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15. 陽、打ち明ける
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バカにされてんのかな、と思った。それから、ああこういうことか、と唐突に理解した。
須永があれほど取り乱した理由。陽がいま、ひんやりとしたアルミ板みたいに、するどく反発したくなった理由。
水岡は鏡だ。どこまでもフラットに、こちらの後ろめたさや触れてほしくない部分を映し出す。それが、本人の思いと関係なく、相手に責められているという錯覚を抱かせるのだ。
そう、錯覚だ。
だって、彼の口調はベッドの寝心地を訊ねたときとまったく変わっていない。棘を感じるのは、どこかに後ろ暗い思いがあるからだ。好きでも向いてもいない仕事のために、エナジードリンクを飲んだり整体に通ったりするとき、たまにむしょうにバカバカしくなるときは確かにある。
「そうですね」
深呼吸して、陽は答えた。
「好きじゃないけど、任された仕事はちゃんとこなしたくって、自分なりにがんばりたい。たとえそれが単なる自己満足だって。そのために体調を万全にしたくって、だから眠りをコントロールしたい。それは、変なことですか?」
黙って水のグラスをつかむ水岡の、結露にぬれる指先を見ていた。ガラスを通り抜けてきた青みがかった光が、ゆらゆらと影をおとす。
あーあ、と思った。
ベッドを探して、選んで、買って、そこまでは楽しかったのに。なんでこんなことになったんだっけ。水岡の申し出を受けたことを、今さらながら後悔する。だってこれから夜寝るたびに、この日のことを思いだすだろうから。
皿の上にはまだ半分くらい豆腐が残っていたけれど、なんだかもういいやと思って、陽は財布を取り出そうとした。バッグをつかんだとき、水岡がレンゲを手に取る。
「一番最初に打ち合わせしたとき、『眠れない人を責めない動画』って言ってくれたでしょう」
動きを止めた。水岡は気にした様子もなく、たっぷりすくった赤い液体を見つめると、ぎゅっと目をつぶってから口にいれ、間髪おかず白米をかき込み、飲み込む。
「あのときは正直よくわからなかったけど、あとから、そうかもなって思って」
「え?」
「あまり、深刻にならずにきいてほしいんですけど」
立ち上がるタイミングを逃して、中途半端に座った陽を無視したまま、水岡は手を止めずに話し続ける。
「うちの両親は二人とも仕事人間で、おれが中一のとき、父親は過労で死にました。母はそれがこたえたみたいで、父の死後から不眠症になって、五年後にやっぱり過労で死にました。幸い、おれはもう大学生で、だから別に困りはしなかったんですけど」
真っ赤なソースをまとった豆腐の欠片が、大きな口にのみ込まれていく。
知らなかった。
若いくせに平屋の一軒家にひとりで住んでいて、いつもしゃんとした服を着ていたから、なんとなく、不自由ない家庭で不足なく生きてきたんだろうな、と勝手に想像していた。死とか病とか不幸とか、そういうものに縁遠い人生だと。
ひとつのヒビも欠けもない人生なんて、あるわけないと知っているのに。
「その件が、いまのこの仕事に影響してないって言ったらウソです。やっぱり、おれは両親に無理しない程度に眠ってほしかったし、けど、眠れないことに罪悪感を抱いてもほしくもなかった。そういう思いがもしかしたらにじみ出てたのかもしれません」
うれしかったですよ、と水岡は言った。
「ちゃんとおれの動画、見てくれたんだなって。エナジードリンクの缶、見切れてたし、普段は絶対におれの動画とか見るタイプじゃないんだろうに、打ち合わせのためにわざわざ。でも、そのせいで寝不足ってのは、正直微妙でしたけどね」
全部バレてる。
「仕事相手のことを調べるのは、俺みたいな仕事なら当然のことです」
「そうかな。少なくともこれまでは、全部見てきた人なんていなかったけど」
ちらばったひき肉を丁寧にかき集めながら、水岡はかすかに口端をあげた。
「別に、普通のことだろうかそうでなかろうが、なんでもいいんです。ただ、あの日のあなたの仕事が、おれはうれしかった。やってきてよかったって思った。それだけです」
その言葉は、思いがけず深く水を吸う地面みたいに、一瞬で陽の内側に染み入った。入ってきた感情に押されるように、目の奥からあふれそうになるものがあって焦る。
弱りすぎだろう、俺。
同時にふと湧き上がってきた疑問があった。
「あの、ここに誘ってくれたのって、もしかして気を遣ってくれたんですか?」
一粒残らず米を食べ終えて、両手を合わせた水岡の目が細くなる。
「逆になんだと思ってたんですか?」
「え? いや、お腹空いたのかなって」
「それなら一人で食べに来ます」
そりゃそうだ。至極常識的なことを言われて、思わず声を上げて笑った。
だっておかしい。
いくら水岡が変人だからって、気を遣ったという発想がなかった自分にも、他人に無関心のようでいて、黙って行きずりの相手をかばった水岡のやさしさも。
「水岡さんって、俺が思っていた百倍やさしいのかもしれない」
「すごく心外です」
「あはは」
中途半端に残った皿を見つめた。ふれるだけでやけどしそうなタレと、そのなかでも白さを失わないやわらかい豆腐。絶妙な二面性がどこかの誰かみたいだ、と思うのは影響され過ぎだろうか。
