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第二章-月齢25.5-
第2章 第13話
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そのラマ僧は、チベット人と言うにはあまりに大きすぎた。大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。それは正に、巨人だった。
「お待ちしておりました、師範」
間髪入れず、ナルブが立ち上がって一礼し、その僧侶に席を勧める。テーブルに寄って一同に一礼したそのラマ僧は、名乗る。
「こちらがその『遭難者』ですね?拙僧はモーセス・グースと申します。よろしくお見知りおき下さい」
笑顔で、その巨漢のラマ僧は言う。2メートルを超えているのではないかと思える長身とそれに負けない幅広の体躯、筋骨隆々たる肩の上に乗る石切細工のような四角い顔、綺麗に剃り上げられた頭。しかし、その笑顔は慈愛に満ちている。
――只者じゃない……――
ユモも雪風も、一目見て、否、モーセスが扉の向こうに見えた瞬間から、それを感じていた。
ユモは、放射閃の輝きとして、雪風は、首の後ろがチリチリするような気配として。
「はじめまして。ユモ・タンクです」
「ユキ・タキです、よろしくお願いします」
ユモにあわせて軽く膝を折る雪風の仕草は、先ほどよりは自然になっていた。
「これはご丁寧に。実に礼儀正しいお嬢様方です。なるほど、お国の良家の子女、というところですかな?少尉殿?」
話し方からするに、モーセスとペーター少尉は、既に面識があるらしい。
「そのようです。ユキ・タキ嬢は我が国ではなく同盟国の方ですが」
「なるほど。そして、君が保護された少年ですね?」
ケシュカルに歩み寄りながら、モーセスが聞く。
「……あ、は、はい、俺……」
ケシュカルは、見るからに動揺している。
――まあ、無理もないわよね――
ユモは思う。ただでさえ寺院の権力の強い土地柄、そこへ持って来てあんな怪物みたいな巨漢のお坊さんだもの。
――あたしだって冷や汗かいたもの……反則よ、あの顔と体は……――
雪風も、最前の挨拶を思い出し、内心で額の汗を拭いた。
「……なるほど。事情は理解しました」
ナルブとペーター少尉から一通りの説明を受けて、モーセスは言った。
「寺院から、この件に関しては、拙僧に一任されています……よろしいでしょう、拙僧にも彼女達は、悪意をもってこの地に密入国したようには見えません。その件に関しては、不問といたしましょう」
言って、モーセスは微笑む。ナルブとペーター少尉も、明らかに肩の荷が下りた様子が見受けられる。
「ただし、拙僧としても、彼女たちに大変興味があります。よろしければ、明日、改めてお話しをさせていただけますでしょうか?」
「え?」
「お話し、ですか?」
ユモと雪風は、顔を見合わせる。このような状況だし、話をするのはやぶさかではないが、寺院に拘束されたりするのはちょっと遠慮したい。
「ああ、ご心配召されますな、世間話、茶飲み話にすぎません。なにしろ、拙僧も国外の方と話す機会は滅多にありませんので、大変興味があるのです」
「それでは、私もご一緒しても?」
手を振って、心配するなとジェスチャーするモーセスに、ペーター少尉が聞いた。
「もちろん、結構です。是非」
笑顔で、モーセスはうけあう。
「それから、ケシュカル君」
「は、はい!」
急にモーセスに声をかけられた少年は、飛び上がらんばかりに驚き、うわずった声で返事する。
「拙僧は明日、寺院に帰ります。その時、君は拙僧と一緒に寺院に来て下さい」
「え、お、俺が?」
「はい」
にこりと頷いて、モーセスはケシュカルの質問に答える。
「事情はともかく、みだりに外国人に接触した君には、御仏の慈悲が必要です。しばし寺院に滞在し、お清めをしていただく必要があります」
「それって……」
誰より早く、ユモが呟く。
「ご心配召さるな、懲罰の類いではありません。しかし、しきたりを守り、決められた手順を踏む事は寺院としては必要事項。外国人であるお二人はともかく、ケシュカル君にはしきたりを守っていただかなければならないのです」
「……そういう事なら……」
「……あたし達が口出しする事じゃないですけど。痛くしたりしないですよね?」
