桜の下で会いましょう

日下奈緒

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第18章 夏の君の求愛

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入内しないのは、夏の右大将との仲があるからだと、思われてしまったら、自分はこれから先、どう生きていけばよいのだろうか。


「……帝の事を、想われているのか?」

依楼葉は、振り返った。

「知っているのですか?」

「ええ。前から。」

依楼葉と橘厚弘は、顔を合わせた。


「知っていながら、このような事をなさったのですか?」

「お二人の仲がどうであろうと、これからの私達には関係ない。」

依楼葉は、近くに打ち捨てられた衣を掴むと、橘厚弘に向けて投げた。

「出て行って下さい!」

だが橘厚弘は、冷静に衣を剥ぐ。

「落ち着いて下さい。人が来ますよ。」

「来てもよい。帝は、このような噂、お信じにはならぬ!」

依楼葉が、顔を背けたその時だ。


橘厚弘はそれを利用して、依楼葉を押し倒した。

「右大将殿……」

「そこまで信じ合おうているのなら、なぜ入内せぬ。」

「あなた様には、関係ない事!」

「ある!あなたを恋しいと思うているのだ。入内しないのであれば、私のものになるがいい!」

依楼葉は、横を向いた。

そんな事言われても、絶対気持ちには応じないと言う、心の現れだった。


「そこまで私を無視するなら、強引にでも我がものにするだけだ。」

急に顔を近づける橘厚弘に、依楼葉は足蹴りをした。

「うっ!」

油断していた厚弘は、体が依楼葉から離れた。

「冗談にも、程があります!」

「冗談ではない!あなたが恋しいと、言うたではないか。」

「それなら、このような強引な仕打ち、酷すぎます!」

依楼葉が逃げようとすると、厚弘は手を伸ばした。

だが依楼葉も、その手を絶妙な場所で振り払う。

女にしては、手慣れている。


「尚侍。それ以上暴れては、女として気品をそがれましょう。」

「強引にあなたのものにされるよりも、ましと言うものです。」

尚も厚弘は、依楼葉の腕を掴もうとするが、逆に依楼葉に腕をとられてしまう。

「女だと思って、手加減をすれば!」

厚弘は腕をするりと外すと、依楼葉を立ったまま、抱きしめた。

「夏の右大将様……」

「逃がすものか。やっと、近づけたのだ。」

厚弘は情熱的に、依楼葉を見つけた。


帝である桜の君は、どちらかと言うと、柔らかな眼差しで見つめ合う。

こんな熱を帯びた目は、一度もなかった。

その熱に負けて、依楼葉はその場にしゃがみ込んでしまう。


「許してくれ。あなたに恋してしまった、憐れな私を。」

厚弘が再び依楼葉を床に寝せると、依楼葉は横に転がった。

「和歌の君!」

厚弘が手を伸ばすと、依楼葉の衣に手が触れた。

「お待ちください!」

手を引くと、依楼葉の白い肩が、顕わになった。


「えっ?」

そこには、矢が刺さった痕があった。

慌てて肩を隠す依楼葉。


「その肩の傷は……」

厚弘が尋ねると、依楼葉は後ろを向いた。

「お戻りください。」

「しかし……その傷……」

「行って下さい!」

依楼葉の切羽詰まった言葉に、厚弘は依楼葉をそのままにして、立ち上がった。


御簾を出る時、厚弘はもう一度だけ、依楼葉を見た。

肩を手で隠し、茫然としている。

余程見られたくない傷だったに、違いない。


「すまなかった。わざとではないのだ。」

「……知っています。」

最後に依楼葉は、口をきいてくれた。

「また来ます。」

依楼葉は、驚いて厚弘の方を向いた。

「傷一つ見て、消え去るような恋心であれば、尚侍の壺など訪れはしないでしょう。」

依楼葉の胸は、苦しくなった。


本当に夏の右大将は、自分の事を恋慕ってくれているのだ。

だが、その気持ちに応える事はできない。

自分の心の中には、帝がいるのだから。


そして静かに依楼葉の壺を去った厚弘は、あの肩の傷に囚われていた。

どこかで見た事があるのだ。

どこかで、あの傷を。


厚弘は、庭先を見た。

冬ももうすぐ終わり、まだ寒いが季節は春を迎える。

そう言えば、春の中納言殿もこの季節が、一番お好きだった。

厚弘は、咲哉の事を思い出していた。


そして、ハッとある事を思い出した。

あの肩の傷。

細い肩。

確か、春の中納言殿は野行幸に際、肩をに矢が刺さると言う怪我をした。

冬の左大将と一緒に見舞った時、なんと細くて白い肩だと驚いた事を思い出した。


「双子の兄妹で、同じ場所に傷がある?」

厚弘は立ち止まって、唇に指を当てた。

「そのような事が、起こり得るのか?」


そもそも男女の双子など、不吉でどの家も遠ざけるはず。

もしかしたら、二人は同じ人物?

厚弘は、そっと依楼葉の壺を眺めた。
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