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第一章 導かれし者
改変され続ける世界
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ペナムより西にアクラスフィア王国の街は存在しなかった。
国境を越えることになるためキャラバン隊以外の馬車は通行していない。従って諒太は馬車を飛び降りるとペンダム遺跡に向かって歩くしかなかった。
自然と早足になっている。それこそ時間を惜しむかのように。いち早くペンダム遺跡へと到着し、諒太はレベル上げを再開しなければならないのだと。
「そういやインフェルノの試し撃ちをしなきゃいけない……」
無双の長剣を装備したままインフェルノを撃てるのかどうか。試し撃ちをしておかねば、予期せぬ強敵が現れてしまうと賭に出るしかなくなる。しかしながら、試し撃ちは街から離れなければならない。センフィスにいた御者ですらインフェルノの火柱を知っていたのだ。妙な噂にならないためにも、ペナムに近い場所での使用は控えるべきである。
「時間は惜しいけど、先にナツの倉庫へ行くか……」
MPポーションは惜しいが、試しておくのは命に関わる大問題である。ゲームでは往々にして貴重なアイテムを使いそびれてしまう。限りなく現実であるこの世界において、出し惜しみをして失われるなんて馬鹿な真似は絶対にできない。
街を出てから一時間。諒太は再び夏美の倉庫前へとやって来た。数時間前であるというのに、グレートサンドワームを倒したのが随分と昔のように感じてしまう。
「さてと……」
諒太が剣を装備したところで脳裏にコール音が響く。何の通知かと思うも、それはスナイパーによる呼び出し音であった。
【着信 九重夏美】
「ナツ? 一体何の用だ……?」
夏美にはサーバーが異なると伝えたはず。よってゲーム中にコールはないと考えていたのに。疑問に感じながらも、諒太は応答する。
「もしもし?」
『あ、リョウちん!? ねぇ聞いてよ!』
どうやら雑談であるようだ。恐らくは夏美の愚痴を聞かされるだけであろう。きっとミノタウロスの石ころが全然ドロップしないという話だ。忙しいというのに、全く以て面倒な幼馴染みだと思う。
「どうした? まだミノタウロスの石ころがドロップしないのか?」
『石ころはまだなんだけど、それよりも重大なこと! さっきリョウちんにあたしの倉庫を見せたじゃない?』
夏美は石ころのドロップ率よりも大事な話があるという。かといって諒太の興味を惹くことはないだろう。諒太と夏美は異なる時間軸でプレイしているのだから。
「それがどうしたってんだ? また自慢話か?」
倉庫の話はもう腹一杯である。従って興味がない感じの返答をして話を早く終わらせるつもりだった。諒太は無関心を装うつもりであったというのに……。
『アイテムが盗まれてるの――――』
思いもせぬ話に諒太は息を呑む。どうしてそうなるのだと眉間にしわを寄せた。
確かに諒太は夏美の装備やアイテムを拝借したけれど、諒太から見て夏美は三百年前の存在である。未来で盗まれたものが時を遡って失われるなんて起こり得るはずがない。
「何が……盗まれたんだよ……?」
意図せず鼓動が高鳴っていく。夏美の返答を待つ諒太は額に流れる嫌な汗を拭った。
絶対に自分じゃないと思う。夏美は防護結界を張り忘れていたから、他のプレイヤーに盗まれただけ。あり得ない想定などするべきではなかった。
「HPとMPのエクストラポーションだよ! 全部は分からないんだけど、無双の長剣とか灼熱王オルフェウスの鎧までなくなってんの!」
何度も唾を飲み込んだけれど、平常心を取り戻せない。諒太は完全に動揺している。どうしてか彼が拝借したものと同じアイテムが盗まれたという事実に。
「他には……? たとえばスクロールとか……」
受け入れ難い話だが、夏美の返答によって、諒太は考えを改める必要があった。もし仮にあのスクロールまで消失していたとしたら、世界間の関係は彼が考えるようなものではなくなってしまう。
『ああ! インフェルノも盗まれてる! あれって超超超激レアアイテムなのに! 最悪じゃん!?』
もう疑う余地はない。夏美は気付いていないようだが、恐らく賢者レブルスの杖もなくなっていることだろう。
