4 / 38
4. 陽、後輩に手を焼く
しおりを挟む
自販機って、定期的にシャットダウンしなくてもいいんだろうか。
コーヒーの匂いがしみこんだ給湯室で、手の中のスマホを弄びながら、陽はそんなことを考える。
左の下段に新発売の缶コーヒー(量が少ない)、中段の真ん中より右側に昨日ラインナップが変わったジュース(ブルーベリー味ってうまいのか?)、そして右の上段には、迷える子羊を導くように、燦然と輝くおなじみのエナジードリンク。
そういや神様って、迷える羊を導くくせにヤギは供物にするよなあ。
色とか体格とか同じに見えるのに、やっぱりあのふわふわ感が庇護欲をさそうのだろうか、なんてどうでもいいことを考えながら、親の顔より見たどぎついパッケージのボタンを押した。
「ワタさん、またそれっすか」
席に戻るなり、隣に座っていた須永が横に構えていたスマホをさっとポケットに隠し、それから嫌そうに顔をしかめた。
「いやー結局、これに戻ってきちゃうよね」
「まじで早死にしますよ」
「一日一本にしてるから大丈夫」
何が大丈夫なんすか、という小言を無視して、プルタブを開ける。脳に直接届くよう、限界まで圧縮された糖とカフェインが、ざりざりのどを下っていく。
午後九時にこんなもん飲んでるから眠れないんだと指摘されればまったくその通りで、けど何か手っ取り早く覚醒できそうなものを腹に入れなきゃやってられないから、仕方ない。
「それより、ヨウとの打ち合わせ資料、できた?」
「あーいや……もうちょい練りたくって」
「打ち合わせ、明日の午後だろ? できてるところまででも見るけど」
「うーんでも、全然まだまだなんで」
自信なさそうに須永は視線を漂わせる。
完璧なんて求めてないし、いま時点でまだまだだったら、これからチェックして修正して再チェックして先方に送ってって全部ぜんぶ明日の午前中にやるんだぞ絶対無理だろだからさっさと見せろ…と喉元まで出かかって、陽はなんとかのみ込んだ。
「わかった。じゃあ明日の朝イチで見るから、そこまででできる範囲で頼むな」
「わかりました」
「定時とっくに過ぎてるし、あんまり無茶すんなよ」
須永はだまって薄く笑う。こんな人数じゃ無理っすよ、という声なき声が聞こえた。
「明日のアポって、ひょっとしてあのヨウ?」
少し離れたデスクの田所課長がくちばしをつっこんでくる。デスクトップから顔をあげようとする須永を留め、陽はええ、と声を張った。
「香泉堂さんたっての希望で、コラボしたいって」
お香を主力商品とする「香泉堂」の創立九十周年を祝うイベントは、駅前でのリアルイベントとSNSを駆使したインターネット上のキャンペーンの二本柱で進める。インフルエンサーによる新製品のPR案件は、後者の一環だった。
「まじか~残念だったね」
「なにがです?」
「ヨウさん、女性としかまともに口聞かないって有名だよ。ウワサだけどね」
「へえ」
べつに珍しくはない。華やかな世界にいる人間は総じて我が強いし、そもそもヒト対ヒトのつき合いなんだから、合う合わないはどこにだってある。その範囲が個人なのか、性別やら出身やらルックスやらなのか、それだけの話だ。つめたくされようと、仕事は仕事。
「まあ、渡来だったら問題ないだろうけど……」
ちらっと含みのある視線を後輩に向けられてひやひやする。
当の本人は気づかれていないと思っているのか、こそこそ背中を丸めてはまたスマホに夢中だ。そろそろ新しいイベントが始まる時期だっけ。
田所の沈黙に込められたメッセージに気づいていないのは、いいのか、わるいのか。わざと咳ばらいをすると、須永は電気を流されたようにぴっと背筋を伸ばした。
三か月前、凍てつく風から逃げるようにやってきた須永は、ぶかぶかのスーツを着ていて、まるで高校生のようにみえた。二年間、アプリの開発会社で揉まれてきていると聞いたときは驚いたものだ。
給料がいいわけでもない、全くの異業種に転職した理由を、須永は「未練にしばられたくなかったから」と語った。
「もともとは、ゲームクリエイターになりたかったんです。専門学校も行って、ポートフォリオとか作って……けど、ひとつも内定もらえなくて。泣く泣く、アプリの開発のSEになりました。けど、やっぱりどこかで、ゲームに携われない後ろめたさみたいなのがずっとあって。だからいっそ、まったく別の仕事しようって思ったんです」
「でも、こんな激務の会社に来ることなかったんじゃない?」
「前職もブラックでしたし、それに、働いている方が気がまぎれますから」
