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第5章 契約の最後
《後》
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「ちっ!」
矢部さんは立ち上がると、本田さんと向き合った。
「知り合いだかなんだか知らないが、こっちは大事な話をしてるんだ。退くのはそっちだろ。」
「嫌がる人間を、無理に押し倒そうとするのが、大事な話か?」
すると矢部さんは、私の方を向いた。
「……分かった。」
私はハッとして、下を向いた。
「あんた、そんな事を言うって事は、彼女の前の契約の男か?」
本田さんは、ポケットに手を入れて、黙っている。
「ああ、そうか。自分の女が、他の男に取られると思ってんだな。だが、残念だったね。」
私は急に、矢部さんに立たせられた。
「きゃああ。」
「彼女はな、望んで俺のところに来てるんだよ。あんなとはもう、おさらばしてな。」
それでも本田さんは、黙って私達を見ている。
もう見ないで。
他の男に襲われようとして、泣きべそかきそうになっている私なんて、見ないで!
「君の言う通りだ。僕と彼女は、もう関係ない。」
「そら見ろ。」
「だから、一人の男として言っている。彼女は嫌がっているんだ。その手を放せ。」
「くっ!」
矢部さんは、私を本田さんの方を投げ捨てると、上着を持ってどこかに行ってしまった。
肝心なのは、その後で。
今、関係ないと言った本田さんの胸の中に、私はいる。
「ありがとう……ございました。」
取り合えずお礼を言って、離れようとした時だ。
本田さんに、後ろから捕まった。
「……放さない。」
そんなこの場しのぎの言葉でも、私は嬉しかった。
でも、この手を放したのは、私だ。
「放して下さい。」
「放さないって、言ったろ。」
本田さんは、本当に放してくれる気がないみたいで、もっときつく抱きしめてくれた。
「言いましたよね。あなたが大事にしている女性の、私は娘だって。」
「だから?」
甘い声が、私の耳元でざわつく。
「関係ないよ。あの女とは、当に終わっているんだ。」
それでも、納得いかない。
私には。
母親が知らぬ顔で、あの家に来た事が。
「信用できない。」
「なぜ?」
ここまで来ると、自分が悲劇のヒロインぶって、嫌になる。
「……他の女にも、同じような事を言っていた。」
「今は、日満理だけだよ。」
そんな嘘ばっかり……
私は、その場に崩れ落ちた。
「お願いだから、どこかへ行って!」
「嫌だ。」
本田さんは崩れ落ちた私を、抱え込むように抱いてくれた。
「今離れれば、日満理は二度と、戻って来なくなる。」
そんな本当の事、耳元で言わないで。
私は泣くのを、必死に堪えた。
「でも、駄目なの……」
「どうして?」
「あなたは、母を……私達から奪った……」
そう言った次の瞬間だった。
本田さんが、私の目の前で、土下座をした。
「ほ、本田さん。」
「すまなかった。こんな事して、許される訳じゃないって、分かっている。」
びっくりしすぎて、私の涙も引いてしまった。
「俺も若かった。あの人の包容力に自分が包まれているような気がして……それが結果的に、君達の家族を崩壊させる事になってしまった。謝っても、謝りきれない。」
私は、本田さんに手を伸ばした。
「どうか、顔を上げて下さい。」
