2 / 5
02
しおりを挟む
六年前のその日、夢魔狩人人事局新人部部長となったばかりの矢部氏は、清滝一家のアパートの前で、雨に打たれていた。もう、かれこれ数時間になろうか。今夜、必ず現れるという夢魔を封じ、そして、新たな狩人を得るため、配下の者数名とこうして張り込んでいるのだ。純粋に事務畑出身の氏にとって、こういったミッションは得手ではないのだが、スカウトも仕事のうちなのだからまあ仕方がない。とは言え……
「お疑いですか?彼女たちの力を?」
ぎょっとして、彼は声のした方を向く。いつ現れたのやら、そこには黒いワンピースをまとった女性が、一人の従者とともにたたずんでいた。
タイトなワンピースに黒い手袋、黒いストッキング。目深にかむったつば広の帽子とベールのため、その表情は知る由もないが、わずかにのぞく血塗られたように紅い唇と、ぬけるように白い肌のコントラストは妖しくも美しい。
「いや、そういう訳では……」
しどろもどろに矢部氏が答える。女は、あかりのともった窓を見すえたまま、
「彼女たちの清滝という名は、本当の氏ではありません」
「と、言うと?」
「蘭。それが本来、彼女達一族に与えられた氏です。もう、何百年も昔の話ですが……」
「?」
「蘭、とはあて字で、「荒らぐ」がなまった言い方なのです。昔から、鬼神も道をあける猛者、と恐れられたものです」
紅い唇から流れる言葉は、まるで当時を知る者のそれだ。
「その蘭の娘たちです。小娘といえど、あなどれませんよ」
「はあ……」
なんとなく、矢部氏は拍子抜けしてしまった。あまりにもとっぴょうしもない話だからだ。
――あんな小娘が、ねぇ……――
鰍を寝かしつけた馨が、居間にもどってきた。無言で、巴は新しく茶をつぎなおし、渡す。二人とも、あまりの事に一体何をしたらいいのか解らなかった。
父と母が死んだ。それも、ズタズタに引き裂かれて。その知らせを聞いたのは何時間前だったろう。
巴は、黙々とちゃぶ台の上を片づけていた。何かしていないと、気が狂ってしまいそうだった。今にも、足下が崩れそうだった。泣きたかった。大声で、誰はばかることなく。
しかし、妹達の前ではそうはいかない。
巴は、ただ耐えるしかなかった。
馨は、声を殺して泣いていた。鰍の前でこそ涙は見せなかったが、もう限界だった。これ以上こらえようとも思わなかった。大声こそあげないものの、あふれる涙は止めようもなかった。
当時、長女の巴にしたところで中学に上がったばかりだった。両親を、一瞬にして亡くした彼女達の悲しみはいかほどだったろうか。
死因は不明だった。どこかの空き地で、おり重なるように、半ば肉塊と化した死体がころがっていたそうだ。凶器も断定出来なかった。相当鋭利な刃物で、人間ばなれした力で引き裂かれていたという。
通夜の夜。今は白木の箱におさまった両親の前で、馨は、ちゃぶ台に突っぷして泣いていた。歯を食いしばって。豊かな黒髪をふりみだして。畳に爪をたてて。憎かった。両親を殺した相手が。だが、その憎しみをどこへぶつければいいのか、馨は知らなかった。
そして、それ以上に、悲しかった。
洗い物をしていた巴の手がとまった。真新しい、入ったばかりの中学の制服のまま、ただ機械的に通夜の支度をしていた巴。頬を涙がひとしずく流れた。もうとまらなかった。ぽろぽろと涙がこぼれた。セーラー服の肩が震えていた。
「夢魅姫、一体、何者です?あの娘達の親を殺ったのは?」
矢部氏が聞く。リンカーンのリムジンの中である。いつまでも冷たい雨にうたれ続けるのは矢部氏にとっても痛快とは言えなかった。
「魔物、それも、ただの魔ではありません」
夢魅姫と呼ばれた女は答えた。車の中だというのに帽子をとろうとはしていない。
「夢魔としての力をも持ち合わせた、少々やっかいな相手です。もっとも……」
アパートに目を向ける。
「……それはあの娘達とて同じですけど」
「お疑いですか?彼女たちの力を?」
ぎょっとして、彼は声のした方を向く。いつ現れたのやら、そこには黒いワンピースをまとった女性が、一人の従者とともにたたずんでいた。
タイトなワンピースに黒い手袋、黒いストッキング。目深にかむったつば広の帽子とベールのため、その表情は知る由もないが、わずかにのぞく血塗られたように紅い唇と、ぬけるように白い肌のコントラストは妖しくも美しい。
「いや、そういう訳では……」
しどろもどろに矢部氏が答える。女は、あかりのともった窓を見すえたまま、
「彼女たちの清滝という名は、本当の氏ではありません」
「と、言うと?」
「蘭。それが本来、彼女達一族に与えられた氏です。もう、何百年も昔の話ですが……」
「?」
「蘭、とはあて字で、「荒らぐ」がなまった言い方なのです。昔から、鬼神も道をあける猛者、と恐れられたものです」
紅い唇から流れる言葉は、まるで当時を知る者のそれだ。
「その蘭の娘たちです。小娘といえど、あなどれませんよ」
「はあ……」
なんとなく、矢部氏は拍子抜けしてしまった。あまりにもとっぴょうしもない話だからだ。
――あんな小娘が、ねぇ……――
