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第四章-月齢27.5-
第4章 第51話
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来訪者の為の『迎賓館』から見て、『図書館』はおよそ反対側にあり、原則として、『都』における階位を持たない、初見の来訪者――滅多に来るものではない、『都』は原則として、『都』の外にいる『同胞団員』、例えばナルブのような者の紹介無くして立ち入れる場所ではない――の立ち入りは許されていない。回廊を歩きながら、ラモチュンはペーター少尉とオーガストにそう伝えた。
「ですが、皆様は特別です」
そう言って、先を歩くラモチュンは肩越しに振り向き、微笑む。
「尊き宝珠御自ら、皆様に立ち入りをお許しになっています。どうぞ、ご遠慮なく」
そう言われて、ラモチュンに導かれる独米の士官二人は曖昧に微笑みを返す。
二人とも、その真意を掴みかねているのだ。
「……ぞれにしても、ずいぶんと遠回りしているようですな」
かれこれ5分は歩いていることを思いだしたオーガストが、話を変えようと、ラモチュンに聞く。
「申し訳ありません。地上であれば、それぞれの施設に通じる扉の間は直線で移動出来ますが、地下の回廊はどうしても……」
ラモチュンは、今歩いている回廊の天井と壁を見ながら、答える。
「……このように、真っ直ぐにすることが出来なかったようです」
「地質学的、あるいはトンネル施工上の問題ですね」
オーガストも、手掘りとは思えない程綺麗に仕上がっている壁と天井を見ながら、頷く。
「であれば、致し方のないことです」
――こちらに来てから、召使いとやらの数が、減ったな――
オーガストとラモチュンの会話を聞きつつ、ペーター少尉は別なことを考える。
――木綿の上着を着ているのが召し使い、絹を着ているのがいわゆる『同胞団』のメンバー。メンバー間は基本、身分差はないと言うが、着ている絹の質や話し合う態度から見て、それなりの階級差はあるようだ。してみると、身分差がないというのは、誰でもが同じ条件で話し合える、同じ食事を与えられる、そういう類いの話という事か……――
ユモや雪風、オーガストより一日早くこの『都』に到達していたペーター少尉は、これまでの経験と、先ほどから回廊ですれ違った何人かの『同胞団』メンバーや召使いの姿を思い出して、この『都』の人間関係について、そう結論した。
『図書館』は、他の部屋とは違って、円形のホールだった。
「これは……」
「……素晴らしいですね」
巨大な四角い天窓から差し込む光がまんべんなく回り込むように設計されているのだろうその図書室の、その蔵書の量と、静かに読書に、あるいは何らかの討議に耽る幾人もの『同胞団』のメンバーを見て、オーガストとペーター少尉は感嘆する。
「恐らく、モーセス師範も奥にいらっしゃると思います。私は、大変申し訳ありませんが別の用がありますので」
そう言って、ラモチュンは二人を残して『図書室』を出て、大扉を閉める。
「……しまった」
ラモチュンを目で見送ったオーガストは、蔵書に視線を戻してから、小さく呟いた。
「これらの本は、多くはサンスクリット語ですね。残念です、宝の山を前にして、その価値を見定められないとは」
「サンスクリット語が、お読みになれないので?」
ペーター少尉は、オーガストの嘆きに素直な疑問を呈する。
「誠に残念ながら。チベット語の会話はまあ、片言なりに何とかなりますが、読み書きとなると」
「実は私もです、中佐」
情けなさそうに顔を向けたオーガストに、ペーター少尉も肩をすくめてみせる。
「調査隊として派遣される前に特訓を受けましたから、会話はどうにかなりますが、読むのも書くのも。右から左に流れる文字というのが、どうにも……中佐は、どのようにして言葉を覚えられたのですか?やはりお国に教師が?」
「いえ、私は、ここに来てから現地協力者に教わりました……おっと、ここには椅子があるのですね。これは有り難い」
オーガストは、手近なテーブルの椅子を引いて腰を下ろし、ペーター少尉にも座るように視線で促す。
