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第三章-月齢26.5-
第3章 第36話
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「これは……」
ドルマに先導されるままに階段を降りたペーター少尉は、その地下施設の入り口段階で、既に驚嘆していた。
感覚的に建物二階分程度を下った先のエントランスは、快晴の白昼だった入り口の外に比べれば確かに照度は落ちるものの充分な明るさが確保されており、恐らくそれは滑らかに整形された壁と天井を照らす反射照明のおかげだろう。その反射照明は壁に設けられた台座に仕込まれているようで、下から見上げる限りはどのようなものか見当も付かないが、ランプなどのような可燃性の何かではないように思われた。
エントランスから延びる回廊は幅も高さも3m程、必ずしも直線でも、きちんと同じ幅と高さを保っているわけでもないが、どうやって掘り進んだか不思議になるくらいに綺麗な断面を見せている。
その回廊を進む事しばし、ドルマの示した小部屋に案内されたペーター少尉は声を失う。
そこは、地下とは思えない程の清潔で、整った個室が用意されていた。
「……ここが地下だとは、私自身階段を下って来た事を忘れていれば、到底思わないでしょうね」
縦横5mほど、天井まで3mほどの空間を見まわしながら、ペーター少尉は独り言のように呟く。
「……なるほど、天井は先ほどのあそこに通じているわけですね」
メーター少尉の見上げる先、天井の八割方はガラスか何かがはめ込まれており、底からさらに数メートル上に、先ほど地上で見た巨大な四角のそれであろうガラス様のものがあるように見える。上下のガラスの間の土壁は何らかの反射材を幾何学的に配置しているらしく、恐らくはここを含む複数の小部屋に可能な限り均等に地上の光を導くための工夫だろう。
ペーター少尉は、思う。この構造と、工作技術だけで、充分に西欧諸国の現代建築技術を超えているのではないか、と。
「ここは来訪者のための、言わば客間です」
戸口に立つドルマが、言う。
「祭事の折にはかなり埋まるようですが、今はほとんど使われておりませんから、どうぞリラックスされていただいた大丈夫です……お召し替えを用意しましょうか?」
言外に、親衛隊の制服ではあまりにここでは異質なので土地の衣装に着替えてはどうか、とドルマに促されていることに気付いて、ペーター少尉は肩をすくめて答える。
「お気遣いは感謝します、しかし、私は今も職務遂行中ですので」
「まあ、これは失礼しました」
くすりと笑いつつ、ドルマも、
「では、せめてお顔を拭く水と拭きものを用意させましょう。少々お待ちいくださいな」
そう言って、一旦客間を退出する。
笑顔でそれを見送ったペーター少尉は、部屋の隅に担いできた背嚢を降ろし、腰に付けていた――たすき掛けの肩紐をベルトの下に通して右の腰に固定していた――護身用拳銃、モーゼルC96の9mmモデルを、ストック兼用の木製ホルスター毎外して背嚢の上に置く。ついでに背嚢から水筒を外し、一息入れようと飲む。
残りの水を飲み干し、大きくため息をついたペーター少尉は、やっとの事で自分が空腹である事に気付いた。
「お待たせしました……あら」
ドルマが戻って来た時、ペーター少尉は、背嚢から出したライ麦パンを切り分けているところだった。
「ああ、これは失礼」
困ったような顔のドルマに、ペーター少尉は少々はしたなかったかと思い、咄嗟に詫びる。
「いえ、謝るようなことでは……そうですよね、もうそんなお時間ですもの」
後ろ手に扉を閉めながら、ドルマは言う。
「むしろ、私こそ、お食事をご用意しませんで大変失礼しました」
「いえ、お構いなく。当座の分はこうして用意してあります」
「いえ……その、ですね」
言いにくそうに口ごもってから、ドルマは持って来た水のタライを置いて、言う。
「実は、この部屋では食事や洗濯、清掃などはしてはならない事になっているのです」
「なんと……」
思いがけないドルマの言葉に驚いて、ペーター少尉はライ麦パンを切っていたナイフを停める。
「……いるのですが……そうですね……今からお食事を用意しても良いのですが、きっとお口に合わない、お気に召さないでしょうね……」