鰍を寝かしつけた馨が、居間にもどってきた。無言で、巴は新しく茶をつぎなおし、渡す。二人とも、あまりの事に一体何をしたらいいのか解らなかった。
父と母が死んだ。それも、ズタズタに引き裂かれて。その知らせを聞いたのは何時間前だったろう。
巴は、黙々とちゃぶ台の上を片づけていた。何かしていないと、気が狂ってしまいそうだった。今にも、足下が崩れそうだった。泣きたかった。大声で、誰はばかることなく。
しかし、妹達の前ではそうはいかない。
巴は、ただ耐えるしかなかった。
馨は、声を殺して泣いていた。鰍の前でこそ涙は見せなかったが、もう限界だった。これ以上こらえようとも思わなかった。大声こそあげないものの、あふれる涙は止めようもなかった。
当時、長女の巴にしたところで中学に上がったばかりだった。両親を、一瞬にして亡くした彼女達の悲しみはいかほどだったろうか。
死因は不明だった。どこかの空き地で、おり重なるように、半ば肉塊と化した死体がころがっていたそうだ。凶器も断定出来なかった。相当鋭利な刃物で、人間ばなれした力で引き裂かれていたという。
通夜の夜。今は白木の箱におさまった両親の前で、馨は、ちゃぶ台に突っぷして泣いていた。歯を食いしばって。豊かな黒髪をふりみだして。畳に爪をたてて。憎かった。両親を殺した相手が。だが、その憎しみをどこへぶつければいいのか、馨は知らなかった。
そして、それ以上に、悲しかった。
洗い物をしていた巴の手がとまった。真新しい、入ったばかりの中学の制服のまま、ただ機械的に通夜の支度をしていた巴。頬を涙がひとしずく流れた。もうとまらなかった。ぽろぽろと涙がこぼれた。セーラー服の肩が震えていた。
「夢魅姫、一体、何者です?あの娘達の親を殺ったのは?」
矢部氏が聞く。リンカーンのリムジンの中である。いつまでも冷たい雨にうたれ続けるのは矢部氏にとっても痛快とは言えなかった。
「魔物、それも、ただの魔ではありません」
夢魅姫と呼ばれた女は答えた。車の中だというのに帽子をとろうとはしていない。
「夢魔としての力をも持ち合わせた、少々やっかいな相手です。もっとも……」
アパートに目を向ける。
「……それはあの娘達とて同じですけど」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
夢喰い
えりー
恋愛
石塚 由愛(いしづか ゆめ)は普段は学校へ通う女子高生だ。
1つ違う事があるとすれば由愛の食事が特別なものであることだ。
由愛は人ではなく、夢魔である。
彼女の食事は人の夢だった。
ある日由愛は大失敗を犯してしまう。
夢から消えるときは必ず相手から自分の存在を消す。
しかし、1人の青年の記憶を消し忘れてしまう。
正体がばれるとその相手からしか食事がとれなくなってしまう。
青年は由愛に恋をしずっと探していた。
そして、ようやく見つけ出すことに成功する。
まるで脅迫するように迫る青年。
青年の名は吉井 淳(よしい じゅん)。
淳は由愛を見つけると車へ拉致する。
2人の歪な関係が始まる・・・。
人外つめつめ【短編集】
餞
恋愛
人外×人間のお話を詰め込んだ短編集です。恋愛です。ラブラブです(多分)。
下手したら中編になるかもしれないかもしれない。
場所によっては毛嫌いされていたり、共生していたり、主人公がトリップしたり…。時代もバラバラだったりと何でもありです。
一応R15つけときますがどの辺りからR15なのか作者はよく理解しておりません。ごめんね。チャオとか読んだことないのよ。
※人外といっても四足歩行の方々ではありませんのであしからず。(場合によっては出します。( ´,_ゝ`))
*ご要望がありましたら長編化しようと思います。
初作品ですので、感想・アドバイス・批評・誤字脱字報告等お願い致します。
追加:九月入ったら忙しくなるかも知れないので、先に謝っておきます。
今更ですがこの小説、作者がネタを思い付いてから行き当たりばったりで書くので、不定期更新です。
勇者とプレイヤー
アゲハ
ファンタジー
ゲームの「中」の立場の勇者とゲームの「外」の立場のプレイヤー、そんな二つの視点で動いて行く冒険戦記型ファンタジーラブコメディー!
そして「中」の勇者はラスボスである魔王を倒すことが出来るだろうか?
「外」のプレイヤーは「中」の勇者をハッピーエンドに導くことが出来るのだろうか?
・・・そんな感じのゲームの中のファンタジーラブコメディーです。
ぜひ試し読みを!
(小説家になろう、マグネット!、ノベルアップ+でも連載しています
そちらの方もあわせてよろしくお願いします)
夢魔アイドルの歪んだ恋愛事情
こむらともあさ
恋愛
人間の夢や精気を食べて生きる夢魔は、人に化け、現代社会に紛れて暮らしていた。
そんな男性夢魔6人が組むアイドルグループ『Dr.BAC』のひとり咲岡零斗は、握手会イベントでファンとして来ていた綾瀬満月に胃袋を掴まれ一目惚れしてしまったのだった。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる