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7 駆け出し勇者と深き森
第5話 森の自己中心
しおりを挟む地面に横たわる根っこをまたいで、森の民は先へ進んだ。そのままさらに歩もうとして、また忘れ物に気付き、背後へと振り返る。
「そこの根っこは踏まないでくださいね。あっちの方にある本体を起こしてしまいますから。食べられちゃいますよ」
シュリッキ隊長が指差す先、薄暗い森の奥に大きな丸いものが浮かんでいた。上から太い枝のようなもので吊られているそれは、大きな木の実のようだ。
薄闇の中では森の民以外よく見えていないが、赤く色づいた果実は、りんごのようでもある。ただし、大きさは桁違いの化け物だ。そして実際に化け物であった。
「あのリンゴモドキは立派ですね。あれだと、お水欲しさに貴方くらいは飲み込んでしまえますから、噛みつかれないようにしてくださいね」
魔植物の専門家がにこにこと微笑んで言うことに、アデリアは背筋を凍らせた。それと同時に、こんな任務に駆り出されたことが心底嫌になる。その怒りは、血を分けた姉に向けられた。
「ふざけるんじゃないわよ、ルクリア・オーレリン! あなたのせいよ、こんな気味悪い場所にいるのは!」
他の植物食植物たちを起こさないようにと慎重でいることを忘れてはいないおかげで、アデリアの怒りのささやきは先発隊の隊長には届かない。
森に入る際は静かにと言った当人が、一番はしゃいで声を上げる。
「わああ! 見て下さい! これも立派です! オジギマタネソウ! これは他のものを襲わないから安心してくださいね。お辞儀したり、葉っぱを左右に振ったり、元気に動くだけですから」
ただの植物でさえもが動く所にいる。
その恐怖が、この森で生まれ育った者に分かるはずはない。ここの特殊な植物のことを熟知している森の民だ。シュリッキ隊長はためらいもせず、側の葉っぱに触れてみせた。
触られたオジギマタネソウは等間隔の切れ込みが入った葉を、葉脈から折るようにして閉じ、うなだれた。
「この葉っぱは、お辞儀する子ですね。こっちはどうかな。ほら! またねって手を振ってますよ、ほら!」
薄気味悪い森の中でなければ、無邪気に葉っぱとたわむれる精霊さんのごとき森の民も、同行者たちからは微笑ましく見えたのかもしれない。ただし、皆が立ち止まってシュリッキ隊長を仕方なしにながめていたのは、先頭で案内するはずの人が役目を忘れて遊んでいるからだった。
「おっと。日が暮れる前までに飛行船まで戻らなくちゃならないんでしたね。あの子のところへ向かいましょう。元気かな?」
ようやく案内を思い出した森の民を先頭に、先発隊の一行はさらに奥へと向かう。
「僕は野宿でも大丈夫なんですけどね。みなさんは近付いてくる根っこや蔦、枝の音なんかは寝てると気付かないでしょうから。眠たくなる前に戻りましょうね」
またもや同行者たちに冷や汗をかかせるような恐ろしいことを弾んだ声で語りつつ、シュリッキ隊長は少し歩みを早くして、先を目指す。
久々に会える昔なじみの成長を楽しみに、森の民は故郷の空気を胸いっぱいに味わっていた。
大きなりんごが、微かに揺れる。何かに勘付いた上位種を起こさないように息を詰め、木を回り込み、調査隊を見失わないよう静かに付いて行く。
オジギマタネソウと紹介されていた草の葉に肩が当たる。葉っぱが左右に揺れて動き出し、それに送られて森の先へと進む。
深き森は静かだ。離れたところにいる調査隊の話し声も聞こえてくるくらいに。獣に虫とか、鳥の声も聞こえない。深き森の中心部では植物以外は生きていけないのだろうか。
みんな、食べられちゃった?
そんなわけはないが、己の想像に一層警戒を強め、周囲に気を配る。あの森の民の調査員が安全を確認した所や側をたどっているから安心なはずだが、動く植物のいる森だ。注意は怠らない方がいい。
「きいいーーーー! いい加減にしなさいよッ!」
甲高い悲鳴、というか怒声が聞こえた。しんとした森の様子に耳が慣れていたせいで、体が思わず跳び上がる。
跳び上がった勢いそのまま、走って先を急いだ。調査隊が通って行った木々の間を駆け抜け、開けた場所へと飛び出す。
な、なにこれ!
つま先に力を込め、体をひねって立ち止まる。眼前で振られた尖った葉先が空を切り、丸まりながら根元へと戻って行く。
分厚い葉の角に棘が付いた植物がうねり、陽射しの下でのびのびと、その葉を自在に動かしていた。
あ、アロエ? ヨーグルトに入ってるあれですか?
アロエによく似た見た目の植物で巨大になるものがあると、地球で得た知識を持ち出して、心の声が知った風に語る。
いや、そっちは動かないから。棘付きの葉っぱ伸ばして、人を捕まえたりしないから。
「わあーー! 元気いっぱいですね、良かった、良かった」
なんで捕まっておいて楽しそうなんだ、あの人。まさか、これもただの動くだけの植物なのか?
「どうしろっていうのよ! 必要な分だけ狩れって!」
青紫の髪をした魔術師が自分よりも危険な植物を前に、地団駄を踏んで叫んだ。本当に足を、ばたばたと踏み鳴らしている人を初めて見る。
深刻なのか何なのか、よく分からない状況に、こちらは足が止まったままだ。調査隊の者たちも、どうするべきなのか見出せずに葉が届かない場所で立ち止まって、開けた森の中心をただ見つめている。
確かに、巨大な植物に捕まった森の民は、ただ宙を振り回されるだけで、根っこへ運ばれる様子はない。四、五本の葉が空へと立ち上がり、うねってはいるが、それ以上は何もしてこなかった。
空地の真ん中に陣取った植物の中央の根元は、折り重なった葉の下で見えない。先が白茶けた太い葉が幾重にも、地面に横たわっている。そちらは少しも動かない。
たぶん、根っこに獲物を運ばないと植物の栄養にはならないはずだ。なのになんで、葉っぱを振り回してるだけなんだろう。
どうして、あんなに余裕ではしゃいでいられるんだ、あの人。
え、まさか、巻き付かれた葉っぱから色々と吸われてるわけではないよね? 様子がおかしいのは毒なんかを喰らってるわけじゃないよね?
どうにかしないと。これ以上おかしなことになる前に。
「必要な分、か」
右手を前に出す。左手は神剣に。
鞘から抜いて、足に隠すようにして持ったそちらを少し上へと振ると同時に、右手も大きく上へと、植物に向かって振り上げた。
魔法使ってるみたいに見えてると良いんだが。
森の民を振り回していた太い葉は、ちょうど目の前に来て、地面すれすれを薙いだところで、唐突に切れた。調査員を抱えたまま大きくうねりながら、大地に転がる。
「おっと! はいっ! さっさと、ずらかりますよ!」
盗人みたいな言葉を叫びながら、すぐさま立ち上がった森の民は、自身に巻き付いている葉をしっかりと抱え、こちらと他の者たちの間へと駆けた。
「ほら、みなさん! 捕まらないうちに早く!」
呼びかけに我に返った調査隊の面々は、森の民と彼が引きずるアロエに似た巨大な葉を追って、木々の合間に駆け戻る。
「ちょっと! 何なの、何のつもり!」
青紫色の髪をなびかせ、透明な魔石が付いた杖を振り上げて、魔術師も走った。
その場に誰も残っていないことを確認し、調査隊の跡を追う。
振り返ると、獲物を逃した植物は半分に切り取られた葉っぱを根元へと引き寄せながら、使わず仕舞いだった他の葉もその場に横たえ、休ませていた。
「やあ! これは上出来です。元気なのを手に入れましたね。ふむふむ、この葉は、とてもしっかりしてますよ。切り口も艶やか、みずみずしい!」
森の民が、自分へと巻き付かせたままの葉っぱを抱えて、鮮度を絶賛している。それを呆れたまなざしで見やっていた魔術師は、不意にこちらへ顔をやった。
「あなた、風魔法使い?」
目をそらしたこっちの横顔を髪と同じ色をした瞳でにらみつけながら、杖を持つ手を腕組みし、彼女は言う。その隣に立つ、腰に杖を下げた魔術師の男性も、なぜか目をそらした。
聞いてはいけないような話題なのだろうか? 当人からたずねられているのだが。
答えていいものか迷ってしまう態度を取る魔術師二人から、こちらも目をそむけたまま返答する。
「ええっと、いや、その、そんな感じというか」
またこの受け答えをすることになろうとは。成長しない自分が、まことに嘆かわしいな。
「派遣されて来た冒険者の方、ですよね? 森の異変のことは、ここで暮らすみんなもきっと、気付いているでしょうし。先発隊のことも採取係のみなさんには、お知らせしておきましたし」
自身に巻き付いていた分厚い葉を、とぐろを巻いた蛇のようにして丸めながら、こちらへ顔を上げ、森の民の調査員は話す。尖った耳をぴくりとさせると、こっちの肩辺りにやった緑の目を細めて微笑んだ。
「ええっと。ええ、そのようなものです、はい」
何度かうなずきながら話した答えを、森の調査の先発隊だという者たちが疑わしい目をして聞いている。
特に、ずっと険しい表情をしている水魔法使いは追及の手を緩めなかった。こちらの腰に揺れている剣の鞘を、青紫の瞳で見つめる。
「で? あなた、風斬りでも使うの? 魔法剣士か何か?」
「ええ、まあ、そんな感じです……」
神剣のことがばれるよりかは良い。風魔法を使うということで異様に敵対視されようが、勇者であると知られるよりかは、ずっとマシだ。嫌われるなら、なお一層放っておいてくれるだろうし。
ようやく納得してくれたのか、水魔法使いは、お土産を袋に詰めて担ぎ上げた森の民をにらんだ。
「それで、これからどうなさるのかしら、シュリッキ室長。あの化け物の調査は終わったのか、お聞かせ願える?」
どうやら、この先発隊の真の主導者は森の民でもある、この人であるらしい。その主導権を水の魔術師に握られてしまっているシュリッキ室長は、そんなことはまったく気にも留めていない様子で、朗らかに隊員たちへたずねた。
「飛行船に戻りましょうか? みなさんが森を駆け回ってくれるのなら、下を行くことにしますけど。どうします?」
あんな巨大な動く植物を見た後だ。地上を走ろうという提案への賛同者は誰もいなかった。
で、どうしてこんなことになる?
飛行船の定員には、まだ空きがあったはずだ。こちらを見やる者たちと丸窓の数が合っていなかった。船内を見たかったのになあ。
乗ってみたかったけど、まあ確かに、あの密室で正体が発覚したら最悪ではある。
飛行船での移動が決定して空の上にいる者たちからすれば、危険な森の中を走っている方が最悪なことなのかもしれないが。
「あなたは、こちらの方がいいですよね。歩き回ったり、走り回ったりするのがお好きだって聞きましたよ」
ええーー、誰から? 王様の配下ってことだよな。
研究機関の調査班の室長だというこの人も、王様から任命されて深き森の調査に来たなら……。
「コアソンさんですか? そう言ってたの?」
「えへへ」と、年齢が分からない見た目をさらに子どもっぽくするように微笑んでみせて、前を行くシュリッキ研究室長は藪を避け、大きく横へ跳んだ。
真似して横っ飛びし、伸びてきた蔓をかわす。空振った蔓は、すごすごという言葉が似合う仕草で、元の藪へと帰って行った。
さっきから思ってたけど、この人は本当に、この森のことをよく知っている。葉っぱの形や色の具合、枝の茂り方などから、何の植物かを瞬時に見極めているのではないだろうか。
大人しくしているとただの植物となんの変わりもない上位種たちを、シュリッキ室長はすぐさま見抜き、彼らを無駄に暴れさせることもなく、森を順調に進んで行った。
「ええっと、それで。連れて行きたいところとは、どんな場所なのでしょうか?」
「ああ、はい。行ってからのお楽しみです。もう少し先まで走ったら、あとは歩きでも大丈夫ですからね。あの辺りは、蔦や根っこが突然飛び出してくることもありませんので」
地面から不意に襲撃されるのは、この森で育つと当たり前なのかな。
森がいかに危険かを笑って話すシュリッキ室長は、この地の専門家だ。こちらの依頼を手伝うことで希少な植物の採取や保護を担う故郷の人たちの役に立つならと説明し、先発隊のみなと別れて、地上に残ると宣言した。
自身の護衛たちの案内役を、ここまで務めてきたのだ。隊長の判断を反対する者はいなかった。
捕まったのも、わざとだったらしい。ああやって一人がおとりになっているうちにその葉を刈るのが、アロエ似の植物から採取する際の伝統だという。
拘束具の素材でもあるトリトリ草という上位種は、丸まる力は強いが、それを解くこつを知りさえすれば簡単に外せるのだそうだ。
内側に刺激を与えると一層強く巻き付いてくるので、外側を叩いたり、捕まったすぐ側を抜いた棘で刺すのが良いらしい。
ただし乾燥させて素材にすると、そのこつも効かなくなる。むしろ怖いのは枯れたように見せかけ、その上に不用意に乗っかる者を捕縛する、葉先が白茶けたものの方だと教えてもらった。
いや。それ、みんなに教えておいてあげてよ。誰かが助けに近付いたら、とんでもないことになってたぞ。
巻き付いた葉をうねらせ、さらなる獲物を誘っていたトリトリ草の採取では、こっちが最後は手助けすることにはなったのだが、研究調査班室長の思う通りに事は運んだ。
森に詳しくない者たちも加わる調査になれば、さっきの発着地のように大規模な下準備がいる。
安全を確保してやらなくてはいけない不慣れな者たちに守ってもらわなくても、自分ひとりだけで調査は大丈夫だと、森を行く道中で隊員たちに示して見せたわけだ。
こうして、意外と策士なシュリッキ隊長は自身の護衛を飛行船に乗せ、安全な空の旅へと送り出すことに成功し、本格的な調査に向けて身軽になったのだった。
ただし、調査からは外された隊の人たちにはお土産を手に、深き森の護衛を担っている、あの村へと先回りしてもらうことになっている。
「みなさんの力が必要になるかもしれません。おかしなことが起きているのは間違いないので」
歩を緩めたシュリッキ隊長は、たった一人になった調査隊員へと振り返る。こちらと目を合わせないようにと、木々の梢を見上げながら森の民は話した。
「もちろん、勇者さまのお力も必要になるはずですよ」
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