転職をしたことがない陽には、会社を移る心境も苦労もわからない。けれど、働いている方が気がまぎれるっていうのは、よく身に覚えのある感覚だった。だから、勤務中にこそこそアプリゲームを起動させる後輩でも、陽は見捨てることができない。
「ところで、例の件はどうすか?」
コーヒーの匂いがしみこんだ給湯室で、手の中のスマホを弄びながら、陽はそんなことを考える。
左の下段に新発売の缶コーヒー(量が少ない)、中段の真ん中より右側に昨日ラインナップが変わったジュース(ブルーベリー味ってうまいのか?)、そして右の上段には、迷える子羊を導くように、燦然と輝くおなじみのエナジードリンク。
そういや神様って、迷える羊を導くくせにヤギは供物にするよなあ。
色とか体格とか同じに見えるのに、やっぱりあのふわふわ感が庇護欲をさそうのだろうか、なんてどうでもいいことを考えながら、親の顔より見たどぎついパッケージのボタンを押した。
「ワタさん、またそれっすか」
席に戻るなり、隣に座っていた須永が横に構えていたスマホをさっとポケットに隠し、それから嫌そうに顔をしかめた。
「いやー結局、これに戻ってきちゃうよね」
「まじで早死にしますよ」
「一日一本にしてるから大丈夫」
何が大丈夫なんすか、という小言を無視して、プルタブを開ける。脳に直接届くよう、限界まで圧縮された糖とカフェインが、ざりざりのどを下っていく。
午後九時にこんなもん飲んでるから眠れないんだと指摘されればまったくその通りで、けど何か手っ取り早く覚醒できそうなものを腹に入れなきゃやってられないから、仕方ない。
「それより、ヨウとの打ち合わせ資料、できた?」
「あーいや……もうちょい練りたくって」
「打ち合わせ、明日の午後だろ? できてるところまででも見るけど」
「うーんでも、全然まだまだなんで」
自信なさそうに須永は視線を漂わせる。
完璧なんて求めてないし、いま時点でまだまだだったら、これからチェックして修正して再チェックして先方に送ってって全部ぜんぶ明日の午前中にやるんだぞ絶対無理だろだからさっさと見せろ…と喉元まで出かかって、陽はなんとかのみ込んだ。
「わかった。じゃあ明日の朝イチで見るから、そこまででできる範囲で頼むな」
「わかりました」
「定時とっくに過ぎてるし、あんまり無茶すんなよ」
須永はだまって薄く笑う。こんな人数じゃ無理っすよ、という声なき声が聞こえた。
「明日のアポって、ひょっとしてあのヨウ?」
少し離れたデスクの田所課長がくちばしをつっこんでくる。デスクトップから顔をあげようとする須永を留め、陽はええ、と声を張った。
「香泉堂さんたっての希望で、コラボしたいって」
お香を主力商品とする「香泉堂」の創立九十周年を祝うイベントは、駅前でのリアルイベントとSNSを駆使したインターネット上のキャンペーンの二本柱で進める。インフルエンサーによる新製品のPR案件は、後者の一環だった。
「まじか~残念だったね」
「なにがです?」
「ヨウさん、女性としかまともに口聞かないって有名だよ。ウワサだけどね」
「へえ」
べつに珍しくはない。華やかな世界にいる人間は総じて我が強いし、そもそもヒト対ヒトのつき合いなんだから、合う合わないはどこにだってある。その範囲が個人なのか、性別やら出身やらルックスやらなのか、それだけの話だ。つめたくされようと、仕事は仕事。
「まあ、渡来だったら問題ないだろうけど……」
ちらっと含みのある視線を後輩に向けられてひやひやする。
当の本人は気づかれていないと思っているのか、こそこそ背中を丸めてはまたスマホに夢中だ。そろそろ新しいイベントが始まる時期だっけ。
田所の沈黙に込められたメッセージに気づいていないのは、いいのか、わるいのか。わざと咳ばらいをすると、須永は電気を流されたようにぴっと背筋を伸ばした。
三か月前、凍てつく風から逃げるようにやってきた須永は、ぶかぶかのスーツを着ていて、まるで高校生のようにみえた。二年間、アプリの開発会社で揉まれてきていると聞いたときは驚いたものだ。
給料がいいわけでもない、全くの異業種に転職した理由を、須永は「未練にしばられたくなかったから」と語った。
「もともとは、ゲームクリエイターになりたかったんです。専門学校も行って、ポートフォリオとか作って……けど、ひとつも内定もらえなくて。泣く泣く、アプリの開発のSEになりました。けど、やっぱりどこかで、ゲームに携われない後ろめたさみたいなのがずっとあって。だからいっそ、まったく別の仕事しようって思ったんです」
「でも、こんな激務の会社に来ることなかったんじゃない?」