あんなに自信家で、紳士的な本田さんに、こんな事をさせて。
胸が痛くなってくる。
「その代り、約束する。君を幸せにするって。」
どうしよう。
涙が出そうになる。
「月並みの言い方しかできないが、今は君しかいないんだ。信じてくれ。」
これは真実だって、受け止めていいのかな。
「本田さん……」
その時だった。
私のスマートフォンに、着信があった。
見ると、知らない番号だ。
誰だろう。
私は鳴りやまない電話に、思い切って出た。
『日満理?私よ。』
「お母さん……」
それは、母の声だった。
『この間はごめんね。実はもうお母さん、その人とは終わっているのよ。』
「えっ……」
目の前の土下座している本田さんを、私は見つめた。
『でも、家族を捨てて来た分、やりきれなくてね。一方的に付きまとっていたの。』
そんな事を言われても、一言も返せない私は、心が狭いんだろうか。
『勇介から聞いたわ。あなたを失いたくないって。』
私は、息が止まった。
『あなたも、勇介が好きなのでしょう。悪いのは、私だけよ。勇介は何も悪くない。』
「お母さん。わざわざ、それを言いに?」
『ええ。勇介から番号を聞いたわ。勝手にごめんなさいね。』
「ううん……」
電話はそれで、一方的に切れた。
まるでお母さんが、どこかで見ていてくれているような。
「本田さん。顔を上げて下さい。」
私は、本田さんの肩に手を置いた。
「日満理……」
「今すぐ、許せるとか思えないけれど……側にいたいのは、私も同じです。」
「日満理!!」
本田さんは、私を抱きしめてキスをくれた。
「もう、我慢できないよ。」
「本田さん……」
「今すぐ、日満理を抱きたい。」
「うん……」
それからは、夢のような時間だった。
本田さんが取ってくれた部屋で、私達は何度も何度も、愛し合った。
「最初から、君を気に入ってたって、言っただろう?」
情事が終わった本田さんは、私の頭を撫でながらそう言ってくれた。
「また、もう……そんな事、いろんな女に言っているんでしょう?」
「ははは……日満理だけだよ。」
嘘か本当かは分からないけれど、今は信じよう。
だって愛は、信じる事から始まるから。
「これからどうしようか?」
「どうしようかって?」
私は、少しだけ起き上がって、本田さんを見降ろした。
「愛人契約じゃなくて、結婚契約でもしようか。」
「結婚!?」
思いの他、結婚に関しても、契約内容は多そうです。
「料理は上手である事。いつも綺麗でいること。」
「なんか、歌の歌詞にあったよね、それ。」
- Fin -
矢部さんは立ち上がると、本田さんと向き合った。
「知り合いだかなんだか知らないが、こっちは大事な話をしてるんだ。退くのはそっちだろ。」
「嫌がる人間を、無理に押し倒そうとするのが、大事な話か?」
すると矢部さんは、私の方を向いた。
「……分かった。」
私はハッとして、下を向いた。
「あんた、そんな事を言うって事は、彼女の前の契約の男か?」
本田さんは、ポケットに手を入れて、黙っている。
「ああ、そうか。自分の女が、他の男に取られると思ってんだな。だが、残念だったね。」
私は急に、矢部さんに立たせられた。
「きゃああ。」
「彼女はな、望んで俺のところに来てるんだよ。あんなとはもう、おさらばしてな。」
それでも本田さんは、黙って私達を見ている。
もう見ないで。
他の男に襲われようとして、泣きべそかきそうになっている私なんて、見ないで!