もう一度顔を見合わせてから、ユモが呟き、雪風が聞く。
「お二人は他国の方、信仰するものも違いましょうから、心配なさるのも無理からぬ事、拙僧にもそれは理解は出来ます。大丈夫です、まあ、座禅を辛いと思うか否か、という話になりますか……御仏の慈悲は広大無辺です。敬虔な信徒であれば、喜んでお務めを果たして頂けるものと信じています。なにより、そうすることで、ケシュカル君は寺院から無辜である事を保証され、寺院もまたその責を果たす事が出来る。人々の信頼を集める機関として、寺院としても必要なプロセスなのです」
――変な言い方するわね――
ユモは、僧侶にしては妙に第三者的な言い方をしたモーセスの口調に、違和感を感じる。
――そんなぶっちゃけ話、お坊さんが言っちゃうかな?――
雪風も、自身は宗派としては仏教徒、浄土真宗であるが、今までの冠婚葬祭でそんな物言いをする坊主を見たことがなかった。
二人の少女と、さらにはペーター少尉の怪訝な視線に気付いたのだろう、モーセスはぱちんと手を合わせ、口調を変えて話す。
「ああ、申し遅れておりました。お気づきかも知れませんが、実を言えば拙僧もこの土地の人間ではありません。ですから、寺院のしきたりですとか、客観視して考える事が出来るのです」
――なるほどね。だから『モーセス・グース』なのね。イギリス人?それとも、アメリカ人?――
ユモは、モーセスの言葉を受けて、モーセスの正体を値踏みする。
――ああ、だからあの体格なのか。西洋人、もしかしてスラヴ系?にしても、大きすぎだけど――
雪風も、ユモ同様にモーセスの正体を訝しむ。
「初耳です、いえ、お名前とその体格から、チベット人ではないとは思っていましたが……ナルブ閣下は御存知でしたので?」
ペーター少尉は、ナルブに質問する。
「師範が異国からいらして、仏の道に興味を持たれて寺院に入られたことは存じておりました。そのような方でいらっしゃいますから、師範はチベット密教以外の宗教の知識や、近隣諸外国の事も一般のラマ僧よりよく御存知です。そういった意味で、私はもちろんドルマもその教えを頂いております」
ナルブは、信頼のこもった目でモーセスを見ながら答える。
「いやいや、拙僧はここしばらくこの地から外に出ておりません。国外の情勢についてはもはや知らないも同然です」
モーセスは、ナルブの持ち上げに謙遜する。
「いずれにしても、明日、あたし達は改めてモーセスさんとお話しをする。その後で、モーセスさんが寺院に帰るときに、ケシュカルも連れて行く、これは変わらない、そう言う事ね?」
ユモが、割って入る。
「納得して、頂けましたか?」
「納得するも何も」
ナルブの問いかけに、やや憮然としてユモが答える。
「あたし達に選択肢、無いじゃない」
「それも御仏のお導きです」
「……まあ、あたしは一応仏教徒ですけど、ユモあんたどうよ?」
「あたしは……まあ、郷に入っては郷に従うわ」
「大変結構なお心がけです」
モーセス・グースは、手をあわせた。
「それで、拙僧に用とは?」
話を戻したモーセスの問いかけに、ペーター少尉が思い出し、
「そうでした。見ていただきたい写真がありまして」
先ほどの写真を、モーセスに差し出す。
「我々の調査現場で見つけたものです。このような物に、何かお心当たりはありませんか?」
ペーター少尉の言葉が終わるのを待たず、モーセスは口笛を吹くような、小鳥がさえずるような音を出す。その巨体に似合わず妙に綺麗で可愛いその音、「てけり・り」とも聞こえたその音を、恐らくは彼の感嘆の声なのだろう、ユモも雪風もそう理解する。
「……これは……」
食い入るように写真を見つめたモーセスは、ペーター少尉に顔を向ける。
「……調査現場でこれを見つけたのですか?これは、まだそこに?」
「いえ、回収して、本国に持ち帰るよう梱包してあります。本国の学者であれば正体はいずれ分かるでしょうが、この土地に何か手がかりがあれば、どうか、お教え願えますでしょうか?」
「……」
ペーターの答えと願いを聞いてなお、モーセスはしばらく沈黙を守り、やがて意を決したように口を開いた。
「……みだりに語る事をはばかる存在、というものは、どこの国、どこの文化にもあるものです」
「では……」
そのモーセスの言葉を、自分の質問に対する肯定と受け取ったペーター少尉は、さらなる回答を急かす。