きっと世界間の公式は諒太が考えていたものと違う。世界の改変時に時系列が問題とならなかったように、今もまだ双方の世界は前後関係を無視している。互いの世界を同質化するのに三百年前という時間差は考慮されていない。
「夏美のデータは三百年後の影響を受けている――――」
そうとしか考えられない。どうせ盗むのなら手当たり次第に持ち去るはず。ピンポイントで盗んでいくなんてあり得ないのだ。
しばし考えてみる。夏美にどう返答すべきか。全てを伝えるのは難しいけれど、せめて夏美の溜飲を下げられはしないかと。
「ナツ、すまん。盗んだのは俺だ。異なるサーバーにいるけれど、元々そこにいたからかナツの倉庫に接続できた。運営には内緒だぞ?」
取って付けた嘘であるけれど、夏美なら信じてくれると思う。過去には色々なゲームを指南した。だからこそ彼女は自身の話を素直に受け入れるだろうと。
『ええ!? リョウちんってチーターだったの!? そりゃあリョウちんなら別に構わないけど……』
やはり幼馴染みは諒太を疑わない。少しばかり心苦しく感じるも、自分のせいで夏美が他のプレイヤーに不信感を抱くなんて絶対に駄目だと思う。心から彼女に楽しんでもらうためにも、素直に自白すべきであった。
ここで諒太は思いつきを試してみたくなる。謝罪の他にできること。諒太は倉庫の前にしゃがみ込み、予想される結果に基づき行動してみた。
「別に無料で進呈しろとは言ってない。俺のとっておきと交換だ……」
『何をくれるの? いつこっちに来る?』
「慌てんな。既に用意してある。入り口の土を掘ってみろ……」
諒太の予想が正しければ夏美は見つけるはず。世界間の公式がそうであるならば、きっと夏美は笑顔を戻すはずだ。
『ああ! これってミノタウロスの石ころじゃん!?』
どうやら諒太が立てた仮説は正しかったようだ。夏美が手に入れられなかった石ころ。たった今埋めたアイテムが夏美の手に渡っている。
「それと俺が持ち去ったアイテムを交換してくれ。黙って持って行ったから盗人になってしまったんだ。ちなみに賢者レブルスの杖も拝借している……」
『アハハ、リョウちん悪落ちしちゃったんだ! いいよ。石ころと交換してあげる!』
まあここまでは予定通り。交換品を用意しなくとも夏美であれば進呈してくれただろう。けれど、諒太には問題が残っていたのだ。
「すまんが石ころと好きなもの全てを交換ってメモ書きが欲しい。それを今掘った穴に埋めてくれ」
『それで元に戻るの? 分かった。リョウちんが悪落ちとか可哀相だもん』
言って夏美は黙り込む。恐らく諒太が求めたメモを用意してくれているのだろう。
『埋めたよ! 元に戻ると良いね? とにかく石ころありがとう!』
「ああ、俺も助かったよ。盗人はポーションすら買えなくなるんだぜ?」
笑い合ったあと通話を切る。
何とか笑い話で切り抜けることができた。夏美は何事においても深く考えないし、原因さえ分かったのなら引き摺ることはないはずだ。
それはそうと夏美のメモ書き。再び諒太はしゃがみ込んで地面を掘り返している。
「やっぱり……」
そこには埋めたはずの石ころはなく、夏美が残した紙切れだけが埋まっていた。
刹那に告知音が脳裏へと届く。
『ジョブが【勇敢なる神の使い(盗人)】から【勇敢なる神の使い(勇者)】に変化しました』
まさに吉報であった。待望のジョブ変更が通知されている。僅か数時間の盗人生活だったけれど、苦労しただけあって非常に長く感じられていた。
兎にも角にも諒太は勇者に復帰。謎の称号もそのままである。
「ステータスは三割増になったけど、一応は試し撃ちしとくか……」
もうポーションを買えないこともないだろうし、インフェルノの試し打ちにも躊躇いはない。諒太は景気よく撃ち放ってやろうと思う。
「奈落に燻る不浄なる炎よ……幾重にも重なり烈火となれ……」
無詠唱になると最強だと思えるが、生憎と連発できるMPが諒太にはない。それこそ熟練度を10まで上げるのは至難の業である。
「燃え上がれ、インフェルノォォ!!」
先ほどよりもずっと頭がスッキリしている。発動前のタイムラグは相変わらずであったけれど、前回のように限界という感じではない。また消費量は倍になっているはずなのだが、レベルが20も上がったことに加えて勇者のステータス補正もあって持ち堪えている。
