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第2部 女児向けアニメ史
00年代初頭女児向けアニメ事情~おジャ魔女・ハム太郎とその時代~
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今回からは第2部としてアニメ…それも女児向けアニメや特撮の歴史を紐解いていこう。
2000年代~10年代初頭の子供文化を語るうえでおジャ魔女(正確には99年開始だけど)やハム太郎、そしてプリキュアといった歴史的ヒット作を多数輩出した女児向けアニメの栄光と挫折の歴史もまた避けては通れない。
この章のはじめは00年代初頭の女児向けアニメの2トップ、冒頭でも話題に上げた「おジャ魔女どれみ」と「とっとこハム太郎」から分析していくことにする。00年代女児向けアニメの歴史はこの2作品から始まるといっても過言ではない。
まずはおジャ魔女どれみ。ABC・テレ朝系日曜朝8:30の女児向け路線のパイオニアである「夢のクレヨン王国」の後番組として1999年に第1作が放送開始した東映アニメーションとしては1984年~翌年にかけて放送された「とんがり帽子のメモル」(時間帯的にどれみやプリキュアの先輩でもある)以来実に約15年ぶりの魔法少女ものであったが、のっけから大ヒットを飛ばし、放送開始3か月後にはすでに2年目の制作が決定。最終的にこの枠で計4シリーズが制作された。バンダイの関連商品の売り上げも4年間の累計で230億円越えという記録的ヒットだ。
どれみの作劇上の特徴は「どんな状況にも対応できる万能魔法」と「キャラクターひとりひとりのドラマ性」。
それまでの魔法もの作品では、例えば「ひみつのアッコちゃん」の「鏡を用いた変身」のように特定のことに特化した魔法が主流であった。しかしどれみにおける魔法は何でもできる万能魔法。「もしも魔法が使えたら…」という子供のころ誰しもが考えたことのある妄想をまさにアニメの中で実現させた形だ。
シリーズディレクターの佐藤順一氏も「もしも魔法が使えたら=夢」。どれみたちのように子供たちが夢に気づけたら…という思いがどれみという作品の制作意図であったと語っており、そこから「万能魔法」という要素が生まれたのだ。
しかし「魔法で何でもできる」ということは「魔法があれば何でも解決できてしまう」ということ。シリーズディレクターの佐藤氏も「万能魔法は物語を作るうえでは難しい」とコメントしている。だがどれみたちは無限に魔法が使えるわけでなく、「魔法玉」が無ければ魔法が使えない。強力なものにもちゃんと弱点を置いた。いくら子供が魔法にあこがれを持ってるからとはいえ、何でもできすぎたら子供の目線から見てもつまらないからやっぱり一筋縄ではいかない部分をおくのはいいことだと思う。それこそが物語にスリルを生み出すことになるからだ。
続いて「キャラクターひとりひとりのドラマ性」。各話のシナリオにはどれみたちのクラスメイトの誰か一人ないし数人をフィーチャーし、彼らが直面する何らかの問題をどれみたちが解決するというものが多い。
主人公の通う学校が主要な舞台となる作品では当然そのクラスメイトも多数描かれる。だが魔法ものの作品ではいくら学校が舞台になろうと、主人公のクラスメイトが多数描かれようと、あまりそのクラスメイトには光が当たりにくく、単なる友達とだけ描かれることが多い。悪い言い方をしてしまえば魔法の使えない人間は添え物に過ぎないのだ。
だがどれみではおジャ魔女以外のクラスメイトにもしっかりとバックグラウンドが用意されており、ひとりひとりのキャラに単に個性があるだけでなく、さまざまなドラマがある。学校という舞台上、多数必要になっても何人かはスポットが当たらずに終わってしまうことも多いクラスメイトキャラ、だがどれみではほとんどのクラスメイトにスポットを当て、彼らのドラマを描いている。僕としてはここまでクラスメイトを有効活用できている作品はどれみとウソツキ!ゴクオーくんをおいて他にないと思っている。
