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食事会
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それから数日のうちに、オフィーリアはハイウェルの屋敷に招かれた。まさか、ハイウェルと共に馬車で宿舎から屋敷まで移動するとは思わなかった。久しぶりに袖を通したドレスは既に流行遅れのものだったが、ハイウェルは「新鮮だ」と微笑むだけだった。
「部下でいるときの君ばかり見ているせいか、貴族の令嬢だということを忘れてしまうな。お詫びに、今日はエスコートさせていただこう」
「エスコートだなんて、そんな。いつものように部下でいさせてください」
「いいや。軍服を脱いだら君もひとりの女性だ。そして私もまた、ひとりの男でしかない。今夜は夕食を楽しもう」
ハイウェルは上機嫌なのか口の端を持ち上げていたが、オフィーリアはぎこちなく笑みを作るばかりだ。
互いに心の距離を一歩詰めたからと言って、オフィーリアにとってハイウェルは上官でしかない。
(た、楽しめるかしら……)
どこかクラクラする心持ちで、滑らかな手の甲を撫でた。ハイウェルからもらった保湿剤のおかげで、手荒れはわずかながらも落ち着いてきた。玉のような肌を取り戻すことはもう叶わないだろう。だが、生気を取り戻した肌を見るのは気分がいい。
ハイウェルの屋敷で振る舞われた夕食は、なにかのお祝いかと思うくらい豪華だった。いや、質素な食事に慣れすぎたせいかも知れない。緊張をごまかすためにワインを口にして、その渋さに眉を寄せた。
「大丈夫か?」
「はいっ、ゴホッコホンッ」
むせるオフィーリアを見て、ハイウェルは苦笑しながら給仕を呼んだ。
「お湯でワインを薄めてあげなさい」
給仕は恭しく頭を下げ、そうかからないうちに命じられたものを用意した。
「無理せず少しずつ飲むといい」
「ありがとうございます。ごめんなさい。久しぶりに飲んだものですから」
「いったいいつぶりだ?」
「社交界に出たのが十八歳のときですから、もう六年も前ですね」
ハイウェルは少々驚いたようだった。
「それが最後なのか」
「はい。そのあと割とすぐに、魔法士団に志願して訓練を始めましたから」
その訓練のあとになにがあったのか想像できないハイウェルではないだろう。
幾分、複雑な表情をしてワインを一口飲んだ。
「君には兄がいるのだろう。なぜ、君が志願したんだ」
「兄は嫡子で、唯一の男子でしたから。名誉のために騎士になる道もありましたが、家を継ぐことを希望したのです。家の名誉を守るためには戦費を出すしかありません。ですがあの頃、カクーンとの小競り合いが増えたことで徴収される税も増えていきました。私の領土は肥沃ではありませんし、税収を増やせば領民の心が離れます」
「だから、君が魔法士団に入り家の名誉を守ったと」
「はい」
兄のことは恨んではいない。彼のように繊細で優しい性格の人間が戦地へ行けば、真っ先に散るか、心を病んで廃人になっただろう。そう考えると、行ったのが自分でよかったとすら思う。
「ミーフィズでの日々は、君のような令嬢にとって過酷だっただろう」
「……あれは誰にとっても過酷です」
オフィーリアは戦争の記憶を無理やり塞いだ。
思い出すにはあまりにも辛い日々だった。
「すまない」
「なぜハイウェル様が謝るのです?」
「私は……いや、思い出させて申し訳なかった。楽しい夕食にしようと言ったのは私なのに」
オフィーリアは暗くなりつつある空気をどうにか盛り上げようと、「あ!」と声を弾ませてみた。
「楽しい話かわかりませんが、こんなお話はどうでしょう」
特別面白い話を持っているわけではない。だが、魔法士団の仕事を彼はあまり多くは知らないだろう。そう思って、仕事の話を聞かせてみた。幸い、ハイウェルは出会った頃からオフィーリアの仕事について興味を持ってくれている。そして思った通り、ハイウェルは質問を投げかけ、順調に会話を繋いでいくことができた。
初めての食事会はまずまずといった具合で終わり、ハイウェルはわざわざ馬車に同乗して宿舎まで送ってくれた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。気を遣わせて申し訳なかった。次こそ、楽しい食事会にしてみせる」
(次こそ……か)
これがハイウェルではない男から言われたセリフだったなら、社交辞令と受け取ったことだろう。しかし、ハイウェルだから「次」があることを期待してしまう。この人は、向き合う相手に誠実であろうとするから。