「気分は悪くならないし問題ないな。次はリバレーションだ……」
使えなくなった勇者専用魔法。妙な称号が影響していないことを祈るのみだ。移動魔法が可能であれば、諒太はペンダム遺跡へと戻ってレベル上げに勤しむつもりである。
こちらも懸念していたような問題はなく、難なく使用できた。さりとて別の問題が発生している。
レベルが跳ね上がった諒太にとってペンダム遺跡の魔物は弱すぎたのだ。剣の熟練度を上げるという目的もあるのだが、肝心のレベルは一つとして上がっていない。
「剣術は熟練度が6になったけど……」
レベルが69になっただけでなく、経験値三倍の効果も失っている。何だか急激にハードモードへと切り替わったかのように感じてしまう。
「ここはもうレベリングに最適じゃない。それなら、どこで戦えばいい?」
ペンダム遺跡で最後まで戦うつもりだった諒太は他の選択肢を考えていなかった。ペンダム遺跡も高難度ダンジョンであるため、恐らくボスはかなりの強敵だろう。しかし、ボス狙いは明らかに効率が悪い。その都度、ダンジョンを踏破する時間は残されていないのだ。
「ナツに聞いてみよう……」
夏美たちは再びペンダム遺跡へと潜っているはず。ミノタウロスの石ころは一つしか渡していないのだ。彩葉の分もドロップするまで戦うはずである。
直ぐさまスナイパーメッセージを起動し諒太は通話を始める。二回ほどコールしたあと夏美が応答にでた。
『リョウちん、どしたの?』
「戦闘中悪いな。レベリングに効率の良いダンジョンを教えてくれ」
『いいよ、今レベルいくつ?』
流石は廃プレイヤーである。諒太が知りたいことを夏美は全て知っているかのよう。
「今は69だ……」
『69!? まさかまたチートなの!?』
「不正扱いすんな。俺は真面目に戦ってる。ズルはお前の倉庫を物色しただけだ」
ふぇぇと妙な声を上げる夏美。諒太のレベルが信じられないといった感じだ。
『どしたらそんなことになんの? 気になる!』
夏美は質問に答えるより自身の疑問を優先している。かといって彼女が廃人なのは理解しているし、秘密にすることでもない。
「レベル49のときグレートサンドワームという魔物を狩ったんだ……」
夏美であればグレートサンドワームを知っていることだろう。何しろ勇者ナツがグレートサンドワームと戦い苦戦したという話をフレアから聞いたばかりである。
『ああ、グレートサンドワームなら納得。あたしでもレベルが二つ上がったもの。でも一日一回しかポップしないのはつまらないよね。無限に現れるのなら良かったのに』
やはり夏美は三百年後に伝わっている通り、グレートサンドワームを倒したらしい。また新たな情報も含まれている。グレートサンドワームは一日に一回しか現れないのだという。
「いつエンカウントしたんだよ? 俺はほんの数時間前だぞ?」
『あたしは倉庫にポーションを取りに来た時だね。イロハちゃんと二人だったけど何とか倒せたよ。でも最後に爆発するとは思わなかった! イロハちゃんもあたしも瀕死状態になったよ! リョウちんよく生き残ったね?』
脳筋パーティの二人であるから苦戦を強いられたみたいだ。確か物理攻撃は効果が一番低かった。それでも倒してしまうのだから二人はやはり廃プレイヤーである。
しかし、爆発との話は諒太が経験していないことだ。小首を傾げるしかなかったけれど、諒太には思い当たる節もある。
動かなくなったグレートサンドワームはやはりHPを残していたのだ。インフェルノの残り火がそれを持続的に削り取った可能性。動かなくなった僅かな時間に追加ダメージを与えなければ、プレイヤーは爆発に巻き込まれるのだと考えられた。加えてレベルアップ後に直ぐさま消失したこと。爆死するグレートサンドワームはそもそも剥ぎ取りが設定されていないのだろう。
「俺は上手い具合に爆発を回避したんだ。魔法で戦ったからな……」
『じゃあ倉庫から持ってった装備はグレートサンドワームに特化してたってわけ?』
「結果的にな。俺は火属性が5だったから、それを強化しただけだ。バフの重ね掛けでINT値の強化。グレートサンドワームの弱点が火属性だったのも勝てた理由だな」