おジャ魔女どれみは主人公の小3~小学校卒業までを描いた4年間の成長物語でもある。その中で一緒に成長していくクラスメイトをしっかり描くことがより物語に深みを与えたのは間違いない。
万能魔法という一見ご都合主義にも思える能力にも弱点を与え、クラスメイトをただのモブにせずしっかりとドラマの柱に添える。この一筋縄ではいかないドラマ性があったからこそ、多くの子供たちに支持され、どれみたちは小学校卒業までの自分たちの成長を視聴者に見せることができたのだ。
次にハム太郎の分析へと参ろう。
とっとこハム太郎の原作連載が始まったのは1997年。小学館の学年誌「小学二年生」であった。
立ち上げの発端となったのは当時の同誌編集長の黒川和彦氏。黒川氏はこれ以前はコロコロコミックの4代目編集長だったのだが、コロコロ時代は「ダッシュ四駆郎」を担当し、ミニ四駆1次ブームの陰の立役者となった人物だ。
そんな「ヒット請負人」ともいえる彼が目を付けたのはハムスター。すでに当時からハムスターブームが子供を中心に起こっており、実際ハム太郎連載開始の翌年にはサンリオからハムスターのキャラクター「コロコロクリリン」がデビューし、こちらも大人気となった。
そして当時実際にハムスターを飼っていた河井リツ子氏に依頼し、連載が開始。次第に掲載誌を増やすなど人気を拡大していき、連載開始2年後の夏に学年誌の誌上販売として製作されたOVAを経て2000年7月にテレビ東京系にてTVアニメが放送開始。単独番組としては5年9カ月という異例のロングランとなり、劇場版も4作制作された。
30分枠での放送終了後も2006年4月からは「のりスタ」内でのミニアニメとしてさらに2年ほど放送を継続した。
ハム太郎のヒットの要因をいくつか分析していこう。
ひとつは「すでに人気のあったハムスターに目を付けた」。
前述の通り、アニメ放送開始から3年前の原作開始時点ですでに子供たちの間ではハムスターブームが巻き起こっていた。ハムスターは犬猫と肩を並べるぐらい子供たちのあこがれのペットだったのだ。
ハム太郎と同時期に同じテレ東にて「ハムスター倶楽部」のアニメがおはスタの手前の時間で5分の帯番組として放送されたことから見て取れるだろう。この「ハムスター倶楽部」も当時はグッズが多数発売される人気っぷりであった。
そんな中で登場したハム太郎であるが、その人気はハムスターブームをより加速させていくこととなる。
もうひとつは「ファンタジーとリアルの融合」
「ハム太郎」といえば「オレンジとかの現実ではありえない毛色のハムスターが出てくる」し、「それ以前にハムスターがしゃべり、人間的な自我を持ち、ハムちゃんずというグループを作って行動する」という(後者は飼い主側は知らない設定だし、ハム太郎たちがしゃべるのもあくまでも演出上で人間側には聞こえてないけれども)「ハムスターとの生活」という現実的なテーマを取り上げてる作品としては異例なぐらいファンタジー要素がたっぷり入っているのだ。
大人の目線からしてみれば、人によっては「単にハムスターと飼い主の物語だと思ったのに喋ったり、人間的に行動するのは変」なんて思ったりもする方もいらっしゃるかもしれないが、子供たちの目線から考えれば「ウチのハムスターももしかしたらしゃべるかも」とか「うちのハムスターもよその子とハムちゃんずみたいに知らないところで集まってるかも!?」と夢を見させてくれる作品だったのだ。
「ハムスターとの生活」という現実的要素にファンタジーを加える…すなわち「日常の中の非日常」。これは藤子・F・不二雄氏の提唱した「SF(少し不思議)」と同じ考えなのだ。藤子作品のノウハウから築かれた小学館イズムからハム太郎は生まれたといっても過言ではない。すでにドラえもんなどのあまたの藤子作品で成功を実証しているこの要素を子供の大好きなハムスターと出合わせた。それこそ大きなヒットの要因の一つと言えよう。
