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第三章 存亡を懸けて

マナリス再び

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 玲奈は夢を見ていた。眠っている場合ではないと分かっていたけれど、どうしてか白銀ともいえる空間に彼女はいる。

「ここはまさか……?」
 記憶を頼りに予想している。かつても訪れたはず。ベルナルド世界を去ったあと、彼女の魂はこの場所に誘われてのだ。

 さりとて、死んだとは考えていない。一八が語っていたこと。頭の中にマナリスが現れたという話を思い出していた。

「女神殿、早く出てきてくれ。これでも私は忙しいのだ……」
 誰もいない空間に玲奈が声をかけるや、視界が揺らぐ。また徐々に人影が現れている。

『お久しぶり。岸野玲奈……』
 やはり現れたのは女神マナリスであった。玲奈としては大事な局面で離脱している場合ではなかったというのに、彼女は玲奈の都合を考えることなく顕現を果たしている。

「何の用だ? 私は女神殿の思惑通りに動いているはずだぞ?」
『まあまあ、そう焦らなくても。既に脅威は去りましたよ?』
 どうしてかマナリスは脅威が去ったと口にしている。まだ作戦途中であったはずで、飛竜討伐に関しても翼を無効化しただけだ。

『既に飛竜は討伐されております。加えて天主のお二人も。だから貴方が急いで目を覚ます理由はもうありません……』
 玲奈の心を読んだのか、問うよりも先にマナリスが答えている。懸念であった飛竜討伐任務は既に遂げられたとのこと。

「それならいい。では何用なのだ?」
 マナリスに用事があるのは明白だ。一八がレイストームを授かったように、玲奈も何かしらの力を与えてもらえるのかもしれない。

『別に用事はありませんでしたが、貴方が気を失っていたので顕現させてもらっただけです。まあ感謝を伝えたかったと申しましょうか』
 どうにも食えない女神である。玲奈は彼女が本心を語っているとは思えなかった。

「感謝だと? 一八ならまだしも、私は大したことを成していない」
『ご謙遜を。貴方がいたからこそ奥田一八が輝きを発した。それは貴方が残してきた功績の中で最も偉大なことです。また貴方は多くの人族を導いています。感謝しきれないくらいに……』
 マナリスの返答に玲奈は思った。やはり一八が話していたように、彼女は人族に荷担しているのだと。
 ならば玲奈は問い詰めておかねばならない。チキュウ世界を救う術は他にもあったはずだと。

「女神殿、一つ聞くが、貴方の思惑はなんだ? チキュウ世界を救うだけならば、寝不足を理由にして天主に神雷を落としまくれば良かったじゃないか?」
 皮肉的に指摘している。どうしてわざわざベルナルド世界から魂を移したのかと。人族を救いたいだけであれば、懸念となっていた天主を神雷によって殲滅すれば良かったはずだと。

『あらあら、物騒なことを……。ワタクシが寝不足だったのはあの日だけですよ? それに万が一、不眠症に陥ったとしてワタクシはチキュウ世界に神雷を誤爆できません』
「どうしてだ? 貴方はベルナルド世界に落としたじゃないか? 一八と私がいる適切なタイミングで……」

『聡い子は嫌いじゃありませんが、何とも玲奈は知ろうとしすぎていますね? かつて言ったはずです。ワタクシの担当世界はチキュウ世界までであると……』
 言われて玲奈はピンと来た。そういえばそんな話を聞いていた。彼女の担当はベルナルド世界とチキュウ世界であることを。

「つまり次の女神に失態を気付かれないためか?」
『好きに考えていただいて結構ですよ?』
 神雷の誤爆は予定にない魂を送り込むことになる。マナリスは明言を避けたけれど、恐らく彼女はベルナルド世界にしか神雷を誤爆できないのだろう。

『まあそれに何と言いましょうか、ワタクシは別に人族を救おうとしているわけではありません。天主たちも庇護すべき種の一つですから……』
「この期に及んでそんな戯れ言を……。女神殿はレイストームを一八に授けただろ? どう見ても人族に荷担しているじゃないか?」
 マナリスはスタンスを変えていないと口にするが、玲奈には嘘だとしか思えない。マナリスの行動は明確に中立ではなかったのだから。

『あの術式はご褒美です。人族の肩を持ったつもりはありません』
「ふん、ベルナルド世界だけでなくチキュウ世界をも救うために私と一八を送り込んでおいて何をいう?」
 女神マナリスは玲奈の返答に困ったような顔をする。少しばかり思案したあと、マナリスは玲奈に返答を始めた。

『玲奈は本当に聡い子ですねぇ。でも、ワタクシは人族の繁栄だけを望んでいるわけではありません。なぜならワタクシが救いたいのは……』
 言ってマナリスが続ける。彼女が考える本当の目的について。

『チキュウ世界ですから――――』

 その答えは予想通りであったけれど、玲奈は眉根を寄せる。チキュウ世界を救うために人族に助勢したのは事実だ。天主を地上から排除するために。

「天主の殲滅とチキュウ世界の救済はどう違う? 私には同じだと思うが?」
 玲奈の問いにマナリスは溜め息を零した。このような話になることを予想していなかったのか、またも彼女は考えるようにしてから答え始めている。