『どんな魔法!? あたしが知ってるやつかな!?』
夏美は延々と問いを重ねている。まあしかし、武勇伝を聞かせるのは悪くなかった。ずっと諒太はマウントを取られていたのだ。彼女を見返す意味でも語りたくなっている。
「お前の倉庫にあったインフェルノだよ。消費MPを四分の一にして発動させた。一撃だったぜ?」
『ええ! インフェルノ!? あれって唱えられるんだ!?』
予想とは違う反応がある。てっきり感嘆されるものと考えていたというのに。どうしてか夏美は一撃であった威力よりも魔法の発動に興味を持ったらしい。
「どうしてだ? 俺のレベルが低すぎるってことか?」
『それもあるけど、インフェルノはレベル100の大魔道士でも発動しないらしいの。同じように消費MPを最大の四分の一にまで下げても……』
おかしな話である。諒太と同じように消費MPを減少させたのなら唱えられるはず。それもレベル100であるのなら尚更だ。諒太はあのときレベルが50に満たなかったのだから。
『リョウちんのINT値は幾つだったの? 確か初期値は5って言ってたけど……』
「正確には覚えてないが確か三桁だった。素のステータスは80程度だったけど、レブルスの杖の効果で100は超えていた……」
諒太はINT値が突出していた。だからこそ倒せると考えたのだ。他のステータスは詳しく覚えていないけれど、INT値だけは確認したし、間違いなく100は超えていたはず。
『100!? それって世界最高レベルに凄いよ! まだINT値で三桁の人は見たことないし!』
どうにも困惑してしまう。諒太の他にINT値三桁に到達するプレイヤーがいないだなんて考えもしないことだ。
「マジでか? やはり初期値の違いなのか?」
『初期値が5であっても、70位から頭打ちになんの。魔法威力の調整で公式サービスからINT値は上がりにくくなったんだよ。相当運良く当りを引かないと80は超えない。貧乏運のリョウちんにしてはやるじゃん!』
「貧乏運いうな……」
インフェルノの発動条件はINT値三桁以上なのかもと夏美。今のところレブルスの杖を超えるINT値のバフ効果はないそうで、大魔道士であっても三桁に届いていないらしい。またサーバー内にインフェルノのスクロールを持つ者はいないようで、夏美はネットの掲示板によって色々と確認したみたいだ。
『装備を厳選してインフェルノで討伐。リョウちんっぽい完全な作戦勝ちじゃん! やっぱりリョウちんは凄いなぁ!』
同じゲーマーでありながらプレイスタイルは昔から正反対だ。戦略的な諒太に対して夏美は直感型。だからこそ二人は互いのプレイが奇抜に見えたし、面白いとも感じたのだ。
「逆にアレを殴り倒すとかどうかしてる。お前たち強すぎだよ……」
『あたしたちはグレートサンドワームとレベル差がなかったから。リョウちんみたく半分のレベルでは倒せないよ』
褒め合うのは何だか恥ずかしい。それこそ子供の頃は互いのプレイを貶し合っていた。今思うと当時は自身との違いが悪い部分にしか見えなかったのだと思う。
『それでレベリングの場所だけど、スバウメシア聖王国の南にある洞窟がいいと思う。あたしもレベル90までそこに籠もってたし。70台だとリトルドラゴンがキツいと思うけど、単体ポップが基本だから何とかなるよ。それにレアモンスターであるハピルの経験値が最高なの! レベル70でハピルを倒したなら、三つはレベルアップするはずだから』
「どうやったらそこまで行ける? アクラスフィアの西側からだとかなり距離がありそうだけど……」
『洞窟に近いサンテクトって街にはポータルがあるよ。誰かに連れてってもらえばいいと思う』
恐らくセイクリッド世界にも移動ポータルは存在しているはずだが、一般的な移動手段ではないかと思われる。だからこそ人々は馬車で移動しているのであって、ポータルを使って他国へ向かう人が都合よくいるとは思えない。
「まあ分かった。ペンダム遺跡にいても仕方ない。俺はスバウメシアに行ってみる」
『頑張って! 大いなる旅路に幸あらんことを!』
何だかよく分からない激励だが、諒太はツッコむことなく了解とした。まずはアクラスフィア城下へと戻り、移動ポータルによってスバウメシアへ行く人を探さなければならない。