「君の言う通りだ。僕と彼女は、もう関係ない。」
「そら見ろ。」
「だから、一人の男として言っている。彼女は嫌がっているんだ。その手を放せ。」
「くっ!」
矢部さんは、私を本田さんの方を投げ捨てると、上着を持ってどこかに行ってしまった。
肝心なのは、その後で。
今、関係ないと言った本田さんの胸の中に、私はいる。
「ありがとう……ございました。」
取り合えずお礼を言って、離れようとした時だ。
本田さんに、後ろから捕まった。
「……放さない。」
そんなこの場しのぎの言葉でも、私は嬉しかった。
でも、この手を放したのは、私だ。
「放して下さい。」
「放さないって、言ったろ。」
本田さんは、本当に放してくれる気がないみたいで、もっときつく抱きしめてくれた。
「言いましたよね。あなたが大事にしている女性の、私は娘だって。」
「だから?」
甘い声が、私の耳元でざわつく。
「関係ないよ。あの女とは、当に終わっているんだ。」
それでも、納得いかない。
私には。
母親が知らぬ顔で、あの家に来た事が。
「信用できない。」
「なぜ?」
ここまで来ると、自分が悲劇のヒロインぶって、嫌になる。
「……他の女にも、同じような事を言っていた。」
「今は、日満理だけだよ。」
そんな嘘ばっかり……
私は、その場に崩れ落ちた。
「お願いだから、どこかへ行って!」
「嫌だ。」
本田さんは崩れ落ちた私を、抱え込むように抱いてくれた。
「今離れれば、日満理は二度と、戻って来なくなる。」
そんな本当の事、耳元で言わないで。
私は泣くのを、必死に堪えた。
「でも、駄目なの……」
「どうして?」
「あなたは、母を……私達から奪った……」
そう言った次の瞬間だった。
本田さんが、私の目の前で、土下座をした。
「ほ、本田さん。」
「すまなかった。こんな事して、許される訳じゃないって、分かっている。」
びっくりしすぎて、私の涙も引いてしまった。
「俺も若かった。あの人の包容力に自分が包まれているような気がして……それが結果的に、君達の家族を崩壊させる事になってしまった。謝っても、謝りきれない。」
私は、本田さんに手を伸ばした。
「どうか、顔を上げて下さい。」
あんなに自信家で、紳士的な本田さんに、こんな事をさせて。
胸が痛くなってくる。
「その代り、約束する。君を幸せにするって。」
どうしよう。
涙が出そうになる。
「月並みの言い方しかできないが、今は君しかいないんだ。信じてくれ。」
これは真実だって、受け止めていいのかな。
「本田さん……」
その時だった。
私のスマートフォンに、着信があった。
見ると、知らない番号だ。
誰だろう。
私は鳴りやまない電話に、思い切って出た。
『日満理?私よ。』
「お母さん……」
それは、母の声だった。
『この間はごめんね。実はもうお母さん、その人とは終わっているのよ。』
「えっ……」
目の前の土下座している本田さんを、私は見つめた。
『でも、家族を捨てて来た分、やりきれなくてね。一方的に付きまとっていたの。』
そんな事を言われても、一言も返せない私は、心が狭いんだろうか。
『勇介から聞いたわ。あなたを失いたくないって。』
私は、息が止まった。
『あなたも、勇介が好きなのでしょう。悪いのは、私だけよ。勇介は何も悪くない。』
「お母さん。わざわざ、それを言いに?」
『ええ。勇介から番号を聞いたわ。勝手にごめんなさいね。』
「ううん……」
電話はそれで、一方的に切れた。
まるでお母さんが、どこかで見ていてくれているような。
「本田さん。顔を上げて下さい。」
私は、本田さんの肩に手を置いた。
「日満理……」
「今すぐ、許せるとか思えないけれど……側にいたいのは、私も同じです。」
「日満理!!」
本田さんは、私を抱きしめてキスをくれた。
「もう、我慢できないよ。」
「本田さん……」
「今すぐ、日満理を抱きたい。」
「うん……」
それからは、夢のような時間だった。
本田さんが取ってくれた部屋で、私達は何度も何度も、愛し合った。
「最初から、君を気に入ってたって、言っただろう?」
情事が終わった本田さんは、私の頭を撫でながらそう言ってくれた。
「また、もう……そんな事、いろんな女に言っているんでしょう?」
「ははは……日満理だけだよ。」
嘘か本当かは分からないけれど、今は信じよう。
だって愛は、信じる事から始まるから。
「これからどうしようか?」
「どうしようかって?」
私は、少しだけ起き上がって、本田さんを見降ろした。
「愛人契約じゃなくて、結婚契約でもしようか。」
「結婚!?」
思いの他、結婚に関しても、契約内容は多そうです。
「料理は上手である事。いつも綺麗でいること。」
「なんか、歌の歌詞にあったよね、それ。」
- Fin -
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