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第一章-月齢24.5-
第1章 第4話
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あの日。偉大なる『月の魔女』にして地上に並ぶものなしとさえ言われる大魔女、美しく、優しいママ、リュールカ・ツマンスカヤの書斎に忍び込み、あの小箱の封を解いたその瞬間から、『魔女見習い』ユモ・タンカ・ツマンスカヤの旅は始まった。
ママと、ママによく似た誰かの呪いのかかった小箱。幾重にも重ねられたその小箱の封印を解き、そこに封じられた輝かない多面体を、さらにその中に封じられている人格『エマノン・ニーマント』を取り出し、うかつにも握りしめて『闇』を与えてしまった時。ユモは、縁もゆかりもない『知らない世界』に放り出された。
もしかしたら。ユモは思う。そうなること自体、ママには分かっていた、『見えて』いたのかも知れない。あるいは、全くでたらめに『時空跳躍』しているように見えて、実は何某かの意味があるのかもしれない。いずれにしても。
真っ先にユキの、使い魔一号の契約を結ぶことになった『聖狼』、人狼の血を引く娘、滝波雪風の元に『跳んだ』のは僥倖だった、本当に幸運だったと、ユモは改めて思った。そうでなければ、最初の『時空跳躍』のその先で、何も出来ずに果てていただろう、とも。
最初の『時空跳躍』でユキの元に出現し、直後、ユキを巻き込んで再び『時空跳躍』して以降、どれくらいの時間が過ぎただろう。どれくらいの時間と土地を訪れただろう。
法則性は、見えない。かろうじて、最初の一回を例外として、どうやら自分がいた時間より未来には跳ばないこと、そしてなにより、跳ぶきっかけが『日蝕』である事は分かった。分かっていることは、逆に言えば、それだけ。跳んだ先での、次の日蝕までの時間もまちまち。次の日蝕の最中に跳び出したこともあれば、丸々一月近く時間が空いたこともあった。
跳び出した先で言葉が通じないのは当たり前、そこは自分達にかけてある『言葉を通じせしむ呪い』で乗り切れるが、なにしろどの時代の、どこに出るか分からない。文化も常識も違うなら、そこは異世界と言っても間違いじゃない、そんな事をユキと愚痴りあい、助け合い、時にケンカしながら乗りきってきた日々。いつ終わるか全く先の見えない、果てしない旅の日々。
だからこそ。
「……ありがとね」
ユモは、隣を歩く雪風にだけ聞こえるような小声で、呟く。
「ん?」
「さっき。あたし、油断してたから」
「ああ、その事」
前を向いたまま歩きながら、雪風が答える。
「分からないでもないから。ま、そん時はお互い様って事で」
素っ気なく答えた、でもその裏にある優しさを汲み取って、ユモは思う。
――気の利く相棒で、本当によかった――
先ほど、母国語を聞いた途端に溢れ出した感情、懐かしさ、嬉しさ、安心感。そういったものでいっぱいになり、一瞬で溢れ出しそうに、はちきれそうになった胸の熱さと共に、ユモは本心からそう思った。
あの後、ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は、さらに後方に控えていた数名の兵に、倒れていた少年を即席の担架で運ぶよう命じ、さらにやや年かさの兵に追加の命令を出した。
「では、本日の以降の業務は曹長に一任します。よろしいか?」
「了解です、少尉殿」
「私は、お嬢さん方を連れてキャンプに戻ります。担架の運搬に二人、担架交代と警戒にもう二人、兵を連れて行きます」
「はい」
互いに敬礼を交わし、曹長は残りの兵を率いていずこかへと早足で去って行く。
「残念ながらここには車はありません。少々歩きますが、よろしいか?」
ペーター少尉の言葉に、雪風は笑顔で、ユモは露骨に嫌な顔で、それでも二人とも頷く。
「では、参りましょう」