「英軍のみならず米軍にも、チベットの現地協力者は居るのですよ。あまり詳しくは話せませんが」
オーガストは、そう言っていたずらっぽうウインクする。つられて、ペーター少尉も笑みを浮かべる。
「そうですね。余計な詮索は無しにしましょう」
言って、ペーター少尉はため息をつく。
「正直に言いますと、少尉という階級も、党の親衛隊という立場も、重荷に感じる時があります。私は立場上は一般親衛隊ですが、先祖遺産・古代知識の歴史と研究協会から出向している身です。堅苦しい立場を忘れて、自由に談義したい、そう思うこともあります」
「それは、よく分かります」
椅子の背もたれに身を任せて、オーガスは頷く。
「私も、軍人である前に医者です。軍人であることと医者である事の狭間で迷ったことも、何度もありました」
「中佐も、ですか?」
「はい」
オーガストは、微笑む。
「その迷いから私を救い出してくれたのが、何を隠そう、あのお二人です」
「……え?」
全く邪気のない微笑みから放たれたその言葉の意味に、ペーター少尉の脳は理解が追いつかない。
「……それは、一体……」
「いずれ、お話し出来る時が来るかも知れません」
オーガストは、『図書室』の天井、硝子越しの明るい空を見上げて、言う。
「貴方とは、少尉、良い関係を築きたいと思っています。いえ」
視線をペーターの顔に戻して、オーガストはもう一度、微笑む。
「きっと、築ける。私は、そう思えるのです」
「おや。少尉殿に、モーリー殿でしたか?」
しばしの差し障りのない歓談の後、オーガストとペーター少尉は『図書室』の中を見て回り、奥まったテーブルで何やら指導しているらしいモーセス・グースと、指導されているらしいケシュカルを見つけた。
モーセス・グースにそう声をかけられ、オーガスト・モーリーは微笑んで答える。
「オーガストで結構です、グース師範」
「師範などと。拙僧のことは呼び捨てで結構です」
厳つい四角い顔に笑みを浮かべて、モーセス・グースはオーガストに言葉を返す。
「して、『図書室』に御用でしょうか、それとも、拙僧に?」
「その両方、でしょうか」
ペーター少尉が、答える。
「この『都』の『図書室』がどれほどのものかと思っていたのですが。これは素晴らしい、我がドイツにも、これほどの図書館はそれほどは無いでしょう」
「ご謙遜を」
椅子を勧めながら、モーセスが返す。
「とはいえ、確かに、ここには寺院の経典だけではなく、わずかなりとは言え世界各地の書物が収められています。私も、最初は驚いたものです」
「最初、とおっしゃいますと?」
椅子を引きながら、ペーター少尉は水を向ける。
「……ケシュカル君、君は飲み込みが良い。少し、私が見なくても自分で出来るかな?」
「はい」
何やら、手本と書き殴り用の雑紙を相手に格闘しているケシュカルは、モーセスの問いかけに元気よく返事する。
「結構……では、ご興味がおありなら、少しお話しいたしましょう」
ケシュカルからペーター少尉とオーガストに視線を戻して、モーセスは語り始める。
「拙僧が、如何にしてこの『都』に至ったのかを」
「今からちょうど三十年前になりますか。拙僧は、宣教師としてインドに渡りました」
モーセス・グースは、そう言って、自分の過去を語り出した、英語で。
「『イエス現れて、彼らに言ひたまふ「全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。信じてバプテスマを受くる者は救はるべし、然れど信ぜぬ者は罪に定めらるべし。信ずる者には此等の徴ともなはん。即ち我が名によりて惡鬼を逐ひいだし、新しき言をかたり、蛇を握るとも、毒を飮むとも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん」 』……その頃の拙僧は、この言葉を胸に、希望と期待に満ち満ちて、スエズ運河を通り、我が祖国大英帝国からイギリス領インド帝国に向かったのです。そうです、拙僧は、プロテシタントの宣教師でした」
