりとぬれている。
スマホの画面には二十時と表示されていて、(水岡にしては)遅くまでつき合わせたことを詫びると「きょうは簡単に済ませますから」とフォローされる。
「走らなくっていいんですか?」
「ストレッチだけにします。道も滑りそうだし、朝起きてから走ろうかと」
「結構、柔軟なんだ」
「あんまりがちがちでも、ストレスになるんで」
いやもう十分がちがちだと思うけどな、という言葉は飲み込んで、陽は礼を言おうとした。
水岡の背後には、よく晴れた夜空が広がっていた。雨に洗われた風が、毛先をゆらす。
「さっきの、ひとつだけ訂正します」
先に水岡が口をひらいた。
「嫌いなタイプっての、今はもう無いです」
「え?」
「確かに最初は、無理って思ってました。疲れすぎて人ん家で爆睡するって理解できないし。だけどドラッグストアで、ミスト買ってたでしょ。あれっと思って。勧めたとおりに柔軟剤も使ってくれてるし」
一歩近寄った水岡が、わずかに腰をかがめて陽の首筋で鼻を鳴らす。するどい牙をもった大きな動物に近づかれたみたいに、息ができない。
「この人なりに、生活を変えようとしてくれてるんだなって思って。しかもそれが、たぶん自分の仕事がきっかけで。うれしかった」
「だからきょう、つき合ってくれたの?」
「それもあります」
も、ってなんだ。
浮かんだ疑問は、伸びてきた手のひらにかき消されてしまう。しっとりとうるおった、大きな熱い手のひらが頬に触れた瞬間、奥歯に挟まっていた山椒がちりっとはじけた。頬の外と中、両方からあてられる熱のせいで、急激に体温が上がる。
暗くてよかった。二十八のおっさんの赤面なんて、見たくもないし見せたくもない。
「……合格?」
手触りを確かめるよう動く熱に、思わず手のひらをにぎり込みながら聞いた。水岡は笑って答えない。
「ベッド届いたら連絡ください」と言い置いて、水岡はあっさりと帰っていった。陽はしばらく、その場から動けなかった。
ああ、いやだな、と思う。コントロールできないのは、眠気だけで十分なのに。
火であぶられたように激しく脈打つ心臓は、まだ収まりそうにない。
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