ハム太郎は数字の面でもすごかった。
アニメは金曜夕方の放送でありながら視聴率は二桁となる10%越えを記録。
関連商品もアニメ開始から約2年半たった2002年12月の時点で5000品目が発売され、総売り上げは4500億円を記録。手のひらサイズのハムスターがこんだけのお金を運んできてくれたのだから小学館や商品化した各社もハム太郎さまさまだったであろう。
中でも主題歌CDはアニメ開始約1年の時点で全作合計35万枚の売り上げ。当時はまだアニソンの地位が低かった時代と考えれば異例のヒット。僕を含め、ハム太郎がある時代を生きていた子供たちの中にあのOPを歌えない人はいないだろう。
海外展開も行われ、公式が公表しているだけでも実に35の国と地域(ベルギーでは地域ごとの2バージョンが用意されたようだが、ここではベルギーは1か国とした)で放送されたのだ。なんたってタイでは反政府デモ隊が主題歌の替え歌を使い、彼らにとってハム太郎は運動のシンボルとなるぐらいだから世界のハム太郎といっても過言ではないだろう。(非公式にデモ隊が替え歌作ったとはいえ、それに対して公式は無反応とはいえ、キャラクターやアニソンが政治的目的で使われるのは個人的には複雑な気分なのだが)。
アニメはテレ東系のない地域でも遅れネットが行われたのだが、遅れネットを含めた総放送地域は兵庫・佐賀を除く45都道府県計37局。これはテレ東アニメとしては異例の数で、ポケモンの「兵庫以外の46都道府県放送」に次ぐ数である。ハム太郎の後にこの数字を記録したテレ東アニメは同じく社会現象を巻き起こした「妖怪ウォッチ」(こちらは兵庫と徳島を除く45都道府県放送。ちなみにテレ東系における放送時間もハム太郎と同じで後輩にあたる。)ぐらいなのだ。
ここまで00年代初頭の女児向けアニメ2トップ、どれみとハム太郎のすごさとヒットの要因を紐解いてきた。
次回からはどれみやハム太郎初期と同時期に放送された01年~02年の女児向けアニメをいくつか分析していこうと思う。
参考文献
東映アニメーション公式サイト内「おジャ魔女どれみ20周年公式サイト」
小学館 「とっとこハム太郎公式サイト」
2000年代~10年代初頭の子供文化を語るうえでおジャ魔女(正確には99年開始だけど)やハム太郎、そしてプリキュアといった歴史的ヒット作を多数輩出した女児向けアニメの栄光と挫折の歴史もまた避けては通れない。
この章のはじめは00年代初頭の女児向けアニメの2トップ、冒頭でも話題に上げた「おジャ魔女どれみ」と「とっとこハム太郎」から分析していくことにする。00年代女児向けアニメの歴史はこの2作品から始まるといっても過言ではない。
まずはおジャ魔女どれみ。ABC・テレ朝系日曜朝8:30の女児向け路線のパイオニアである「夢のクレヨン王国」の後番組として1999年に第1作が放送開始した東映アニメーションとしては1984年~翌年にかけて放送された「とんがり帽子のメモル」(時間帯的にどれみやプリキュアの先輩でもある)以来実に約15年ぶりの魔法少女ものであったが、のっけから大ヒットを飛ばし、放送開始3か月後にはすでに2年目の制作が決定。最終的にこの枠で計4シリーズが制作された。バンダイの関連商品の売り上げも4年間の累計で230億円越えという記録的ヒットだ。
どれみの作劇上の特徴は「どんな状況にも対応できる万能魔法」と「キャラクターひとりひとりのドラマ性」。
それまでの魔法もの作品では、例えば「ひみつのアッコちゃん」の「鏡を用いた変身」のように特定のことに特化した魔法が主流であった。しかしどれみにおける魔法は何でもできる万能魔法。「もしも魔法が使えたら…」という子供のころ誰しもが考えたことのある妄想をまさにアニメの中で実現させた形だ。
シリーズディレクターの佐藤順一氏も「もしも魔法が使えたら=夢」。どれみたちのように子供たちが夢に気づけたら…という思いがどれみという作品の制作意図であったと語っており、そこから「万能魔法」という要素が生まれたのだ。
