眠たい眠たい、眠たい夜は

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3. 陽、お礼を言う

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 結論から言えば大成功だった。

 三社合同コンペの競合相手はふたつ。地元鉄道会社とゆかりの深い老舗広告屋と、新参だけど全国区の総合広告会社の子だか孫だかの会社だ。何の後ろ盾もない、ぽっと出のイベント会社である陽たちは、あからさまに数合わせだった。

 なのに蓋を開けてみれば圧勝だった。たしかに企画も資料も一番よかったと自負しているけれど、なにより、抜群に調子がよかった。

 自分が次に何を用意し、何を答えればいいのか、まるで選択肢が浮かんでいるようにわかった。だから陽は、後輩が答えられない質問に迷うことなくフォローを入れ、口にも出されないクライアントの懸念を先回りして潰し、相手のもっとも望んでいる言葉を選んで、一番いい時に差し出すだけでよかった。

 その場で契約書にサインをもらって、晴れ晴れと社屋に戻る。
 電話で一報いれておいたのにビールの一本もなかったのは不服だけれど、かわりに頬を上気さえたパートさんの笑顔が待っていた。正社員の事務員がいないこの会社で、経理や事務を一手に引き受ける彼女にもみくちゃにされ「やめてくださいよ沙苗さん!」と悲鳴をあげる須永を見ながら思った。

 睡眠って、すげー。

 午後になったというのに、ひとかけらの眠気も訪れない。目の表面に水の膜が張っているかのように視界はすっきりとクリアで、肩も軽い。普通に息を吸っているだけなのに、酸素は肺の奥深くまで入り込み、毛細血管のすみずみまでエネルギーが満ち渡るようだった。

 人間、やっぱ寝ないとダメなんだな。

 時間を無駄にしている気がして、どうにも長く眠ることが苦手な陽も、ここまで効果を実感してしまえば認めざるを得なかった。



 久しぶりに定時で退社し、その足で昨晩のお詫びの水ようかんを入手して、まだ明るい道を歩きながら、陽は昨晩の不始末を改めて反省する。
 記憶に新しいドアの前に立って、さすがに少しだけためらう。

 アポなしで突撃って、どうかな。けど、連絡先聞き忘れちゃったし、お礼もなしで、はい、さよなら、も人としてちょっと。知らない人にどう思われようと気にしないけど、きっちり礼を言った方が、心地よく忘れられる。

 いなかったらドアに掛けておこう。そう思いながら、陽は平屋のベルを押した。しばらく待つと、返事がある。

『はい』
「あの、昨日お世話になった渡来と申します。今朝、バタバタしてお礼もできなかったので、改めてご挨拶にうかがいました」
『……はあ』

 不機嫌そうな声だった。寝起きか? 寝不足って言ってたもんな。

「あの、あれでしたら玄関先にお礼の品を置いておきますので」
『いや、待って』

 ぷ、とマイクが切れて、ドアが開く。
 芳香剤でも置いているのか、ふわりと花のような匂いが香った。
 あらためて見た男はでかかった。百七十後半の陽より、頭一つ大きい。白いパーカーを羽織った姿は、やっぱりどこかシロクマっぽい。

「あ、どうも」
「これ」

 挨拶もそこそこに、こぶしをつき出されてとまどう。
 うながされるまま両手を伸ばせば、開封したばかりののど飴が出てきた。コンビニで買ったスティックタイプの、十粒入りのやつ。

「落ちてたんで」
「あ、わざわざどうも」

 百円ちょっとの、しかも食べかけの菓子だ。食べるのははばかられるとしても、捨ててしまって構わなかったのに。
 ちらっと見た顔は、拗ねたように眉間にシワが寄っている。いかつくはないけど、細身で大きい洋犬みたいな、人を寄せ付けないまなざし。

「あのこれ、お詫びの水ようかんです。お嫌いでなければ」

 交換するように差し出せば、男は案外素直に受け取った。紙袋の中をのぞき込んで、喜ぶでも嫌そうにするでもなく、小さくあごを引く。

「話、それだけ?」
「え? はあ、まあ」
「そう。じゃあ帰ってください」

 まるで「箸取ってください」とでも言うかのように、ごくあっさりと男は言った。

「今から走りに行くんで」
「あ、ランニングですか」
「ええ。走って風呂入ってご飯食べてストレッチしてアロマ焚いて……もう出ないと、十時にベッド入れない」

 いうだけ言って、男はあっさりドアを閉めた。閉まったドアの前に突っ立ってるのも不審なので、陽はいま来たばかりの道を戻り始める。
 視線を上げれば、落ち切った太陽がまだうっすら空を照らし、雲の輪郭が朱鷺色に染まっていた。

 いや、十時て。小学生か。ていうか、ストレッチやアロマって、そんな締切に追われるようにやるものなのか?

 氷のうえでだらんと寝っ転がっていたシロクマが、あわてて起き出し準備体操を始める。もこもこした腕をぐんと伸ばして動き回る姿を妄想をしながら、陽は駅前のコンビニに入った。
 よく冷えた水と、ビール――に手をかけ、やめる。
 ただの気まぐれだ。けどきょうはなんだか、アルコールがなくても眠れる気がした。
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