『良いでしょう。事実を伝えましょう。今から話す内容は玲奈への褒美。貴方の活躍に対する報酬です』
 そう前置きをしてから、マナリスは本来の目的について語っていく。

『実をいうと天主率いる天軍の未来はそう長くありません。もってあと百年程度でしょうか……』
 玲奈は絶句している。意外すぎる話に。天主が滅びる運命にあるのなら、どうして自分たちが送り込まれたのか分からない。

「どういうことだ? 天主は地上を制圧しようとしていただろ? 我らの進軍によって未来が変わったとでも?」
『いいえ、天主は最初から滅びる運命です。種として確立したものの、やはり未完成な種族でしたからね。代を重ねるごとに繁殖力がなくなっていたのです。現存する天主が天命を全うすれば、そのときこそ天主の滅びとなります』
 玲奈は何度も頭を振る。どうにも理解できない。ずっと使命を与えられて転生したと考えていたというのに。女神が語った話は前世の自分が本当に誤爆によって死んだのかと思わせる内容であった。

「ならどうして私と一八を送り込んだ? 勝手に滅びる天主など放っておけばいいだけだろう?」
『その説明は単純なこと。チキュウ世界は存亡の機にありました。なぜなら人族が滅びたあと、天主もが滅びるからです。つまりチキュウ世界はもう魂を循環させられる世界ではなくなってしまう未来にありました……』

 告げられるのは終末ともいえる事態であった。その話が事実であれば、確かにマナリスは中立なのかもしれない。チキュウ世界の存続だけを考えた結果であるのなら。

『ことの始まりは人族の失態です。かつて人族は地脈から必要以上に魔素を吸い上げました。それによりチキュウ世界は急激に力を失い、作物すら育たぬ不毛の地へと変貌してしまったのです』
 頷く玲奈。その話は人族の歴史にも残されている。魔素エネルギーは文明化に必要不可欠であったけれど、地中から魔素が枯渇したせいで人族が全滅しかけたこと。人族はかつての失態から学び、適切な量を汲み上げるようになったのだ。

『魔素濃度の低下こそが天主誕生の秘話。魔素は表裏一体の関係である魔界から流れ込むものですが、本来は消費のたびに魔界門から少しずつ漏れ出すだけなのです。しかし、地上の魔素濃度が急激に低下したせいで、魔界門は圧力低下に耐えられず開いてしまいました』
 少しも理解できない話であったが、魔界という世界線が裏側にあって、魔素は魔界から流れ込むものらしい。

『魔界門は厳密にいうと調圧弁のようなもの。扉ではなく魔素濃度を管理するためにあるのですが、地上の魔素が枯渇してしまったせいで全開となったのですよ。それこそ両世界線を繋ぐ大きな穴となりました』
 追加的な説明に玲奈は理解する。一方が真空状態になったならば、濃度を保つために大量の魔素が一度に流れ込んだのだと。

『その穴を通って一人の魔人がやって来たのです。彼こそがイレギュラーであり、天主を誕生させた者。天主に伝わる原初の悪魔という存在なのです』
「その彼が人と交配をして天主を生みだしたのか?」
 人族にもその話は伝わっていた。悪魔と人が交配し、天主という種が生まれたのだと。

『彼は悪くありません。何しろ魔素の流れに飲み込まれただけですから。またイレギュラーではありましたが、新たな種を生みだしたことには感謝しております。現に彼は魔素の流れが穏やかになり、魔界門が再び閉じようとしたとき元の世界線へと帰っております』
 天主誕生の秘話についてマナリスは語っているけれど、天主がどうして地上を支配しようと動き始めたのか分からないままである。

「天主はどうして侵略を始めたのだ? 地上の魔力枯渇なら千年も前の話だろ? 天主は最近まで大人しくしていたじゃないか?」
 疑問は天主が豹変したことだ。てっきり近年になって種として確立したと考えていたけれど、地上の魔力枯渇は人類史にも千年前だと伝わっているのだ。

『ええ、彼らは何の害もない存在でした。北の大地へと移り住み、細々と生きていたのですから。しかし、彼らは気付いてしまったのです。天主が自然と滅びの道を歩んでいることを。若い世代は長生きせず、千年を生きる第一世代までもが寿命を迎え始めたことによって……』
 繁殖力が失われていたこと。気付いたときには手遅れだったはず。玲奈は自暴自棄的に人族を攻め始めたのかと考えてしまう。

『ボタンの掛け違い。原因はまさに些細なことなんです。彼らは再び魔界門を開こうとしています。しかも誤った解釈によって……』
 ここで玲奈にも理解できる話になった。種として存続するために、天主が魔人を呼び出そうとしていること。再び第一世代からやり直そうとしているのだと。

『彼らは人族の魂によって魔界門が開くと信じております――――』
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