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7. 陽、再会する
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「そんなあ。沙苗さんいなくなったら本当に回らないのに」
「ただのパートにそんな甘えててどうするの」
冗談めかしてカバンを肩に掛けながら、「そう言ってもらえるのはうれしいけどね」と沙苗は苦笑した。
「ろくに経歴もない私を雇ってくれて、感謝してるよ」
「何言ってるんですか」
「いや本当に。子育ても楽しいけど、働いて必要としてもらえるって、また別のところが満たされるっていうかさ」
早い結婚でろくに働いていないのだと、入りたてのころにつぶやいていたのを覚えている。別に陽が何をしたわけでもないので、感謝されても困るのだけど、楽しそうに働いてくれていると、管理職でもないくせにうれしい。
「さて、夕飯どうしよっかな」
「これから決めるんですか?」
「スーパーの特売みてから決めるから。ワタさんは?」
「俺はまあ、適当に」
「夜ぐらいちゃんと食べなきゃだめだよ。どうせ朝は抜いて、昼はおにぎり二つで、おやつにプロテインバー食べて、くらいしか食べてないでしょ」
千里眼でも持ってるんだろうか?
小走りに帰る沙苗を見送って、陽は『ヨウ』の動画にアクセスした。
映像とテロップのみの、派手なエフェクトも週末のスーパーのチラシみたいな力強さもない、シンプルな映像。製品を丁寧に説明し、使用して、次の日、睡眠の質をアプリで評価する(ヨウ自ら開発したらしい)、というのがお決まりのパターンだった。
彼が開発したアプリはそれなりに人気で、アプリストアでも常に上位にランクインしている。画面のなかでは、睡眠の質を11%向上させたと、『安眠をもたらすピローミスト』という紺色のボトルが紹介されていた。まくら専用のミストなんてあるんだ、と若干引きながら動画を眺める。
このアプリ、俺が使ったらヤバいことになるんだろうな。
寝つきの悪さと眠りの浅さには自信がある。苦笑いしながら仕事を片付け、帰りがけに駅前のスーパーで売れ残った弁当を買い(ちゃんと野菜ジュースも追加した)、その隣のドラッグストアをみてシャンプーが切れていることを思い出した。
真っ白に光った店内をうろついていると、『熟睡』文字が目に飛び込んでくる。
『健康な眠りをサポートします』
さっき見たばかりの商品が目の前にある不思議さにつられて手を伸ばすと、空中でかちあった。
「あ」
十時に寝る男だ、と陽はすぐに気づいた。向こうも同じようで、切れ長の目をわずかにみはっている。
「どうも、その節は」
「あ、いえ」
「……もしかしてこれ、使われてるんですか?」
「え? ええ、まあ」
よく見ると男は少し息が上がっていて、髪も乱れている。時計を見ればもう九時を回っていて、なるほどもうすぐおねむの時間だ。
「あなたも?」
奥へと並ぶ瓶を二つ取って、一つを渡してくる男が、とてもいぶかし気に首をひねる。そんなに似合わないだろうか、と思わず笑ってしまった。
「こういうの、普段ぜんぜん使わないんですけど、ちょっと試してみようかなって。ほら、このあいだベッドお借りしたとき、いい香りでよく眠れたんで」
「……そうですか」
「においまでは覚えてなかったんですけど、これだったんですね」
口では調子のいいことを言いながら、とはいえ、買わないだろうなと思っていた。だって、ピローミストって。柔軟剤すら使わない、いつ洗ったかも定かじゃないまくらカバーに振りかけたところで、さんざん散らかしたテーブルの上に高い花を飾るのと同じくらい無意味だと思う。
「あの、ちょっと待っててもらえますか?」
パッケージから視線を上げると、男はもう背中を向けて走り去ったあとだった。
うん?
意図がわからず戸惑っていると、すぐにまた戻ってくる。狭い店内を走り回るもんだから、棚を整理していた店員が嫌そうに顔をあげて、けれどそんなことにはまったく気づいていないようだった。
「あの、これ。柔軟剤なんですけど、併用したほうが絶対よくって」
「え?」
「まくらカバーとかシーツとか、これで洗ってみてください。そのあとでミストしたほうが、絶対いい香りになりますし、今の寒暖差のキツイ季節には自律神経が乱れやすいので、この香りが特にお勧めで」
半分くらい何言ってるかわからないけれど、要は「それ使うならこれも使え」ってことか。
「失礼ですけど、開発元の社員さんですか?」
「えっ? 違いますけど」
「じゃあ単純に使ってよかったってこと?」
「はい」
なんでそんなこときくんだ、と心底不思議そうな顔をされて噴き出す。やっぱりこのひと、おもしろいな。
「ありがとうございます。やってみます」
正直、商品への興味は全然なかったけれど、この男への興味で紺色のボトルを手に取った。
ふと、この人が『ヨウ』だったりするんだろうか、なんて妄想をして、いやいや、と頭を振った。何憶分の一って確率だし、億が一、同一人物だったら、むしろどうしていいかわからない。
男の手から柔軟剤を受け取ると、彼はちょっとだけバツの悪そうに視線をさまよわせた。こちらが気を遣っている、と思ったのかもしれない。そうじゃないのだと無性に伝えたくなって、陽は言葉を重ねた。
「泊めていただいたあと、しっかり寝るってやっぱ大事だなって思って、いろいろ試してみたんですよ。けど、なんだかあのときほどよく眠れなくって、どうしてかなあって悩んでいたので、アドバイス助かります」
柔軟剤とミストを両手に持ちながらそう話すと、男は少しだけ視線をさまよわせた。あ、引いてる。
「あ、なんか俺、気持ち悪いですね。すみません」
「え? いや、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「ただのパートにそんな甘えててどうするの」
冗談めかしてカバンを肩に掛けながら、「そう言ってもらえるのはうれしいけどね」と沙苗は苦笑した。
「ろくに経歴もない私を雇ってくれて、感謝してるよ」
「何言ってるんですか」
「いや本当に。子育ても楽しいけど、働いて必要としてもらえるって、また別のところが満たされるっていうかさ」
早い結婚でろくに働いていないのだと、入りたてのころにつぶやいていたのを覚えている。別に陽が何をしたわけでもないので、感謝されても困るのだけど、楽しそうに働いてくれていると、管理職でもないくせにうれしい。
「さて、夕飯どうしよっかな」
「これから決めるんですか?」
「スーパーの特売みてから決めるから。ワタさんは?」
「俺はまあ、適当に」
「夜ぐらいちゃんと食べなきゃだめだよ。どうせ朝は抜いて、昼はおにぎり二つで、おやつにプロテインバー食べて、くらいしか食べてないでしょ」
千里眼でも持ってるんだろうか?