「若かったのです。混迷極まるアジアの地に、神の福音をもたらすのだと信じて疑いませんでした。いいえ、仏法に帰依した今でも、その思いは変わりませんし、神の言葉を今でも信じています。しかし、拙僧は気付いたのです。ヤハヴェは唯一絶対の神である、それが事実、真実であるとしても、その神と肩を並べ、あるいは凌駕する何者かがこの世界に居ることを否定する事は出来ないという事に。なに、難しい話ではありません。わかりやすく言うならば、神が居て、仏が居る。神が唯一絶対神であるとして、仏は神ではないのだから、同時に存在してなんの不都合もない、そういう話です。たったそれだけの、考えてみればごく当たり前の話ですが、ある方に導かれるまで、拙僧もそんな事は思ってもみませんでした」
「インド帝国に赴任して、拙僧の布教はすぐに行き詰まりました。いえ、拙僧だけでなく、全ての宣教師、全てのイギリス人が何らかの困難にぶつかっていました。それもそのはずです、時あたかもインド国民会議が民族運動をかかげてイギリス排斥に動き出した時期でしたから。それでも、ヒンドゥーの民による排斥運動だけであれば、拙僧はまだ理解出来たのです。しかし、あろうことかイギリスが、プロテシタントの国がイスラムの民を、ムスリム連盟を支援するに至って、拙僧は全くもって事の道理が分からなくなってしまいました」
「失意のどん底にあった拙僧は、それでも懇意にしてくれるわずかばかりのインドの民と語らううちに、ある噂を聞きつけました。曰く、とある辻占いの女性がいて、これがまたよく当たる。失せ物捜し物から人生相談、恋の悩みから連れ合いの不義理まで、何でもござれの神がかりの占い師がいる、と」
「その時の拙僧は、文字通りに藁をも掴む思いでその占い師の居所を尋ねました、どこに行けば良い、いつ行けば良い、一体全体、その占い師はどういう素性の者なのだと。答えて曰く、ある者は彼女を女神と呼び、またある者は王母娘娘または元君と呼びましたが、いずれも共通するのは黒い肌を持つ眉目麗しい妙齢の女性であると言うことのみ。居所もはっきりせず、ある時は町外れのあばら屋で、またある時は場末の酒場で、勝手気ままに客を取って占いをする、そんな掴み所のない話でした」
モーセス・グースは、そこで一度言葉を切り、ペーター少尉とオーガストの目を見て、言った。
「……そうです。その方こそ、誰あろう西王母、『赤の女王』その人です
「ですが、皆様は特別です」
そう言って、先を歩くラモチュンは肩越しに振り向き、微笑む。
「尊き宝珠御自ら、皆様に立ち入りをお許しになっています。どうぞ、ご遠慮なく」
そう言われて、ラモチュンに導かれる独米の士官二人は曖昧に微笑みを返す。
二人とも、その真意を掴みかねているのだ。
「……ぞれにしても、ずいぶんと遠回りしているようですな」
かれこれ5分は歩いていることを思いだしたオーガストが、話を変えようと、ラモチュンに聞く。
「申し訳ありません。地上であれば、それぞれの施設に通じる扉の間は直線で移動出来ますが、地下の回廊はどうしても……」
ラモチュンは、今歩いている回廊の天井と壁を見ながら、答える。
「……このように、真っ直ぐにすることが出来なかったようです」
「地質学的、あるいはトンネル施工上の問題ですね」
オーガストも、手掘りとは思えない程綺麗に仕上がっている壁と天井を見ながら、頷く。
「であれば、致し方のないことです」
――こちらに来てから、召使いとやらの数が、減ったな――
オーガストとラモチュンの会話を聞きつつ、ペーター少尉は別なことを考える。
――木綿の上着を着ているのが召し使い、絹を着ているのがいわゆる『同胞団』のメンバー。メンバー間は基本、身分差はないと言うが、着ている絹の質や話し合う態度から見て、それなりの階級差はあるようだ。してみると、身分差がないというのは、誰でもが同じ条件で話し合える、同じ食事を与えられる、そういう類いの話という事か……――
ユモや雪風、オーガストより一日早くこの『都』に到達していたペーター少尉は、これまでの経験と、先ほどから回廊ですれ違った何人かの『同胞団』メンバーや召使いの姿を思い出して、この『都』の人間関係について、そう結論した。