「前職もブラックでしたし、それに、働いている方が気がまぎれますから」
転職をしたことがない陽には、会社を移る心境も苦労もわからない。けれど、働いている方が気がまぎれるっていうのは、よく身に覚えのある感覚だった。だから、勤務中にこそこそアプリゲームを起動させる後輩でも、陽は見捨てることができない。
「ところで、例の件はどうすか?」
10
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
狼王子は、異世界からの漂着青年と、愛の花を咲かせたい
夜乃すてら
BL
沖野剛樹(オキノ・ゴウキ)はある日、車がはねた水をかぶった瞬間、異世界に飛ばされてしまう。
その国にある聖域――宙の泉には、異世界から物が流れ着くという。
異世界漂着物の研究者・狼獣人の王子ユーフェ・ラズリアに助けられ、剛樹はひとまず助手として働くが……。
※狼獣人は、獣頭獣身のことです。獣耳のついた人間のような可愛らしいものではありません。
この世界では、魚、虫、爬虫類、両生類、鳥以外は、吉祥花というもので生まれます。
※R18は後半あたりに入る予定。
※主人公が受です。
ムーンでも重複更新してます。
2018年くらいからぼちぼち書いている作品です。
ちょうど体調不良や中華沼落ちなどが重なって、ムーンでも二年くらい更新してないんですが、するつもりはありますし、たぶんアルファさんのほうが受け良さそうだなあと思って、こちらにものせてみることにしました。
あちらで募集してたお題、以下10個をどこかに使う予定です。何がどう使われるかは、お楽しみに(^ ^)
電卓、メスシリンダー、しゃっくり、つめ、くじら、南の一つ星、ひも、スプレー、オムレツ、バランスボール
お題にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
ショートショート集を予定してましたが、普通に長編になりそうです。
のんびり更新しますので、のんびりよろしくお願いします。
異世界で恋をしたのは不器用な騎士でした
たがわリウ
BL
年下騎士×賢者
異世界転移/両片想い
6年前に突然異世界にやってきたヒロナは、最初こそ戸惑ったものの、今では以前とは違う暮らしを楽しんでいた。
この世界を知るために旅をし様々な知識を蓄えた結果、ある国に賢者として仕えることに。
魔法の指導等で王子と関わるうちに、王子の警衛担当騎士、ルーフスにいつの間にか憧れを抱く。
ルーフスも不器用ながらもヒロナに同じような思いを向け、2人は少しずつ距離を縮めていく。
そんなある時、ヒロナが人攫いに巻き込まれてしまい――。
CATHEDRAL
衣夜砥
BL
イタリアの観光都市オステア。オステア城主エドアルドは、アメリカ人歌手ガナー・ブラウンと熱愛にあった。思うように逢瀬を重ねられない焦燥の中、隣接する教会堂の壁画製作のためにトリノから呼ばれた美青年画家アンドレア・サンティと出会い、次第に惹かれてゆく。一方で、エドアルド率いるジブリオ財団と浅からぬ関係のマフィア、コジモファミリーに不穏な殺人事件が続いていた。現代イタリアを舞台にしたハードボイルドBL『双焔』第一章
とある名家の話
侑希
BL
旧家の跡取り息子と付き合っていた青年の話。 付き合っていて問題ないと言っていた跡取り息子と、別れさせようとした両親と、すべてを知っていた青年と。すこしふしぎ、少しオカルト。神様と旧家の初代の盟約。
TELL YOU…
四季人
BL
「だってさ、ユウキは可愛くなったオレ、好きだろ──?」
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
まず最初に気になったのは、ザワついた教室でも良く通る、アイツの澄んだ声だった。
それから、大きな目と、華奢に見える身体と、細長い指。
アイツ……。
辰崎 晃巳(たつさき てるみ)は、女みたいな男だった。
とびきりのクズに一目惚れし人生が変わった俺のこと
未瑠
BL
端正な容姿と圧倒的なオーラをもつタクトに一目惚れしたミコト。ただタクトは金にも女にも男にもだらしがないクズだった。それでも惹かれてしまうタクトに唐突に「付き合おう」と言われたミコト。付き合い出してもタクトはクズのまま。そして付き合って初めての誕生日にミコトは冷たい言葉で振られてしまう。
それなのにどうして連絡してくるの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる