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7 駆け出し勇者と深き森
第3話 生きた植物を追って。
しおりを挟む遠くからでは、そこに山があるのだと思った。
近付くと違った。山のふもとに見えていた部分は、よくある木々が茂った森だ。その奥に、梢が山の頂に見間違えるほどの高さがある、まっすぐに伸びた大木がそびえ立っている。連なる山の峰のように。
見上げるこっちの大きさの方が間違っているように思える。木があまりにも大きくて、あちらをいつもの高さだと錯覚し、自分が小さく、小動物の目線にいるかのように感じた。
その素晴らしさにただ圧倒されて、いつまででも見上げていられそうだ。
かつかつと瓶の底を、小さな根っこが叩く。水とエサやりで、すっかり元気を取り戻した魔草は、胸元に抱えたガラス瓶の中で、はしゃいでいた。
いや、実際には植物は、そういった感情は持ち合わせていないとされている。しかし、葉っぱを揺らし、根っこで足踏みをし、時々跳び上がって歩き回っているのを見ると、はしゃいでいるとしか思えない。
「この辺でいいのかな。また何かの荷物に紛れられても困るんだけど」
大きくなるまで側に居てやるわけにもいかないし。
「放してみて、ちょっと付いて行ってみるか」
瓶のふたを回しながら、周囲の様子をよく見る。木の大きさだけが異常な、ただの森だ。人気は、まったくない。
森林組合に連絡を取ってもらっているが、それは深き森の近辺から運び出される荷の点検強化を伝えるもので、魔草の帰郷について、職員の確認がいるわけではないそうだ。
もしかすると、勇者が運んでいるから確認不要、ってことにしてくれただけなのかもしれないが。
植物の上位種である魔草がいつ発生するのかについては、よく分かっていないことの方が多く、目撃された範囲や数によって、その都度対応を変えていると聞いた。
回収や奥地への輸送が間に合わないほど、たくさんの株が出現した場合は、盗掘の警戒に周囲の見回りを繁盛に行うことはあっても、ひとつひとつに構っていられる状況ではないらしい。
それでも魔草の方から森の外に出たり、何かの荷に紛れてしまうというのは、めずらしいことのようだ。深き森以外でその姿が見られた場合は、人の手での持ち出しが圧倒的だという。
森の中に動き回る草の姿を見つけて、魔が差した。と、言い訳する者が大半だ。
「見つけた」
いる。森の木の根元の草の影に、ひょこひょこと動くものがいる。ひとつ見つかると、そこにもあっちにもと、見える場所だけで五、六株の魔草が歩き回っていた。
少しずつ大きさや葉の形、色の濃さが違うようだ。別の種なのかもしれないが、細長いのや丸い葉をした、ただの雑草としか言えない姿の魔草たちが何株もいる。
ふたを開けた瓶を手に森の中を進む。他の株から一定の距離を保ったところへ、瓶を傾けて、保護した魔草を下ろしてみた。
ガラスを滑り降り、魔草は大地に立つ。
「おいおい、うそだろ!」
もう少しためらうとか何かあるかと思ってたけど、予想外だ!
小さな草は青々とした葉をなびかせ、駆け出した。
っていうか、その速度でも走れるの?