『図書館』は、他の部屋とは違って、円形のホールだった。
「これは……」
「……素晴らしいですね」
巨大な四角い天窓から差し込む光がまんべんなく回り込むように設計されているのだろうその図書室の、その蔵書の量と、静かに読書に、あるいは何らかの討議に耽る幾人もの『同胞団』のメンバーを見て、オーガストとペーター少尉は感嘆する。
「恐らく、モーセス師範も奥にいらっしゃると思います。私は、大変申し訳ありませんが別の用がありますので」
そう言って、ラモチュンは二人を残して『図書室』を出て、大扉を閉める。
「……しまった」
ラモチュンを目で見送ったオーガストは、蔵書に視線を戻してから、小さく呟いた。
「これらの本は、多くはサンスクリット語ですね。残念です、宝の山を前にして、その価値を見定められないとは」
「サンスクリット語が、お読みになれないので?」
ペーター少尉は、オーガストの嘆きに素直な疑問を呈する。
「誠に残念ながら。チベット語の会話はまあ、片言なりに何とかなりますが、読み書きとなると」
「実は私もです、中佐」
情けなさそうに顔を向けたオーガストに、ペーター少尉も肩をすくめてみせる。
「調査隊として派遣される前に特訓を受けましたから、会話はどうにかなりますが、読むのも書くのも。右から左に流れる文字というのが、どうにも……中佐は、どのようにして言葉を覚えられたのですか?やはりお国に教師が?」
「いえ、私は、ここに来てから現地協力者に教わりました……おっと、ここには椅子があるのですね。これは有り難い」
オーガストは、手近なテーブルの椅子を引いて腰を下ろし、ペーター少尉にも座るように視線で促す。
「英軍のみならず米軍にも、チベットの現地協力者は居るのですよ。あまり詳しくは話せませんが」
オーガストは、そう言っていたずらっぽうウインクする。つられて、ペーター少尉も笑みを浮かべる。
「そうですね。余計な詮索は無しにしましょう」
言って、ペーター少尉はため息をつく。
「正直に言いますと、少尉という階級も、党の親衛隊という立場も、重荷に感じる時があります。私は立場上は一般親衛隊ですが、先祖遺産・古代知識の歴史と研究協会から出向している身です。堅苦しい立場を忘れて、自由に談義したい、そう思うこともあります」
「それは、よく分かります」
椅子の背もたれに身を任せて、オーガスは頷く。
「私も、軍人である前に医者です。軍人であることと医者である事の狭間で迷ったことも、何度もありました」
「中佐も、ですか?」
「はい」
オーガストは、微笑む。
「その迷いから私を救い出してくれたのが、何を隠そう、あのお二人です」
「……え?」
全く邪気のない微笑みから放たれたその言葉の意味に、ペーター少尉の脳は理解が追いつかない。
「……それは、一体……」
「いずれ、お話し出来る時が来るかも知れません」
オーガストは、『図書室』の天井、硝子越しの明るい空を見上げて、言う。
「貴方とは、少尉、良い関係を築きたいと思っています。いえ」
視線をペーターの顔に戻して、オーガストはもう一度、微笑む。
「きっと、築ける。私は、そう思えるのです」
「おや。少尉殿に、モーリー殿でしたか?」
しばしの差し障りのない歓談の後、オーガストとペーター少尉は『図書室』の中を見て回り、奥まったテーブルで何やら指導しているらしいモーセス・グースと、指導されているらしいケシュカルを見つけた。
モーセス・グースにそう声をかけられ、オーガスト・モーリーは微笑んで答える。
「オーガストで結構です、グース師範」
「師範などと。拙僧のことは呼び捨てで結構です」
厳つい四角い顔に笑みを浮かべて、モーセス・グースはオーガストに言葉を返す。
「して、『図書室』に御用でしょうか、それとも、拙僧に?」
「その両方、でしょうか」
ペーター少尉が、答える。
「この『都』の『図書室』がどれほどのものかと思っていたのですが。これは素晴らしい、我がドイツにも、これほどの図書館はそれほどは無いでしょう」
「ご謙遜を」
椅子を勧めながら、モーセスが返す。