何事か軽く眉根に皺を寄せつつ、ドルマは軽く俯いて独りごちて、それから顔を上げる。
「私、何も見ておりませんから、どうぞ」
「……いいのですか?その……」
「いいのです」
床に置いたクッションに胡坐をかいていたペーター少尉の前に膝をついて、ドルマは言った。
「そうだ、いっそ私にも一口いただけませんか?そうすれば、私も共犯です」
ドルマは、微笑む。
「お水、汲んで来ます。ここはお水は冷たくて美味しいんです、雪解けの伏流水ですから」
「本当によろしかったのですか?」
さすがに火は使えないから、ラードのスプレッドを塗ったライ麦パンに缶詰のソーセージをそのまま載せて挟んだものを食べながら、ペーター少尉はドルマに改めて尋ねた。
ここは、『シャンバラ』であるかはともかく、秘密結社とかそういった類いの、極めて厳格なルールに基づいて運営されている団体である、ペーター少尉はそう認識しており、だからこそ、そのルールを破ることについて、異邦人である自分はともかくメンバーであるドルマまで……
「……いいのです」
口の中を空っぽにしてから、ドルマは答える。
「厳密に言えば、私はまだ、この都のメンバーとして選ばれたわけではないはずですので」
「え?」
思わず、ペーター少尉は聞き返す。ここまでの流れから、モーセス・グース師やナルブ卿はもとより、ドルマもメンバーであると思い込んでいたからだ。
「……この都は、その資格を持つ一部の方の推薦があって初めて入ることを許されます。ペーター様の場合は、ナルブ様のお許しがあった事を私が代理でお伝えする形になるのですが、私自身は、まだ誰からも推挙されたわけではないのです」
「では、どうして?」
「私は、結果としてなし崩し的にそうなったに過ぎません……」
ちょっとだけ寂しげに、自虐的に微笑むと、ドルマは言葉を続ける。
「先ほど、地上でご覧になった『井戸』、私は、あそこに身を投げたのです」
「……え?」
ペーター少尉は、即座にはその意味を理解出来なかった。
「私が、家族から勘当された話は御存知でしたでしょうか?」
「……ナルブ卿から、ドルマさんを養女に迎えた経緯として、その事実だけは伺っていますが……」
どう答えるのが正解か戸惑いつつ、ペーター少尉はドルマの問いに、正直に答える。
「……私、家族に否定されて、自暴自棄になってしまって……いえ」
俯いて、ドルマは息をつき、胸を押さえ、服の胸元を強く握る。
「私は、ある人に、男性に、捨てられたんです」
目を上げたドルマは、悲しそうでもあり、恥ずかしそうでもある視線をペーター少尉に投げる。
「酷くショックで、家族にも優しくしてもらえなくて絶望して。まあ、当たり前ですよね。家族にしてみれば、嫁入り前の娘に不義の噂が立ったのですから……」
「……それで、身を投げた?」
思わず少し身を乗り出して、ペーター少尉は聞く。ドルマは、水を汲んだカップを口に当てて少し含み、飲み下し、そして頷く。
「私は、この都に入る許可はまだ得ていませんでしたが、ここがどういう所であるかはもちろん知っていました。あの穴が『底なし』で、何がどうなっているか『誰も知らない』事も。だから、この世界に絶望した私がこの世から消えてしまうためには、ぴったりだと思ったのです」
それで?ペーター少尉はそう聞きたかったが、言葉が出ない。覗き込んだわけではないが、あの穴は相当に深い。そこに身を投げて、無事で居られるはずがない位には深いことは、覗き込まなくても感覚的に理解出来る。
なのに。ドルマは、そこに身を投げたという女は今、見た限り五体満足で、傷一つ無く、目の前に、居る。
「それから何があったか、私も分かりません。気が付いたら、私は『赤の女王』に膝枕されて、『宮殿』の『植物園』の地下の御神木の元に横になっていました」
言葉を途切り、深く息を吸って、ドルマは続ける。
「私は、『赤の女王』の御意志と、御神木の霊力によって生まれ変わったのだと、その時に『元君』、『赤の女王』から直接告げられました。それがどういう意味かは今でも分かりません。しかし、御神木の霊気を受けた私は、『赤の女王』に近しい存在であり、血肉を分けた姉妹にも等しい、とも」
くしゃり、と、ドルマは相好を崩す。やや困ったような笑顔。
