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第八章:そして日常へ

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「面白い人たちでしたね」
 夕刻、田無のマンションに向かうセンチュリーの車内で、柾木は玲子に話しかける。
「はい……それに、八重垣やえがきの御令嬢と、このような形でお近づきになろうとは、思ってもおりませんでした」
 答える玲子の声は、やや興奮気味に聞こえる。
 無理もないだろう、柾木は思う。メーカーの株を、そのメーカーの製品を扱う商社が保有する事は別に珍しい事ではない。その方がメーカー側としては経営が安定して商品開発が円滑になり、商社側としても安心して取り引き出来る上に商品へのリクエストも出しやすい。保有株の割合と口を出す程度の問題もあるが、基本的にはWin-Winの関係を築けるやり方である。
 八重垣商事が持っているのは、西条精機の株の五%程だという。西条精機は親族経営で、八割方の株式は西条家が持っている。残りは銀行が保有している事もあり、この程度の保有割合は本当にお付き合い程度の意味しか持たないと思われるが、それでも西条精機の株価を安定させる役には立っているだろう。
 それに。柾木は、重ねて思う。その八重垣商事の社長令嬢もまた玲子さんと同じアルビノ、それも、白蛇の氏神を体に宿す蛇神憑きであったとは。
「八重垣家には御子息がお一人、御令嬢がお二人いらっしゃる事は存じておりましたが、上のお二人は既に成人されて経営に携わっていらっしゃいまして、わたくしもご挨拶した事がございました。三年ほど前の事でしたでしょうか、私はこのような身ですから、本当にご挨拶だけで退席させていただきましたが」
 株式の譲渡契約の際に、双方社長同士で会合を持ち、その席で顔合わせをしたのだと玲子は言う。三年前なら玲子さんは十四、八重垣の環さんは当時十六か?まあ、学生ならそういう場に出てこなくても不思議はなかろうと、柾木は思い、そう口にする。
「はい、私もその時はそう思いました。私は、今もですが、学校にはほとんど通っておりませんから、ご挨拶だけさせていただきましたが……」
 そう言って、玲子は言葉を途切る。あの後、井ノ頭家からの帰りしな、玲子はたまきに直接聞いていた。八重垣商事は関西に本社があったはず、わざわざ関東の学校で学ばれていらっしゃいますの?と。
「……うちは、中学の頃から東京に居てます……うち、あまり家族に好かれてへんのどす」
 あっ、玲子は小さく声をあげてしまう。つい、無粋な事を聞いてしまった。
「気にせんといてよろしおす、うちもそんなに気にはしてまへんさかい」
 そうは言われても。玲子は、気にしてしまう。
「……申し訳ありません……」
「ほんに気にせんといておくれやす、おかげさんで、うちはこっちで気ままにやらせてもろてますさかい、なあ?」
 微笑んで、環は傍らの銀子ぎんこに声をかける。
「せや、友達もぎょうさん居てるし」
 銀子も笑顔で答え、そして、玲子の顔をのぞき込むようにして、
「……今も、新しい友達、増えたしな」
 玲子がその意味に気付くのに、瞬き二つほどの時間がかかった。

「それにしましても。次にお会いする時には、もう少し見破れるようになっておきませんと」
 力強く拳を握り、玲子は言う。
「トランプ、勝てなかったの、そんなに悔しいんですか?」
「もちろんですわ!」
 柾木の問いに、鼻息も荒く玲子は即答する。
 主には銀子が、要所要所で環が使ってくる妖術とは、つまるところトランプの見た目を誤魔化すのと、思い通りの札を取らせるよう誘導する事だった。最初のうちはそれでも相当手加減していたのだろう、玲子にもかなりの確率で手の内が読めていたが、だんだんにレベルを上げていったらしく、最後の方はほとんど玲子には見破れなくなっていた。
「……柾木様は、悔しくありませんの?」
「え?うーん……」
 正直、柾木にはよく分からない。カードそのものを誤魔化された記憶は、柾木には、ない。だが、取るカードを誘導されたかどうかは、柾木には全く自覚が出来ていなかった。
「……とりあえず、狐に摘ままれるってこういう事なのか、ってのは分かった気がしました」
 もし誘導されていたのだとしたら――恐らくされていたのだろう――そりゃ馬糞喰わされたって分からないだろう、それくらい、見事に化かされたって事だ。それだけは、柾木にも理解出来た。
