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第三章-月齢26.5-

第3章 第19話

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「……それ、ホント?」
 あてがわれた寝室に戻り、念のために『言葉乱しせしむまじない』を部屋にかけてから、ユモは雪風に先ほどは公にしなかった話の内容を尋ね、そして、言った。
「あからさまじゃない、何よそれ?」
「でしょ?もうね、何がしたいんだろって」
 雪風も、寝床の上に胡坐をかいて、愚痴る。
「これっぽっちも隠す気ないみたい。それともあたし、バカにされてるの?」
「さあね?で?あんたが倒した男達も消えてたのよね?」
「それだって、手加減はしたけど普通なら半日は起きないレベルで『倒した』はずなのよ?起きて歩いて居なくなるなんて、有り得ないわよ」
 ぼすん。雪風は、握りこぶしで枕代わりのクッションを殴りつけた。
 街の入口からナルブ邸に戻る途中、確かに倒したはずの男達が居なくなっていたことは、その男達を倒したことも含め、雪風は先ほどの話し合いでは公にしていなかった。
「他に仲間が居て、連れて行った可能性は?」
 ユモの胸元から、ニーマントの声がする。
「見えている相手だけが全部とは限りますまい?」
「そうだけど、ケシュカル一人を拉致するにしては、それだと大がかりすぎじゃない?」
 ユモは、即座に反論する。
「それだけ重要人物であった、という可能性を排除すべきではないでしょう。なにしろ、その『山羊女』なる怪異も居た事ですし」
「山羊女、か……話聞く限りだと、パーンかサチュロスみたいだけど、でもアレって基本男だったはずよね」
「どう見てもあれは女だったわよ、おっぱい凄かったもん」
 ユモの意見に、口を尖らせて、雪風が答える。
「つまるところ、ですな」
 ニーマントは、意見の集約を試みる。
「ケシュカル少年はそれだけの重要人物であり、その男達あるいはその後ろにある組織も、只者ではなかった、と考えるのが一番辻褄が合うという事ですね」
「そうなるわね……たくもう、なんでこう、いっつもいっつも面倒ごとに巻き込まれるのよ」
 布団に倒れ込みながら、ユモが愚痴る。
「そのような運命である、としか言いようがありませんな」
 ニーマントの言葉は、まるきり他人事だ。
「よく言うわよ、そういう所ばっか選んで『時空跳躍タイムリープ』してる張本人が」
「お言葉ですが。何度も言いますが、確かに行き先の最終決定は私ですが、それ自体選択の自由は殆ど無く、いくつかの候補から最も惹かれる目的地に決定しているだけの事です。実際、第二第三の候補地が後に第一候補として出てきた事もありますから、どこを選択しても結果は大差ないと推察出来ます」
 ニーマントの言葉には、にべもない。
「まー、鉄火場を選んで移動しているのは間違いないわよね。選ばされてる感マシマシだけど」
 雪風が、セーラー服を脱ぎながら突っ込む。先ほど腕ごと斬られた袖は、切れ目どころか血糊すら残っていない。
「……大したもんだわよね、魔法ってのも」
 袖の、切れ目があった辺りを撫でながら、雪風が呟く。
「服に関しては、修復にかかる源始力マナはあんたの持ち出しだから。あたしの服も含めて」
 ユモも、脱いだ服を畳みながら言う。
「それくらいのまじないかけとかないと、何があるか分かったもんじゃないもの、この旅は」
 最初に『時空跳躍タイムリープ』して出現した冬の北米以来、ユモは二人の服に、ある程度の寒暖を緩和するまじないと、汚れや擦り切れ鉤裂きなどを修復するまじないをかけていた。気候や環境の問題だけでなく、雪風の言うとおり、文字通りの鉄火場のド真ん中に出現した事だってあり、このままでは二人とも家に帰る前に服がボロ雑巾以下になるのは明白だったからだ。
 ただし、『汚れない』服というのは逆に言うと汗をかいても吸収してくれないという事でもあり、下着にもまじないをかけてからそれに気付いた二人は慌ててまじないを解き、以降、可能な限り上質な肌着下着を補給、あるいは洗濯出来るチャンスは逃さないよう気を付けてもいた。
「で。その魔法で、あの霧だかもや・・だかの正体は掴めたの?」
 布団に潜り込みながら、雪風がユモに尋ねる。
「わかったと言えば分かったわ」
「……もったい付けずに言いなさいよ」
「……あたしの知らない何かである、って事はわかったわ」
 明らかに不満げな声色で、ユモは雪風に答えて、乱暴に布団を被る。
「あー……あんたの『本』にも載ってないってことでOK?」
 ある程度空気を読んで、雪風が聞き直す。
「……わかんない」
 ばさっと布団を剥いで、ユモが顔を出す。
「少なくとも、読めるところには書いてないわ。封印されているところに書いてあったらわからないけど」
 仰向けのまま、宙に突き出した両手の上に『知識の書』を出現させながら、ユモは答えた。
 ユモの持つ水晶球に封じられていた莫大な知識、ユモの母であり魔法の師匠である月の魔女、大魔女リュールカ・ツマンスカヤの手になるとおぼしきそれは、使い勝手とイメージのし易さから百科事典的な書籍の外見をユモによって与えられ、必要に応じて開き、読めるようにしてあった。
 読む、と言っても実際には直接知識が脳裏に流れ込んでくるのであり、そこに物理的に紙に書かれた本があるわけではなく、逆にユモはそこに自分が体験し重要と思った事を片端からメモとして記録してもいた。ユモによれば、情報を立体格子状に書き込んだ力場を『折りたたむ』事で無限に近い容量を持たせ、同じ原理で無限に近い源始力マナもこの水晶球に貯め込む事が可能、だと説明されたが、雪風には何が何だかさっぱりわからない。
 なので、今のところこれを閲覧出来るのはユモ唯一人。無限にも思える源始力マナの貯蔵庫でもあるこの小さな水晶球は、『輝かないアンシャイニング・多面体トラペゾヘドロン』ニーマントと共に、今までも、これからも、この『時空跳躍タイムリープ』が続く限りは絶対に必要な、魔女見習いユモ・タンカ・ツマンスカヤの心のよりどころでもあった。
 そしてその『知識の書』には、今のユモの力ではどうしても解読出来ない暗号が記されたページがあった。この『知識の書』自体、暗号化され圧縮凍結されていたものをユモが解凍解読したものだが、そのユモにしても未だに解凍キーが見つけられない複数の章立てが含まれていた。
 ユモ曰く『ママムティの与える試練』であって、これを解く事で自分は母であり師匠である『月の魔女』リュールカに認められる、そう思えばこそ機会を見て解読解凍にチャレンジし続けてはいるが、それは雪風に言わせれば『必要な時に必要な内容が開放されるんじゃない?根拠無いけど』という代物かもしれず、だとしたら逆立ちしても今のユモには内容を開放することは出来ないだろう、そう思えてしまうこと自体がユモは悔しく、為に、より一層暇さえあれば躍起になって『知識の書』の開放にいそしむのであった。
「……もういい、面倒ごとは明日考える。寝直すわ、ユキ、明かり消して」
「あたしかよ」
 文句を言いつつ、それでも雪風は起き上がって、部屋をほの暗く照らしていたランプの火を――先ほどの一件の後なので、頼み込んで部屋に置きっぱなしにしてもらっている――細くする。人間の肉眼ではそこそこ難儀する明るさまで照度を落とし、しかし夜目の利く雪風には特に不自由はない。
 部屋の中には、ランプの他に火の気はない。本来の就寝時間までは火鉢で部屋を暖めていたが、やはり火災を嫌ったのだろう、就寝してすぐに火鉢は下女によって片付けられていた。
 6月とはいえ高地の夜は寒い。夜半過ぎの今、部屋の中は相当に冷え込んでいる。部屋が暖まっていた宵の口に布団に潜り込んで寝入っていれば、それも気にならないのだろうが……
「……で、なんであんたがあたしの布団に入ってるのよ?」
 ランプを消して戻った雪風が、自分の布団の中に移動しているユモに聞く。
「あたしの布団、冷え切っちゃってるんだもの」
 悪びれず、ユモは即答する。
「あたしの布団だって冷えてますけど?」
「だからあんたが居るんじゃない」
 その冷えた布団にすべり込む雪風に、ユモはすり寄る。
「天然の毛皮と湯たんぽよ、これ以上の暖房は無いわ」
「あたしをなんだと思ってるのよ」
「もふもふの抱き枕」
「……ったく……」
 苦笑しつつ、雪風はわずかばかり、人の姿から獣人けものびとの姿へと変化へんげする。寒い時、ユモがこうして『大型犬の抱き枕』を所望するのは、これが初めてではない。
「……痛かったんだから」
 ごく自然に、雪風の左腕を枕にしつつ、残る右腕を自分の胸元に抱き込んで、ユモは呟く。
「普段ならともかく。あんなに気を張ってる時に、斬られたりするんじゃないわよ」
「ああ……」
 雪風は、気付く。使い魔の契約フェアトラーク フォン フェアトラートを結んでいる以上、完全に無意識でも、どこかで密かに、互いの何かは繋がっている。普段なら、それはちょっと強めの『虫の知らせ』程度でしかないが、さっきのような、互いに互いを気にかけつつ別行動するような時は、逆に無意識にその繋がりが強まってしまう。その結果、さっき右腕を斬られた時、その痛みが、ユモにも伝わっていたのだ、と。
「……油断してた。面目ない」
「あんたは絶対にあたしが連れて帰る。あたしが帰るついでにね……だから……油断なんかしないで……しっかり……あたしを護って……ちょうだい……」
 そのまま、ユモの声は寝息に変わる。
 雪風はもう一度苦笑し、枕にされた左腕をそっと抜くと、からみとられた右腕はそのままに、左手の甲でユモの左頬を撫でた。
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