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第七章:決戦は土曜0時

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 ひとしきり作業を終えたのだろう、張果ちょうか死体袋ボディ・バッグの側を離れ、葉法善ようほうぜんを従えて、青葉五月あおばさつきの居る事務棟へと歩き出した。
 その様子を見ていた五月は、目をこらしてチャックを開けられた死体袋の様子を見ようとし、また、その数を数える。
 その数、きっかり二十。視力には自信のある五月であっても文字や模様までは判別出来ないが、全ての遺体の顔に符籙ふだが貼ってあるのはわかる。
 ……いつでも、術を起こせるって事よね……
 五月は、知らず、窓ガラスに爪を立てていた。

「お前、中国語は出来るか?」
 張果は、事務所跡に入ってくるなり、五月に聞いた。
 五月は、その一言で、何が原因かは分からないが、今日の午後ずっと張果の機嫌が悪かった理由と、これから何が起きようとしているかを即座に理解した。
 つまり、今日の午後に何らかのトラブルが発生し、急遽この倉庫――アジト、というべきか――を放棄し、最悪日本を出国しなければならない、そういう状況になっているという事だ。
「……私は、あなたの命令には従わない。絶対に」
 五月は、張果を、そのめしいた目を見つめながら、静かに言った。
「死ぬ気はないし、死にたくもないから、連れて行かれても抵抗はしない。けど、あなたに隙があれば、私は必ずあなたを殺して自由を取り戻す。そうでなくても、私は片端からあなたの術を盗んでやる。それでも良ければ連れて行くといいわ」
 生きてさえいれば、必ず、チャンスがあるはず。短慮で死ぬわけには行かない。まだ、私は思いを遂げていない、この世に、人生に未練がある。たっぷりと。
 しばし、五月と張果の視線が絡み合う。そして、ぐつぐつと張果は含み笑いをする。
「……まったく、どうして儂の回りはこうも物騒な奴ばかりかの、よかろうよ、出来るものならやってみるがよかろう……イェ、この女はお前のお仲間になるかもしれんぞ」
 そう日本語で葉法善に言って、張果は愉快そうにぐつぐつと笑う。
 声をかけられた葉法善は、五月を見ると、
「……お前が、師父シーフーを殺せるほど、強いなら、俺、お前を殺して、肝を喰う」
 言って、ぞろりとわらう。
 五月は初めて見た、葉法善の笑顔を。その顔、太く黄色い犬歯の覗くその口元を見て、その途端に発した瘴気にも似た気配を察して、五月は知った。
 ……この男も、人ではなかった……

「まあよかろうよ、抵抗しないなら手荒なこともせん。正気を保ってもらわなんでは茉茉モモも扱いきれんだろうでな、今すぐお前をどうこうする気もない。心残りは、こいつの」
 張果はエータを顎で指し、
「使い方を聞き出せなんだ事か。まあ、時間さえかければいずれ何とかなろうよ……さて、荷造りをせねばならん、少々茉茉に働いてもらわねばならん」
 張果は、懐から千枚通しと符籙を取り出す。
 それを見た五月は身を固くし、一拍おいてため息をつく。逃げ場も、逃げる策も無い。今は甘んじて術を、茉茉が刺されるのを許す他ない。
 その五月の内心の葛藤を見抜いたように、張果が言う、面白がった声色で。
「どうだ?お前が茉茉に頼んでもよいのだぞ?」
「あなたの命令は聞かないと言ったはずよ」
 五月は即座に、精一杯の強がりで返す。あの激痛と脱力感は、正直たまらない。だが、矜持を折る方が、遥かに辛い。
「ならば仕方ない」
 張果は、符籙を千枚通しで貫き、ついで茉茉にゆっくりと近づけた。

 心臓のあたりに細く鋭い氷の針を打ち込まれたような激痛と、まるで全力で二百メートルほど泳ぎ切ったかのような脱力感の中、五月は理解する。
 この赶屍術ガンシーシューは相当にアレンジが入っているが、基本の部分は私でも理解出来る。張果のアレンジした術は命令を単純化して術の効率を上げる、要するに法力の消費を抑える為のものらしいが、それでも、一度に二十人も操るとなると、確かに一人の術者の力量を越える。勿論それが出来るような巨大な法力を持つ術者も探せば居るのだろうが、万人に一人、あるいは何十年に一人、そういったところだろう。その意味で、大きな術を起こす際に茉茉をブースターに使うことは理にかなっている。いや、恐らく、茉茉はその為に作られた。そして恐らく、茉茉は作られた当時から使い手を選んだ、いや、恐らく一人しか使いこなせなかった。
 茉茉の母である、莉莉リリにしか。

「おお、もうこんな時間か、思ったよりかかったの」
 懐中時計を見た張果が呟く。
「しばらく休め、船が来たら歩いてもらうでな、殭屍キョンシー二十体分の妖力、茉茉を使っても決して少なくはなかろうがよ、まあ、荷物を運び出すまでの辛抱だ」
 つまり、このアジトを逃げ出すための荷造りに殭屍を使う、そういう事か。五月は理解した。それにしても二十体とはまた豪勢ね、どれだけ荷物があるのかしら?並の術者なら、いや、本性が人であった頃の私だって、一度にこれだけの法力を吸われたら泡ふいて倒れていただろう。本性が鬼である事が、こんな所で役に立つとはね……
「……久しぶりの粥以外の飯は旨かったかの?」
 そう言って、張果は事務机の上の、コンビニ袋に戻されたコンビニ弁当の空容器を爪で弾く。
「これからは本場の中華料理をたらふく食わせてやろうよ」
 そう言って、またぐつぐつと含み笑いしながら張果は葉法善を連れて部屋を出て行った。
 五月は、緊張を解いて肘掛け椅子に倒れ込むように寄りかかり、目を閉じる。
 皆、思うところがあり、そちらに気を取られていたからだろう、五月の背後のホンのわずかな変化に気付くものは、誰も居なかった。

 ……エータの使い方を聞き出せなかった、って言ったわよね……
 五月は、なるべく体をリラックスさせながら、思考だけは研ぎ澄ませようと試みる。
 ……聞き出すって、誰から?知っているのは緒方さんしかいない。まさかまた緒方さんも?
 もしそうなら最悪だが、五月は希望的観測も含めてその考えを打ち消そうとする。
 ……いやいや、こないだはある意味自分でついて行ったらしいから。今は、菊子さん家のセキュリティも強化されてるし、あんまり頼りたくはないけど「協会」だって菊子さんや緒方さんには注目してる事だし。第一、あそこに、あの人たち、人?いやまあそこはいいけど、とにかくあそこに喧嘩売ったらタダで済むとも思えないし……
 そこまで考えて、五月ははっとしてエータに振り向く。
 ……そういえば、一瞬とはいえ、なんで柾木君がさっき、お昼頃、エータに入ってたの?緒方さんに頼まれてエータを通じてこっちの様子を見に来た、ってのはあり得るけど、彼、今日は仕事のはずよ?仕事休んでまで?そこまでする?それとも……まさか、まさかだけど、柾木君もどっかに捕まってるって事?……

 五月は、エータを見つめた。心配と、期待のこもった目で。
 だが、エータの瞼は、もう開かなかった。
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