「けど、じゃあ玲子さん、次までにって、何をどうするつもりです?」
 柾木は、根本的な疑問を玲子にぶつける。
「……そこです。どうしたらよろしいでしょうか、何か名案はございまして?」
 あっさりと、玲子は質問を返してくる。
「うーん……」
 柾木は、考え込んでしまう。こうやって、即座に質問を返してくる時の玲子さんは、本当に何もアイデアが無い時で、かつ、是が非でも名より実を取りに行く時だ。半年強の付き合いで、その事は柾木はよく分かっていた。
 アイデアは、無いでは無い。だが……
「率爾ながら。こういった事は、やはりその筋の専門家に伺うのがよろしいかと」
 助手席から、時田が助け船を出す。やっぱり、それしか無いよなぁ。柾木も、そう思う。いや、もしかしたら、玲子もその手は思いついてはいたのかも知れないが……
「……本所さんに、相談してみますか?あの人、顔は広そうだから、きっと……」
「……あの人ですか……」
 玲子は、爪を噛む。玲子にしては珍しい仕草だ。矜持の強い玲子は、どうやらその案が気に入らないらしい。
 とはいえ。柾木の知る限り、顔見知りで適当な人物がそれくらいしか思い当たらない。蘭円あららぎ まどかを筆頭とする人狼ファミリーは、この方面ではほとんど当てにならない。その事は、さっきのトランプで、それでももっとも適性のありそうなかじかが証明していた。夢魔とやらの力を持ち、カバラの秘術とやらを操る彼女でさえ、おいそれとは狐の妖術は見破れないらしい。
「匂いでも付いてりゃわかるんだけど!」
 何回か連続でババを引かされた時、鰍が悔しそうに言った。
「そんなヘマするわけないやん」
「麻雀なら負けないのに!」
 苦笑して混ぜっ返す銀子に、鰍がぶうたれる。トランプではカードが大きすぎて出来ないが、麻雀なら、積み込むなり握り込むなり何とでも出来るらしい、それこそ、狐にも見破れない狼の早業で。
 蘭円に知り合いを聞く手も無くはないが、そもそも昴銀子すばる ぎんこという狐と八重垣環やえがき たまきという白蛇を派遣したのが円である以上、そこに頼るのは負けを認めたようで、玲子は承服しないだろう。
 そんなわけで、柾木の知っている「そっち方面の知り合いの多そうな人物」としては、歌舞伎町でスナックを営む本所隼子ほんじょ じゅんこママくらいしか思いつかない。これとて、過去の経緯から玲子がいい顔をしないのはわかっているのだが、背に腹は代えられない。

「……わかりました。他に手が無い以上、断腸の思いですがそう致しましょう」
 大きくため息をついて、玲子が決断した。
「じゃあ、今日はきっともう仕事始めてるでしょうから、行くなら明日にしましょうか。俺、連絡入れておきます」
「お願い致します……柾木様、あの方の連絡先、御存知でしたの?」
「こないだ名刺もらいました、天然の木の凄い奴」
 薄く削いだ檜の柾目の、品と迫力の両方を感じる名刺。「協会」に依頼されて交渉人ネゴシエイターとして合った時に、柾木は名刺交換していた。その事を思い出して、無警戒に柾木はそう玲子に伝える。
「そう……そうですの」
 平坦な声で帰ってきた玲子の返事に、柾木は自分が知らずに地雷を踏んだ事に気付く。
「あの……玲子さん?」
「柾木様は、あの女と、連絡先を交換なされてましたのね?」
「いやあの、はい、でもそれはあの、仕事と言えば仕事で」
「……わかっております。これは私の焼き餅、嫉妬です。私は、西条玲子はたいそう心の狭い女です。それはもうわかっておりますの」
「えっと……」
 玲子さん、思い込み強いんだよな。それとも、思春期の女の子ってみんなこんなもんだっけ?柾木が自分の高校時代あたりを思い出そうとしたその時。
「ですから!」
 玲子は、きっと柾木に向き直る。
「私は、強くなります!私は……」
 強くなってこの目の事も克服し、柾木様の事だって、誰にも奪われないだけの自信が持てるくらいになって見せます。そう言いたかったが、感情の方が先走ってしまい、玲子は言葉に詰まる。
 柾木は、しかし、ベールで見えないはずの玲子の眼差しの真剣さから、決意と、それでもわずかに残る困惑を帯びた口元から、玲子の言わんとする事が読み取れた気がした。
 だから、柾木は思う。玲子さんは、本当に凄い。常に前を向いている。じゃあ、俺はどうなんだ?