先頭と殿に武装した――と言っても、ライフルを担いでいる以外は殆ど装備らしきものは持っていない――兵を配し、2番目にペーター少尉が、その少し後ろにユモと雪風、更にその後に未だ目を醒まさない少年を担架に載せて運ぶ二人の兵、と言う編成で、一行は歩き出す。高地の空気は薄く、呪いで心肺機能をサポートしているユモと雪風はともかく、担架の分だけ負担の大きい兵達はなかなかに苦しそうで、途中で何度か先頭と殿の兵と交代しあう。ペーター少尉にしてからが、こういった荒野を歩くには今ひとつ不向きな長靴のせいか、殆どユモと雪風に言葉をかけることなく歩く。
「この一月ほどで、ずいぶんと鍛えられた気がします」
それでも、ペーター少尉はユモと雪風に振り向きつつ、笑顔を作って言った。自分の苦しさを紛らわすためか、それとも、少女二人を退屈させないためか。
「はじめの頃は、高山病で動くのもままならなかったのですが」
「一月も、ここで何を?……っていうか、そもそも、ここはどこなんですか?」
呪いのおかげで――呪いがなくても有り余る体力でなんとかしただろうが――薄い大気をものともしていない雪風が、ある意味空気を読んでペーター少尉に尋ねる。
「チベットの奥地です。詳しくは、キャンプで地図をお見せしましょう……本当に、何も御存知ないのですね?」
「残念ながら、全く」
雪風は、肩をすくめる。俄には信じられないでしょうけれど、あたし達はここがどこで、どうやって事に来たか全く分からないんです。ユモと雪風は、ペーター少尉に声を揃えてそう訴えてあった。
粗めのため息をつきつつ、ペーター少尉は小さくかぶりを振った。
小一時間ほども歩いただろうか。一行はキャンプに到着し、ユモと雪風はそのままペーター少尉の執務用テントに案内された。少尉は、キャンプに着くなり当番兵に少年の手当てを命じ、またユモと雪風の分も追加して昼食の用意を命じた。
そんな時間なのか。雪風は、薄く、澄んだ大気を通して燦然と輝く太陽を見上げ、次に目立たないように左手首の腕時計――カシオのソーラー電波時計――をちらりと見て、あらぬ時間を指す短針長針と、現在が正午と仮定した場合の時差を記憶した。
執務席につき、ユモと雪風にも椅子を勧め、当番兵にお茶を持って来させたペーター少尉は、改めて二人に切り出す。
「歩いている間にも少し伺いましたが、改めて話を整理しましょう。まず、今日は1936年6月13日、運のいい事に、金曜では無く土曜日です。そしてもし、これが明日であれば、我々は屋外作業を行わない装備手入れ等に当てる日程なので、あなた方と出会う事もなかったかも知れません。二重の意味で、大変運が良かったと思います。そして」
ペーター少尉は、執務机の上の地図の一点を指差し、続ける。
「我々が今居るのはこのあたり。中央政府のあるラサから東におよそ350km、ツァンポ渓谷の奥、ナムチャバルワ山を含む山地の裾野にあたります」
地図から顔を上げて、ペーター少尉はユモと雪風を見た。
「我が調査小隊は、今回派遣された調査隊の中ではもっとも東に位置します……ああ、もちろん、我々を含む複数の先遣調査小隊は、チベット政府に正式な許可を得て入国しています。そして、そういう事情だからお目付役も居ます」
その言葉が合図だったかのようなタイミングで、テントの入口が薄くめくられる。するりとその隙間から入って来たのは、見目麗しいと言って良い容姿を持つ、現地人の若い女性だった。
「ああ、ドルマさん、丁度よかった。彼女たちを紹介します。先ほど遭難しているのを我々が保護した、ユモさんとユキさんです。ユモさん、ユキさん、こちらは、この地方の知事の御令嬢で、我々に便宜をはかって下さっているドルマ嬢です」
「はじめまして、国外の方ですね?ドルマです、お見知りおきを」
「ユモ・タンクよ。よろしく」
「タキ・ユキです。よろしくお願いします」
互いに握手しあい、挨拶を交わす。ほんのりと妖艶さも覗く微笑みを、ドルマは二人の少女に向けた。綺麗な人、ユキより年上だろうけど、二十歳にいっているかどうか。どうにも東洋人の年齢はよみずらい。ユモは、ドルマの容姿と年齢を値踏みする。
