2 / 16
雑居ビルの鍵貸します_02
しおりを挟む
その日、外回り営業の合間に、昼食を摂りにわざわざ先輩と別れてその店に柾木が寄ったのは、偶然というわけではなかった。
新宿、歌舞伎町二丁目。区役所通りから西に一本入った雑居ビル街。その中でも、見るからに鄙びた昭和テイストの雑居ビル、四階建てに十軒以上のテナントが入っているらしいそのビルの二階に、目的のスナック「轆轤」はあった。聞くところによれば、夜はスナック営業だが、昼は小料理屋的に定食など出しているという。こういう雰囲気の店は全く持って初めての柾木は、唾を飲むと意を決して階段を上がった。
「こんなに頂けるんですか?」
柾木がスナック「轆轤」に入ろうとする数日前。仕事がオフの日に「協会」から呼び出された柾木は、西条玲子と共に東銀座の喫茶店「ファン・ゴッホ」に居た。
「スポット契約で、必要経費相当の消費材もなし、特殊技能なしという事で、拘束時間からこのようになっております。特に指定がなければ、NPO法人「協会」からの作業報酬として銀行振り込みとなります、課税対象になりますのでご注意下さい」
「協会」の経理担当、笠原弘美が事務的に答える。
NPO法人だったのか。何をどうやって法人登録したんだ?柾木は、ものすごく聞いてみたかったが、そこには色々なタブーがありそうなので聞かない方がいいだろう事は理解出来た。
「……参考までに聞いて良いですか?消費材とか、特殊技能って、いや、聞かなくても解る気はするんですが」
それでも、聞かずもがなであるとは思いつつも、柾木は思わずそこは聞かずにはおれなかった。
「消費材とは、おふだ、聖水、その他使い捨ての呪術道具一式ですね。弾薬なども含まれます。不正使用や過剰請求防止のために、ハンターにはレポートの提出を義務づけてます」
冷静に考えるとかなり物騒な事を、微笑みながらさらりと通常業務であるかのように弘美は言う。
「特殊技能は格闘技の有段者やタイトル保持者から、そう言った客観的位置づけの難しい妖術の使い手まで色々です。スポット契約の場合はこれらの評価難しいので、ほとんどの場合は一律に該当なしになります。お試し契約していただければ、お持ちの技能に見合った判定をいたしますけど?」
明らかに契約を勧める目つきで、弘美は柾木と玲子を交互に見る。
「そう言われましても……俺みたいな一般人の出る幕じゃなさそうですけど」
「あら?円さんから、北条さんは「交渉人」として見所ありそう、って伺ってるんですが?」
遠慮八割不安二割で返事する柾木に、弘美が畳みかけた。
「ネゴシエイター、ですか?」
「はい。「協会」の業務はどちらかというとネゴシエイターの方がはるかに需要も多く、常に人材不足なんです」
「そうなんですか?」
「はい、「協会」の業務のほとんどはいわゆる民事ですし、ハンターの方もほとんどは実際にはハンター兼ネゴシエイターという扱いですね」
「はあ……」
なんか、イメージ違うな。先日、ノーザンハイランダー号に潜入する直前に契約書にサインさせられた時も思ったが、NPO法人として登録されている事もあり、「協会」とはもしかしたら本当にお役所的な何かなのかも知れないと、柾木は思う。
そう思って、手元の契約金支払いの明細を見直す。そこには、総額としては大したことは無いが、実働八時間ほどとして時給換算にすると自分の本来業務である日販自動車でのサラリーの倍ほどになる金額が記載されている。NPO法人が支払う報酬としては、破格であるとは言えるだろう。
「……そこでなんですが、北条さん。改めまして、ネゴシエイターとしてお仕事を一つ、引き受けて下さる気はありませんか?」
「……はい?」
「歌舞伎町で頓挫している立ち退き交渉がありまして、「協会」に調停依頼が来てるんです。状況確認だけでも結構ですので、見てきていただけないでしょうか?」
「お待ち下さい、柾木様はまだ、やるとはおっしゃってません!」
柾木が反論するより早く、それまで黙って聞いていた玲子が声をあげた。
「あら……これは失礼しました。でも、引き受けていただけますよね?」
笑顔で、弘美が畳みかける。若い女性の営業担当だけが使える必殺技だ、新人男性営業マンである柾木はそう理解する。が。
「……とりあえず、お話しだけは聞きます、それからの判断でもいいですか?」
「柾木様!」
玲子の批難をよそに、柾木は考える。面倒ごとは正直ごめんだが、興味がないわけではない。「協会」に持ち込まれる案件なら、依頼者側か相手側か、どうせまっとうな依頼ではない。手に負えないと思った時点で投げてもいいような口ぶりだから、とにかく話聞いて、自分でも出来そうなら……
柾木には、自分の力を試してみたい気持ちがあった。それは、東大と対等、とは言わないがなんとかやり合えた事実と、その後に自分の肉体修復その他について蘭円から協力を取り付けた事が、もしかしたら交渉事でやっていけるんじゃないかという自信に繋がっていたからであった。自惚れたらいけない、そうは思っても、じゃあ、どこでその線を引くかというのは、まだ経験の浅い、浅すぎる柾木には難しい注文だった。