「有り難くも、もったいないお言葉です。私のような唯の女が、『元君』と血肉を分けたなどと。以来、私はここに出入り自由、出入りだけでなく何をしても自由だと『元君』から仰っていただいておりますが、そうは言っても他の皆様の手前、通常の手順で選ばれたわけでも無し、身を投げた末の事という引け目もありまして、それで、自分の意思でここに入ったのは今日が初めてなのです」
ペーター少尉は、混乱していた。ドルマの告白をどう受け止めれば良いのか。底に含まれるいくつもの意味、事象、示唆をどう理解し整理すればよいのか。そして、何より。
「……何故、それを私に打ち明けられたのですか?」
この地下都市に関する重大なヒントがいくつも含まれるであろうその告白を、どうして不用意に部外者、異邦人である自分に話すのか。ペーター少尉は、そこにまず疑問を感じていた。
「どうして?と聞かれたのは、ペーター様、あなたでいらしましてよ?」
ドルマは、クスリと笑って答える。何でもないことのように、少女のような無垢な笑顔で。
「それに、私も今、気付いたのです。『元君』が私に『自由にしてよい』とおっしゃった意味が。正直、まだ決心がついてはいないのですが、私は、ペーター様、あなたには色々打ち明けさせていただきたい、いえ、腹の探り合いのようなことはもう、したくないのです」
無垢な少女の笑顔だったドルマの顔が、苦悩する女のそれに変わった。
「私のような女でも、連れて帰りたいとおっしゃってくれたペーター様のお気持ちに応えたい気持ちはあるのです。ですが、ここでのしがらみを捨てられる決心がつかないし、何よりも、私は、ペーター様、あなたに、まだ全てを、いえ」
言いにくそうに、ドルマは一瞬だけ躊躇し、
「まだ何も打ち明けていません……全てを打ち明けた時、ペーター様がどう思われるか、そして、私が私で居られるかどうか……私は、怖い、決心がつかないのです……自由にするというのは、こんなにも怖いことなのだと、今気付いたのです」
ペーター少尉は、動けなかった。彼にもう少し人生経験があれば、ドルマの肩を抱き、抱き寄せ、抱きしめることも選択肢としてあっただろう。
「決心するというのは、何かを捨てる事でもあります」
けれど、今の彼には、彼の口からは、自然に出てくるのはこの言葉だけだった。
「ドルマさん、あなたがどう決心されても、私はそれで構いませんし、決心がつくまでお待ちしています。どうか、後悔だけはされないよう、よくよく考えてください」
ドルマに先導されるままに階段を降りたペーター少尉は、その地下施設の入り口段階で、既に驚嘆していた。
感覚的に建物二階分程度を下った先のエントランスは、快晴の白昼だった入り口の外に比べれば確かに照度は落ちるものの充分な明るさが確保されており、恐らくそれは滑らかに整形された壁と天井を照らす反射照明のおかげだろう。その反射照明は壁に設けられた台座に仕込まれているようで、下から見上げる限りはどのようなものか見当も付かないが、ランプなどのような可燃性の何かではないように思われた。
エントランスから延びる回廊は幅も高さも3m程、必ずしも直線でも、きちんと同じ幅と高さを保っているわけでもないが、どうやって掘り進んだか不思議になるくらいに綺麗な断面を見せている。
その回廊を進む事しばし、ドルマの示した小部屋に案内されたペーター少尉は声を失う。
そこは、地下とは思えない程の清潔で、整った個室が用意されていた。
「……ここが地下だとは、私自身階段を下って来た事を忘れていれば、到底思わないでしょうね」
縦横5mほど、天井まで3mほどの空間を見まわしながら、ペーター少尉は独り言のように呟く。
「……なるほど、天井は先ほどのあそこに通じているわけですね」
メーター少尉の見上げる先、天井の八割方はガラスか何かがはめ込まれており、底からさらに数メートル上に、先ほど地上で見た巨大な四角のそれであろうガラス様のものがあるように見える。上下のガラスの間の土壁は何らかの反射材を幾何学的に配置しているらしく、恐らくはここを含む複数の小部屋に可能な限り均等に地上の光を導くための工夫だろう。
ペーター少尉は、思う。この構造と、工作技術だけで、充分に西欧諸国の現代建築技術を超えているのではないか、と。
「ここは来訪者のための、言わば客間です」
戸口に立つドルマが、言う。
「祭事の折にはかなり埋まるようですが、今はほとんど使われておりませんから、どうぞリラックスされていただいた大丈夫です……お召し替えを用意しましょうか?」