諒太は一つ息を吐いた。新たな狩り場はエルフの国。不安と期待が入り混じるけれど、彼は成すべき事柄は決して見誤らない……。
国境を越えることになるためキャラバン隊以外の馬車は通行していない。従って諒太は馬車を飛び降りるとペンダム遺跡に向かって歩くしかなかった。
自然と早足になっている。それこそ時間を惜しむかのように。いち早くペンダム遺跡へと到着し、諒太はレベル上げを再開しなければならないのだと。
「そういやインフェルノの試し撃ちをしなきゃいけない……」
無双の長剣を装備したままインフェルノを撃てるのかどうか。試し撃ちをしておかねば、予期せぬ強敵が現れてしまうと賭に出るしかなくなる。しかしながら、試し撃ちは街から離れなければならない。センフィスにいた御者ですらインフェルノの火柱を知っていたのだ。妙な噂にならないためにも、ペナムに近い場所での使用は控えるべきである。
「時間は惜しいけど、先にナツの倉庫へ行くか……」
MPポーションは惜しいが、試しておくのは命に関わる大問題である。ゲームでは往々にして貴重なアイテムを使いそびれてしまう。限りなく現実であるこの世界において、出し惜しみをして失われるなんて馬鹿な真似は絶対にできない。
街を出てから一時間。諒太は再び夏美の倉庫前へとやって来た。数時間前であるというのに、グレートサンドワームを倒したのが随分と昔のように感じてしまう。
「さてと……」
諒太が剣を装備したところで脳裏にコール音が響く。何の通知かと思うも、それはスナイパーによる呼び出し音であった。
【着信 九重夏美】
「ナツ? 一体何の用だ……?」
夏美にはサーバーが異なると伝えたはず。よってゲーム中にコールはないと考えていたのに。疑問に感じながらも、諒太は応答する。
「もしもし?」
『あ、リョウちん!? ねぇ聞いてよ!』
どうやら雑談であるようだ。恐らくは夏美の愚痴を聞かされるだけであろう。きっとミノタウロスの石ころが全然ドロップしないという話だ。忙しいというのに、全く以て面倒な幼馴染みだと思う。
「どうした? まだミノタウロスの石ころがドロップしないのか?」
『石ころはまだなんだけど、それよりも重大なこと! さっきリョウちんにあたしの倉庫を見せたじゃない?』
夏美は石ころのドロップ率よりも大事な話があるという。かといって諒太の興味を惹くことはないだろう。諒太と夏美は異なる時間軸でプレイしているのだから。
「それがどうしたってんだ? また自慢話か?」
倉庫の話はもう腹一杯である。従って興味がない感じの返答をして話を早く終わらせるつもりだった。諒太は無関心を装うつもりであったというのに……。
『アイテムが盗まれてるの――――』
思いもせぬ話に諒太は息を呑む。どうしてそうなるのだと眉間にしわを寄せた。
確かに諒太は夏美の装備やアイテムを拝借したけれど、諒太から見て夏美は三百年前の存在である。未来で盗まれたものが時を遡って失われるなんて起こり得るはずがない。
「何が……盗まれたんだよ……?」
意図せず鼓動が高鳴っていく。夏美の返答を待つ諒太は額に流れる嫌な汗を拭った。
絶対に自分じゃないと思う。夏美は防護結界を張り忘れていたから、他のプレイヤーに盗まれただけ。あり得ない想定などするべきではなかった。
「HPとMPのエクストラポーションだよ! 全部は分からないんだけど、無双の長剣とか灼熱王オルフェウスの鎧までなくなってんの!」
何度も唾を飲み込んだけれど、平常心を取り戻せない。諒太は完全に動揺している。どうしてか彼が拝借したものと同じアイテムが盗まれたという事実に。
「他には……? たとえばスクロールとか……」
受け入れ難い話だが、夏美の返答によって、諒太は考えを改める必要があった。もし仮にあのスクロールまで消失していたとしたら、世界間の関係は彼が考えるようなものではなくなってしまう。
『ああ! インフェルノも盗まれてる! あれって超超超激レアアイテムなのに! 最悪じゃん!?』
もう疑う余地はない。夏美は気付いていないようだが、恐らく賢者レブルスの杖もなくなっていることだろう。
きっと世界間の公式は諒太が考えていたものと違う。世界の改変時に時系列が問題とならなかったように、今もまだ双方の世界は前後関係を無視している。互いの世界を同質化するのに三百年前という時間差は考慮されていない。