「申し訳ありませんが、今ここで、拙僧はこれに関してなにもお答えする事は出来かねます……いずれ、相応しい時と場所、そこで見える事がありますれば、お答えする事もやぶさかではないでしょう。これは、そういう類いの物である、そう御理解下さい」
ペーター少尉にそう答えたモーセス・グースの顔からは、一切の表情が消えていた。
「今夜はこの屋敷にお泊まり頂きたく、お部屋の用意を調えてあります。夕食までまだ間があります、一度お部屋でお休みいただいてはどうでしょう?」
一通りの話がまとまった後、ナルブはそう言って、見聞を切り上げた。ケシュカルは下男が、ペーター少尉はナルブ自身が部屋に案内する。
ユモと雪風は、同じ女性であるという理由からだろうか、ドルマに先導されて客間に案内される。
「モーセスさん、ずいぶん動揺していたみたいね」
ドルマの後ろを歩きながら、雪風が誰にともなく言った。
「あの顔、正直、ちょっと怖かった」
「そうね」
雪風に言われて、ユモも先ほどのモーセスの顔を思い出す。表情の消えた、岩に刻まれたかのような、険しい四角い顔。
「あの顔でお説教されたら、どんな悪党でも改心しそうよね」
「師範は、大変に徳の高い高僧でいらっしゃいまして、『知の経典』の二つ名をお持ちです」
先を歩くドルマが、肩越しに振り向いて後ろの二人の会話に参加する。
「おっしゃるとおり、師範に『お説教』を頂いて『解脱』した者は、数知れないと聞きます」
「さもありなん、ってとこかしら?」
「大迫力でしょうね、モーセスさんのお説教……にしては、すっごく綺麗な声も出してたけど」
モーセスの声自体、威圧感のある重低音が響く以外は決して耳ざわりの悪い声ではないが、雪風は、それでもあの体躯に似合わない先ほどの小鳥のような声を思い出して、言った。
「あれは、師範の癖ですね。ごくまれに、本当に何かに感じ入られたときに、何度かお聞きした事があります」
言って、ドルマは、その音を口まねする。「てけり・り」と、モーセスのそれに非常によく似た、小鳥のさえずるような音で。
「あら上手」
「どんな意味なんです?それ?おーまいがー、みたいな?」
振り向いて、二三歩後ろ歩きしながら、ドルマは微笑んで雪風の質問に答える。
「そのようなところらしいです。本当の意味は、私も知りません……こちらです」
ドルマは、少女二人に客間の一つの入り口を示した。
「お待ちしておりました、師範」
間髪入れず、ナルブが立ち上がって一礼し、その僧侶に席を勧める。テーブルに寄って一同に一礼したそのラマ僧は、名乗る。
「こちらがその『遭難者』ですね?拙僧はモーセス・グースと申します。よろしくお見知りおき下さい」
笑顔で、その巨漢のラマ僧は言う。2メートルを超えているのではないかと思える長身とそれに負けない幅広の体躯、筋骨隆々たる肩の上に乗る石切細工のような四角い顔、綺麗に剃り上げられた頭。しかし、その笑顔は慈愛に満ちている。
――只者じゃない……――
ユモも雪風も、一目見て、否、モーセスが扉の向こうに見えた瞬間から、それを感じていた。
ユモは、放射閃の輝きとして、雪風は、首の後ろがチリチリするような気配として。
「はじめまして。ユモ・タンクです」
「ユキ・タキです、よろしくお願いします」
ユモにあわせて軽く膝を折る雪風の仕草は、先ほどよりは自然になっていた。
「これはご丁寧に。実に礼儀正しいお嬢様方です。なるほど、お国の良家の子女、というところですかな?少尉殿?」
話し方からするに、モーセスとペーター少尉は、既に面識があるらしい。
「そのようです。ユキ・タキ嬢は我が国ではなく同盟国の方ですが」
「なるほど。そして、君が保護された少年ですね?」
ケシュカルに歩み寄りながら、モーセスが聞く。
「……あ、は、はい、俺……」
ケシュカルは、見るからに動揺している。
――まあ、無理もないわよね――
ユモは思う。ただでさえ寺院の権力の強い土地柄、そこへ持って来てあんな怪物みたいな巨漢のお坊さんだもの。
――あたしだって冷や汗かいたもの……反則よ、あの顔と体は……――
雪風も、最前の挨拶を思い出し、内心で額の汗を拭いた。
「……なるほど。事情は理解しました」
ナルブとペーター少尉から一通りの説明を受けて、モーセスは言った。
「寺院から、この件に関しては、拙僧に一任されています……よろしいでしょう、拙僧にも彼女達は、悪意をもってこの地に密入国したようには見えません。その件に関しては、不問といたしましょう」
言って、モーセスは微笑む。ナルブとペーター少尉も、明らかに肩の荷が下りた様子が見受けられる。
「ただし、拙僧としても、彼女たちに大変興味があります。よろしければ、明日、改めてお話しをさせていただけますでしょうか?」
「え?」
「お話し、ですか?」
ユモと雪風は、顔を見合わせる。このような状況だし、話をするのはやぶさかではないが、寺院に拘束されたりするのはちょっと遠慮したい。
「ああ、ご心配召されますな、世間話、茶飲み話にすぎません。なにしろ、拙僧も国外の方と話す機会は滅多にありませんので、大変興味があるのです」
「それでは、私もご一緒しても?」
手を振って、心配するなとジェスチャーするモーセスに、ペーター少尉が聞いた。
「もちろん、結構です。是非」
笑顔で、モーセスはうけあう。
「それから、ケシュカル君」
「は、はい!」
急にモーセスに声をかけられた少年は、飛び上がらんばかりに驚き、うわずった声で返事する。
「拙僧は明日、寺院に帰ります。その時、君は拙僧と一緒に寺院に来て下さい」
「え、お、俺が?」
「はい」
にこりと頷いて、モーセスはケシュカルの質問に答える。
「事情はともかく、みだりに外国人に接触した君には、御仏の慈悲が必要です。しばし寺院に滞在し、お清めをしていただく必要があります」
「それって……」
誰より早く、ユモが呟く。
「ご心配召さるな、懲罰の類いではありません。しかし、しきたりを守り、決められた手順を踏む事は寺院としては必要事項。外国人であるお二人はともかく、ケシュカル君にはしきたりを守っていただかなければならないのです」
「……そういう事なら……」
「……あたし達が口出しする事じゃないですけど。痛くしたりしないですよね?」
もう一度顔を見合わせてから、ユモが呟き、雪風が聞く。
「お二人は他国の方、信仰するものも違いましょうから、心配なさるのも無理からぬ事、拙僧にもそれは理解は出来ます。大丈夫です、まあ、座禅を辛いと思うか否か、という話になりますか……御仏の慈悲は広大無辺です。敬虔な信徒であれば、喜んでお務めを果たして頂けるものと信じています。なにより、そうすることで、ケシュカル君は寺院から無辜である事を保証され、寺院もまたその責を果たす事が出来る。人々の信頼を集める機関として、寺院としても必要なプロセスなのです」
――変な言い方するわね――
ユモは、僧侶にしては妙に第三者的な言い方をしたモーセスの口調に、違和感を感じる。
――そんなぶっちゃけ話、お坊さんが言っちゃうかな?――
雪風も、自身は宗派としては仏教徒、浄土真宗であるが、今までの冠婚葬祭でそんな物言いをする坊主を見たことがなかった。
二人の少女と、さらにはペーター少尉の怪訝な視線に気付いたのだろう、モーセスはぱちんと手を合わせ、口調を変えて話す。
「ああ、申し遅れておりました。お気づきかも知れませんが、実を言えば拙僧もこの土地の人間ではありません。ですから、寺院のしきたりですとか、客観視して考える事が出来るのです」
――なるほどね。だから『モーセス・グース』なのね。イギリス人?それとも、アメリカ人?――
ユモは、モーセスの言葉を受けて、モーセスの正体を値踏みする。
――ああ、だからあの体格なのか。西洋人、もしかしてスラヴ系?にしても、大きすぎだけど――
雪風も、ユモ同様にモーセスの正体を訝しむ。
「初耳です、いえ、お名前とその体格から、チベット人ではないとは思っていましたが……ナルブ閣下は御存知でしたので?」
ペーター少尉は、ナルブに質問する。
「師範が異国からいらして、仏の道に興味を持たれて寺院に入られたことは存じておりました。そのような方でいらっしゃいますから、師範はチベット密教以外の宗教の知識や、近隣諸外国の事も一般のラマ僧よりよく御存知です。そういった意味で、私はもちろんドルマもその教えを頂いております」
ナルブは、信頼のこもった目でモーセスを見ながら答える。
「いやいや、拙僧はここしばらくこの地から外に出ておりません。国外の情勢についてはもはや知らないも同然です」
モーセスは、ナルブの持ち上げに謙遜する。
「いずれにしても、明日、あたし達は改めてモーセスさんとお話しをする。その後で、モーセスさんが寺院に帰るときに、ケシュカルも連れて行く、これは変わらない、そう言う事ね?」