言外に、親衛隊の制服ではあまりにここでは異質なので土地の衣装に着替えてはどうか、とドルマに促されていることに気付いて、ペーター少尉は肩をすくめて答える。
「お気遣いは感謝します、しかし、私は今も職務遂行中ですので」
「まあ、これは失礼しました」
くすりと笑いつつ、ドルマも、
「では、せめてお顔を拭く水と拭きものを用意させましょう。少々お待ちいくださいな」
そう言って、一旦客間を退出する。
笑顔でそれを見送ったペーター少尉は、部屋の隅に担いできた背嚢を降ろし、腰に付けていた――たすき掛けの肩紐をベルトの下に通して右の腰に固定していた――護身用拳銃、モーゼルC96の9mmモデルを、ストック兼用の木製ホルスター毎外して背嚢の上に置く。ついでに背嚢から水筒を外し、一息入れようと飲む。
残りの水を飲み干し、大きくため息をついたペーター少尉は、やっとの事で自分が空腹である事に気付いた。
「お待たせしました……あら」
ドルマが戻って来た時、ペーター少尉は、背嚢から出したライ麦パンを切り分けているところだった。
「ああ、これは失礼」
困ったような顔のドルマに、ペーター少尉は少々はしたなかったかと思い、咄嗟に詫びる。
「いえ、謝るようなことでは……そうですよね、もうそんなお時間ですもの」
後ろ手に扉を閉めながら、ドルマは言う。
「むしろ、私こそ、お食事をご用意しませんで大変失礼しました」
「いえ、お構いなく。当座の分はこうして用意してあります」
「いえ……その、ですね」
言いにくそうに口ごもってから、ドルマは持って来た水のタライを置いて、言う。
「実は、この部屋では食事や洗濯、清掃などはしてはならない事になっているのです」
「なんと……」
思いがけないドルマの言葉に驚いて、ペーター少尉はライ麦パンを切っていたナイフを停める。
「……いるのですが……そうですね……今からお食事を用意しても良いのですが、きっとお口に合わない、お気に召さないでしょうね……」
何事か軽く眉根に皺を寄せつつ、ドルマは軽く俯いて独りごちて、それから顔を上げる。
「私、何も見ておりませんから、どうぞ」
「……いいのですか?その……」
「いいのです」
床に置いたクッションに胡坐をかいていたペーター少尉の前に膝をついて、ドルマは言った。
「そうだ、いっそ私にも一口いただけませんか?そうすれば、私も共犯です」
ドルマは、微笑む。
「お水、汲んで来ます。ここはお水は冷たくて美味しいんです、雪解けの伏流水ですから」
「本当によろしかったのですか?」
さすがに火は使えないから、ラードのスプレッドを塗ったライ麦パンに缶詰のソーセージをそのまま載せて挟んだものを食べながら、ペーター少尉はドルマに改めて尋ねた。
ここは、『シャンバラ』であるかはともかく、秘密結社とかそういった類いの、極めて厳格なルールに基づいて運営されている団体である、ペーター少尉はそう認識しており、だからこそ、そのルールを破ることについて、異邦人である自分はともかくメンバーであるドルマまで……
「……いいのです」
口の中を空っぽにしてから、ドルマは答える。
「厳密に言えば、私はまだ、この都のメンバーとして選ばれたわけではないはずですので」
「え?」
思わず、ペーター少尉は聞き返す。ここまでの流れから、モーセス・グース師やナルブ卿はもとより、ドルマもメンバーであると思い込んでいたからだ。
「……この都は、その資格を持つ一部の方の推薦があって初めて入ることを許されます。ペーター様の場合は、ナルブ様のお許しがあった事を私が代理でお伝えする形になるのですが、私自身は、まだ誰からも推挙されたわけではないのです」
「では、どうして?」
「私は、結果としてなし崩し的にそうなったに過ぎません……」
ちょっとだけ寂しげに、自虐的に微笑むと、ドルマは言葉を続ける。
「先ほど、地上でご覧になった『井戸』、私は、あそこに身を投げたのです」
「……え?」
ペーター少尉は、即座にはその意味を理解出来なかった。
「私が、家族から勘当された話は御存知でしたでしょうか?」
「……ナルブ卿から、ドルマさんを養女に迎えた経緯として、その事実だけは伺っていますが……」
どう答えるのが正解か戸惑いつつ、ペーター少尉はドルマの問いに、正直に答える。
「……私、家族に否定されて、自暴自棄になってしまって……いえ」
俯いて、ドルマは息をつき、胸を押さえ、服の胸元を強く握る。
「私は、ある人に、男性に、捨てられたんです」
目を上げたドルマは、悲しそうでもあり、恥ずかしそうでもある視線をペーター少尉に投げる。
「酷くショックで、家族にも優しくしてもらえなくて絶望して。まあ、当たり前ですよね。家族にしてみれば、嫁入り前の娘に不義の噂が立ったのですから……」
「……それで、身を投げた?」
思わず少し身を乗り出して、ペーター少尉は聞く。ドルマは、水を汲んだカップを口に当てて少し含み、飲み下し、そして頷く。
「私は、この都に入る許可はまだ得ていませんでしたが、ここがどういう所であるかはもちろん知っていました。あの穴が『底なし』で、何がどうなっているか『誰も知らない』事も。だから、この世界に絶望した私がこの世から消えてしまうためには、ぴったりだと思ったのです」
それで?ペーター少尉はそう聞きたかったが、言葉が出ない。覗き込んだわけではないが、あの穴は相当に深い。そこに身を投げて、無事で居られるはずがない位には深いことは、覗き込まなくても感覚的に理解出来る。
なのに。ドルマは、そこに身を投げたという女は今、見た限り五体満足で、傷一つ無く、目の前に、居る。
「それから何があったか、私も分かりません。気が付いたら、私は『赤の女王』に膝枕されて、『宮殿』の『植物園』の地下の御神木の元に横になっていました」
言葉を途切り、深く息を吸って、ドルマは続ける。
「私は、『赤の女王』の御意志と、御神木の霊力によって生まれ変わったのだと、その時に『元君』、『赤の女王』から直接告げられました。それがどういう意味かは今でも分かりません。しかし、御神木の霊気を受けた私は、『赤の女王』に近しい存在であり、血肉を分けた姉妹にも等しい、とも」
くしゃり、と、ドルマは相好を崩す。やや困ったような笑顔。
「有り難くも、もったいないお言葉です。私のような唯の女が、『元君』と血肉を分けたなどと。以来、私はここに出入り自由、出入りだけでなく何をしても自由だと『元君』から仰っていただいておりますが、そうは言っても他の皆様の手前、通常の手順で選ばれたわけでも無し、身を投げた末の事という引け目もありまして、それで、自分の意思でここに入ったのは今日が初めてなのです」
ペーター少尉は、混乱していた。ドルマの告白をどう受け止めれば良いのか。底に含まれるいくつもの意味、事象、示唆をどう理解し整理すればよいのか。そして、何より。
「……何故、それを私に打ち明けられたのですか?」
この地下都市に関する重大なヒントがいくつも含まれるであろうその告白を、どうして不用意に部外者、異邦人である自分に話すのか。ペーター少尉は、そこにまず疑問を感じていた。
「どうして?と聞かれたのは、ペーター様、あなたでいらしましてよ?」
ドルマは、クスリと笑って答える。何でもないことのように、少女のような無垢な笑顔で。
「それに、私も今、気付いたのです。『元君』が私に『自由にしてよい』とおっしゃった意味が。正直、まだ決心がついてはいないのですが、私は、ペーター様、あなたには色々打ち明けさせていただきたい、いえ、腹の探り合いのようなことはもう、したくないのです」
無垢な少女の笑顔だったドルマの顔が、苦悩する女のそれに変わった。
「私のような女でも、連れて帰りたいとおっしゃってくれたペーター様のお気持ちに応えたい気持ちはあるのです。ですが、ここでのしがらみを捨てられる決心がつかないし、何よりも、私は、ペーター様、あなたに、まだ全てを、いえ」
言いにくそうに、ドルマは一瞬だけ躊躇し、
「まだ何も打ち明けていません……全てを打ち明けた時、ペーター様がどう思われるか、そして、私が私で居られるかどうか……私は、怖い、決心がつかないのです……自由にするというのは、こんなにも怖いことなのだと、今気付いたのです」
ペーター少尉は、動けなかった。彼にもう少し人生経験があれば、ドルマの肩を抱き、抱き寄せ、抱きしめることも選択肢としてあっただろう。
「決心するというのは、何かを捨てる事でもあります」
けれど、今の彼には、彼の口からは、自然に出てくるのはこの言葉だけだった。
「ドルマさん、あなたがどう決心されても、私はそれで構いませんし、決心がつくまでお待ちしています。どうか、後悔だけはされないよう、よくよく考えてください」
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