微かに、甘いバターと、これは白檀の香りか。匂いに敏感な雪風は、久々に嗅ぐ東洋の女性らしい匂い付け――今までは、そして今でも、西欧風の、ぶつかったら怪我しそうなくらい強烈なコロンの匂いが多かった――に、気が安らぐのを感じた。
「ドルマさん、私はこれから、昼食を摂りながら彼女たちと少しお話しをしようと思っています。ご同席されますか?」
「いえ、申し訳ありませんが、私はこれからナルブ閣下にこの件を報告に行かなければなりません。明日の昼迄にはもとると思います、それまで、彼女たちをよろしくお願いします」
「はい、それは、我々が保護したのですから。お任せ下さい。しかし、彼女たちの話を聞かなくて大丈夫ですか?」
「聞きたいのはやまやまですが、今から出ないと、私の足では日暮れまでにナルブ閣下の屋敷に着けそうにないので。しかし、大丈夫だと思います、ペーター様が到着される前に、事のあらましは無線で連絡を受けていますから。そのかわり、後で書類の提出をお願いします」
あの中に、通信兵がいたのか。そりゃ居るわよね。雪風は、ペーター少尉と邂逅した丘陵地で、ペーター少尉の後ろに控えていた数名の兵士の中に、アンテナを立てていた者が居たかどうか、記憶をたぐるが、そのつもりで見ていなかったのでよく思い出せない。だが、このキャンプに到着した時点で、受け入れ体勢が出来ていたのだから、まあ、そういう事、きっとあの曹長とやらが有能なのだろう。雪風は、そう結論する。
簡単な別れの挨拶を告げて、しゃなりとドルマはテントを出て行く。その後ろ姿を見送ったペーター少尉は、
「ナルブ閣下とは、この地方の知事のことです。ドルマさんはナルブ閣下の養女だと聞いています。つまり、正式な役人というわけではありません」
「綺麗な人でしたね」
「はい。それに、頭も切れます。我々の調査小隊は、おかげさまで大変助かっています」
ドルマと入れ替わるように、人数分の軍用ライ麦パンと飯ごう、スープの入った保温コンテナを抱えた給仕兵が入ってくる。
「それでは、食事にしましょう。大したものは用意出来ませんが、お口に合えば良いのですが」
ママと、ママによく似た誰かの呪いのかかった小箱。幾重にも重ねられたその小箱の封印を解き、そこに封じられた輝かない多面体を、さらにその中に封じられている人格『エマノン・ニーマント』を取り出し、うかつにも握りしめて『闇』を与えてしまった時。ユモは、縁もゆかりもない『知らない世界』に放り出された。
もしかしたら。ユモは思う。そうなること自体、ママには分かっていた、『見えて』いたのかも知れない。あるいは、全くでたらめに『時空跳躍』しているように見えて、実は何某かの意味があるのかもしれない。いずれにしても。
真っ先にユキの、使い魔一号の契約を結ぶことになった『聖狼』、人狼の血を引く娘、滝波雪風の元に『跳んだ』のは僥倖だった、本当に幸運だったと、ユモは改めて思った。そうでなければ、最初の『時空跳躍』のその先で、何も出来ずに果てていただろう、とも。
最初の『時空跳躍』でユキの元に出現し、直後、ユキを巻き込んで再び『時空跳躍』して以降、どれくらいの時間が過ぎただろう。どれくらいの時間と土地を訪れただろう。
法則性は、見えない。かろうじて、最初の一回を例外として、どうやら自分がいた時間より未来には跳ばないこと、そしてなにより、跳ぶきっかけが『日蝕』である事は分かった。分かっていることは、逆に言えば、それだけ。跳んだ先での、次の日蝕までの時間もまちまち。次の日蝕の最中に跳び出したこともあれば、丸々一月近く時間が空いたこともあった。
跳び出した先で言葉が通じないのは当たり前、そこは自分達にかけてある『言葉を通じせしむ呪い』で乗り切れるが、なにしろどの時代の、どこに出るか分からない。文化も常識も違うなら、そこは異世界と言っても間違いじゃない、そんな事をユキと愚痴りあい、助け合い、時にケンカしながら乗りきってきた日々。いつ終わるか全く先の見えない、果てしない旅の日々。