じゃあやっぱり、密輸犯から逃げ出した時は、かなり弱ってたんだな。元気になって何よりだ。
魔草を追いかけて、こちらも走る。枯葉の上や下草の間、本当にただの草の茂みを迂回し、小さな魔草はご機嫌で駆ける。
ご機嫌としか言いようがない。
植物に感情がないっていうのが間違いというか、周囲の状況の何かに反応しているのが他の植物に比べ、目に見えて分かりやすいのかもしれない。魔草って。
ちょこちょこと駆ける魔草を、緩やかに走って追う。
魔草は跳んだ。確かに跳んだ。勢いづけて跳んだ魔草は、低木から落ちて半分腐った丸い木の実に飛び付いた。
周りを見ると、同じように落ちた木の実に乗っかって、それを根っこで抱えている魔草が二株ほどいる。遠いところにも何株か、同じことをしている姿が見えた。
放した魔草の近くにいる、別のやつを観察する。
これは同じような葉っぱをしてるな。同じ種類の魔草は同じものを好むのだろうか。
巨木が神殿の柱のように立ち並ぶ、深き森を見渡す。下草と低木の茂みが点在する森の中に、他の獣の気配はしない。
魔草たちが、この森のふちまでやって来てここで成長することを選ぶのは、人が適度に出入りし、一番の天敵である草食動物に襲われにくいからなのだろう。
「じゃあな。元気で育てよ」
もちろん、返事はない。木の実に乗っかって好物を根っこで抱えている小さな草は、葉っぱを揺らすだけで大人しく食事をしていた。
配達を無事に終えて、その場を離れる。少し歩いたところで、それを見つけた。
「魔草がいるんだ。ま、まき? 魔木かな? まあ、そんなのもいるよね、そりゃ」
こちらと背丈が同じくらいの細い木が、静かに梢を揺らしながら、そっと歩いていた。絡んで太くなった根が三本、幹を支えて足となり、木々の合間を歩いている。
しずしずと進む魔木が気になって、こちらもそっと足を忍ばせ、後を付いて行ってみた。
興味深い。人の手で作り出された魔物の化け大樹と同じようでいて、まったく異質な感じを受ける。
魔草や魔木は、魔物化しないのだろうか。魔物と違って、命があるものだからなのかな?
まだ植物図鑑は手に入れていないが、先に情報や知識を仕入れるだけでなく、この目で見ることから始めてもいいんじゃないだろうか。
巨木の合間を、背を伸ばして進む若木の後ろを歩いて行く。異世界の森は厳かで、静謐な空気に満たされていた。
日が高く、昇るまでは。
足音を忍ばせて、大樹の影から影へと動く。
「もう迷子になってるのか? いやでも、この辺の木の生え方の感じはまだ森のふちだって、教えてもらったんだけど」
独り言で現状を確かめずにはいられない。遥か頭上から注ぐ陽の光の中を、魔木や魔草たちが、のびのびと歩き回っている。
巨大な針葉樹が生え、その下が開けているふちとは違い、中心部はうっそうとした緑に覆われ、樹海と呼ばれることもあると聞いた。
そんな深き森の中心部なら上位種である魔草と魔木とかが、うようよしていると聞いたが、そんなに奥まで入って来たんだったかな。
首をかしげたついでに後ろを振り返る。大木の合間に遠く、広葉樹の、ここまで来る間でもよく見かけた、ありふれた森が見えた。
こんもりとした森から、天まで伸びる巨木が立ち並ぶ、ここにしかない光景へと目を戻す。
幹を支える根が地を踏み締め、茂みをかき分ける枝葉が音を立て、魔木は歩く。小さな草たちは、あっちの枯葉こちらの花へと、葉っぱや木の実を求めて駆け回る。
植物の上位種である動き回る草木が思い思いに、動かぬ大木の合間を、足になった根っこで茂みや地面を漁っては歩んでいた。
上位種って、こんなにいるものなのか?