「夏美のデータは三百年後の影響を受けている――――」
そうとしか考えられない。どうせ盗むのなら手当たり次第に持ち去るはず。ピンポイントで盗んでいくなんてあり得ないのだ。
しばし考えてみる。夏美にどう返答すべきか。全てを伝えるのは難しいけれど、せめて夏美の溜飲を下げられはしないかと。
「ナツ、すまん。盗んだのは俺だ。異なるサーバーにいるけれど、元々そこにいたからかナツの倉庫に接続できた。運営には内緒だぞ?」
取って付けた嘘であるけれど、夏美なら信じてくれると思う。過去には色々なゲームを指南した。だからこそ彼女は自身の話を素直に受け入れるだろうと。
『ええ!? リョウちんってチーターだったの!? そりゃあリョウちんなら別に構わないけど……』
やはり幼馴染みは諒太を疑わない。少しばかり心苦しく感じるも、自分のせいで夏美が他のプレイヤーに不信感を抱くなんて絶対に駄目だと思う。心から彼女に楽しんでもらうためにも、素直に自白すべきであった。
ここで諒太は思いつきを試してみたくなる。謝罪の他にできること。諒太は倉庫の前にしゃがみ込み、予想される結果に基づき行動してみた。
「別に無料で進呈しろとは言ってない。俺のとっておきと交換だ……」
『何をくれるの? いつこっちに来る?』
「慌てんな。既に用意してある。入り口の土を掘ってみろ……」
諒太の予想が正しければ夏美は見つけるはず。世界間の公式がそうであるならば、きっと夏美は笑顔を戻すはずだ。
『ああ! これってミノタウロスの石ころじゃん!?』
どうやら諒太が立てた仮説は正しかったようだ。夏美が手に入れられなかった石ころ。たった今埋めたアイテムが夏美の手に渡っている。
「それと俺が持ち去ったアイテムを交換してくれ。黙って持って行ったから盗人になってしまったんだ。ちなみに賢者レブルスの杖も拝借している……」
『アハハ、リョウちん悪落ちしちゃったんだ! いいよ。石ころと交換してあげる!』
まあここまでは予定通り。交換品を用意しなくとも夏美であれば進呈してくれただろう。けれど、諒太には問題が残っていたのだ。
「すまんが石ころと好きなもの全てを交換ってメモ書きが欲しい。それを今掘った穴に埋めてくれ」
『それで元に戻るの? 分かった。リョウちんが悪落ちとか可哀相だもん』
言って夏美は黙り込む。恐らく諒太が求めたメモを用意してくれているのだろう。
『埋めたよ! 元に戻ると良いね? とにかく石ころありがとう!』
「ああ、俺も助かったよ。盗人はポーションすら買えなくなるんだぜ?」
笑い合ったあと通話を切る。
何とか笑い話で切り抜けることができた。夏美は何事においても深く考えないし、原因さえ分かったのなら引き摺ることはないはずだ。
それはそうと夏美のメモ書き。再び諒太はしゃがみ込んで地面を掘り返している。
「やっぱり……」
そこには埋めたはずの石ころはなく、夏美が残した紙切れだけが埋まっていた。
刹那に告知音が脳裏へと届く。
『ジョブが【勇敢なる神の使い(盗人)】から【勇敢なる神の使い(勇者)】に変化しました』
まさに吉報であった。待望のジョブ変更が通知されている。僅か数時間の盗人生活だったけれど、苦労しただけあって非常に長く感じられていた。
兎にも角にも諒太は勇者に復帰。謎の称号もそのままである。
「ステータスは三割増になったけど、一応は試し撃ちしとくか……」
もうポーションを買えないこともないだろうし、インフェルノの試し打ちにも躊躇いはない。諒太は景気よく撃ち放ってやろうと思う。
「奈落に燻る不浄なる炎よ……幾重にも重なり烈火となれ……」
無詠唱になると最強だと思えるが、生憎と連発できるMPが諒太にはない。それこそ熟練度を10まで上げるのは至難の業である。
「燃え上がれ、インフェルノォォ!!」
先ほどよりもずっと頭がスッキリしている。発動前のタイムラグは相変わらずであったけれど、前回のように限界という感じではない。また消費量は倍になっているはずなのだが、レベルが20も上がったことに加えて勇者のステータス補正もあって持ち堪えている。
「気分は悪くならないし問題ないな。次はリバレーションだ……」
