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5 旅は道連れ、世は捨てて
第1話 一件落着の後と跡
しおりを挟むセオ・センゾーリオは左手の親指で紫のボタンを押し、片手に持った携帯通信機で、上司を呼び出した。主席神官長は連絡を心待ちにしていたようで、呼び出し音が鳴りきらないうちに答えた。
『もしもし。どうでしたか?』
いつもなら無事を確かめる言葉があってからの受け答えだが、穏やかで焦ることのないネフェル・イルジュツ神官長は、早急な報告を欲している。
主席神官長補佐官でもあるセオはすぐに、小箱に小さなラッパを取り付けたような通信機に向かって、現状の説明を始めた。
「はい。バイロ様からの報告の通りです。きれいに無くなっています。塔の上部だけ鮮やかに」
最上階の部屋は、目を見張る有様だ。
斜めに斬り取られた壁。吹きっさらしで置かれた家具と、じゅうたん。中央に穴が開き、へし折れかかったソファー。上部が斬り落とされる寸前で残った窓枠に吊るされて、風に揺れているカーテン。
家具などがあるせいで異様に映るが、それらがすっかり取り払われたら、そのまま屋上として使えそうではある。勇者様の痕跡をたどる巡礼者と化した観光客たちが、部屋をそのままに、残された物も当時の様子で見たいと要望するかもしれないが。
「切り口は、神剣の練習をなさった時の黒曜龍石のものと同じです」
セオは壁の跡を見つめて話した。切断面は何十回と磨き込まれたかのように艶やかだ。塔の壁に残されたなめらかな切り口は、高く昇った陽の光を受け、やわらかく輝いていた。
『うむ。そうか、そうであるだろうな……』
通信機の向こうでネフェル神官長がその目をさらに細め、うなずいているのが目に見えるようだ。セオは塔の壁のてっぺんに触れ、神の御業が残した跡をなでた。
黒曜龍石は、恐ろしく固い石だ。並みの金属が通るようなものではない。しかしその反面、打撃には弱く、この石を切り出す時には密度の高い鉱物で叩いて割るのが良しとされた。人の手で加工するのではなく、叩いた時の自然な割れを尊び、短剣や矢じりなどを作って祭礼にも用いる。
その石を割るのでなく、斬った剣だ。神の贈り物である剣ならば、塔に使われたありふれた石材など水面に刃を入れるがごとく、たやすく斬れることは分かっていた。
それでも結果をセオに直接確かめてもらいたかったのには、別の訳がある。主席神官長は、その目で状況を見た者の報告から得た確信を告げた。
『神風を習得されたのだろう』
神風は、神剣の望めば斬れる力を、風にのせて行使する技だとされている。歴代の勇者様も使ってきたものではあるが、簡単に習得できるものではないと史料に記されていた。
史料が間違っていたのか、勇者様の威光を高めるため難しいものだと書かれたのか、その真実は分からない。
ここまで見事に、そして自然に神技を使われた後なら、なおさらのこと、勇者なら簡単に扱えるのか、それがバイロ様であるからこそなのかは判断が付かなかった。
『ナレジカとの遭遇、手合わせでの風斬り。近しいものを目にする機会が多かったことも関係しておられるとは思うのだが……』
備わった御力の開放、身体能力を生かすために必要な想像力、我がものとして勇者の器と神剣を扱う習得速度。それらが史料にある歴代勇者の中でも並外れているように、ネフェル神官長には思えた。
記憶がないというのも関係しているのかもしれない。自身の経験から、己の限度や人としての限界を定めていないからこその成せる技か。
『誠に、素直な御方だ。バイロ様は』
「そして、お優しいです。弁償を、修理費用を立て替えてあげて欲しいとおっしゃっていましたね。お持ちになった路銀すら、救世主様のためと集まった寄金からしたら少な過ぎるほどですのに」
昨日の夕刻に直通の通信機が鳴った時、たまたまその場に居合わせていたセオが、勇者と主席神官長の会話を思い出して微笑む。
古い通信機越しでも分かるほどの慌てた様子で何事が起ったかと心配もしたが、塔を壊してしまったことと崖下の惨状を街の迷惑になるとなげいていた勇者様の声が、セオの耳に残っていた。