「なんなんだろう? あの魔草が森から出たことといい、この集まりようといい……なんかあったのか、森の中心に」
魔草が草の上位種なら、魔木は木々の上位種だ。しかも、これらはまだ成長途中で、栄養と根付く場所と陽の光を求めて歩き回っている。広大な森に魔草たちのエサである植物は多いはずだが、そこではなく、ここにいる。
ここに集まっている。これは、日光浴や森のふちなら草食動物が少ないから、ってわけだけではないのかもしれない。
「迷子決定か」
街角や図書館で見てきた地図に、深き森の中を詳しく記したものなどなかった。森の中心部はまた違った様相の木々が生い茂って、似たような景色が続いているだろうし、そこまで入る者もいないのであれば道などあるわけもない。
入ったら最後、迷って出られなくなりそうだ。
でもまあ、気にはなるし。気になる木だし。仕方ないし。
記憶がない自分の耳にも、なじみのある日本の歌を頭の中で流しながら、森の奥を目指す。
いざとなったら何とかしよう。何をどうするつもりなのか、まったく思い付いてもいないままに、深き森を進んだ。
風が頬をなで、シュリッキ室長は誠に、ご機嫌に微笑んでいる。薄いシャツにベストにズボン。背負っていたリュックは、お昼が入っていた籐のかごと共に隣の座席に置かれていた。
遠足のように浮かれて、おやつとお弁当を詰めたかごを手に出発地に現れたこの人こそが、深き森の緊急調査隊を任されている隊長だ。
しかし、その任も役職も、シュリッキ室長の一張羅である余所行きの姿だけ見せられたのでは、凄腕捜査官以外、初見では当てられまい。
警護役として同行する者たちですら見送りの、整えられた山羊ひげが似合う、いかにもな風体の研究員から紹介されるまで、この見るからに軽装の若者が研究室室長当人であると誰ひとり気付かなかったくらいだ。
深き森の、一般の者の立ち入りが禁じられた危険な地であるという中心部。警護に付いた者たちがしっかりと装備を固めているのを見れば、その危険の度合いも分かる。
そんな場所へ、着の身着のままで遊びに行くとしか思えない不審な行動さえ取らなければ、神秘的な尖った耳に整った面立ちが、見るからに勝気な随行者へ乙女心の欠片くらいは思い出させたかもしれない。
「先発隊なんて。危ない任務じゃないの」
風の音に紛れて消える愚痴の一部が、尖って長い耳には届いたらしい。捜査機関の研究調査室室長は、にこにこと笑みをたたえたまま少しだけ振り向いて、同行者へと答えた。
「良かったですよね! 先発隊にと大鷹獅子と飛行船を出してもらえるなんて!」
「空の旅、素敵ですよね」と続いた言葉に返す者はいない。
同行者の沈黙を、二頭立ての大鷹獅子が引く小型の飛行船に乗り合わせた全員が同じ気持ちであるのだと理解して、研究と調査のこと以外には頭にないシュリッキ隊長はまた、眼下に広がる森の景色を熱心にながめた。
開いた窓から吹き込む風が、さすがに冷たい。隊長のすぐ後ろの席に座る魔術師は、乱れた青紫の前髪の下で眉間のしわをさらに深くした。
故郷の光景を上からながめられるなど滅多にない希少な経験だと、誰に断りも入れず窓を開けるような人物の後ろへ座ったことを後悔する。
お嬢さま育ちで、無礼はもちろん無作法が嫌いなアデリア・オーレリンは、母が用心にと無理やり持たせてきた厚い肩掛けで、しっかりとその身を包んで歯噛みした。
なんでこんなことに?
いつもなら危険なことに巻き込まれそうな任務には、防護魔術研究で王都の中枢機関へ一席を得ている父親が、可愛い娘の随行を阻止していたはずだ。
おつかいなんて、この私がやるようなことではないのよ!
いらいらとしたあげく、細身の体に寒さが堪え、歯が鳴った。アデリアの普段の様子を知る魔術師団の同僚は、若手では随一の攻撃魔法の使い手のいら立ちを敏感に察知して、閉じた窓の外へと視線をそらす。
深き森の探索を左右する先発隊として自ら名乗りを上げた研究室室長の警護のため、国王陛下は魔術師団と騎士団から有能な者を数名ずつ選ぶようにと命じた。そこへ名を連ねるということは、若手であれば将来を約束されたも同じ栄誉だ。
もちろん、その栄誉は自身にとって、贈られて当たり前のものであるとアデリアは自負している。
しかし、この度の役目は、負けず嫌いの彼女には納得しがたいものでもあった。
「私を、ついでのおつかいに駆り出させるなんて。許さないわよ、ルクリア・オーレリン」
腹の底から冷えそうな、怨念がこもったつぶやきが放たれる。しかし、今度のその不平不満は、浮かれた室長の尖った耳でも拾えなかったようだ。
森の民が奏でる他の誰も知らない鼻歌が、風音に混じり、飛行船内を流れていた。
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