上 下
11 / 26
第5章 今夜は初夜

しおりを挟む
結婚には、勢いが大切だって、本当らしい。

目の前には、折橋さんの名前と印鑑が押された婚姻届けが、広がっている。

「さあ、つむぎ。早く。」

昨日まで、つむぎさんと呼んでいた折橋さんは、人が変わったように、私を呼び捨てにしている。

一日で、こんなにも世界は変わるんだろうか。


「ああ。今日が休みで、本当によかったね。」

折橋さんは両手を広げながら、外の天気を伺っている。

あの~、お兄さん。

急に人の家に来て、それはないんじゃない?


「婚姻届けを出したら、直ぐに僕の部屋へ引っ越そう。楽しみだね、つむぎ。」

ワクワクしているのは、折橋さんだけですと言ったら、悲しい顔をされるかな。

昨日の夜、思い余って告白したのが運の尽き。

そのまま、奥さんになるねと言われ、頷いてしまったが為に、今に至る。


でも、折橋さんを好きな事に、嘘はない。

私は婚姻届けに、自分の名前と印鑑を押した。


「よし!区役所へ、直行だ!」

「待って下さい。」

私は、折橋さんの腕を掴んだ。

「婚姻届け、出すだけですか?」

折橋さんは、目をパチパチさせている。

「……結婚式、って事?」

「はい。」

少なくても私は、結婚式をしたい。

両親にも、晴れの姿を見せてあげたい。


「そうだな。落ち着いてから、盛大にやろう。」

「せ、盛大……」

私は思わず、頭を横に振ってしまった。

「盛大じゃなくてもいいです!本当に普通に!」

「普通って何?一生に一度の事なんだから、思い出に残るモノにしようよ。」

折橋さん、何だかグイグイ事を進めようとしているのは、気のせいなんでしょうか。


「ああ、今から楽しくなりそうだ。」

私よりもウキウキしている折橋さんを横目に、私はリムジンに乗って、区役所へとやってきた。

二人で婚姻届けを、担当の人に渡す。

「はい、おめでとうございます。」

「ありがとうございます!」

一人テンションの高い折橋さんを置いて、私はまだ他人事のように、思えてしまう。

それはただ、紙一枚に名前を書いただけだからかな。


「つむぎ。今から、折橋つむぎになったんだね。」

「はあ。」

他の場所を見たって、何も変わってはいない。

「まだ、実感が湧かない?」

「うん。」

わずか、10分足らずでリムジンに戻って来た私は、この間に名字が水久保から折橋に変わった。

って、言っても誰が信じるんだろう。

「まあ、女性はそうだよね。でも、直ぐに実感が湧くよ。」

「うん。」

さっきから私、うんしか言っていない。


折橋……五貴さんには悪いけれど、実感が湧くのは、大分先だと思う。

と、考えていた矢先だ。

リムジンは、五貴さんのマンションに着き、いつの間にか私の荷物も、まるで今まで住んでいたかのように、なじんでいた。

「ええ!?」

「ははは!驚いた?さっき僕達が区役所に行っている間に、皆に運ばせておいたんだ。」

「皆!?皆って、誰ですか!?」

「皆って、知らない?小さい頃から、面倒見てくれてる人達。」

「知らないです!って言うか、そんな人達、普通はいません!!」


さすが御曹司。

影には、何人もの使用人がいるんだ。


「それよりも見て、つむぎ。僕達の新居だよ。」

五貴さんに誘われて、リビング、キッチン、バスにベッドルーム。

ウォークインクローゼットまで、見せられた。

「どう?気に入ってくれた?」

「はい……」

ワンルーム暮らしだった私にとっては、こんな広くて綺麗なマンションで暮らせるなんて、夢みたいな話だ。


そして気づく!

一番大事な事。

「あの、五貴さん。」

「どうした?」

いつの間にか、置かれていたソファーで、くつろいでいる五貴さんの隣に座った。

「ここにも、その……使用人の方と言うか、皆さん、いらっしゃるんですか?」

五貴さんは、ニコッと笑った。

「いるよ。」

「えっ!?どこ!?」

私は、辺りを見回した。

でも、見える場所には、誰もいない。

と言うか、一人?

それとも何人かいるの?