『うむ、後で返すからとおっしゃるとは思わなかったのう。一昨日の夕刻に旅仲間の候補から外れた者たちの現状や、各地の福祉施設の窮状が気になるのだと、再び連絡を頂いた時にも驚かされたものだが』
人嫌いだと堂々と宣告された割に、勇者バイロ様は自身の身の回りのみならず、その他大勢のことまでもを気にかけている。
そうやって気を回しすぎることで気疲れし、人嫌いだと周囲を遠ざけようとしているのではないか。救世主降臨神殿主席神官長にそう思わせるほど、配慮が徹底していた。
それであるからこそ、ネフェル神官長も勇者様に応え手を尽くすため、救世主様世話役兼主席神官長補佐官を、すぐにも送り出したのだった。
塔の裏手の崖下からは時折、近付きすぎないようにと注意する声が風に乗って届く。セオはその様子も、ネフェル神官長へ語った。
「すでに勇者様がこの街においでになったのが広まっているようです。塔の残骸から神剣の痕跡を残すものを探して持ち帰ろうとする者たちが後を絶たないとか。こちらの所有者の負担にならないようにとおっしゃっていましたが、それはバイロ様の杞憂に終わるかと思います」
勇者が降臨し自ら賊を討った場所として、早くもこの塔は先の山村と同じく、観光名所化しつつある。
ほくほく顔でセオを出迎えた所有者が塔の破損を大歓迎しているのは誰の目にも明らかだ。客が訪れて幾ばくかの見学料を払うのであれば、崩壊した部分のがれきを補償の名目で買い取るという神殿の言い値で売り払っても、懐が痛むことはないだろう。
神剣の斬り跡が残ってはいても、石は石だ。聖なる欠片として危うく高値で売り出されかけた、ただの石の回収にも目途が立ち、セオは次の仕事へ向かうことにした。
「これから警護兵隊の取り調べ記録などを見に参ります。銃の入手や依頼者について、新しいことが分かったかもしれませんから」
勇者様が知りたいと気がかりにしていることの新情報を仕入れに向かうセオの声は弾んでいた。それへ思わず、ささやかな笑い声を返して、ネフェル神官長は補佐官を気遣う。
『終わったら報告を。帰りが遅くなるようなら無理せず、そのまま街にとどまるように。大鷹獅子は夜目が効かぬからな。彼らにも休暇をやっておくれ』
「はい。国王陛下のご配慮にも感謝しております。これからもこうして度々、王立空兵団の方の手を借りることとなりますので」
セオ・センゾーリオに任せるのは彼が勇者の世話役、従者として選ばれた者であるからだ。国王陛下選定の有能な人材だという確固たる評価を得ている上に、主席神官長補佐官の役職を併せ持っているからである。
そしてそれはすなわち、勇者の存在をめぐり長らく対立してきた救世主降臨神殿と国王の、双方を繋ぐ者であることも示していた。
『誠に。陛下には見えざるところで、どれだけ助けられてきたことか。国王陛下の存在あってこその、今だ』
ネフェル神官長の言葉にセオも礼を返して、二人は通信を終えた。
国王陛下に感謝を述べる、主席神官長の存在もあってこその、今だ。
勇者不在の世を治めてきた王様と、勇者の器を預かることで暗に権力を誇示しようとする者たちを御し、神殿をまとめ上げた主席神官長。
この聡明な二人が待つところに、バイロ様が勇者として覚醒した。
そう、今度こそ。今度こそ、きっと救って下さる。
セオは、いつの間にか祈るように閉じていた目を開けた。亡き父と同じ色の緑の瞳を晴れ渡った空へやり、向こうに見える崩れた塔の上に待機させた大鷹獅子へと手を振る。王立空兵団の若者が、それに答えて手を振り返した。
騎手を乗せたグリュプスが羽ばたいて飛び上がる。セオの待つ、斬られた塔へと、大鷹獅子は飛ぶ。
魔道力源を収めた鞄に、合成繊維をより合わせた紐で繋がった携帯通信機を仕舞う。セオは今一度、ここに舞い降りた勇者が残した神技の跡を目に焼き付けて、塔の最上階を後にした。
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