しかし「魔法で何でもできる」ということは「魔法があれば何でも解決できてしまう」ということ。シリーズディレクターの佐藤氏も「万能魔法は物語を作るうえでは難しい」とコメントしている。だがどれみたちは無限に魔法が使えるわけでなく、「魔法玉」が無ければ魔法が使えない。強力なものにもちゃんと弱点を置いた。いくら子供が魔法にあこがれを持ってるからとはいえ、何でもできすぎたら子供の目線から見てもつまらないからやっぱり一筋縄ではいかない部分をおくのはいいことだと思う。それこそが物語にスリルを生み出すことになるからだ。
続いて「キャラクターひとりひとりのドラマ性」。各話のシナリオにはどれみたちのクラスメイトの誰か一人ないし数人をフィーチャーし、彼らが直面する何らかの問題をどれみたちが解決するというものが多い。
主人公の通う学校が主要な舞台となる作品では当然そのクラスメイトも多数描かれる。だが魔法ものの作品ではいくら学校が舞台になろうと、主人公のクラスメイトが多数描かれようと、あまりそのクラスメイトには光が当たりにくく、単なる友達とだけ描かれることが多い。悪い言い方をしてしまえば魔法の使えない人間は添え物に過ぎないのだ。
だがどれみではおジャ魔女以外のクラスメイトにもしっかりとバックグラウンドが用意されており、ひとりひとりのキャラに単に個性があるだけでなく、さまざまなドラマがある。学校という舞台上、多数必要になっても何人かはスポットが当たらずに終わってしまうことも多いクラスメイトキャラ、だがどれみではほとんどのクラスメイトにスポットを当て、彼らのドラマを描いている。僕としてはここまでクラスメイトを有効活用できている作品はどれみとウソツキ!ゴクオーくんをおいて他にないと思っている。
おジャ魔女どれみは主人公の小3~小学校卒業までを描いた4年間の成長物語でもある。その中で一緒に成長していくクラスメイトをしっかり描くことがより物語に深みを与えたのは間違いない。
万能魔法という一見ご都合主義にも思える能力にも弱点を与え、クラスメイトをただのモブにせずしっかりとドラマの柱に添える。この一筋縄ではいかないドラマ性があったからこそ、多くの子供たちに支持され、どれみたちは小学校卒業までの自分たちの成長を視聴者に見せることができたのだ。
次にハム太郎の分析へと参ろう。
とっとこハム太郎の原作連載が始まったのは1997年。小学館の学年誌「小学二年生」であった。
立ち上げの発端となったのは当時の同誌編集長の黒川和彦氏。黒川氏はこれ以前はコロコロコミックの4代目編集長だったのだが、コロコロ時代は「ダッシュ四駆郎」を担当し、ミニ四駆1次ブームの陰の立役者となった人物だ。
そんな「ヒット請負人」ともいえる彼が目を付けたのはハムスター。すでに当時からハムスターブームが子供を中心に起こっており、実際ハム太郎連載開始の翌年にはサンリオからハムスターのキャラクター「コロコロクリリン」がデビューし、こちらも大人気となった。
そして当時実際にハムスターを飼っていた河井リツ子氏に依頼し、連載が開始。次第に掲載誌を増やすなど人気を拡大していき、連載開始2年後の夏に学年誌の誌上販売として製作されたOVAを経て2000年7月にテレビ東京系にてTVアニメが放送開始。単独番組としては5年9カ月という異例のロングランとなり、劇場版も4作制作された。
30分枠での放送終了後も2006年4月からは「のりスタ」内でのミニアニメとしてさらに2年ほど放送を継続した。
ハム太郎のヒットの要因をいくつか分析していこう。
ひとつは「すでに人気のあったハムスターに目を付けた」。
前述の通り、アニメ放送開始から3年前の原作開始時点ですでに子供たちの間ではハムスターブームが巻き起こっていた。ハムスターは犬猫と肩を並べるぐらい子供たちのあこがれのペットだったのだ。
ハム太郎と同時期に同じテレ東にて「ハムスター倶楽部」のアニメがおはスタの手前の時間で5分の帯番組として放送されたことから見て取れるだろう。この「ハムスター倶楽部」も当時はグッズが多数発売される人気っぷりであった。