「俺は、仕事ができるみたいです」
須永があれほど取り乱した理由。陽がいま、ひんやりとしたアルミ板みたいに、するどく反発したくなった理由。
水岡は鏡だ。どこまでもフラットに、こちらの後ろめたさや触れてほしくない部分を映し出す。それが、本人の思いと関係なく、相手に責められているという錯覚を抱かせるのだ。
そう、錯覚だ。
だって、彼の口調はベッドの寝心地を訊ねたときとまったく変わっていない。棘を感じるのは、どこかに後ろ暗い思いがあるからだ。好きでも向いてもいない仕事のために、エナジードリンクを飲んだり整体に通ったりするとき、たまにむしょうにバカバカしくなるときは確かにある。
「そうですね」
深呼吸して、陽は答えた。
「好きじゃないけど、任された仕事はちゃんとこなしたくって、自分なりにがんばりたい。たとえそれが単なる自己満足だって。そのために体調を万全にしたくって、だから眠りをコントロールしたい。それは、変なことですか?」
黙って水のグラスをつかむ水岡の、結露にぬれる指先を見ていた。ガラスを通り抜けてきた青みがかった光が、ゆらゆらと影をおとす。
あーあ、と思った。
ベッドを探して、選んで、買って、そこまでは楽しかったのに。なんでこんなことになったんだっけ。水岡の申し出を受けたことを、今さらながら後悔する。だってこれから夜寝るたびに、この日のことを思いだすだろうから。
皿の上にはまだ半分くらい豆腐が残っていたけれど、なんだかもういいやと思って、陽は財布を取り出そうとした。バッグをつかんだとき、水岡がレンゲを手に取る。
「一番最初に打ち合わせしたとき、『眠れない人を責めない動画』って言ってくれたでしょう」
動きを止めた。水岡は気にした様子もなく、たっぷりすくった赤い液体を見つめると、ぎゅっと目をつぶってから口にいれ、間髪おかず白米をかき込み、飲み込む。
「あのときは正直よくわからなかったけど、あとから、そうかもなって思って」
「え?」
「あまり、深刻にならずにきいてほしいんですけど」
立ち上がるタイミングを逃して、中途半端に座った陽を無視したまま、水岡は手を止めずに話し続ける。
「うちの両親は二人とも仕事人間で、おれが中一のとき、父親は過労で死にました。母はそれがこたえたみたいで、父の死後から不眠症になって、五年後にやっぱり過労で死にました。幸い、おれはもう大学生で、だから別に困りはしなかったんですけど」
真っ赤なソースをまとった豆腐の欠片が、大きな口にのみ込まれていく。
知らなかった。
若いくせに平屋の一軒家にひとりで住んでいて、いつもしゃんとした服を着ていたから、なんとなく、不自由ない家庭で不足なく生きてきたんだろうな、と勝手に想像していた。死とか病とか不幸とか、そういうものに縁遠い人生だと。
ひとつのヒビも欠けもない人生なんて、あるわけないと知っているのに。
「その件が、いまのこの仕事に影響してないって言ったらウソです。やっぱり、おれは両親に無理しない程度に眠ってほしかったし、けど、眠れないことに罪悪感を抱いてもほしくもなかった。そういう思いがもしかしたらにじみ出てたのかもしれません」
うれしかったですよ、と水岡は言った。
「ちゃんとおれの動画、見てくれたんだなって。エナジードリンクの缶、見切れてたし、普段は絶対におれの動画とか見るタイプじゃないんだろうに、打ち合わせのためにわざわざ。でも、そのせいで寝不足ってのは、正直微妙でしたけどね」
全部バレてる。
「仕事相手のことを調べるのは、俺みたいな仕事なら当然のことです」
「そうかな。少なくともこれまでは、全部見てきた人なんていなかったけど」
ちらばったひき肉を丁寧にかき集めながら、水岡はかすかに口端をあげた。
「別に、普通のことだろうかそうでなかろうが、なんでもいいんです。ただ、あの日のあなたの仕事が、おれはうれしかった。やってきてよかったって思った。それだけです」
その言葉は、思いがけず深く水を吸う地面みたいに、一瞬で陽の内側に染み入った。入ってきた感情に押されるように、目の奥からあふれそうになるものがあって焦る。
弱りすぎだろう、俺。
同時にふと湧き上がってきた疑問があった。
「あの、ここに誘ってくれたのって、もしかして気を遣ってくれたんですか?」
一粒残らず米を食べ終えて、両手を合わせた水岡の目が細くなる。
「逆になんだと思ってたんですか?」
「え? いや、お腹空いたのかなって」
「それなら一人で食べに来ます」
そりゃそうだ。至極常識的なことを言われて、思わず声を上げて笑った。
だっておかしい。
いくら水岡が変人だからって、気を遣ったという発想がなかった自分にも、他人に無関心のようでいて、黙って行きずりの相手をかばった水岡のやさしさも。
「水岡さんって、俺が思っていた百倍やさしいのかもしれない」
「すごく心外です」
「あはは」
中途半端に残った皿を見つめた。ふれるだけでやけどしそうなタレと、そのなかでも白さを失わないやわらかい豆腐。絶妙な二面性がどこかの誰かみたいだ、と思うのは影響され過ぎだろうか。
「俺は、仕事ができるみたいです」
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