まるでその柾木の心の奥を見透かしたかのように、弘美は微笑み、言葉を続ける。
「もちろん、構いません。状況としては、雑居ビルのオーナーが、消防法や耐震性の問題からビル建て直しの為にテナントに退去を求めているのですが、テナント側が拒否しているという構図になります」
「見てくるだけで良いって、双方の言い分だけ聞いてくれば良いって事ですか?」
「まあ、そういう事になりますね。手に余りそうなら、別のネゴシエイターに担当を替わる事は可能です」
「テナントは何軒?」
「手元の資料では、えっと、八軒ですね。ただ、まずテナントをまとめているお店のママさんと話をされるべきかと思います」
「町会長的な?」
「そんな感じでしょうか」
「オーナー側は?」
「そちらは、少々手続きが必要です。いずれにしろ、どちらにお話しに行かれるにしても「協会」からアポイントメントを取ってからの方が良いでしょう」
「……」
「……柾木様?」
玲子の問いかけにはトゲがある。迂闊な返事をするなと警告しているのだ。だが、
「……もう一つ、どっちが、「人じゃない側」なんですか?」
「柾木様!」
鋭い玲子の声が飛ぶ。だが、弘美は、全くそれを気に留めず、言う。
「テナント側と聞いてます」
新宿、歌舞伎町二丁目。区役所通りから西に一本入った雑居ビル街。その中でも、見るからに鄙びた昭和テイストの雑居ビル、四階建てに十軒以上のテナントが入っているらしいそのビルの二階に、目的のスナック「轆轤」はあった。聞くところによれば、夜はスナック営業だが、昼は小料理屋的に定食など出しているという。こういう雰囲気の店は全く持って初めての柾木は、唾を飲むと意を決して階段を上がった。
「こんなに頂けるんですか?」
柾木がスナック「轆轤」に入ろうとする数日前。仕事がオフの日に「協会」から呼び出された柾木は、西条玲子と共に東銀座の喫茶店「ファン・ゴッホ」に居た。
「スポット契約で、必要経費相当の消費材もなし、特殊技能なしという事で、拘束時間からこのようになっております。特に指定がなければ、NPO法人「協会」からの作業報酬として銀行振り込みとなります、課税対象になりますのでご注意下さい」
「協会」の経理担当、笠原弘美が事務的に答える。
NPO法人だったのか。何をどうやって法人登録したんだ?柾木は、ものすごく聞いてみたかったが、そこには色々なタブーがありそうなので聞かない方がいいだろう事は理解出来た。
「……参考までに聞いて良いですか?消費材とか、特殊技能って、いや、聞かなくても解る気はするんですが」
それでも、聞かずもがなであるとは思いつつも、柾木は思わずそこは聞かずにはおれなかった。
「消費材とは、おふだ、聖水、その他使い捨ての呪術道具一式ですね。弾薬なども含まれます。不正使用や過剰請求防止のために、ハンターにはレポートの提出を義務づけてます」
冷静に考えるとかなり物騒な事を、微笑みながらさらりと通常業務であるかのように弘美は言う。
「特殊技能は格闘技の有段者やタイトル保持者から、そう言った客観的位置づけの難しい妖術の使い手まで色々です。スポット契約の場合はこれらの評価難しいので、ほとんどの場合は一律に該当なしになります。お試し契約していただければ、お持ちの技能に見合った判定をいたしますけど?」
明らかに契約を勧める目つきで、弘美は柾木と玲子を交互に見る。
「そう言われましても……俺みたいな一般人の出る幕じゃなさそうですけど」
「あら?円さんから、北条さんは「交渉人」として見所ありそう、って伺ってるんですが?」
遠慮八割不安二割で返事する柾木に、弘美が畳みかけた。
「ネゴシエイター、ですか?」
「はい。「協会」の業務はどちらかというとネゴシエイターの方がはるかに需要も多く、常に人材不足なんです」
「そうなんですか?」
「はい、「協会」の業務のほとんどはいわゆる民事ですし、ハンターの方もほとんどは実際にはハンター兼ネゴシエイターという扱いですね」
「はあ……」
なんか、イメージ違うな。先日、ノーザンハイランダー号に潜入する直前に契約書にサインさせられた時も思ったが、NPO法人として登録されている事もあり、「協会」とはもしかしたら本当にお役所的な何かなのかも知れないと、柾木は思う。
そう思って、手元の契約金支払いの明細を見直す。そこには、総額としては大したことは無いが、実働八時間ほどとして時給換算にすると自分の本来業務である日販自動車でのサラリーの倍ほどになる金額が記載されている。NPO法人が支払う報酬としては、破格であるとは言えるだろう。
「……そこでなんですが、北条さん。改めまして、ネゴシエイターとしてお仕事を一つ、引き受けて下さる気はありませんか?」
「……はい?」
「歌舞伎町で頓挫している立ち退き交渉がありまして、「協会」に調停依頼が来てるんです。状況確認だけでも結構ですので、見てきていただけないでしょうか?」