だからこそ。
「……ありがとね」
ユモは、隣を歩く雪風にだけ聞こえるような小声で、呟く。
「ん?」
「さっき。あたし、油断してたから」
「ああ、その事」
前を向いたまま歩きながら、雪風が答える。
「分からないでもないから。ま、そん時はお互い様って事で」
素っ気なく答えた、でもその裏にある優しさを汲み取って、ユモは思う。
――気の利く相棒で、本当によかった――
先ほど、母国語を聞いた途端に溢れ出した感情、懐かしさ、嬉しさ、安心感。そういったものでいっぱいになり、一瞬で溢れ出しそうに、はちきれそうになった胸の熱さと共に、ユモは本心からそう思った。
あの後、ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は、さらに後方に控えていた数名の兵に、倒れていた少年を即席の担架で運ぶよう命じ、さらにやや年かさの兵に追加の命令を出した。
「では、本日の以降の業務は曹長に一任します。よろしいか?」
「了解です、少尉殿」
「私は、お嬢さん方を連れてキャンプに戻ります。担架の運搬に二人、担架交代と警戒にもう二人、兵を連れて行きます」
「はい」
互いに敬礼を交わし、曹長は残りの兵を率いていずこかへと早足で去って行く。
「残念ながらここには車はありません。少々歩きますが、よろしいか?」
ペーター少尉の言葉に、雪風は笑顔で、ユモは露骨に嫌な顔で、それでも二人とも頷く。
「では、参りましょう」
先頭と殿に武装した――と言っても、ライフルを担いでいる以外は殆ど装備らしきものは持っていない――兵を配し、2番目にペーター少尉が、その少し後ろにユモと雪風、更にその後に未だ目を醒まさない少年を担架に載せて運ぶ二人の兵、と言う編成で、一行は歩き出す。高地の空気は薄く、呪いで心肺機能をサポートしているユモと雪風はともかく、担架の分だけ負担の大きい兵達はなかなかに苦しそうで、途中で何度か先頭と殿の兵と交代しあう。ペーター少尉にしてからが、こういった荒野を歩くには今ひとつ不向きな長靴のせいか、殆どユモと雪風に言葉をかけることなく歩く。
「この一月ほどで、ずいぶんと鍛えられた気がします」
それでも、ペーター少尉はユモと雪風に振り向きつつ、笑顔を作って言った。自分の苦しさを紛らわすためか、それとも、少女二人を退屈させないためか。
「はじめの頃は、高山病で動くのもままならなかったのですが」
「一月も、ここで何を?……っていうか、そもそも、ここはどこなんですか?」
呪いのおかげで――呪いがなくても有り余る体力でなんとかしただろうが――薄い大気をものともしていない雪風が、ある意味空気を読んでペーター少尉に尋ねる。
「チベットの奥地です。詳しくは、キャンプで地図をお見せしましょう……本当に、何も御存知ないのですね?」
「残念ながら、全く」
雪風は、肩をすくめる。俄には信じられないでしょうけれど、あたし達はここがどこで、どうやって事に来たか全く分からないんです。ユモと雪風は、ペーター少尉に声を揃えてそう訴えてあった。
粗めのため息をつきつつ、ペーター少尉は小さくかぶりを振った。
小一時間ほども歩いただろうか。一行はキャンプに到着し、ユモと雪風はそのままペーター少尉の執務用テントに案内された。少尉は、キャンプに着くなり当番兵に少年の手当てを命じ、またユモと雪風の分も追加して昼食の用意を命じた。
そんな時間なのか。雪風は、薄く、澄んだ大気を通して燦然と輝く太陽を見上げ、次に目立たないように左手首の腕時計――カシオのソーラー電波時計――をちらりと見て、あらぬ時間を指す短針長針と、現在が正午と仮定した場合の時差を記憶した。
執務席につき、ユモと雪風にも椅子を勧め、当番兵にお茶を持って来させたペーター少尉は、改めて二人に切り出す。