ハイウェルはオフィーリアが宿舎の扉を閉めるまで馬車を出さなかった。
(勘違いしちゃいそうになる。でも、あくまで私は主治医として求められているだけ。勘違いしちゃダメよ)
「部下でいるときの君ばかり見ているせいか、貴族の令嬢だということを忘れてしまうな。お詫びに、今日はエスコートさせていただこう」
「エスコートだなんて、そんな。いつものように部下でいさせてください」
「いいや。軍服を脱いだら君もひとりの女性だ。そして私もまた、ひとりの男でしかない。今夜は夕食を楽しもう」
ハイウェルは上機嫌なのか口の端を持ち上げていたが、オフィーリアはぎこちなく笑みを作るばかりだ。
互いに心の距離を一歩詰めたからと言って、オフィーリアにとってハイウェルは上官でしかない。
(た、楽しめるかしら……)
どこかクラクラする心持ちで、滑らかな手の甲を撫でた。ハイウェルからもらった保湿剤のおかげで、手荒れはわずかながらも落ち着いてきた。玉のような肌を取り戻すことはもう叶わないだろう。だが、生気を取り戻した肌を見るのは気分がいい。
ハイウェルの屋敷で振る舞われた夕食は、なにかのお祝いかと思うくらい豪華だった。いや、質素な食事に慣れすぎたせいかも知れない。緊張をごまかすためにワインを口にして、その渋さに眉を寄せた。
「大丈夫か?」
「はいっ、ゴホッコホンッ」
むせるオフィーリアを見て、ハイウェルは苦笑しながら給仕を呼んだ。
「お湯でワインを薄めてあげなさい」
給仕は恭しく頭を下げ、そうかからないうちに命じられたものを用意した。
「無理せず少しずつ飲むといい」
「ありがとうございます。ごめんなさい。久しぶりに飲んだものですから」
「いったいいつぶりだ?」
「社交界に出たのが十八歳のときですから、もう六年も前ですね」
ハイウェルは少々驚いたようだった。
「それが最後なのか」
「はい。そのあと割とすぐに、魔法士団に志願して訓練を始めましたから」
その訓練のあとになにがあったのか想像できないハイウェルではないだろう。
幾分、複雑な表情をしてワインを一口飲んだ。
「君には兄がいるのだろう。なぜ、君が志願したんだ」
「兄は嫡子で、唯一の男子でしたから。名誉のために騎士になる道もありましたが、家を継ぐことを希望したのです。家の名誉を守るためには戦費を出すしかありません。ですがあの頃、カクーンとの小競り合いが増えたことで徴収される税も増えていきました。私の領土は肥沃ではありませんし、税収を増やせば領民の心が離れます」
「だから、君が魔法士団に入り家の名誉を守ったと」
「はい」
兄のことは恨んではいない。彼のように繊細で優しい性格の人間が戦地へ行けば、真っ先に散るか、心を病んで廃人になっただろう。そう考えると、行ったのが自分でよかったとすら思う。
「ミーフィズでの日々は、君のような令嬢にとって過酷だっただろう」
「……あれは誰にとっても過酷です」
オフィーリアは戦争の記憶を無理やり塞いだ。
思い出すにはあまりにも辛い日々だった。
「すまない」
「なぜハイウェル様が謝るのです?」
「私は……いや、思い出させて申し訳なかった。楽しい夕食にしようと言ったのは私なのに」
オフィーリアは暗くなりつつある空気をどうにか盛り上げようと、「あ!」と声を弾ませてみた。
「楽しい話かわかりませんが、こんなお話はどうでしょう」
特別面白い話を持っているわけではない。だが、魔法士団の仕事を彼はあまり多くは知らないだろう。そう思って、仕事の話を聞かせてみた。幸い、ハイウェルは出会った頃からオフィーリアの仕事について興味を持ってくれている。そして思った通り、ハイウェルは質問を投げかけ、順調に会話を繋いでいくことができた。
初めての食事会はまずまずといった具合で終わり、ハイウェルはわざわざ馬車に同乗して宿舎まで送ってくれた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。気を遣わせて申し訳なかった。次こそ、楽しい食事会にしてみせる」
(次こそ……か)
これがハイウェルではない男から言われたセリフだったなら、社交辞令と受け取ったことだろう。しかし、ハイウェルだから「次」があることを期待してしまう。この人は、向き合う相手に誠実であろうとするから。
ハイウェルはオフィーリアが宿舎の扉を閉めるまで馬車を出さなかった。
(勘違いしちゃいそうになる。でも、あくまで私は主治医として求められているだけ。勘違いしちゃダメよ)
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