それすらも、分からない。


「ただね。彼らはとても優秀で、僕達がいる時には、姿を見せないようにしているんだ。」

姿を見せない……まるで……

「……忍びのような人達ですね。」

「ははははっ!」

途端に五貴さんが、お腹を抱えて笑いだした。

「忍び!つむぎは、面白い事を言うね。」

別に笑わせるつもりはなかったけれど、好きな人がこんなに笑ってくれるなら、すっごく嬉しい。


「それじゃあ、夕食は別に皆が、作ってくれる訳じゃないんですね。」

「ん?言えば、作ってくれるよ。」

言えばって、どうやって?

私が、首を傾げた時だ。

五貴さんが、パンパンッと手を打った。

「お呼びですか?ご主人様。」

「きゃああああ!」

ついさっきまで、私達の後ろには、誰もいなかったのに!!


「あっ、呼び方変えた?」

「ご結婚されたのですから、坊ちゃまと呼ぶのは、不適切かと。」

「ははは。気が利くね。」

肝心の五貴さんは、まるでそれが当たり前のように、会話を続けている。

私なんて驚き過ぎて、まだドキドキしてるって言うのに。


「突然だけど、今日の夕食、今から作れる?」

「お任せ下さい。」

そしてその使用人の人は、真っすぐ台所へと行った。

そこで初めて、男性の人だと言う事が、分かった。

「お、男の方なんですね。」

「心配しなくていい。彼はなんでも、できるからね。」


その人がガチャと、冷蔵庫を開けると、今日引っ越してきたばかりだと言うのに、食材がたくさん入っていた。

「まさか、買い物も!?」

「ね。大丈夫でしょ?」

そう言って五貴さんは、ニコニコしている。

しかも、その人。

サッサと食材を出すと、トントンと軽快な音を立てながら、それらを切って行く。

絶対に、私以上に料理は上手いはずだ。


「今日の、夕食は何?」

「シーフードグラタンでございます。」

「そうか。」

五貴さんは何か考えると、急に立ち上がった。

「つむぎ、ワインセラーに行こう。」

「ワイン、セラー?」

私は、目が点になった。


「ほらほら。」

五貴さんに腕を引かれ、私は廊下へとやってきた。

「ここだよ。」

「ぎゃっ!いつの間に!?」

普通のマンションの廊下に、ワインセラーがあるなんて、見た事がない。

しかも、何でさっき家の中を見た時に、教えてくれなかったの!?