小走りに帰る沙苗を見送って、陽は『ヨウ』の動画にアクセスした。
映像とテロップのみの、派手なエフェクトも週末のスーパーのチラシみたいな力強さもない、シンプルな映像。製品を丁寧に説明し、使用して、次の日、睡眠の質をアプリで評価する(ヨウ自ら開発したらしい)、というのがお決まりのパターンだった。
彼が開発したアプリはそれなりに人気で、アプリストアでも常に上位にランクインしている。画面のなかでは、睡眠の質を11%向上させたと、『安眠をもたらすピローミスト』という紺色のボトルが紹介されていた。まくら専用のミストなんてあるんだ、と若干引きながら動画を眺める。
このアプリ、俺が使ったらヤバいことになるんだろうな。
寝つきの悪さと眠りの浅さには自信がある。苦笑いしながら仕事を片付け、帰りがけに駅前のスーパーで売れ残った弁当を買い(ちゃんと野菜ジュースも追加した)、その隣のドラッグストアをみてシャンプーが切れていることを思い出した。
真っ白に光った店内をうろついていると、『熟睡』文字が目に飛び込んでくる。
『健康な眠りをサポートします』
さっき見たばかりの商品が目の前にある不思議さにつられて手を伸ばすと、空中でかちあった。
「あ」
十時に寝る男だ、と陽はすぐに気づいた。向こうも同じようで、切れ長の目をわずかにみはっている。
「どうも、その節は」
「あ、いえ」
「……もしかしてこれ、使われてるんですか?」
「え? ええ、まあ」
よく見ると男は少し息が上がっていて、髪も乱れている。時計を見ればもう九時を回っていて、なるほどもうすぐおねむの時間だ。
「あなたも?」
奥へと並ぶ瓶を二つ取って、一つを渡してくる男が、とてもいぶかし気に首をひねる。そんなに似合わないだろうか、と思わず笑ってしまった。
「こういうの、普段ぜんぜん使わないんですけど、ちょっと試してみようかなって。ほら、このあいだベッドお借りしたとき、いい香りでよく眠れたんで」
「……そうですか」
「においまでは覚えてなかったんですけど、これだったんですね」
口では調子のいいことを言いながら、とはいえ、買わないだろうなと思っていた。だって、ピローミストって。柔軟剤すら使わない、いつ洗ったかも定かじゃないまくらカバーに振りかけたところで、さんざん散らかしたテーブルの上に高い花を飾るのと同じくらい無意味だと思う。
「あの、ちょっと待っててもらえますか?」
パッケージから視線を上げると、男はもう背中を向けて走り去ったあとだった。
うん?
意図がわからず戸惑っていると、すぐにまた戻ってくる。狭い店内を走り回るもんだから、棚を整理していた店員が嫌そうに顔をあげて、けれどそんなことにはまったく気づいていないようだった。
「あの、これ。柔軟剤なんですけど、併用したほうが絶対よくって」
「え?」
「まくらカバーとかシーツとか、これで洗ってみてください。そのあとでミストしたほうが、絶対いい香りになりますし、今の寒暖差のキツイ季節には自律神経が乱れやすいので、この香りが特にお勧めで」
半分くらい何言ってるかわからないけれど、要は「それ使うならこれも使え」ってことか。
「失礼ですけど、開発元の社員さんですか?」
「えっ? 違いますけど」
「じゃあ単純に使ってよかったってこと?」
「はい」
なんでそんなこときくんだ、と心底不思議そうな顔をされて噴き出す。やっぱりこのひと、おもしろいな。
「ありがとうございます。やってみます」
正直、商品への興味は全然なかったけれど、この男への興味で紺色のボトルを手に取った。
ふと、この人が『ヨウ』だったりするんだろうか、なんて妄想をして、いやいや、と頭を振った。何憶分の一って確率だし、億が一、同一人物だったら、むしろどうしていいかわからない。
男の手から柔軟剤を受け取ると、彼はちょっとだけバツの悪そうに視線をさまよわせた。こちらが気を遣っている、と思ったのかもしれない。そうじゃないのだと無性に伝えたくなって、陽は言葉を重ねた。
「泊めていただいたあと、しっかり寝るってやっぱ大事だなって思って、いろいろ試してみたんですよ。けど、なんだかあのときほどよく眠れなくって、どうしてかなあって悩んでいたので、アドバイス助かります」
柔軟剤とミストを両手に持ちながらそう話すと、男は少しだけ視線をさまよわせた。あ、引いてる。
「あ、なんか俺、気持ち悪いですね。すみません」
「え? いや、そうじゃなくて」
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