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記録ノ103 ふたりのための卒業式

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震災から数日後に予定されていた卒業式は震災の影響(自粛ムード)も多少懸念されたが、規模を縮小することなく予定通り行われた。
卒業式の主役はもちろん6年生。だが送る会と同じく在校生側の主役は我々5年生と言える。
在校生の中での最高学年は当然我々5年生。いわば我々は卒業生を乗せて未来へ向かう「卒業式号」のかじを取るキ
ャプテンなのだ。

僕らの大きな役目のひとつが卒業生の入退場時の鍵盤ハーモニカの演奏だ。
僕らの演奏するいきものがかりの「ありがとう」にのせて、卒業生は体育館入りし、そして退場する。
学年ごとのスピーチ(以前お話しした通り台本あり)も、5年生の尺が一番長い。
さらに前日の設営の手伝いも行った。
いままでよりやることがいっぱいあって大変だったが、何とか頑張ってできたと思う。
今まで4度、卒業生を送り出してきたが今回は格別だった。
”卒業生を送り出す”小学校の卒業式は今年が最後。来年はとうとう自分たちが送り出される側になると思うと感慨深かったが、一方で実感がわききらない部分もあったのもまた事実だ。小学校生活はまだ1年あるのだから。

これにて卒業式はめでたく成功に終わり…と言いたいところだが実は気の毒なことに、6年生の女子2人がこの日体調不良により欠席となってしまった。
一生に一度の小学校の卒業式、無念の気持ちでいっぱいだったであろう。もし自分が彼女たちと同じ立場だったらと思うとつらい気持ちでいっぱいだった。

卒業式から3日後の朝、僕たちは教室に入ってきたM上先生に朝の会もなしに突然椅子と鍵盤ハーモニカをもって体育館に集まるよう言われた。事前の説明もなく本当に突然だったので戸惑った。
いざ体育館に到着すると、隣のクラスだけでなく、3日前に卒業式を終えた6年生メンバーも集合しているではないか。これで察しはついた。
そして先生の指揮とともに、僕たちはありがとうを演奏。
その演奏にあわせて入ってきたのは3日前に無念の欠席となってしまった6年生女子2人。
一生に一度の晴れ舞台に出ることができなかった彼女たちのためのもう一つの小さな卒業式であった。
「卒業証書!〇〇殿!小学校の課程を終えたことをここに証する!」
無事卒業証書を受け取って、6年間過ごした学び舎を後にする2人を僕たちは再び演奏で見送った。
6年間を共にした仲間たちにも集まってもらって彼女たちも幸せな卒業式だっただろう。何の説明もなく体育館入りするまでは何をするかと戸惑ったが、とても粋な計らいだったと思う。

それから数日後の終了式で校長先生が今回のことを全校に向けて話した。
「卒業式の日、2人の6年生が残念ながら来られませんでした。そこで3日後にその2人のために5年生が中心となって小さな卒業式を開いたのです…」
僕はこの式でやさしさを学べたと思う。僕らも最高学年に向けて頑張らねば。
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