転生勇者は連まない。

sorasoudou

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2 旅立つ勇者と蚊帳の外

第11話 愛されしもの

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「疲れた……」


 ルエンの弱音を聞いたのが、前がいつかを忘れるほどに久しぶりであったのだろう。窓を閉め、カーテンを引いていたリショは慌てて、ルエンの隣に並ぶ。身を屈めて、紫の瞳をのぞき込んだ。


「だいじょうぶ? あたし、重くなった?」


 図らずも、この数年で急成長した胸を寄せるような格好になる。行儀と姿勢にうるさいルエンが思いっきり顔をしかめたのを見て、リショは居住まいを正した。
 小柄なハリュウの当主がその見た目では測れないほどの筋力と体力を持っていることは、勇者様の寝室から外壁伝いにここまでおんぶされて来たリショが一番に知っていた。だからこそ、疲れたという一言に驚いて、おかしな心配をしてしまったのだ。

 どこかの人嫌いのように深くため息を吐き、ルエンは首を軽く振った。いつもより力ない足取りで、二人以外に誰もいない部屋を自分の寝台へと歩む。隣の寝台の布団の上に脱ぎ散らかされた衣装を、ルエンは指差した。


「さっさと片付けなさい。すぐに着替えて、とっとと寝る」


「はーい」と気のない返事をしつつも、リショは素直にルエンの指示に従った。薄い寝巻きの上から、もこもことした布地で出来た長袖のワンピースを着込む。やけに素直に言うことを聞くのは、姉と慕うルエン以外からも忠告を受けたからだ。
 勇者様の御前を去り際、夜風に当たり、思わずくしゃみをしてしまったリショは、ありがたいお言葉をいただいた。


『腹出してるからだろう。あったかくして、さっさと寝ろ』


「母上みたい!」とリショは感激していたが、勇者の言葉が「さっさと出て行け」に聞こえたルエンは急いで妹分を背負い、その場を迅速に退出した。


 これ以上、勇者さまを怒らせる訳にはいかない。


 無邪気で余計なリショの発言がこれ以上、窓からこちら見守る勇者さまのお耳に入る前にと、かなりの速度で神殿の壁を這い降りては来たが、このくらいのことで疲れるほどルエン・エン・ハリュウは弱くはなかった。
 ではなぜ、滅多にない弱音が彼女の口をついたかと言えば、それはやはり、勇者が原因である。


 失礼は承知で今宵の一幕を演じることにした。覚悟の上でのことだった。
 まかり間違えば命はないやもと覚悟していたそのはずが、想定以上のことが起き、ハリュウの若き当主は内心かなり動揺していた。


 わたしは勇者さまの存在を、軽く見ていた。


 それに気付いてルエンは慌てた。
 この国の、この世界の者たちにとって勇者とは、創造の神々の名だたる奇跡を体現した唯一無二の存在である。
 勇者の器が目に見える形で時に触れることさえ叶うものとしてそこにあるからこそ、この世界の生きとし生けるものたちは、神話と伝説に語られる天地創造と姿なき神々の存在を信じて疑わず、今日まできた。


 勇者は絶対だ。世界を去し神々と残されし人を繋ぐ、唯一のものだ。


 それはルエンも充分に分かっている。分かっていて、馬鹿にもしていたのだ。神々からとんでもない加護を授かり、それを当然のように受け入れて勝手気ままに振舞うことを救世と呼ぶ勇者という存在を、知らず知らずのうちに。
 ルエンは自分が気付いてもいなかったその思いを、そうした考えでいる者たちもこの国にいることを、すでに人違い勇者が見抜いていて、とっくに手を尽くしていたことに感銘を受けた。


 今までの奴らと一緒にしてくれるな。


 人違いの人嫌い勇者さまが何よりも一番に証明したがっているのは、それだ。
 今宵の密談でルエンが得た最もな成果が、この確信だった。しかし、このたったひとつの確信が、命を懸けて知りたかったことのすべてを表しているとも言える。


 ルエンは卵から孵り言葉を話すようになってからずっと、里の者たちに賢いと評されてきた。
 ハリュウの一族の者たちが言う賢いは、勉学に優れていることだけを指してはいない。相対する者の望みを察知し、狙いを見抜く、判断力の高さを言う。