「つむぎは、ワイン飲める?」

「いえ、その前に飲んだ事が、ありません。」

「そうか。そっちか。」

五貴さんは、数あるワインの中から、赤ワインを一本取り出した。

「これなら、初心者向けだ。」

ちらっと見ると、名前にシャトー何とかと、書いてある。

「そ、そ、そそそれって……」

「ん?何?」

「高いワインなのでは?」

「あっ、分かる?」

五貴さんは、これ見よがしに、ラベルを私に見せた。


「いや、ダメです!高いワインを飲んだ事もない私に!」

「そんな事ないよ、つむぎ。一番最初に飲むワインはね、いい物を選んだ方がいいんだよ。」

五貴さんは私の腕を掴むと、ダイニングの椅子に、私を座らせた。

「ワイングラスを、二つ。」

「はい。」

使用人兼料理人の人が(名前は知らない)、知らない間に、ワイングラスを持って立っている。


「ちょっと待ってね。今、開けるから。」

五貴さんは、ソムリエナイフでコルクを抜くと、その匂いを嗅ぎ始めた。

「あの、それで何か分かるんですか?」

ワインならまだしも、コルクの匂いを嗅ぐなんて。

「分かるよ。ワインが痛んでないかがね。」

「へえ……」

なんだか五貴さん、ソムリエみたい。

「そこまで知ってるなんて、意外ですね。」

「そうかな。」

五貴さんはボトルを持つと、グラスにワインを注いだ。

しかも、1~2cmしか注いでいない。


「これしか、注がないんですか?」

「最初はね。これで、テイスティングするんだよ。さあ、飲んでみて。」

「はい。」

ワインを飲む前に、息をゴクンと飲んだ。


人生初めての、ワイン。

五貴さんが、私の為に選んでくれたワイン。

しかも、高級なシャトー何とか。

また、手が震えてきた。


「大丈夫?手が震えてるよ?つむぎ。」

「だ、大丈夫……」

カタカタ震えながら、ワインを一口飲んで見た。

口の中で、葡萄の甘味と、渋味が混ざる。

そして、ほんのりとアルコールが鼻から抜ける。

「美味しい……」

「だろ?」

私達は、見つめ合いながら笑った。

「よかった。」

五貴さんは、ほっとしているようだった。

「もしかしたらつむぎは、勢いで結婚するって言ってくれたんじゃないかって、思ってね。」


ああ、バレていたのね。

私は、気が遠くなりかけた。


「だから僕と一緒にいて、楽しそうにしてくれている様子を見ると、安心するよ。」

「五貴さん……」

こんなイケメンの社長に、そんな事言われるなんて!

体がとろけそうになる。


「私も。」

ハニカミながら、五貴さんを見つめた。

「五貴さんって、社長だし、お金持ちの御曹司だし、身の回りの事って、全部お手伝いさんがやってくれてるんだろうなぁって、思っていた。でも、私の為にワインを用意してくれたり。すごく嬉しい!」

私が笑顔を見せると、五貴さんも微笑んでくれた。


「もう少し、ワイン飲める?」

「はい!」

こんな幸せな時間が来るのなら、もっと早く結婚すればよかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

アクセサリー

真麻一花
恋愛
キスは挨拶、セックスは遊び……。 そんな男の行動一つに、泣いて浮かれて、バカみたい。 実咲は付き合っている彼の浮気を見てしまった。 もう別れるしかない、そう覚悟を決めるが、雅貴を好きな気持ちが実咲の決心を揺るがせる。 こんな男に振り回されたくない。 別れを切り出した実咲に、雅貴の返した反応は、意外な物だった。 小説家になろうにも投稿してあります。

【完結】その男『D』につき~初恋男は独占欲を拗らせる~

蓮美ちま
恋愛
最低最悪な初対面だった。 職場の同僚だろうと人妻ナースだろうと、誘われればおいしく頂いてきた来る者拒まずでお馴染みのチャラ男。 私はこんな人と絶対に関わりたくない! 独占欲が人一倍強く、それで何度も過去に恋を失ってきた私が今必死に探し求めているもの。 それは……『Dの男』 あの男と真逆の、未経験の人。 少しでも私を好きなら、もう私に構わないで。 私が探しているのはあなたじゃない。 私は誰かの『唯一』になりたいの……。

十年越しの溺愛は、指先に甘い星を降らす

和泉杏咲
恋愛
私は、もうすぐ結婚をする。 職場で知り合った上司とのスピード婚。 ワケアリなので結婚式はナシ。 けれど、指輪だけは買おうと2人で決めた。 物が手に入りさえすれば、どこでもよかったのに。 どうして私達は、あの店に入ってしまったのだろう。 その店の名前は「Bella stella(ベラ ステラ)」 春の空色の壁の小さなお店にいたのは、私がずっと忘れられない人だった。 「君が、そんな結婚をするなんて、俺がこのまま許せると思う?」 お願い。 今、そんなことを言わないで。 決心が鈍ってしまうから。 私の人生は、あの人に捧げると決めてしまったのだから。 ⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒* ゚*。*⌒*。*゚ 東雲美空(28) 会社員 × 如月理玖(28) 有名ジュエリー作家 ⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒* ゚*。*⌒*。*゚

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~

蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。 なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?! アイドル顔負けのルックス 庶務課 蜂谷あすか(24) × 社内人気NO.1のイケメンエリート 企画部エース 天野翔(31) 「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」 女子社員から妬まれるのは面倒。 イケメンには関わりたくないのに。 「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」 イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって 人を思いやれる優しい人。 そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。 「私、…役に立ちました?」 それなら…もっと……。 「褒めて下さい」 もっともっと、彼に認められたい。 「もっと、褒めて下さ…っん!」 首の後ろを掬いあげられるように掴まれて 重ねた唇は煙草の匂いがした。 「なぁ。褒めて欲しい?」 それは甘いキスの誘惑…。

JC💋フェラ

山葵あいす
恋愛
森野 稚菜(もりの わかな)は、中学2年生になる14歳の女の子だ。家では姉夫婦が一緒に暮らしており、稚菜に甘い義兄の真雄(まさお)は、いつも彼女におねだりされるままお小遣いを渡していたのだが……

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

処理中です...