使えなくなった勇者専用魔法。妙な称号が影響していないことを祈るのみだ。移動魔法が可能であれば、諒太はペンダム遺跡へと戻ってレベル上げに勤しむつもりである。
こちらも懸念していたような問題はなく、難なく使用できた。さりとて別の問題が発生している。
レベルが跳ね上がった諒太にとってペンダム遺跡の魔物は弱すぎたのだ。剣の熟練度を上げるという目的もあるのだが、肝心のレベルは一つとして上がっていない。
「剣術は熟練度が6になったけど……」
レベルが69になっただけでなく、経験値三倍の効果も失っている。何だか急激にハードモードへと切り替わったかのように感じてしまう。
「ここはもうレベリングに最適じゃない。それなら、どこで戦えばいい?」
ペンダム遺跡で最後まで戦うつもりだった諒太は他の選択肢を考えていなかった。ペンダム遺跡も高難度ダンジョンであるため、恐らくボスはかなりの強敵だろう。しかし、ボス狙いは明らかに効率が悪い。その都度、ダンジョンを踏破する時間は残されていないのだ。
「ナツに聞いてみよう……」
夏美たちは再びペンダム遺跡へと潜っているはず。ミノタウロスの石ころは一つしか渡していないのだ。彩葉の分もドロップするまで戦うはずである。
直ぐさまスナイパーメッセージを起動し諒太は通話を始める。二回ほどコールしたあと夏美が応答にでた。
『リョウちん、どしたの?』
「戦闘中悪いな。レベリングに効率の良いダンジョンを教えてくれ」
『いいよ、今レベルいくつ?』
流石は廃プレイヤーである。諒太が知りたいことを夏美は全て知っているかのよう。
「今は69だ……」
『69!? まさかまたチートなの!?』
「不正扱いすんな。俺は真面目に戦ってる。ズルはお前の倉庫を物色しただけだ」
ふぇぇと妙な声を上げる夏美。諒太のレベルが信じられないといった感じだ。
『どしたらそんなことになんの? 気になる!』
夏美は質問に答えるより自身の疑問を優先している。かといって彼女が廃人なのは理解しているし、秘密にすることでもない。
「レベル49のときグレートサンドワームという魔物を狩ったんだ……」
夏美であればグレートサンドワームを知っていることだろう。何しろ勇者ナツがグレートサンドワームと戦い苦戦したという話をフレアから聞いたばかりである。
『ああ、グレートサンドワームなら納得。あたしでもレベルが二つ上がったもの。でも一日一回しかポップしないのはつまらないよね。無限に現れるのなら良かったのに』
やはり夏美は三百年後に伝わっている通り、グレートサンドワームを倒したらしい。また新たな情報も含まれている。グレートサンドワームは一日に一回しか現れないのだという。
「いつエンカウントしたんだよ? 俺はほんの数時間前だぞ?」
『あたしは倉庫にポーションを取りに来た時だね。イロハちゃんと二人だったけど何とか倒せたよ。でも最後に爆発するとは思わなかった! イロハちゃんもあたしも瀕死状態になったよ! リョウちんよく生き残ったね?』
脳筋パーティの二人であるから苦戦を強いられたみたいだ。確か物理攻撃は効果が一番低かった。それでも倒してしまうのだから二人はやはり廃プレイヤーである。
しかし、爆発との話は諒太が経験していないことだ。小首を傾げるしかなかったけれど、諒太には思い当たる節もある。
動かなくなったグレートサンドワームはやはりHPを残していたのだ。インフェルノの残り火がそれを持続的に削り取った可能性。動かなくなった僅かな時間に追加ダメージを与えなければ、プレイヤーは爆発に巻き込まれるのだと考えられた。加えてレベルアップ後に直ぐさま消失したこと。爆死するグレートサンドワームはそもそも剥ぎ取りが設定されていないのだろう。
「俺は上手い具合に爆発を回避したんだ。魔法で戦ったからな……」
『じゃあ倉庫から持ってった装備はグレートサンドワームに特化してたってわけ?』
「結果的にな。俺は火属性が5だったから、それを強化しただけだ。バフの重ね掛けでINT値の強化。グレートサンドワームの弱点が火属性だったのも勝てた理由だな」
『どんな魔法!? あたしが知ってるやつかな!?』
夏美は延々と問いを重ねている。まあしかし、武勇伝を聞かせるのは悪くなかった。ずっと諒太はマウントを取られていたのだ。彼女を見返す意味でも語りたくなっている。