 俺は、玲子さんが好きだ。うん、それはもちろん認める。この前向きなところも、一途で真剣なところも、もちろんその外見も。けど、俺の中で引いてる部分もある。そりゃそうだろう、一介の地方の兼業農家の三男が、そこそこ大企業の社長令嬢と、だぜ?引かない方がどうかしてる。
 でも、玲子さんはそんな事微塵も思ってないみたいに見える。多分、玲子さんの中では、それは全く問題になってないのだろう。それは、持つ者、恵まれた者から見れば何でもない事であって、でも、持たざる者、普通の俺たちから見るとごく当たり前に感じてしまう差というか身分というか、そういうものなんだろう。
 ああ、きっと、夕べ酒井さんが言ってたのもこれだ、この事なんだ。今ならわかる。下から上を見ると、どうしてもそこには段差があると感じてしまう。上から見れば一歩昇ればいいだけの階段であっても、下から見ればとてつもなく高い階段。
 いや、そもそも、上からとか下からとか、その考え方自体、そう感じる事自体が、自分で自分を下に見ているって事なのか。自分は下だと自分で認めているのか。ニワトリタマゴだけど、それは、悔しい。それは、卑屈だ。
 ほんの一瞬でそこまで理解し、柾木は思った。俺は、卑屈になりたくはない。夕べ、酒井さんに大見得切っちまったし。じゃあ、する事は……
 柾木は、左後席から右後席に座る柾木に向けて捻った体を中央の大型アームレストについた両手で支える玲子の、その手に自分の手を重ね、優しく握る。はっとして見上げた玲子の目を、柾木が、見つめる。
「……玲子さんなら、なれますよ」
 俺も、負けないように、がんばってみます。まだ、それは口に出せない。出すだけの根性が、ひがみを吹き飛ばすだけの気概が柾木には身についていない。その事も自覚しつつ、だから、それを身につけよう、そうなりたいと柾木は望む。望んで、望んだからにはそうなるべく自分でかなえないと、と自分に言い聞かせる。
 玲子さんに負ける事だけは、出来ない。それは、かっこ悪い。そんなかっこ悪い事は、俺が玲子さんの事を好きだというのならば、出来ない、見せられない。それがきっと、俺の矜持ってやつだ。特別な事なんか何もない俺だけど、周りを見れば色々凄い人だらけだけど、いやモノノケと言うべき人ばっかりな気もするけれど、俺は俺だ、俺には俺の目指すべき何かがあるはず、それが何かはまだ良くわからないけれど。
 柾木は、胸がすくのを感じる。先の事はわからない。わからないけれど、目標らしいものは出来た。そしたら、やれる事をやれるだけやるだけだ。

 柾木の手から、何かを感じ取ったのか。
 玲子が、柾木の目を強く見つめたまま、柾木の手を、強く、握り返した。
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