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 六年前のその日、夢魔狩人人事局新人部部長となったばかりの矢部氏は、清滝きよたき一家のアパートの前で、雨に打たれていた。もう、かれこれ数時間になろうか。今夜、必ず現れるという夢魔を封じ、そして、新たな狩人を得るため、配下の者数名とこうして張り込んでいるのだ。純粋に事務畑出身の氏にとって、こういったミッションは得手ではないのだが、スカウトも仕事のうちなのだからまあ仕方がない。とは言え……
「お疑いですか?彼女たちの力を?」
 ぎょっとして、彼は声のした方を向く。いつ現れたのやら、そこには黒いワンピースをまとった女性が、一人の従者とともにたたずんでいた。

 タイトなワンピースに黒い手袋、黒いストッキング。目深にかむったつば広の帽子とベールのため、その表情は知る由もないが、わずかにのぞく血塗られたように紅い唇と、ぬけるように白い肌のコントラストは妖しくも美しい。
「いや、そういう訳では……」
 しどろもどろに矢部氏が答える。女は、あかりのともった窓を見すえたまま、
「彼女たちの清滝という名は、本当のうじではありません」
「と、言うと?」
あららぎ。それが本来、彼女達一族に与えられた氏です。もう、何百年も昔の話ですが……」
「?」
「蘭、とはあて字で、「荒らぐ」がなまった言い方なのです。昔から、鬼神も道をあける猛者、と恐れられたものです」
 紅い唇から流れる言葉は、まるで当時を知る者のそれだ。
「その蘭の娘たちです。小娘といえど、あなどれませんよ」
「はあ……」
 なんとなく、矢部氏は拍子抜けしてしまった。あまりにもとっぴょうしもない話だからだ。
 ――あんな小娘が、ねぇ……――

 かじかを寝かしつけたかおるが、居間にもどってきた。無言で、ともえは新しく茶をつぎなおし、渡す。二人とも、あまりの事に一体何をしたらいいのか解らなかった。
 父と母が死んだ。それも、ズタズタに引き裂かれて。その知らせを聞いたのは何時間前だったろう。
 巴は、黙々とちゃぶ台の上を片づけていた。何かしていないと、気が狂ってしまいそうだった。今にも、足下が崩れそうだった。泣きたかった。大声で、誰はばかることなく。
 しかし、妹達の前ではそうはいかない。
 巴は、ただ耐えるしかなかった。
 馨は、声を殺して泣いていた。鰍の前でこそ涙は見せなかったが、もう限界だった。これ以上こらえようとも思わなかった。大声こそあげないものの、あふれる涙は止めようもなかった。

 当時、長女の巴にしたところで中学に上がったばかりだった。両親を、一瞬にして亡くした彼女達の悲しみはいかほどだったろうか。
 死因は不明だった。どこかの空き地で、おり重なるように、半ば肉塊と化した死体がころがっていたそうだ。凶器も断定出来なかった。相当鋭利な刃物で、人間ばなれした力で引き裂かれていたという。
 通夜の夜。今は白木の箱におさまった両親の前で、馨は、ちゃぶ台に突っぷして泣いていた。歯を食いしばって。豊かな黒髪をふりみだして。畳に爪をたてて。憎かった。両親を殺した相手が。だが、その憎しみをどこへぶつければいいのか、馨は知らなかった。
 そして、それ以上に、悲しかった。
 洗い物をしていた巴の手がとまった。真新しい、入ったばかりの中学の制服のまま、ただ機械的に通夜の支度をしていた巴。頬を涙がひとしずく流れた。もうとまらなかった。ぽろぽろと涙がこぼれた。セーラー服の肩が震えていた。

夢魅姫ゆめみひめ、一体、何者です?あの娘達の親を殺ったのは?」
 矢部氏が聞く。リンカーンのリムジンの中である。いつまでも冷たい雨にうたれ続けるのは矢部氏にとっても痛快とは言えなかった。
「魔物、それも、ただの魔ではありません」
 夢魅姫と呼ばれた女は答えた。車の中だというのに帽子をとろうとはしていない。
「夢魔としての力をも持ち合わせた、少々やっかいな相手です。もっとも……」
 アパートに目を向ける。
「……それはあの娘達とて同じですけど」
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