ユモが、割って入る。
「納得して、頂けましたか?」
「納得するも何も」
ナルブの問いかけに、やや憮然としてユモが答える。
「あたし達に選択肢、無いじゃない」
「それも御仏のお導きです」
「……まあ、あたしは一応仏教徒ですけど、ユモあんたどうよ?」
「あたしは……まあ、郷に入っては郷に従うわ」
「大変結構なお心がけです」
モーセス・グースは、手をあわせた。
「それで、拙僧に用とは?」
話を戻したモーセスの問いかけに、ペーター少尉が思い出し、
「そうでした。見ていただきたい写真がありまして」
先ほどの写真を、モーセスに差し出す。
「我々の調査現場で見つけたものです。このような物に、何かお心当たりはありませんか?」
ペーター少尉の言葉が終わるのを待たず、モーセスは口笛を吹くような、小鳥がさえずるような音を出す。その巨体に似合わず妙に綺麗で可愛いその音、「てけり・り」とも聞こえたその音を、恐らくは彼の感嘆の声なのだろう、ユモも雪風もそう理解する。
「……これは……」
食い入るように写真を見つめたモーセスは、ペーター少尉に顔を向ける。
「……調査現場でこれを見つけたのですか?これは、まだそこに?」
「いえ、回収して、本国に持ち帰るよう梱包してあります。本国の学者であれば正体はいずれ分かるでしょうが、この土地に何か手がかりがあれば、どうか、お教え願えますでしょうか?」
「……」
ペーターの答えと願いを聞いてなお、モーセスはしばらく沈黙を守り、やがて意を決したように口を開いた。
「……みだりに語る事をはばかる存在、というものは、どこの国、どこの文化にもあるものです」
「では……」
そのモーセスの言葉を、自分の質問に対する肯定と受け取ったペーター少尉は、さらなる回答を急かす。
「申し訳ありませんが、今ここで、拙僧はこれに関してなにもお答えする事は出来かねます……いずれ、相応しい時と場所、そこで見える事がありますれば、お答えする事もやぶさかではないでしょう。これは、そういう類いの物である、そう御理解下さい」
ペーター少尉にそう答えたモーセス・グースの顔からは、一切の表情が消えていた。
「今夜はこの屋敷にお泊まり頂きたく、お部屋の用意を調えてあります。夕食までまだ間があります、一度お部屋でお休みいただいてはどうでしょう?」
一通りの話がまとまった後、ナルブはそう言って、見聞を切り上げた。ケシュカルは下男が、ペーター少尉はナルブ自身が部屋に案内する。
ユモと雪風は、同じ女性であるという理由からだろうか、ドルマに先導されて客間に案内される。
「モーセスさん、ずいぶん動揺していたみたいね」
ドルマの後ろを歩きながら、雪風が誰にともなく言った。
「あの顔、正直、ちょっと怖かった」
「そうね」
雪風に言われて、ユモも先ほどのモーセスの顔を思い出す。表情の消えた、岩に刻まれたかのような、険しい四角い顔。
「あの顔でお説教されたら、どんな悪党でも改心しそうよね」
「師範は、大変に徳の高い高僧でいらっしゃいまして、『知の経典』の二つ名をお持ちです」
先を歩くドルマが、肩越しに振り向いて後ろの二人の会話に参加する。
「おっしゃるとおり、師範に『お説教』を頂いて『解脱』した者は、数知れないと聞きます」
「さもありなん、ってとこかしら?」
「大迫力でしょうね、モーセスさんのお説教……にしては、すっごく綺麗な声も出してたけど」
モーセスの声自体、威圧感のある重低音が響く以外は決して耳ざわりの悪い声ではないが、雪風は、それでもあの体躯に似合わない先ほどの小鳥のような声を思い出して、言った。
「あれは、師範の癖ですね。ごくまれに、本当に何かに感じ入られたときに、何度かお聞きした事があります」
言って、ドルマは、その音を口まねする。「てけり・り」と、モーセスのそれに非常によく似た、小鳥のさえずるような音で。
「あら上手」
「どんな意味なんです?それ?おーまいがー、みたいな?」
振り向いて、二三歩後ろ歩きしながら、ドルマは微笑んで雪風の質問に答える。
「そのようなところらしいです。本当の意味は、私も知りません……こちらです」
ドルマは、少女二人に客間の一つの入り口を示した。
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