「とはいえ、確かに、ここには寺院の経典だけではなく、わずかなりとは言え世界各地の書物が収められています。私も、最初は驚いたものです」
「最初、とおっしゃいますと?」
椅子を引きながら、ペーター少尉は水を向ける。
「……ケシュカル君、君は飲み込みが良い。少し、私が見なくても自分で出来るかな?」
「はい」
何やら、手本と書き殴り用の雑紙を相手に格闘しているケシュカルは、モーセスの問いかけに元気よく返事する。
「結構……では、ご興味がおありなら、少しお話しいたしましょう」
ケシュカルからペーター少尉とオーガストに視線を戻して、モーセスは語り始める。
「拙僧が、如何にしてこの『都』に至ったのかを」
「今からちょうど三十年前になりますか。拙僧は、宣教師としてインドに渡りました」
モーセス・グースは、そう言って、自分の過去を語り出した、英語で。
「『イエス現れて、彼らに言ひたまふ「全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。信じてバプテスマを受くる者は救はるべし、然れど信ぜぬ者は罪に定めらるべし。信ずる者には此等の徴ともなはん。即ち我が名によりて惡鬼を逐ひいだし、新しき言をかたり、蛇を握るとも、毒を飮むとも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん」 』……その頃の拙僧は、この言葉を胸に、希望と期待に満ち満ちて、スエズ運河を通り、我が祖国大英帝国からイギリス領インド帝国に向かったのです。そうです、拙僧は、プロテシタントの宣教師でした」
「若かったのです。混迷極まるアジアの地に、神の福音をもたらすのだと信じて疑いませんでした。いいえ、仏法に帰依した今でも、その思いは変わりませんし、神の言葉を今でも信じています。しかし、拙僧は気付いたのです。ヤハヴェは唯一絶対の神である、それが事実、真実であるとしても、その神と肩を並べ、あるいは凌駕する何者かがこの世界に居ることを否定する事は出来ないという事に。なに、難しい話ではありません。わかりやすく言うならば、神が居て、仏が居る。神が唯一絶対神であるとして、仏は神ではないのだから、同時に存在してなんの不都合もない、そういう話です。たったそれだけの、考えてみればごく当たり前の話ですが、ある方に導かれるまで、拙僧もそんな事は思ってもみませんでした」
「インド帝国に赴任して、拙僧の布教はすぐに行き詰まりました。いえ、拙僧だけでなく、全ての宣教師、全てのイギリス人が何らかの困難にぶつかっていました。それもそのはずです、時あたかもインド国民会議が民族運動をかかげてイギリス排斥に動き出した時期でしたから。それでも、ヒンドゥーの民による排斥運動だけであれば、拙僧はまだ理解出来たのです。しかし、あろうことかイギリスが、プロテシタントの国がイスラムの民を、ムスリム連盟を支援するに至って、拙僧は全くもって事の道理が分からなくなってしまいました」
「失意のどん底にあった拙僧は、それでも懇意にしてくれるわずかばかりのインドの民と語らううちに、ある噂を聞きつけました。曰く、とある辻占いの女性がいて、これがまたよく当たる。失せ物捜し物から人生相談、恋の悩みから連れ合いの不義理まで、何でもござれの神がかりの占い師がいる、と」
「その時の拙僧は、文字通りに藁をも掴む思いでその占い師の居所を尋ねました、どこに行けば良い、いつ行けば良い、一体全体、その占い師はどういう素性の者なのだと。答えて曰く、ある者は彼女を女神と呼び、またある者は王母娘娘または元君と呼びましたが、いずれも共通するのは黒い肌を持つ眉目麗しい妙齢の女性であると言うことのみ。居所もはっきりせず、ある時は町外れのあばら屋で、またある時は場末の酒場で、勝手気ままに客を取って占いをする、そんな掴み所のない話でした」
モーセス・グースは、そこで一度言葉を切り、ペーター少尉とオーガストの目を見て、言った。
「……そうです。その方こそ、誰あろう西王母、『赤の女王』その人です
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