そんな中で登場したハム太郎であるが、その人気はハムスターブームをより加速させていくこととなる。
もうひとつは「ファンタジーとリアルの融合」
「ハム太郎」といえば「オレンジとかの現実ではありえない毛色のハムスターが出てくる」し、「それ以前にハムスターがしゃべり、人間的な自我を持ち、ハムちゃんずというグループを作って行動する」という(後者は飼い主側は知らない設定だし、ハム太郎たちがしゃべるのもあくまでも演出上で人間側には聞こえてないけれども)「ハムスターとの生活」という現実的なテーマを取り上げてる作品としては異例なぐらいファンタジー要素がたっぷり入っているのだ。
大人の目線からしてみれば、人によっては「単にハムスターと飼い主の物語だと思ったのに喋ったり、人間的に行動するのは変」なんて思ったりもする方もいらっしゃるかもしれないが、子供たちの目線から考えれば「ウチのハムスターももしかしたらしゃべるかも」とか「うちのハムスターもよその子とハムちゃんずみたいに知らないところで集まってるかも!?」と夢を見させてくれる作品だったのだ。
「ハムスターとの生活」という現実的要素にファンタジーを加える…すなわち「日常の中の非日常」。これは藤子・F・不二雄氏の提唱した「SF(少し不思議)」と同じ考えなのだ。藤子作品のノウハウから築かれた小学館イズムからハム太郎は生まれたといっても過言ではない。すでにドラえもんなどのあまたの藤子作品で成功を実証しているこの要素を子供の大好きなハムスターと出合わせた。それこそ大きなヒットの要因の一つと言えよう。
ハム太郎は数字の面でもすごかった。
アニメは金曜夕方の放送でありながら視聴率は二桁となる10%越えを記録。
関連商品もアニメ開始から約2年半たった2002年12月の時点で5000品目が発売され、総売り上げは4500億円を記録。手のひらサイズのハムスターがこんだけのお金を運んできてくれたのだから小学館や商品化した各社もハム太郎さまさまだったであろう。
中でも主題歌CDはアニメ開始約1年の時点で全作合計35万枚の売り上げ。当時はまだアニソンの地位が低かった時代と考えれば異例のヒット。僕を含め、ハム太郎がある時代を生きていた子供たちの中にあのOPを歌えない人はいないだろう。
海外展開も行われ、公式が公表しているだけでも実に35の国と地域(ベルギーでは地域ごとの2バージョンが用意されたようだが、ここではベルギーは1か国とした)で放送されたのだ。なんたってタイでは反政府デモ隊が主題歌の替え歌を使い、彼らにとってハム太郎は運動のシンボルとなるぐらいだから世界のハム太郎といっても過言ではないだろう。(非公式にデモ隊が替え歌作ったとはいえ、それに対して公式は無反応とはいえ、キャラクターやアニソンが政治的目的で使われるのは個人的には複雑な気分なのだが)。
アニメはテレ東系のない地域でも遅れネットが行われたのだが、遅れネットを含めた総放送地域は兵庫・佐賀を除く45都道府県計37局。これはテレ東アニメとしては異例の数で、ポケモンの「兵庫以外の46都道府県放送」に次ぐ数である。ハム太郎の後にこの数字を記録したテレ東アニメは同じく社会現象を巻き起こした「妖怪ウォッチ」(こちらは兵庫と徳島を除く45都道府県放送。ちなみにテレ東系における放送時間もハム太郎と同じで後輩にあたる。)ぐらいなのだ。
ここまで00年代初頭の女児向けアニメ2トップ、どれみとハム太郎のすごさとヒットの要因を紐解いてきた。
次回からはどれみやハム太郎初期と同時期に放送された01年~02年の女児向けアニメをいくつか分析していこうと思う。
参考文献
東映アニメーション公式サイト内「おジャ魔女どれみ20周年公式サイト」
小学館 「とっとこハム太郎公式サイト」
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