「お待ち下さい、柾木様はまだ、やるとはおっしゃってません!」
柾木が反論するより早く、それまで黙って聞いていた玲子が声をあげた。
「あら……これは失礼しました。でも、引き受けていただけますよね?」
笑顔で、弘美が畳みかける。若い女性の営業担当だけが使える必殺技だ、新人男性営業マンである柾木はそう理解する。が。
「……とりあえず、お話しだけは聞きます、それからの判断でもいいですか?」
「柾木様!」
玲子の批難をよそに、柾木は考える。面倒ごとは正直ごめんだが、興味がないわけではない。「協会」に持ち込まれる案件なら、依頼者側か相手側か、どうせまっとうな依頼ではない。手に負えないと思った時点で投げてもいいような口ぶりだから、とにかく話聞いて、自分でも出来そうなら……
柾木には、自分の力を試してみたい気持ちがあった。それは、東大と対等、とは言わないがなんとかやり合えた事実と、その後に自分の肉体修復その他について蘭円から協力を取り付けた事が、もしかしたら交渉事でやっていけるんじゃないかという自信に繋がっていたからであった。自惚れたらいけない、そうは思っても、じゃあ、どこでその線を引くかというのは、まだ経験の浅い、浅すぎる柾木には難しい注文だった。
まるでその柾木の心の奥を見透かしたかのように、弘美は微笑み、言葉を続ける。
「もちろん、構いません。状況としては、雑居ビルのオーナーが、消防法や耐震性の問題からビル建て直しの為にテナントに退去を求めているのですが、テナント側が拒否しているという構図になります」
「見てくるだけで良いって、双方の言い分だけ聞いてくれば良いって事ですか?」
「まあ、そういう事になりますね。手に余りそうなら、別のネゴシエイターに担当を替わる事は可能です」
「テナントは何軒?」
「手元の資料では、えっと、八軒ですね。ただ、まずテナントをまとめているお店のママさんと話をされるべきかと思います」
「町会長的な?」
「そんな感じでしょうか」
「オーナー側は?」
「そちらは、少々手続きが必要です。いずれにしろ、どちらにお話しに行かれるにしても「協会」からアポイントメントを取ってからの方が良いでしょう」
「……」
「……柾木様?」
玲子の問いかけにはトゲがある。迂闊な返事をするなと警告しているのだ。だが、
「……もう一つ、どっちが、「人じゃない側」なんですか?」
「柾木様!」
鋭い玲子の声が飛ぶ。だが、弘美は、全くそれを気に留めず、言う。
「テナント側と聞いてます」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
加護を疑われ婚約破棄された後、帝国皇子の契約妃になって隣国を豊かに立て直しました
黎
ファンタジー
幼い頃、神獣ヴァレンの加護を期待され、ロザリアは王家に買い取られて王子の婚約者となった。しかし、侍女を取り上げられ、将来の王妃だからと都合よく仕事を押し付けられ、一方で、公爵令嬢があたかも王子の婚約者であるかのように振る舞う。そんな風に冷遇されながらも、ロザリアはヴァレンと共にたくましく生き続けてきた。
そんな中、王子がロザリアに「君との婚約では神獣の加護を感じたことがない。公爵令嬢が加護を持つと判明したし、彼女と結婚する」と婚約破棄をつきつける。
家も職も金も失ったロザリアは、偶然出会った帝国皇子ラウレンツに雇われることになる。元皇妃の暴政で荒廃した帝国を立て直そうとする彼の契約妃となったロザリアは、ヴァレンの力と自身の知恵と経験を駆使し、帝国を豊かに復興させていき、帝国とラウレンツの心に希望を灯す存在となっていく。
*短編に続きをとのお声をたくさんいただき、始めることになりました。引き続きよろしくお願いします。
【完結24万pt感謝】子息の廃嫡? そんなことは家でやれ! 国には関係ないぞ!
宇水涼麻
ファンタジー
貴族達が会する場で、四人の青年が高らかに婚約解消を宣った。
そこに国王陛下が登場し、有無を言わさずそれを認めた。
慌てて否定した青年たちの親に、国王陛下は騒ぎを起こした責任として罰金を課した。その金額があまりに高額で、親たちは青年たちの廃嫡することで免れようとする。
貴族家として、これまで後継者として育ててきた者を廃嫡するのは大変な決断である。
しかし、国王陛下はそれを意味なしと袖にした。それは今回の集会に理由がある。
〰️ 〰️ 〰️
中世ヨーロッパ風の婚約破棄物語です。
完結しました。いつもありがとうございます!
悪役令嬢は処刑されました
菜花
ファンタジー
王家の命で王太子と婚約したペネロペ。しかしそれは不幸な婚約と言う他なく、最終的にペネロペは冤罪で処刑される。彼女の処刑後の話と、転生後の話。カクヨム様でも投稿しています。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる