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第6章 夫婦になるには

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五貴さんが、『週末には帰ってくるから。』と言って、出て行ったきり、三日が経った。

二人の新居には、私しかいない。

いや、もっと厳密に言うと、林さんと私しかいない。

しかも林さんは、私が一人しかいないと言うのに、姿を現さない。

こんな広い部屋に、一人っきり感を、これでもかというくらいに、味合わせてくれる人なのだ。


「おはようございます、林さん。」

「おはようございます、奥様。」

さっきまで、気配すら消していたのに、挨拶した途端に出てくるなんて、使用人とかじゃなくて、本当は忍者なのではないかと思ってしまう。

「そうだ。林さんに、どうしてもお聞きしたい事が、あるんですが。」

「何でしょう、奥様。」

私がコーヒーカップを、そっと横にずらしただけで、お代わりを注いでくれるなんて、林さんは相当優秀だ。

「五貴さんは、どこにいるんですか?」

コーヒーを注ぐ音だけが、周りに響く。

「林さん?」

「私の口からは、お答えできません。」

そして、また気配を消す林さん。


あーあ。

毎日五貴さんの居所を聞いても、絶対に教えてくれない。

新婚なのに、こんな仕打ちってあるんだろうか。


そして私はと言うと、秘書の仕事を続けている。

「社長、本日の午前中には、社内の会議が入っております。」

「ああ。」

あの社長の椅子に座る五貴さんが、私の旦那様だなんて、全然実感が湧かない。

そりゃあ、そうだろう。

今時高校生のカップルだって、盛りがついたように、Hしまくるのに、新婚の私達が、Hの”え”の字もないなんて。

そんなバカな話が、あるか!


「水久保さん、会議の準備をお願いします。」

「はい!任せて下さい!」

内本さんに、敬礼をした私は、早速エレベーターの中に飛び込み、各階を回って、会議の資料を集めてくる。

その時、セクハラはと言うと……

はっきり言って、全く触られる事もないどころか、全く声すら掛けられない。

私の顔を見るなり、ほとんどの部長が、書類をサッと出してくるのだ。

おそらくあれは、内本さんに対してだけの、不器用なスキンシップだったのかもしれない。


「はぁーあ。色気0って、本当に虚しい。」

よくセクハラされるうちが華だ!なんて言うけれど、本当にそうかもしれない。

セクハラなんて、嫌ああ!と叫んでいたけれど、実際そんな心配はなかったようだ。


資料を集めて戻って来たら、社長室に内本さんの姿はなかった。

「あの、内本さんは……」

旦那様である社長に、内本さんの所在を聞くのも、何だか変な気分だ。

「内本君なら、お客様を迎えに行ったよ。」

そう言うと五貴さんは、立ち上がって私の側に、やってきた。

「やっと、つむぎと二人きりになった。」

ぎゅうっと抱きしめられ、今までの文句が、一瞬にして吹き飛ぶ。

「林は、優しくしてくれるかい?」

「うん、とっても。」

「それはよかった。」

甘い声が、私に降り注ぐ。

ああ、幸せ。


って、ちょっと。

「もう、五貴さん!私は林さんと暮らしてる訳じゃないのに!」

少しだけ、怒ってみる。

「ごめん、ごめん。週末には、ゆっくり二人で過ごせるから。」

怒ってみたのに、そんな事言われたら、また許してしまう。

「五貴さ~ん!」

「甘えん坊だな、つむぎは。」


すると外から、ガヤガヤと言う声がした。

「おっと、内本君が帰って来た。」

五貴さんは、私との関係を知られたくないのか、私を体から引き離した。

「これはこれは、折橋社長。」

「お久しぶりです。」

引き離された私を他所に、社長同士の懇談会が、始まって行く。


「ちょっと!水久保さん!」

内本さんの声にならない声が、聞こえてくる。

「会議の資料、作り終えた?」

「あっ……」

「もう!何やってんの!もう少しで社内会議、始まっちゃうじゃない!」

内本さんの温かい指導の元、二人で急いで会議用資料を作る。


「そうそう。社長、仕事が終わったら、今いるお客様とパーティーに出席なさるから。」

「パーティー!?」

と、言う事は運が良ければ、今日は一緒にいられる!?

「社長同士のパーティーには、秘書も同行するんだけど、あなたにはまだ早いでしょ。私が同席するわ。」

せっかくのチャンスを、内本さんに取られ、ガクリとくる私。


何度も言う通り。

私は、林さんと一緒に暮らしているつもりは、ないのに。

仕事を終え、家に帰って来ても、味気ない。

こんな広い家に、一人で住む事になるんだったら、結婚なんてしなければよかったな。


「林さんって、一人暮らし?寂しくない?」

「いえ、旦那様や奥様と共に暮らしていますので、寂しくはありません。」


さらりとすごい事を言われたのに、今の私には、それすら反応できない程、胸に隙間風が吹いていた。

次の日も、起きても家には私、一人きり。(現実には、林さんもこの家に住んでいるみたいだが。)

寝ぐせも付きっぱなし。

パジャマのまま、欠伸もし放題。


「おはようございます、奥様。」

「おはよう、林さ……」

ハッと目が覚めて、振り返る。

だが、そこには誰もいない。


気を集中させて、辺りを見回すと、気配すら感じない。

仕方ないか。

林さん、忍者だから。
(本当は、ただ使用人。)

諦めてテーブルにつくと、あんなに気配を感じられなかった林さんが、目の前で朝ご飯を並べてくれている。


「は、林さん!」

「はい?」

私の方を見た林さんは、五貴さんよりも、少し年上の人に見えた。

「あの……林さんって、本名は何なんですか?」

「私ですか?本名は、林です。」

なぜか、林さんと見つめ合う私。

「だって五貴さんが、面倒だから全員、林にしているって。」

「ああ、その事ですか。」

林さんは、ポンと手を叩く。

「元々、折橋様の執事等をしていたのが、林一族なのです。」

「一族!?」

親兄妹、従姉妹同士で折橋家に仕えているって事?

いいの、それで!?

「それで、林以外の者を雇っても、林にしたのです。確かに林以外の者もおりますが、旦那様に仕えているのは、基本林一族だけでございます。」

またまた、お金持ちの世界を知って、このままでいいのか、自問自答する。


「奥様は、少し旦那様に、ご遠慮されている部分が、おありのようですね。」

「遠慮……そうかなぁ。」

「もっと積極的に、旦那様とお話なさっては?」

朝ご飯を食べながら、林さんにアドバイスを受けると言う、本当に一緒に暮らしているのは、誰なのか、分からないシチュエーション。

でも、いろいろ聞いてはいけないような気がして、五貴さんに遠慮していたのは、事実。


お昼休みにでも、一緒にご飯食べようかな。

私は何となく、そう思った。

お昼休みになり、私は調度仕事が終わったと言う事にして、社長室に戻ってきた。

お昼、一緒に食べない?

うん、これでよし。

私が、社長室のドアに手をかけ、少しだけ開けた時だ。


「五貴。今日も、家に帰らないの?」

「怜亜も知ってるだろう?帰れない事。」

私は慌てて、ドアを閉めた。

五貴?

怜亜?

内本さんと、そんな風に呼び合ってるの?


私はドキドキしながら、またドアを少しだけ開けた。

「新婚なのに、いいの?」

五貴さんからの返事はない。

「愛想つかされて、出て行かれたらどうするの?」

「つむぎは、そんな女じゃないよ。」


その言葉にジーンときて、反動で少しだけ、ドアを押してしまった。

ちょうど五貴さんと、内本さんが見えた。

その様子に、目が丸くなる。

なんで?

どうして?

内本さんが、五貴さんをバックハグしてるの!?


「またまた、そんな事言って。」

そう言いながら、内本さんはどんどん、五貴さんにまとわりついていく。

「私達の関係は、水久保さんに言ってないんでしょ?」

私はドアをそのままにして、走り始めた。

遠くから、五貴さんが私を呼ぶ声がする。


でも、会いたくない。

トイレに駆け込んで、個室に閉じこもった。

「つむぎ!」

最上階のトイレは、あまり誰も来ないと知っているのか、五貴さんは堂々と女子トイレに入ってくる。

「出て来てくれ!つむぎ!」

個室のドアを、ドンドンと五貴さんが叩く。


「行って下さい!」

今は、五貴さんの顔なんて、見たくない。

「怜亜……内本君との事、見たんだろ?」

あの場面を思い出して、我慢していた涙が、ボロボロ出てくる。

「内本君とは……その……」


普通は、何もないんだ!でしょ。

私は怒りがこみあげてきた。

「出て行って下さい!」

「つむぎ!話を聞いてくれ!」

「聞きません!」

私の気持ちが変わらないと知ってか、五貴さんはしばらくして、女子トイレを出て行った。

「うっ……ううっ……」

嗚咽まで漏れてくる。


週末婚を持ち出されたのは、平日は内本さんと過ごしているから?

社会経験のあまりない私だったら、週末婚だと言えば、浮気も不倫も誤魔化せると思われていたんだ。

口惜しい。

やっぱり、週末婚なんてしなければよかった。


お金持ちと結婚して、いい気になって、その代償がこれだなんて、酷すぎる。

でも、こんなに胸が張り裂けそうに痛いのは……



五貴さんの事、本気で好きになってしまったから。



「五貴さんの、バカ……」

泣いても泣いても、胸の痛みは治まらない。

このまま別れようとも思えない、私も。



相当の、バカだ。
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