「歩いている間にも少し伺いましたが、改めて話を整理しましょう。まず、今日は1936年6月13日、運のいい事に、金曜では無く土曜日です。そしてもし、これが明日であれば、我々は屋外作業を行わない装備手入れ等に当てる日程なので、あなた方と出会う事もなかったかも知れません。二重の意味で、大変運が良かったと思います。そして」
ペーター少尉は、執務机の上の地図の一点を指差し、続ける。
「我々が今居るのはこのあたり。中央政府のあるラサから東におよそ350km、ツァンポ渓谷の奥、ナムチャバルワ山を含む山地の裾野にあたります」
地図から顔を上げて、ペーター少尉はユモと雪風を見た。
「我が調査小隊は、今回派遣された調査隊の中ではもっとも東に位置します……ああ、もちろん、我々を含む複数の先遣調査小隊は、チベット政府に正式な許可を得て入国しています。そして、そういう事情だからお目付役も居ます」
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「ああ、ドルマさん、丁度よかった。彼女たちを紹介します。先ほど遭難しているのを我々が保護した、ユモさんとユキさんです。ユモさん、ユキさん、こちらは、この地方の知事の御令嬢で、我々に便宜をはかって下さっているドルマ嬢です」
「はじめまして、国外の方ですね?ドルマです、お見知りおきを」
「ユモ・タンクよ。よろしく」
「タキ・ユキです。よろしくお願いします」
互いに握手しあい、挨拶を交わす。ほんのりと妖艶さも覗く微笑みを、ドルマは二人の少女に向けた。綺麗な人、ユキより年上だろうけど、二十歳にいっているかどうか。どうにも東洋人の年齢はよみずらい。ユモは、ドルマの容姿と年齢を値踏みする。
微かに、甘いバターと、これは白檀の香りか。匂いに敏感な雪風は、久々に嗅ぐ東洋の女性らしい匂い付け――今までは、そして今でも、西欧風の、ぶつかったら怪我しそうなくらい強烈なコロンの匂いが多かった――に、気が安らぐのを感じた。
「ドルマさん、私はこれから、昼食を摂りながら彼女たちと少しお話しをしようと思っています。ご同席されますか?」
「いえ、申し訳ありませんが、私はこれからナルブ閣下にこの件を報告に行かなければなりません。明日の昼迄にはもとると思います、それまで、彼女たちをよろしくお願いします」
「はい、それは、我々が保護したのですから。お任せ下さい。しかし、彼女たちの話を聞かなくて大丈夫ですか?」
「聞きたいのはやまやまですが、今から出ないと、私の足では日暮れまでにナルブ閣下の屋敷に着けそうにないので。しかし、大丈夫だと思います、ペーター様が到着される前に、事のあらましは無線で連絡を受けていますから。そのかわり、後で書類の提出をお願いします」
あの中に、通信兵がいたのか。そりゃ居るわよね。雪風は、ペーター少尉と邂逅した丘陵地で、ペーター少尉の後ろに控えていた数名の兵士の中に、アンテナを立てていた者が居たかどうか、記憶をたぐるが、そのつもりで見ていなかったのでよく思い出せない。だが、このキャンプに到着した時点で、受け入れ体勢が出来ていたのだから、まあ、そういう事、きっとあの曹長とやらが有能なのだろう。雪風は、そう結論する。
簡単な別れの挨拶を告げて、しゃなりとドルマはテントを出て行く。その後ろ姿を見送ったペーター少尉は、
「ナルブ閣下とは、この地方の知事のことです。ドルマさんはナルブ閣下の養女だと聞いています。つまり、正式な役人というわけではありません」
「綺麗な人でしたね」
「はい。それに、頭も切れます。我々の調査小隊は、おかげさまで大変助かっています」
ドルマと入れ替わるように、人数分の軍用ライ麦パンと飯ごう、スープの入った保温コンテナを抱えた給仕兵が入ってくる。
「それでは、食事にしましょう。大したものは用意出来ませんが、お口に合えば良いのですが」
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