 仲間が望むことを正確に理解し、皆を上手く導くことが出来る者が当主となれば、一族の未来は安泰だ。敵が望むことを相手に悟られず素早く見切ることが出来るなら、勝利は我が手にある。
 一族が望む才覚を幼いころから発揮したルエンは隠居した祖父に指名され、満場一致で当主に推された。ハリュウの一族は幼年期と老年期が長く、寿命そのものも他の亜人を上回る者が多い。一族の未来を若い者に託し、それを長老たちが見守るのが代々の慣わしだ。

 今回の件は、ルエンが単独で決めたことだった。
 祖父を始めとする長老たちはルエンを高く買っている。いつもはルエンの意見を尊重し、若き当主が決定したことに長く生きた分の経験を助言にして補完してくれる。
 けれども今回は、当主自らが表へ出ることへの反対の声が、長老のみならず里の者たちの大方を占めた。高く買っているからこそ、勇者のお声がけに応えることを長老たちは反対した。


 勇者の意のままになる。
 当主がそのような有様になった挙句、里や一族のことを顧みなくなれば、ハリュウのみならず亜人たちはどうなってしまうのか。


 勇者の器に備わる神の加護、その名も『愛されしもの』が呪術としても用いられる支援魔法の一種に似た、強力な魅了効果であることは広く知られている。

 対象を意のままにする呪いは自白や洗脳を目的に研究され、仲間の応援や鼓舞から派生した身体能力向上などの王道の支援魔法とは別種の進化を遂げてきた。
 ただその呪いは、神の加護として生み出された完璧な力には遠く及ばず、効き目は一時的なものでしかない。
 結局、呪術の魅了は酩酊効果のある植物の成分や酒を含んだ薬を補助にしなくては、まともに使えない。従う意思のない他人を長期間意のままにするなど高名な魔術師でも無理難題だ。高名ならなおのこと、勇者様でもない者が、そんな魔法を使うことがはばかれる。


 愛されしものの力を使うことが勇者だけに許されているのは、神々の意思によるものだからだ。
 創造の神々に愛されしものであるからこそ、勇者に宿った者だけは法外な力が扱える。神の加護の一端に触れるのは祝福を受けたも同じことだ。


 そうしてこの世界に生きる者たちに許されてきた加護の力を、ルエンが受け入れるかは、別の話だった。
 目を見てはならぬ。
 長老たちに送り出される時にもらった助言は、その一言だけ。それ以外に打つ手はないとも言い換えられるが、ルエンにはなぜだか、愛されしものの加護に対抗出来る自信があった。


 そのおごりこそが危険だ。勇者を、神々の愛されしものを、軽く見ていたという事実に過ぎない。

 バイロさまが人嫌いでなかったら。

 ぞっとする。


 ルエンは隣の寝台の上であぐらをかき、衣装が上手く畳めずにうなっているリショを見た。
 最悪、自分は自業自得で済ますだろう。ルエン・エン・ハリュウは、己の未熟さがもたらす失敗を己のこととして丸ごと受け止める覚悟をした。
 でもそれは、当主である自分だけがすべてを引き受ける場合に限られる。その失敗に一族はもちろん、他の誰かを巻き込みはしない。そんな覚悟でいたはずだった。
 ルエンの視線に気付いて、リショディレラが顔を上げる。


「肩、揉む?」

「いや、いい」


 簡潔な断りに気を悪くすることもなく、笑みで答えるリショは、見た目より遥かに未熟だ。亜人としての能力は高いが、ルエンから見れば力に精神がともなっていない。


 ハリュウの一族に比べて体の成長が早いため、リショの家系は成人の年齢も早い。
 急速に成長する身体能力を余すことなく体得してこその当主候補だと訓練の日々を送ったリショは、それ以外の生き方を知らずに育ったがゆえ、外見だけ大人で中身が取り残されることになった。

 ギンコロウの一族が連なる家系は亜人の中でも、獣人と区別して呼ばれるものに属している。
 獣人たちは一族ごとに多種多様な特徴を持ちつつ、繁殖能力も優れており、亜人の大多数を占めていた。亜人、人間問わず、国の内外に派閥を持つ一大勢力だ。その分、他の家系や一族、同族内での争いも多い。
 リショディレラはギンコロウの当主候補者の中では筆頭格に位置してはいるが、それを良く思わない者も少なからず存在する。ハリュウの当主に協力するなら幼なじみである者をと簡単に許しは出たが、お声がけを理由にリショを厄介払いしたかった奴らがいたのは間違いない事実だった。