「お前の倉庫にあったインフェルノだよ。消費MPを四分の一にして発動させた。一撃だったぜ?」
『ええ! インフェルノ!? あれって唱えられるんだ!?』
予想とは違う反応がある。てっきり感嘆されるものと考えていたというのに。どうしてか夏美は一撃であった威力よりも魔法の発動に興味を持ったらしい。
「どうしてだ? 俺のレベルが低すぎるってことか?」
『それもあるけど、インフェルノはレベル100の大魔道士でも発動しないらしいの。同じように消費MPを最大の四分の一にまで下げても……』
おかしな話である。諒太と同じように消費MPを減少させたのなら唱えられるはず。それもレベル100であるのなら尚更だ。諒太はあのときレベルが50に満たなかったのだから。
『リョウちんのINT値は幾つだったの? 確か初期値は5って言ってたけど……』
「正確には覚えてないが確か三桁だった。素のステータスは80程度だったけど、レブルスの杖の効果で100は超えていた……」
諒太はINT値が突出していた。だからこそ倒せると考えたのだ。他のステータスは詳しく覚えていないけれど、INT値だけは確認したし、間違いなく100は超えていたはず。
『100!? それって世界最高レベルに凄いよ! まだINT値で三桁の人は見たことないし!』
どうにも困惑してしまう。諒太の他にINT値三桁に到達するプレイヤーがいないだなんて考えもしないことだ。
「マジでか? やはり初期値の違いなのか?」
『初期値が5であっても、70位から頭打ちになんの。魔法威力の調整で公式サービスからINT値は上がりにくくなったんだよ。相当運良く当りを引かないと80は超えない。貧乏運のリョウちんにしてはやるじゃん!』
「貧乏運いうな……」
インフェルノの発動条件はINT値三桁以上なのかもと夏美。今のところレブルスの杖を超えるINT値のバフ効果はないそうで、大魔道士であっても三桁に届いていないらしい。またサーバー内にインフェルノのスクロールを持つ者はいないようで、夏美はネットの掲示板によって色々と確認したみたいだ。
『装備を厳選してインフェルノで討伐。リョウちんっぽい完全な作戦勝ちじゃん! やっぱりリョウちんは凄いなぁ!』
同じゲーマーでありながらプレイスタイルは昔から正反対だ。戦略的な諒太に対して夏美は直感型。だからこそ二人は互いのプレイが奇抜に見えたし、面白いとも感じたのだ。
「逆にアレを殴り倒すとかどうかしてる。お前たち強すぎだよ……」
『あたしたちはグレートサンドワームとレベル差がなかったから。リョウちんみたく半分のレベルでは倒せないよ』
褒め合うのは何だか恥ずかしい。それこそ子供の頃は互いのプレイを貶し合っていた。今思うと当時は自身との違いが悪い部分にしか見えなかったのだと思う。
『それでレベリングの場所だけど、スバウメシア聖王国の南にある洞窟がいいと思う。あたしもレベル90までそこに籠もってたし。70台だとリトルドラゴンがキツいと思うけど、単体ポップが基本だから何とかなるよ。それにレアモンスターであるハピルの経験値が最高なの! レベル70でハピルを倒したなら、三つはレベルアップするはずだから』
「どうやったらそこまで行ける? アクラスフィアの西側からだとかなり距離がありそうだけど……」
『洞窟に近いサンテクトって街にはポータルがあるよ。誰かに連れてってもらえばいいと思う』
恐らくセイクリッド世界にも移動ポータルは存在しているはずだが、一般的な移動手段ではないかと思われる。だからこそ人々は馬車で移動しているのであって、ポータルを使って他国へ向かう人が都合よくいるとは思えない。
「まあ分かった。ペンダム遺跡にいても仕方ない。俺はスバウメシアに行ってみる」
『頑張って! 大いなる旅路に幸あらんことを!』
何だかよく分からない激励だが、諒太はツッコむことなく了解とした。まずはアクラスフィア城下へと戻り、移動ポータルによってスバウメシアへ行く人を探さなければならない。
諒太は一つ息を吐いた。新たな狩り場はエルフの国。不安と期待が入り混じるけれど、彼は成すべき事柄は決して見誤らない……。
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