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「ギリギリ、間に合いましたな」
 河の市かわのいちが、少し先の地面の一点を見つめながら、言う。
「やーもー、急かすわけにもいかないじゃない?ま、結果オーライで」
 蘭鰍あららぎ かじかも、同じ一点を見つめている。
「ここは一体……あなたたちは……」
 梅野なずなが、河の市と鰍を見つつ、聞く。
「お前は、なずなか?……そうか、ここは夢の中か」
 梅野松蔵が呟く。その姿を見て、なずなは初めて気付く。
「旦那様、そのお姿は?」
「お前こそ。懐かしいな……なるほど、夢だ」
 松蔵が微笑んだ。その松蔵の姿は、身なりも年格好も、なずなの記憶にある、祝言を挙げた夜の寝間着姿そのままだった。
 そうか、夢なのか。さっきまで見ていた夢の、記憶の続き。だから、旦那様は若いお姿で。なずなは納得し、そして、自分も同じように、祝言の夜の寝間着姿である事に気付いた。
「夢、ですか?」
 なずなが、松蔵に聞く。
「ああ、懐かしい夢を見ていた。お前と出会った頃からの夢だ」
「二人まとめてとは、恐れ入りやすな」
 河の市が、二人に近づきつつ言う。
「力業ならまーかせといて。で、これ」
 鰍も二人に近づき、手に持っているものをなずなに見せる。
「それは……」
 なずなが持っていたはずの懐刀。それが何故か、抜き身になって鰍の手の中にある。
「時間無いからかいつまんで言うわ。もうすぐ、ぬしが出てくる。アタシ達でしばらく時間を稼ぐから、あなたたちでどうするか決めて」
「どうするって、どういう事?」
 抜き身の懐刀を鰍から渡されて、なずなが問う。
「あの主さんは、あんたの思いが強すぎてこの世に縛られていらっしゃる。その刀で、どっちの思いを断ち切るか、って事でさ」
 河の市がなずなに言う。
「思いを、断ち切る……?」
 呟くなずなに、河の市と鰍が頷く。
「主……まさか、沼の主の事か?」
 松蔵が河の市に聞く。河の市は頷いて、
「その通りで。御存知で?」
「……そうか、そう言う事か……」
 何かが腑に落ちた松蔵は、鰍と河の市に向き直り、聞く。
「少し、妻と話したい。時間はあるだろうか?」
「なるべく手短に頼みやす」
「終わったら声かけて……来るわよ」
 鰍が言い終わるのを待たず、地鳴りが響き始める。
「待って、何が来るの?断ち切るって、思いって、何?」
 理解出来ていないなずなが聞く。
「先行くわよ!」
 大きく鳴り続ける地鳴りの中、盛り上がり、裂け始めた地の一点めがけ、鰍が飛び出した。
 その姿が、ケアセンターの作業服姿だった少女の姿が、瞬きする間に黒いライダースーツに替わっている。
「……奥方は、どうやらずいぶん負い目を感じていなさるご様子。それが、どうにも主さんが成仏出来ずにこの世に留まっちまってる原因ですな」
 踏ん張らないと立っていられない程に地が揺れ、裂け目から黒い、巨大な何かが飛び出してくる。飛び出しざまの、身の丈で五倍はありそうなそれに、鰍はものすごい勢いで体当たりをかまし、突き飛ばす。
 その様子を見ながら、河の市はのんびりと答えた。
「そんな……私の……?」
「初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、法要の間隔がだんだん長くなるのは、ご遺族がゆっくりと忘れていくためでもありやして。この世が忘れてやらねぇと、あの世も未練が残っちまうもんらしいでさ」
「では、俺たちが慰霊していたのは」
「そっちは問題ありやせん、むしろあの世で功徳が積めるってもんで。旦那はご遺族じゃあござんせんから」
「では、私は、どうしたら……」
 地響きが、鰍の怒声が離れた所から聞こえる。パワーで勝る相手を、スピードで翻弄している。その様子を、心配そうに見ながら、なずなが聞く。
「さあて。主殿への思いを断ち切って人になりきるか、旦那を切り捨てて主の娘に戻るか、決めなさるなぁ奥方さんだ、少し相談なさるといい。あたしはちょいと加勢して来まさ」
 言って、河の市は錫杖を担ぐと飄々と歩き出す。
「……」
「なずな、これは俺の夢か、それともお前の夢か?」
 河の市を見送るなずなに、松蔵が声をかける。
「……どうやら、私の夢と、旦那様の夢が、繋がっているようです」
「そうか……なら、聞いてくれるか?俺は、お前に言わなければならない事がある」
 主を翻弄するのに加わった河の市を見ながら、松蔵が言う。
「覚えているか、俺が十五の時だったか、十六だったか、沼で釣りでもしようと思ったら、お前が裸で水から上がってきた」
「覚えています。私は、十二でした」
 鰍も、河の市も、ただ、主を翻弄している。
 その様子を見ながら、松蔵は言葉を続ける。
「お前が気付いていなかったと思うが、俺はその後も、何度か、お前が沼で泳ぐのを見た」
 はっとして、なずなは松蔵を見る。
 松蔵は、二十四歳のその若い顔を少し赤らめて言う。
「俺は、お前の裸が見たかったんだ。お前は、あれから夜泳ぐようにしていたな。それが、俺には本当に美しくて、悪いと思いつつも、何度か見に行った。だから、知っていたんだよ」
 なずなは、固唾を飲んだ。
「お前が、あの主に連なる何かだろうという事は」
 なずなは、一歩後じさる。
「月夜に泳ぐお前は、本当に綺麗だった。だからかも知れんが、お前が魚に変じた時、俺は、ああそうか、と納得したんだ。きっと神様仏様が、俺に、主の子を幸せにする役目をくれたんだと」
 松蔵は、少し距離を取っていたなずなを、半ば強引に抱き寄せた。
「目が覚めている間は、気恥ずかしくて言った事がなかったな。だが、ここは俺の夢の中なら言えるぞ。ずっと前から、なずな、お前が好きだった。勿論、今でもだ」
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