 畳むのを諦めたか、寝台の足元に開いて置かれた旅行鞄に衣装を投げ入れ、リショは銀の尾っぽを振ってルエンを見た。


「驚いたよね、勇者様。何でも気付いてるんだもん」

「ジャハリのこと? 当然よ。職業が違うもの」


『軽業師の人、君たちのところへ戻しておいて正解だったな』


 内密の会談の最後で勇者が切り出したのは、昼間の手合わせの感想と、増員は必要かの確認だった。勇者が話題に上げたのが、仲間候補として手合わせで戦った亜人の一人、ルエンとリショの幼なじみのジャハリだ。

 芸術職の中にも腕に覚えのある者はいる。勇者様との手合わせに名乗りを挙げた獣人の軽業師ジャハリは、旧知の仲であるルエンからの依頼と己の実力をはかるため、採用試験に加わっていた。
 勇者様へ渡された履歴には当然、本職が記入されている。軽業師が参戦はさすがに目立つとルエンも思ったが、目覚めたばかりの勇者がどれほどの戦力を持っているのか知る必要があった。
 いくら覚悟の上とはいえ、夜分にお邪魔して、いきなり斬って棄てられる訳にはいかないからだ。


「部屋に戻ったら伝えろって言われてたんだった。呼ぶ?」

「……リショ。もう少し大人の振る舞いを学ばないと、だめよ」


 勇者の寝所に不法侵入しておいて今さらではあるが、娘二人の部屋に若い男を入れるのはいかがなものか。ルエンは寝台から降りると、窓辺の丸テーブルに置かれた竹細工の箱に歩み寄り、ふたを取った。

 薄く透明な二枚の羽を震わせ、箱のふちへよじ登ってきたのは、羽蜥蜴ハトカゲだ。
 宴の席でルエンが背中に付けていたのは、この可愛いお供の羽を模したものである。蜻蛉とんぼの羽によく似た一対の被膜を持つ小さなトカゲは、差し出された主の手に登ると両の前足で、ルエンの指をつかんだ。
 黒目がちな顔を上げ、ルエンの紫の瞳を見つめるハトカゲは、おとなしく聞き耳を立てる。


「いい? よく聞いて……勇者さまのお許しが出た。我らは、みなのために。みなは多くの者たちのために」


 ハトカゲが首を傾け、きゅるりと鳴いた。ルエンは部屋の扉へと歩み、薄く戸を開けてお供を乗せた手を外へ出した。


「ジャハリを探しなさい。廊下に立っているはずよ」


 ルエンの指を握っていた前足を離し、ハトカゲが飛び立つ。小さな体をぶらぶらさせながら、ハトカゲは煌々とした明かりの中を廊下の奥へと飛んで行った。ルエンは扉の側でお供の帰りを待ちながら、部屋の外の様子をうかがう。
 小さなトカゲが記憶した主の声真似の伝言は、すぐに協力者たちの間に広まるだろう。十五秒ほどしか暗記は出来ないが、高く涼やかな可愛らしい声で再生された言伝は、聞く者が聞けば正しく意味を受け取れるはずだ。


 我らは我らの意思を持って、勇者に従う。


 愛されしものの強制は、勇者にあだなす者が受けると伝わってきた。何より、己が生きる世界を救う勇者を絶対だと崇めるのなら魅了を恐れるいわれはないのだと。
 それが今までのことわりとして存在してきた勇者の加護への解釈なら、これから亜人たちが選ぶもの、ルエンが選んだものは、違うということになるのかもしれない。


 でもそれが勇者さま、バイロさまの望みだ。


 部屋に近付いてくる小さな羽音を耳にして、ルエン・エン・ハリュウは紫の瞳を上げた。差し出した手に降り立った可愛いお供が指をつかみ、口を大きく開けてあくびをする。
 それと同時に寝台からも、のんきなあくびが聞こえた。ハトカゲはそれに負けじともう一度あくびをし、ルエンの指に寄りかかる。
 返答の伝言がないのは了承の証だ。詳しい報告と細かい打ち合わせは朝で良い。ルエンはハトカゲをそっと巣箱に戻してやり、褒美に頭を指で何度かなでてから、ふたを閉めた。


「ほら、あなたももう寝なさい」


 小さなトカゲと同じ扱いを受けるのは、いつものことなのだろう。リショは返事もせずに横になると、そのまま寝入ってしまった。


「もう、あなたの母上じゃないのよ」


 ルエンが多少乱暴にリショの下から布団を引っ張り、掛けてやる。一度寝るとなかなか起きないリショは屈託のない笑みを浮かべて、朝まで幸せに夢を楽しんだ。






 
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